教育と社会の構造分析や、キャリア教育の問題点の指摘も的確で、様々な思考を触発される良書。
職業の権利などを正しく教えることは意義があるし、雇用者側、社会の側がこれまで学校教育の成果を評価せず、人間性、コミュ力偏重をしてきたことは見逃すことができない。
ただ職業的意義を教育の現場に具体的にどのように落とし込むかはまだ見えず、現実化するには教育現場に深く関わっていく必要があるだろう。特に本当に不器用な生徒については、筆者が言うように訓練で向上が可能とは言い難い。必要なのはサポステのように伴走しつつ適性を見極める就労支援である。
また、シティズンシップ教育を批判していたが、生徒が現実を見極め、分析し、論理的、批判的に思考を進めるという点では、筆者の言う職業的教育とかなり近い能力が基盤となっていると思う。故に日本人に、また日本の国語教育に欠けている論理性こそ、培うべき力ではないかと思われる。
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教育の職業的意義: 若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書 817) 新書 – 2009/12/7
本田 由紀
(著)
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- ISBN-104480065237
- ISBN-13978-4480065230
- 出版社筑摩書房
- 発売日2009/12/7
- 言語日本語
- 寸法10.8 x 1.2 x 17.3 cm
- 本の長さ224ページ
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2009/12/7)
- 発売日 : 2009/12/7
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4480065237
- ISBN-13 : 978-4480065230
- 寸法 : 10.8 x 1.2 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 150,784位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 515位ちくま新書
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2022年1月10日に日本でレビュー済み
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内容が難しすぎて、わからない部分が多い。
出来れば、今後の教育はこのようにしてほしいなど具体的な手立てを書いて欲しい、また実行して欲しい。
出来れば、今後の教育はこのようにしてほしいなど具体的な手立てを書いて欲しい、また実行して欲しい。
2019年4月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なぜ、職業について学ぶ必要性があるのか。
現代の社会のあり方(資本主義体制、競争・暗記教育、ブラック企業)と重ねて考えることができた。
教師・保護者・学生誰が読んでも、納得し教育を一歩でも前に進める力になる。
社会をどう変えればいいか、私たちがどんなことを取り組めばいいか、抽象的だが合点のいく話が取り上げられている。
現代の社会のあり方(資本主義体制、競争・暗記教育、ブラック企業)と重ねて考えることができた。
教師・保護者・学生誰が読んでも、納得し教育を一歩でも前に進める力になる。
社会をどう変えればいいか、私たちがどんなことを取り組めばいいか、抽象的だが合点のいく話が取り上げられている。
2012年7月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「キャリア教育」なるものを経験する前に大学を卒業した
ので、現在、偶然にも大学で職員になって「キャリア教育」
なる授業やインターンシップや就職説明会などを目にして、
大学がこんなにも手厚く学生を世話してくれる姿に驚き、
好意的に評価していたが、この「キャリア教育」に対し、
筆者は「望ましい『勤労観・職業観』や「汎用的・基礎的
能力」の方向性は掲げながらも、それを実現する手段を
具体的に提供することもなく、結局は『自分で考えて自分
で決めよ』と進路に関する責任を若者自身に投げ出すこと
終わっている」と批判的だ。
しかし学校の先生は企業で働いたことのない人達であり、
