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日本語は亡びない (ちくま新書 834) 新書 – 2010/3/10
金谷 武洋
(著)
ダブルポイント 詳細
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- 本の長さ190ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2010/3/10
- ISBN-104480065407
- ISBN-13978-4480065407
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2010/3/10)
- 発売日 : 2010/3/10
- 言語 : 日本語
- 新書 : 190ページ
- ISBN-10 : 4480065407
- ISBN-13 : 978-4480065407
- Amazon 売れ筋ランキング: - 927,611位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,337位ちくま新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年7月9日に日本でレビュー済み
橋本進吉の流れをくむ学校文法が、日本語の説明体系として破綻していることはもはや明白だ。程度の差こそあれ、ほとんどの言語学や日本語学者が学校文法に批判的だ。著者の金谷武洋も、カナダで日本語を教える教師で、三上章の文法理論によって主語廃止論を唱えている。
水村美苗の『日本語が亡びるとき』に対する反論という形をとっているが、実際には金谷武洋の日本語と言語に関する議論のダイジェストといった趣。外国で日本語を学ぶひとは激増していて、話者の減少という異様な意味での「滅び」には全く瀕していないこと、日本語にある「免疫」によって、外国語の語彙や概念が流入しても言語の本質が守られること、などが語られる。
さらに、述語中心の日本語に内在する「地上の視点」と主語・述語の二本立ての英語に内在する「神の視点」の対比という文明論にまで及んで、宮部みゆきの小説と、中島みゆきの歌詞が分析される。
ただし、小さな本に多くを詰め込んでいるので、著者の日本語論を知るためには 日本語に主語はいらない (講談社選書メチエ) を読んだ方がよい。
水村美苗の『日本語が亡びるとき』に対する反論という形をとっているが、実際には金谷武洋の日本語と言語に関する議論のダイジェストといった趣。外国で日本語を学ぶひとは激増していて、話者の減少という異様な意味での「滅び」には全く瀕していないこと、日本語にある「免疫」によって、外国語の語彙や概念が流入しても言語の本質が守られること、などが語られる。
さらに、述語中心の日本語に内在する「地上の視点」と主語・述語の二本立ての英語に内在する「神の視点」の対比という文明論にまで及んで、宮部みゆきの小説と、中島みゆきの歌詞が分析される。
ただし、小さな本に多くを詰め込んでいるので、著者の日本語論を知るためには 日本語に主語はいらない (講談社選書メチエ) を読んだ方がよい。
2015年11月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内容は面白いと思うが、「二モーラ」とか「s-v-o-c」とかがあるので、難しく感じる
2010年5月10日に日本でレビュー済み
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亡びる亡びない、という論点は偽の論点だ。水村氏の労作が額にしわ寄せた日本語で書かれ、金谷氏の反論が隅々まで喜びに溢れた生きた言葉(それが表音文字言語であろうと表意文字言語であろうと何の違いがあるだろう)で書かれていることが、とりもなおさず、現代の日本語および日本文学が立たされている岐路を明確に示しているとは言えないだろうか。
水村氏の典拠は漱石である。漱石だけである。彼女は漱石という大きな権威のもとに、大学教育によって存続させるべき伝統(不思議なことに、彼女の伝統概念は欧州の構造主義者の一部のものと酷似している)として文学を見ている。その視点にたてば、なるほど谷崎も幸田文も紫式部も同列であろう。しかし、彼女は文学が翻訳不可能な知的倫理的美学的体系であると言っている。では、これほど違った文体の作者たちを「伝統」にくくってしまうことは間違っていないだろうか。文学者としては間違っているのだが、おそらく政治的な論説家としては当然のことなのかもしれない。
こうした政治的展望を持つ文学批評家、または文学史と称する制度史の研究者にとって、金谷氏のやり方が天衣無縫、もしくは無謀とすら思われることは致し方ない。しかし、彼のやり方は文学的に正統的なのである。彼は、亡びる亡びないと問う以前に日本語文法の具体例を解析し、そして、長々と文学作品の一部を引用している。これらの引用は、日本語の生命力を証明するにあたって、百万の理論に代わるものである。
