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社会思想史を学ぶ (ちくま新書 819) 新書 – 2009/12/1
山脇 直司
(著)
- ISBN-104480065261
- ISBN-13978-4480065261
- 出版社筑摩書房
- 発売日2009/12/1
- 言語日本語
- 本の長さ220ページ
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2009/12/1)
- 発売日 : 2009/12/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 220ページ
- ISBN-10 : 4480065261
- ISBN-13 : 978-4480065261
- Amazon 売れ筋ランキング: - 406,112位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,378位ちくま新書
- - 74,347位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年7月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中学二年生の娘が興味を持っていたので購入しましたが、少し難しかったようです。
2009年12月17日に日本でレビュー済み
本書は、社会哲学を専門とし
現在は、東京大学教授であるである著者が
近代以降の社会思想史について紹介する著作です。
著者は「近代主義の見直し」という問題意識の元に
まず、80年代以降の思想界における混乱をコンパクトに解説。
続いて、ヘーゲル、アダム・スミス、ダーウィンなど
啓蒙・近代を推し進めた思想家たちを紹介し
その「正の遺産」を振り返ると同時に、問題点も指摘します。
その上でアドルノ、ハタミなど
近代を見つめなおそうとした思想家や
「西欧」「啓蒙」に立脚しない思想家たちを紹介。
さらに、ガダマーや井筒俊彦らの成果を参照し、
対話と相互理解を通じた社会思想の見直しを提唱します
日本の現代思想に対する手厳しい評価
ネオコンによるレオ・シュトラウスの誤読
対話を進める理念としての「和」(≠「同」)の再評価
・・など興味深い記述は多いのですが
そのような個別の記述以上に印象深いのは
幅広いジャンル・時代の思想家を
一つのテーマの下に論じる本書全体の試みと
そこから伝わる、思想史のダイナミズム・醍醐味です。
簡潔・平易ながらも偏狭な復古主義にも、夜郎自大な賛美に陥ることなく
社会思想の現在と、未来へ向けた壮大な道筋を示す本書。
公共哲学に興味がある方はもちろん、
一人でも多くの方に読んでいただきたい著作です。
現在は、東京大学教授であるである著者が
近代以降の社会思想史について紹介する著作です。
著者は「近代主義の見直し」という問題意識の元に
まず、80年代以降の思想界における混乱をコンパクトに解説。
続いて、ヘーゲル、アダム・スミス、ダーウィンなど
啓蒙・近代を推し進めた思想家たちを紹介し
その「正の遺産」を振り返ると同時に、問題点も指摘します。
その上でアドルノ、ハタミなど
近代を見つめなおそうとした思想家や
「西欧」「啓蒙」に立脚しない思想家たちを紹介。
さらに、ガダマーや井筒俊彦らの成果を参照し、
対話と相互理解を通じた社会思想の見直しを提唱します
日本の現代思想に対する手厳しい評価
ネオコンによるレオ・シュトラウスの誤読
対話を進める理念としての「和」(≠「同」)の再評価
・・など興味深い記述は多いのですが
そのような個別の記述以上に印象深いのは
幅広いジャンル・時代の思想家を
一つのテーマの下に論じる本書全体の試みと
そこから伝わる、思想史のダイナミズム・醍醐味です。
簡潔・平易ながらも偏狭な復古主義にも、夜郎自大な賛美に陥ることなく
社会思想の現在と、未来へ向けた壮大な道筋を示す本書。
公共哲学に興味がある方はもちろん、
一人でも多くの方に読んでいただきたい著作です。
2012年6月9日に日本でレビュー済み
本書は、我々がまさに生きている「歴史的現代」とはいったいいかなる時代であるのか、という問いに対して、著者なりの社会思想史の視座から答えようとするものである。そして、1980年代と90年代に流行した社会思想の不十分さを指摘しつつ、欧米の諸思想のみならず日本の諸思想をも含んだ、近代から現代に至る社会思想史の新しいヴィジョンを提示する。
「はじめに」では、以上のような問題関心を、本書の構成とともに具体的に説明する。