職員も多くは母校の卒業生で大学の外の世界を経験した
ことがないことを考えれば、リアルな実感や具体的方法を
学生に示すことなど到底できるとは思えない。これがで
きるのは専門学校ということになるが、とすれば、
大学の存在意義そのものが否定されることになる。
問題提起としては、的を得ているが具体的な対策に
ついては筆者自身が述べているとおり、抽象的で曖昧
なものになっているのが残念である。
ので、現在、偶然にも大学で職員になって「キャリア教育」
なる授業やインターンシップや就職説明会などを目にして、
大学がこんなにも手厚く学生を世話してくれる姿に驚き、
好意的に評価していたが、この「キャリア教育」に対し、
筆者は「望ましい『勤労観・職業観』や「汎用的・基礎的
能力」の方向性は掲げながらも、それを実現する手段を
具体的に提供することもなく、結局は『自分で考えて自分
で決めよ』と進路に関する責任を若者自身に投げ出すこと
終わっている」と批判的だ。
しかし学校の先生は企業で働いたことのない人達であり、
職員も多くは母校の卒業生で大学の外の世界を経験した
ことがないことを考えれば、リアルな実感や具体的方法を
学生に示すことなど到底できるとは思えない。これがで
きるのは専門学校ということになるが、とすれば、
大学の存在意義そのものが否定されることになる。
問題提起としては、的を得ているが具体的な対策に
ついては筆者自身が述べているとおり、抽象的で曖昧
なものになっているのが残念である。
2016年12月24日に日本でレビュー済み
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本田由紀さんの著作は大変刺激的だと思います。
以前はちょっと距離を置いていましたが,
ようやく,本田さんの考えていることがだんだん腑に落ちてくるようになりました。
同じ事象を,行政・研究者・当事者という様々な視点からとらえる必要があります。
本田さんは,きちんと研究者という視点で分析されているという点で,
信頼がおけるように思います。
以前はちょっと距離を置いていましたが,
ようやく,本田さんの考えていることがだんだん腑に落ちてくるようになりました。
同じ事象を,行政・研究者・当事者という様々な視点からとらえる必要があります。
本田さんは,きちんと研究者という視点で分析されているという点で,
信頼がおけるように思います。
2021年3月27日に日本でレビュー済み
わたしは、教育内容学講座の学生でしたので、従来の教育学の論究にあって、技術教育、職業教育、徒弟教育などの分野が、戦後充分に独立して機能する学問になり得なかった事情を知っています。恩師のなかには、職業教育に関する講演事業などを行っていた者もありましたが、それは限定的な活動であって、やはりさらに何かを求めざるを得ないものであったことに変わりはありません。
本書のような問題意識をもった研究者が、教育「社会学」から出たのは、とてもありがたいことであると思います。誰かがやっておかなくてはならなかったことだからです。
むかしは、丁稚奉公、徒弟奉公と言えば、盆暮れの習慣とあいまって、ひとびとの脳裏に具体的なイメージを与えるものでした。教育科学の分野でも、新興教育の専門家だった山下徳治氏あたりは、企業の徒弟教育要領を編纂したりしていました。今でも「住み込み」のあり得る職の場合には、どこかにそれらの史的後続形態、残滓のようなものがあるだろうと思います。
また、科学教育の実践性の課題は、ひっくりかえして、教育科学における実践性の規定にも関与するものです。この両者の差異を認識するには、研究者の側に科学認識、数学的思考などへの深い理解と実力が備わっていなくてはならず、それは、研究者自身が理解できていない対象は取り扱うことができないという、実際的な条件から来ています。
本書にあるのが、「いま」の現状であれば、このさきにさらに別の変化が発生するはずです。定点観測のように追ってい続けることが求められています。
本書のような問題意識をもった研究者が、教育「社会学」から出たのは、とてもありがたいことであると思います。誰かがやっておかなくてはならなかったことだからです。
むかしは、丁稚奉公、徒弟奉公と言えば、盆暮れの習慣とあいまって、ひとびとの脳裏に具体的なイメージを与えるものでした。教育科学の分野でも、新興教育の専門家だった山下徳治氏あたりは、企業の徒弟教育要領を編纂したりしていました。今でも「住み込み」のあり得る職の場合には、どこかにそれらの史的後続形態、残滓のようなものがあるだろうと思います。