一方で、水村氏の主張である文学=制度という議論はさて置くにしても、一体文学作品が後世まで受け継がれるのは、何の力によってだろうか、という疑問が残る。どのような文学作品も、書かれた当初は古典でも伝統でもなかったのである。この問題に取り組むには、まず文学の生命は文体の独自性にかかっており、文体とは作家の声であって、作家の声とはその人の人生を貫く感情だという自明の理を受け入れる必要があるだろう。デカルトは「全ての概念は情緒経験を通して初めて感じられ、理解し得るものとなる。知的理解は心から生まれる」と言っていなかっただろうか。今日古典と呼ばれる厳めしい装丁の倫理書さえも、それが時代時代を下って人の心を動かしてこなかったとしたら、残らなかったはずである。歴史であり、未来であるようなこの力、これが国語の生命と呼べるものではないのか。文学作品を正当に評価するにあたって、既存の評価を避け、衒学の誘惑を斥けることは、難しいが、どうしても必要なことだ。文体の価値は大きい。おそらく内容よりも大きい。水村氏の労作を貫く文体は、憂国のメランコリーを立派に表現しており、それが内容の説得力を生む。そうか、日本語は危機に瀕しているのかと思わせる一貫性がある。金谷氏の文体には、いや、日本語は死んでいない、と信じさせる喜びと純粋な驚きが隅々にまで響いている。理論的争点、概念的議論は、それら中心的な文体の推進力に、約定通りの形を与えるものにすぎないとさえ思われる。
水村氏の感情は制度によって保証され、よって彼女の文体は政治にベクトルを向けている。金谷氏の感情は人生によって潤され、その文体は文化に内在する生命と未来にベクトルを向けている。どちらをよしとするかは、読者自身が歩みたいと望む方向にかかっている。言語の未来を決定するのが政治なのか、それとも、与えられた言葉の意味を日々刷新しながら生きることを我々に強要する新鮮な情緒経験なのか、この問題も、読む人それぞれの立場の問題だろう。
しかし、現代の真の問題は、言語の制度と言語の生命を同時に考えることが出来ないということだ。水村氏の著と金谷氏の著は対位法的に響き合い、この問題を浮かび上がらせるように思う。
水村氏の典拠は漱石である。漱石だけである。彼女は漱石という大きな権威のもとに、大学教育によって存続させるべき伝統(不思議なことに、彼女の伝統概念は欧州の構造主義者の一部のものと酷似している)として文学を見ている。その視点にたてば、なるほど谷崎も幸田文も紫式部も同列であろう。しかし、彼女は文学が翻訳不可能な知的倫理的美学的体系であると言っている。では、これほど違った文体の作者たちを「伝統」にくくってしまうことは間違っていないだろうか。文学者としては間違っているのだが、おそらく政治的な論説家としては当然のことなのかもしれない。
こうした政治的展望を持つ文学批評家、または文学史と称する制度史の研究者にとって、金谷氏のやり方が天衣無縫、もしくは無謀とすら思われることは致し方ない。しかし、彼のやり方は文学的に正統的なのである。彼は、亡びる亡びないと問う以前に日本語文法の具体例を解析し、そして、長々と文学作品の一部を引用している。これらの引用は、日本語の生命力を証明するにあたって、百万の理論に代わるものである。
一方で、水村氏の主張である文学=制度という議論はさて置くにしても、一体文学作品が後世まで受け継がれるのは、何の力によってだろうか、という疑問が残る。どのような文学作品も、書かれた当初は古典でも伝統でもなかったのである。この問題に取り組むには、まず文学の生命は文体の独自性にかかっており、文体とは作家の声であって、作家の声とはその人の人生を貫く感情だという自明の理を受け入れる必要があるだろう。デカルトは「全ての概念は情緒経験を通して初めて感じられ、理解し得るものとなる。知的理解は心から生まれる」と言っていなかっただろうか。今日古典と呼ばれる厳めしい装丁の倫理書さえも、それが時代時代を下って人の心を動かしてこなかったとしたら、残らなかったはずである。歴史であり、未来であるようなこの力、これが国語の生命と呼べるものではないのか。文学作品を正当に評価するにあたって、既存の評価を避け、衒学の誘惑を斥けることは、難しいが、どうしても必要なことだ。文体の価値は大きい。おそらく内容よりも大きい。水村氏の労作を貫く文体は、憂国のメランコリーを立派に表現しており、それが内容の説得力を生む。そうか、日本語は危機に瀕しているのかと思わせる一貫性がある。金谷氏の文体には、いや、日本語は死んでいない、と信じさせる喜びと純粋な驚きが隅々にまで響いている。理論的争点、概念的議論は、それら中心的な文体の推進力に、約定通りの形を与えるものにすぎないとさえ思われる。
水村氏の感情は制度によって保証され、よって彼女の文体は政治にベクトルを向けている。金谷氏の感情は人生によって潤され、その文体は文化に内在する生命と未来にベクトルを向けている。どちらをよしとするかは、読者自身が歩みたいと望む方向にかかっている。言語の未来を決定するのが政治なのか、それとも、与えられた言葉の意味を日々刷新しながら生きることを我々に強要する新鮮な情緒経験なのか、この問題も、読む人それぞれの立場の問題だろう。