第1章「現代思想批判から近代啓蒙思想の見直しへ」は、まず、80年代・90年代の社会思想を批判的に紹介し、次いで、社会思想のベースとなっているヨーロッパ近代啓蒙思想を、自然観と歴史観の特質を中心に振り返る。そして、近代啓蒙主義が社会思想に「文明の進歩」という価値を導入し、ヨーロッパ中心主義、植民地主義、人間中心主義などの正当化に寄与したと批判し、「多次元的なポスト近代の社会思想史」の必要性を主張する。
第2章「社会思想史は何を軽んじてきたか――自然・宗教・悪」は、「ポスト近代」の社会思想史のために、従来の社会思想史が看過してきた「自然」、「宗教」、「悪」というテーマを論じる。
第3章「近代啓蒙思想をきたえなおす――立憲国家・市民社会・超国家組織」は、「ポスト近代」の社会思想史のために、従来の社会思想史が獲得してきた「立憲国家」、「市民社会」、「超国家組織」というテーマを再考する。
第4章「分断された社会をつなぐ思想――歴史・文化・対話」は、「多次元的」な社会思想史のために、比較社会思想史の可能性を論じる。
以下、簡単な批評。
1) 本書は、基本的人権の擁護など、近代啓蒙思想がもたらした「正の遺産」を評価しつつ、「文明の進歩」という近代啓蒙思想の価値観に「根本的な批判」をすることで「負の遺産」を克服し、「新たに多次元的なポスト近代の社会思想史」を構想しようとするものである。主張は明快で、非常に読みやすい。西洋思想を中心に取り上げつつ、日本や中国の思想家にも言及しており、比較社会思想史を提唱する著者の姿勢が読み取れる。もっとも、本書が提唱する「グローカル」という視座の有効性は、具体的な事例研究がないため本書だけで判断できないが、著者の今後を期待できる内容となっている。
2) 本書は、「近代」の「内容」として「進歩」「文明」を抽出し、そこから「正の遺産」と「負の遺産」を仕分け、新たな「内容」をもった「ポスト近代」を描こうとしている。つまり、ここでの「近代」は画一化され、抽象的なものに留まっている。それゆえ、「近代」に対するスタンスばかりが議論されている一方、「近代化」というプロセスは看過され、「非歴史的な社会思想史」という印象を与えている。
3) 本書は、近代啓蒙思想には反宗教的なものと親宗教的なものの双方が混在していたと論じつつ、フランス啓蒙思想を反宗教と規定している。確かに、啓蒙思想の影響を受けたフランス革命は反教権主義を掲げたが、ロベスピエールの最高存在の祭典にみられるように、キリスト教に代わる「新たな宗教」を必要とした。つまり、フランスは依然として親宗教的であったといえる。本書の問題点は、科学と対峙させつつ宗教を「道徳的な価値とは何かを問う」ものと規定するグールドと同様に、善/悪という価値判断を否定しつつも、科学/宗教の二元論から逃れられていない点にある。宗教としての科学、あるいは非宗教的な宗教という視点が看過されている。
「はじめに」では、以上のような問題関心を、本書の構成とともに具体的に説明する。
第1章「現代思想批判から近代啓蒙思想の見直しへ」は、まず、80年代・90年代の社会思想を批判的に紹介し、次いで、社会思想のベースとなっているヨーロッパ近代啓蒙思想を、自然観と歴史観の特質を中心に振り返る。そして、近代啓蒙主義が社会思想に「文明の進歩」という価値を導入し、ヨーロッパ中心主義、植民地主義、人間中心主義などの正当化に寄与したと批判し、「多次元的なポスト近代の社会思想史」の必要性を主張する。
第2章「社会思想史は何を軽んじてきたか――自然・宗教・悪」は、「ポスト近代」の社会思想史のために、従来の社会思想史が看過してきた「自然」、「宗教」、「悪」というテーマを論じる。
第3章「近代啓蒙思想をきたえなおす――立憲国家・市民社会・超国家組織」は、「ポスト近代」の社会思想史のために、従来の社会思想史が獲得してきた「立憲国家」、「市民社会」、「超国家組織」というテーマを再考する。
第4章「分断された社会をつなぐ思想――歴史・文化・対話」は、「多次元的」な社会思想史のために、比較社会思想史の可能性を論じる。
以下、簡単な批評。
1) 本書は、基本的人権の擁護など、近代啓蒙思想がもたらした「正の遺産」を評価しつつ、「文明の進歩」という近代啓蒙思想の価値観に「根本的な批判」をすることで「負の遺産」を克服し、「新たに多次元的なポスト近代の社会思想史」を構想しようとするものである。主張は明快で、非常に読みやすい。西洋思想を中心に取り上げつつ、日本や中国の思想家にも言及しており、比較社会思想史を提唱する著者の姿勢が読み取れる。もっとも、本書が提唱する「グローカル」という視座の有効性は、具体的な事例研究がないため本書だけで判断できないが、著者の今後を期待できる内容となっている。