また、科学教育の実践性の課題は、ひっくりかえして、教育科学における実践性の規定にも関与するものです。この両者の差異を認識するには、研究者の側に科学認識、数学的思考などへの深い理解と実力が備わっていなくてはならず、それは、研究者自身が理解できていない対象は取り扱うことができないという、実際的な条件から来ています。
本書にあるのが、「いま」の現状であれば、このさきにさらに別の変化が発生するはずです。定点観測のように追ってい続けることが求められています。
2016年6月6日に日本でレビュー済み
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本書が言う「教育」は、学校教育である。
学校教育において、職業的な教育をさらに行うべきだと主張している。
もちろん、一般教育を否定するものではない。
しかし、学校教育に対する過剰な期待が認められるようである。
学校教育においては、専門高校もあり、キャリア教育も行われている。
それらに加えて、あるいは代えて、著者が求めるような「職業教育総論・各論」と「柔軟な専門性」教育は、若者たちを救うのであろうか。
そもそも、現状の学校教育は飽和状態ではないのか。
多数の一般教科あるいは専門教科に学校行事等の特別活動、道徳、さらには部活動もある。
児童・生徒に対しても、教師に対しても過度な要求がなされているとも思える。
正統的周辺参加の理論(レイヴ/ウェンガー、1993、『状況に埋め込まれた学習-正統的周辺参加』(訳・佐伯 胖)、産業図書)によれば、教育カリキュラムと学習カリキュラムとは区別しなければならない。
なぜなら、学習は教授行為や指導計画等と呼ばれる教育カリキュラムによって、可能になるのではないからである。
場合によっては、教育カリキュラムが学習カリキュラムを、すなわち学習の意図や活動を阻害する。
学習とは、実践の共同体への参加である。
そこでは、共同体の一員としてのアイデンティティを形成するとともに、共同体の維持・発展に貢献することが求められる。
そのような参加としての学習には、学校的な教育カリキュラムではなく、学習のための資源の構造的な配置が必要なのである。
適切な学習資源が提供されるなかで、新参者は古参者に憧れ、彼ら・彼女らのようになろうと活動をする。
一方、古参者は新参者を迎え入れ、彼ら・彼女らを育てようとして援助もするが、自らをモデルとして示す。
しかし、新参者が育つなら、やがて両者は互いを必要としなくなり、葛藤やコンフリクトを招く。
このような葛藤やコンフリクトを超えるなら、新参者は一人前になり、やがて古参者は退くのである。
教育カリキュラムは、それほど必要とはしない。
新参者と古参者とが共同、協働して活動することが、強く求められるのである。
いくらかでも学校を社会に開くことについて、考えるべきであろう。
既存の教科等において、児童・生徒が現実社会に参加するように活動し、しだいに社会の一員になっていく機会をつくりたい。
そこでは、教師も社会参加の新参者として児童・生徒とともに学ぶとともに、学校外部へのアクセスによる学習資源の獲得が求められよう。
学校教育において、職業的な教育をさらに行うべきだと主張している。
もちろん、一般教育を否定するものではない。
しかし、学校教育に対する過剰な期待が認められるようである。
学校教育においては、専門高校もあり、キャリア教育も行われている。
それらに加えて、あるいは代えて、著者が求めるような「職業教育総論・各論」と「柔軟な専門性」教育は、若者たちを救うのであろうか。
そもそも、現状の学校教育は飽和状態ではないのか。
多数の一般教科あるいは専門教科に学校行事等の特別活動、道徳、さらには部活動もある。
児童・生徒に対しても、教師に対しても過度な要求がなされているとも思える。
正統的周辺参加の理論(レイヴ/ウェンガー、1993、『状況に埋め込まれた学習-正統的周辺参加』(訳・佐伯 胖)、産業図書)によれば、教育カリキュラムと学習カリキュラムとは区別しなければならない。
なぜなら、学習は教授行為や指導計画等と呼ばれる教育カリキュラムによって、可能になるのではないからである。
場合によっては、教育カリキュラムが学習カリキュラムを、すなわち学習の意図や活動を阻害する。
学習とは、実践の共同体への参加である。
そこでは、共同体の一員としてのアイデンティティを形成するとともに、共同体の維持・発展に貢献することが求められる。
そのような参加としての学習には、学校的な教育カリキュラムではなく、学習のための資源の構造的な配置が必要なのである。
適切な学習資源が提供されるなかで、新参者は古参者に憧れ、彼ら・彼女らのようになろうと活動をする。