しかし、現代の真の問題は、言語の制度と言語の生命を同時に考えることが出来ないということだ。水村氏の著と金谷氏の著は対位法的に響き合い、この問題を浮かび上がらせるように思う。
2010年6月27日に日本でレビュー済み
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大阪、京都では、「 あなたは◎◎◎ 」というのを「 自分は◎◎◎だ。 」という。これは不思議な言葉だ。
わたしというのと、あなたというのが一つだからだ。関西文化圏は、古い大和の文化を残している。
大和のこの大きな和というのは、今の言葉でいえば、ワンネスの世界だ。全てあなたも私も全てが一つである。
分離を促す「 私 」ではなくて、主語のない日本語はこれから世界へ広がっていくという著者の考えは、その
通りだと思う。夏目漱石の言葉に「 則天去私 」《 天に則(のっと)り私を去るの意 》があり、この世界が
今から広がっていく。日本は世界のひな型である。
この主語のない日本語という文化は今から世界へ広がっていく。
わたしというのと、あなたというのが一つだからだ。関西文化圏は、古い大和の文化を残している。
大和のこの大きな和というのは、今の言葉でいえば、ワンネスの世界だ。全てあなたも私も全てが一つである。
分離を促す「 私 」ではなくて、主語のない日本語はこれから世界へ広がっていくという著者の考えは、その
通りだと思う。夏目漱石の言葉に「 則天去私 」《 天に則(のっと)り私を去るの意 》があり、この世界が
今から広がっていく。日本は世界のひな型である。
この主語のない日本語という文化は今から世界へ広がっていく。
2017年7月31日に日本でレビュー済み
第一部の水村美苗『日本語が亡びるとき』批判、第三部の宮部みゆき・中島みゆき論には、多くのレビュー投稿者が言及しているので、省きます。第二部で学校文法を批判し、文法学者を批判していますが、これで痛痒を感じる学者がどれだけいるか疑問です。今時学校文法を批判しない文法学者などいないでしょう。山田孝雄、佐久閒鼎、三上章はともかくとして、引用される学者は服部四郎、湯川恭敏、金田一春彦、大野晋、北原保雄、阪倉篤義、寺村秀夫です。執筆時に存命なのは湯川、北原だけです。引用された専門書で最も新しいのが1982年です。これでは専門家は無視するだけです。
2010年3月13日に日本でレビュー済み
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この本で初めて知ったのは、フランス語圏の人から見た英語圏のイメージですね。日本人は黒船来航以来、アメリカ=世界(外国)って思っているフシがあるけど、それは間違いなのですよね。英語を使っている人たちの考え方と日本語を使っている人間の考え方は正反対なのですね。それで他者に対して、敵味方を峻別してずかずかと踏み込んでいくような思考法を、なにも日本人が真似する必要はないんだと語りかけています。
相手の事を思いやり、何事も自分の事は後回しにして、誰も見ていない場面でも悪さをせず、口約束でもちゃんと守り、言葉遣いの端々にまで周りの人に対する心遣いを感じさせる日本語と、それを守り育ててきた日本人にこの美風と誇りを捨ててはならないと訴えてもいるこの本は、私の気持ちをスッキリさせてくれました。
相手の事を思いやり、何事も自分の事は後回しにして、誰も見ていない場面でも悪さをせず、口約束でもちゃんと守り、言葉遣いの端々にまで周りの人に対する心遣いを感じさせる日本語と、それを守り育ててきた日本人にこの美風と誇りを捨ててはならないと訴えてもいるこの本は、私の気持ちをスッキリさせてくれました。
2010年3月13日に日本でレビュー済み
本著の後書きでも紹介されている、水村美苗「日本語が亡びるとき」に関しては残念ながら未読のため、その対比については改めてとなるが、他の方のレビュー同様、まずは「日本語は亡びない」というタイトルは天晴れと言いたい。
私達日本人は、普段何気なく使っている日本語が、実は難解な文法等によって構成されていることを理解していないことが多い。けれどそういった煩わしさを知ることなく使える日本語には、確かに「力」がある。
ただ、日本語というものをもっとよく知ることで、更にその良さが分かるのだということを、なかなか日本にいる日本人では気付けないことが多いのではないだろうか。
カナダ在住の著者によって、そうした日本語の良さ、素晴らしさを、再認識させてもらい、読後感は爽やかであった。
私達日本人は、普段何気なく使っている日本語が、実は難解な文法等によって構成されていることを理解していないことが多い。けれどそういった煩わしさを知ることなく使える日本語には、確かに「力」がある。
ただ、日本語というものをもっとよく知ることで、更にその良さが分かるのだということを、なかなか日本にいる日本人では気付けないことが多いのではないだろうか。
カナダ在住の著者によって、そうした日本語の良さ、素晴らしさを、再認識させてもらい、読後感は爽やかであった。