2) 本書は、「近代」の「内容」として「進歩」「文明」を抽出し、そこから「正の遺産」と「負の遺産」を仕分け、新たな「内容」をもった「ポスト近代」を描こうとしている。つまり、ここでの「近代」は画一化され、抽象的なものに留まっている。それゆえ、「近代」に対するスタンスばかりが議論されている一方、「近代化」というプロセスは看過され、「非歴史的な社会思想史」という印象を与えている。
3) 本書は、近代啓蒙思想には反宗教的なものと親宗教的なものの双方が混在していたと論じつつ、フランス啓蒙思想を反宗教と規定している。確かに、啓蒙思想の影響を受けたフランス革命は反教権主義を掲げたが、ロベスピエールの最高存在の祭典にみられるように、キリスト教に代わる「新たな宗教」を必要とした。つまり、フランスは依然として親宗教的であったといえる。本書の問題点は、科学と対峙させつつ宗教を「道徳的な価値とは何かを問う」ものと規定するグールドと同様に、善/悪という価値判断を否定しつつも、科学/宗教の二元論から逃れられていない点にある。宗教としての科学、あるいは非宗教的な宗教という視点が看過されている。
2012年12月27日に日本でレビュー済み
本書の目的は、社会思想史の方法によって、現在の社会と未来のあるべき社会を提示しようとするもの。
本書の魅力は、フーコー、ハーバーマス、ネグリ、ロールズ、サンデル、フクヤマらハンチントンなどの社会思想の概観を丁寧にポイントを抑えて紹介していくところにある。これらの哲学者に関心がある人にとっては良い読書案内の役割を果たしている。また、本書全体の構成も明快で、1章では問題設定、2章では近代啓蒙思想が看過して来た部分(負の側面)を提示し、逆に3章では、近代啓蒙思想の有効な点を提示していく。最後の4章では2章と3章の議論を架橋した、著者によるオルタナティブな社会思想像が提示される。その社会思想像とは、一言でいえば、欧米中心主義でもエスニックなナショナリズムでもなく、グローカルな多元社会であり、そのような試みとして、著者は和辻哲郎、三木清、井筒俊彦ら近代の思想家を挙げたり、あるいはアショカ王や聖徳太子の寛容で開かれた統治を挙げていく。全体として学術的にきちんとした整理を行っているので読むに値すると言える。
ただ、大きなところで難点を言えば、著書は西洋哲学を生業とする哲学者でありその職分において考察を行ったといえばそれまでだが、議論は良くも悪くもやや抽象的。たとえば、著者は「社会」という言葉について明確に定義していないので、その社会はどの社会なのかはっきりしない。国際社会なのだろうか?日本社会なのだろうか?それとも理念型の実際には存在しない仮想された社会なのだろうか? いまいち分からない。それに、これも哲学者だから仕方ないのだが、やっぱり有名な思想家ではなく、もっと細かでマイナーな具体事例を積み重ねた議論も欲しいところ。社会思想史の方法を使っているんだから、その〈史〉の部分すなわち歴史学的な手続きがあってもよかったのでは?なので、もっと本書でも紹介されているギアツが言うところの「厚い記述」が欲しかったという意味で☆4つにしたが、著者を含めた第一線の社会理論家たちが社会をどのように見ているのか、あるいは学問上のトレンドはどのようになっているのか全体像を知りたい方、また勉強を始めたい方にはオススメの一冊。その点ではまったく遺漏がなく、完成度の高い本だ。
蛇足だが、著者の学術的な自己形成のベースは、留学先がドイツだったため、やはりドイツの哲学的方法にある。それは本書の構成が近代啓蒙主義の正と負の側面を提示し、その二つを弁証法的に解決しようとしている所を見てもわかる。正・反・合の弁証法は便利なのだが、それはまた近代ドイツという枠組みのなかでのみ有効であることも事実。ドイツ関連の研究者には今でもその傾向が強い。ただ著者の場合は、近代ドイツ的思考方法を理想化せず、フランス的な社会契約や脱構築、英米の功利主義の発想も踏まえているので、あまりドグマティックなところがない。そのあたりにも著者の哲学的な姿勢がよく表れている。
本書の魅力は、フーコー、ハーバーマス、ネグリ、ロールズ、サンデル、フクヤマらハンチントンなどの社会思想の概観を丁寧にポイントを抑えて紹介していくところにある。これらの哲学者に関心がある人にとっては良い読書案内の役割を果たしている。また、本書全体の構成も明快で、1章では問題設定、2章では近代啓蒙思想が看過して来た部分(負の側面)を提示し、逆に3章では、近代啓蒙思想の有効な点を提示していく。最後の4章では2章と3章の議論を架橋した、著者によるオルタナティブな社会思想像が提示される。その社会思想像とは、一言でいえば、欧米中心主義でもエスニックなナショナリズムでもなく、グローカルな多元社会であり、そのような試みとして、著者は和辻哲郎、三木清、井筒俊彦ら近代の思想家を挙げたり、あるいはアショカ王や聖徳太子の寛容で開かれた統治を挙げていく。全体として学術的にきちんとした整理を行っているので読むに値すると言える。