一方、古参者は新参者を迎え入れ、彼ら・彼女らを育てようとして援助もするが、自らをモデルとして示す。
しかし、新参者が育つなら、やがて両者は互いを必要としなくなり、葛藤やコンフリクトを招く。
このような葛藤やコンフリクトを超えるなら、新参者は一人前になり、やがて古参者は退くのである。
教育カリキュラムは、それほど必要とはしない。
新参者と古参者とが共同、協働して活動することが、強く求められるのである。
いくらかでも学校を社会に開くことについて、考えるべきであろう。
既存の教科等において、児童・生徒が現実社会に参加するように活動し、しだいに社会の一員になっていく機会をつくりたい。
そこでは、教師も社会参加の新参者として児童・生徒とともに学ぶとともに、学校外部へのアクセスによる学習資源の獲得が求められよう。
2013年3月8日に日本でレビュー済み
本書の目的は非常に明確である。本書を開いた最初に書かれている
ように、日本で長らく見失われてきた「教育の職業的意義」の回復
の必要性を提起したものである。
しかし、この提起は、多くの反論や疑義も巻き起こすものでもある。
著者は、それを予め想定して、予測される否定的反応に対しの反論
を本書冒頭でしている。例えば、「教育に職業的意義は不必要だ」や
「職業的意義のある教育は不自然だ」や「職業的意義のある教育は
危険だ」等の否定的反応への反論をしておいてから、著者の主張を
第1章以下で展開していく構成をとっている。
本書は5章構成になっている。第1章では、なぜ今、教育の職業的
意義が必要とされているかについて、若年労働市場の現状について
議論している。第2章では、日本で教育の職業的意義が見失われて
きた歴史的経緯をまとめている。第3章では、日本において教育の
職業的意義が希薄であることを国際的な比較から主張している。第
4章では、近年教育現場で急速に広がっているキャリア教育の問題点
について指摘している。そして最後の第5章では、これからの教育
の職業的意義をいかに構築していくかについて論じている。
実に多くのデータや文献を引用しながら、日本の教育において職業
的意義が急速に失われ、現在の状況は、日本の歴史から見ても、国際
的な比較の視点から見ても、かなり希薄であることを主張し、漠然と
した目的のもと、何となく教育現場で支持され、じわじわと広がって
いる現在のかたちでのキャリア教育の危うさについてズバッと指摘し、
「適応」と「抵抗」の両側面を持ち合わせた職業的意義をもった教育
の構築の必要性を訴える本書の主張は、実に説得力がある。
やや無批判的に取り組まれているキャリア教育や、職業的教育の意義
や、「適応」に重点化した現在の教育など、考えるべき視点を多く与え
てくれる、意義ある本である。
ように、日本で長らく見失われてきた「教育の職業的意義」の回復
の必要性を提起したものである。
しかし、この提起は、多くの反論や疑義も巻き起こすものでもある。
著者は、それを予め想定して、予測される否定的反応に対しの反論
を本書冒頭でしている。例えば、「教育に職業的意義は不必要だ」や
「職業的意義のある教育は不自然だ」や「職業的意義のある教育は
危険だ」等の否定的反応への反論をしておいてから、著者の主張を
第1章以下で展開していく構成をとっている。
本書は5章構成になっている。第1章では、なぜ今、教育の職業的
意義が必要とされているかについて、若年労働市場の現状について
議論している。第2章では、日本で教育の職業的意義が見失われて
きた歴史的経緯をまとめている。第3章では、日本において教育の
職業的意義が希薄であることを国際的な比較から主張している。第
4章では、近年教育現場で急速に広がっているキャリア教育の問題点
について指摘している。そして最後の第5章では、これからの教育
の職業的意義をいかに構築していくかについて論じている。
実に多くのデータや文献を引用しながら、日本の教育において職業
的意義が急速に失われ、現在の状況は、日本の歴史から見ても、国際
的な比較の視点から見ても、かなり希薄であることを主張し、漠然と
した目的のもと、何となく教育現場で支持され、じわじわと広がって
いる現在のかたちでのキャリア教育の危うさについてズバッと指摘し、
「適応」と「抵抗」の両側面を持ち合わせた職業的意義をもった教育
の構築の必要性を訴える本書の主張は、実に説得力がある。
やや無批判的に取り組まれているキャリア教育や、職業的教育の意義
や、「適応」に重点化した現在の教育など、考えるべき視点を多く与え
てくれる、意義ある本である。