ただ、大きなところで難点を言えば、著書は西洋哲学を生業とする哲学者でありその職分において考察を行ったといえばそれまでだが、議論は良くも悪くもやや抽象的。たとえば、著者は「社会」という言葉について明確に定義していないので、その社会はどの社会なのかはっきりしない。国際社会なのだろうか?日本社会なのだろうか?それとも理念型の実際には存在しない仮想された社会なのだろうか? いまいち分からない。それに、これも哲学者だから仕方ないのだが、やっぱり有名な思想家ではなく、もっと細かでマイナーな具体事例を積み重ねた議論も欲しいところ。社会思想史の方法を使っているんだから、その〈史〉の部分すなわち歴史学的な手続きがあってもよかったのでは?なので、もっと本書でも紹介されているギアツが言うところの「厚い記述」が欲しかったという意味で☆4つにしたが、著者を含めた第一線の社会理論家たちが社会をどのように見ているのか、あるいは学問上のトレンドはどのようになっているのか全体像を知りたい方、また勉強を始めたい方にはオススメの一冊。その点ではまったく遺漏がなく、完成度の高い本だ。
蛇足だが、著者の学術的な自己形成のベースは、留学先がドイツだったため、やはりドイツの哲学的方法にある。それは本書の構成が近代啓蒙主義の正と負の側面を提示し、その二つを弁証法的に解決しようとしている所を見てもわかる。正・反・合の弁証法は便利なのだが、それはまた近代ドイツという枠組みのなかでのみ有効であることも事実。ドイツ関連の研究者には今でもその傾向が強い。ただ著者の場合は、近代ドイツ的思考方法を理想化せず、フランス的な社会契約や脱構築、英米の功利主義の発想も踏まえているので、あまりドグマティックなところがない。そのあたりにも著者の哲学的な姿勢がよく表れている。
2017年7月5日に日本でレビュー済み
社会思想の門外漢にとっては、近代思想史の変遷と現代との繋がりが大枠として理解できて大変良かった。
ただし、その中で個々の思想家の主張も手際よく論じられているものの、思想そのものの記述は専門用語が多く、もっと日常的な言葉に言い換えてもらえるとありがたかった。
また、各思想について、時代背景と社会に与えた影響をより突っ込んでもらえたら深く理解できた思う。(紙幅の限界かもしれないが)
全体としては難解な社会思想史を、正確さと客観性に配慮し、簡潔にまとめた優れた入門書だと思います。
ただし、その中で個々の思想家の主張も手際よく論じられているものの、思想そのものの記述は専門用語が多く、もっと日常的な言葉に言い換えてもらえるとありがたかった。
また、各思想について、時代背景と社会に与えた影響をより突っ込んでもらえたら深く理解できた思う。(紙幅の限界かもしれないが)
全体としては難解な社会思想史を、正確さと客観性に配慮し、簡潔にまとめた優れた入門書だと思います。
2009年12月21日に日本でレビュー済み
社会思想史とか、哲学史とか、だいたい、射程がでかくて、「最近」と言っても戦後、冷戦ぐらいまでしか話が及ばないことが多いが、本書は違う。扱う「現実」の話題は、前世紀末期から今世紀初頭で、鳩山内閣への期待の言及が出るほどに「直近」を視野に入れて展開する社会思想史。近代思想の大所を勿論しっかり語りながら、前世紀末期の大小のオピニオンリーダーの意見を一応公平に且つ妥当なところで判断して扱うバランス感覚と博識には驚嘆したい。文章も滑らかでよどみがない。そんな訳で新書版の作品としては、何もかも揃っている気がする。そのうえ、著者の同世代なら、マルクス主義、左翼の尾ひれがしっかり残っているのが普通で、はなしも左的な思考に傾斜するものだが、著者は違う。むしろ、ヘーゲル、マルクスは、やや時代が過ぎた思考として、カントをより評価する。無理にカント=マルクス路線をにしないところが、臭みがないところと言えばそうなる。物足りないのは、本書をリードする価値観で、各文化各国の立場の尊重と理解、差別思考の撤廃、進歩思想の批判、といったもので、これに「やや安易な相対主義」への批判がある、というぐらいだ。これでは、中学生でも馴染み深い「道徳」で、へっぽこ代議士が誰でも叫ぶような、当り障りのない100点満点の価値観だ。これを基軸に、「思想史」を整理されても、話の方向が見えていてがっかり。「整理」されてしまった社会思想の古典たちは、実は、相当にやっかいな人間の内面や、社会との葛藤や、リスクへの処方箋など、苦労しながら語っている部分が魅力な訳で、分かりやすくはないが、それゆえに却って胸を打つものが多い。ヘーゲルもフーコーなども、これで良いのかと思うくらい角が取れ、彼らが悩み立ち向かった姿は見る影もない。魅力ある思想史をどう書くかは大きなテーマだが、どうも本書の方向には無いように思える。