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キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書 887) 新書 – 2011/2/9
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テレビ、新聞、出版、広告――。マスコミが亡び、情報の常識は決定的に変わった。ツイッター、フェイスブック、フォースクエアなど、人と人の「つながり」を介して情報をやりとりする時代が来たのだ。そこには人を軸にした、新しい情報圏が生まれている。いまやだれもが自ら情報を選んで、意味づけし、みんなと共有する「一億総キュレーション」の時代なのである。シェア、ソーシャル、チェックインなどの新現象を読み解きながら、大変化の本質をえぐる、渾身の情報社会論。
キュレーション【curation】
無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。
- ISBN-104480065911
- ISBN-13978-4480065919
- 出版社筑摩書房
- 発売日2011/2/9
- 言語日本語
- 寸法10.8 x 1.5 x 17.4 cm
- 本の長さ314ページ
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商品の説明
著者について
1961年生まれ。早稲田大学政経学部中退。毎日新聞記者、月刊アスキー編集部を経てフリージャーナリスト。『電子書籍の衝撃』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『2011年新聞・テレビ消滅』(文春新書)、『決闘ネット「光の道」革命』(孫正義との共著、文春新書)など著書多数。総務省情報通信タスクフォース委員。ITジャーナリスト。
http://www.pressa.jp/
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2011/2/9)
- 発売日 : 2011/2/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 314ページ
- ISBN-10 : 4480065911
- ISBN-13 : 978-4480065919
- 寸法 : 10.8 x 1.5 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 467,410位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,566位ちくま新書
- カスタマーレビュー:
著者について
新著『レイヤー化する世界』を刊行しました!
紙の本は、NHK出版新書から。
電子本は、セルフパブリッシングによってKindleStoreから。
どちらでもお好きな方をどうぞ!
【私の書籍のコンセプト】
インターネットやコンピュータのテクノロジは、われわれの社会をどのように変容させていくのか? ネットとリアル社会の境界部分ではどんな衝突が起こり、どのようにリアルはネットに呑み込まれ、そしてどのように融合していくのか? その衝突と融合のリアルな局面を描いていくこと。そしてその先に待ち受ける未来ビジョンを、できうるかぎり事実に基づいて描写していくこと。それが私の仕事の基本的なテーマです。
【私のバックグラウンド】
1961年兵庫県の片田舎で生まれ、大阪西成のディープな街・玉出で育つ。
母の再婚相手がトヨタ自動車の工員に採用されたのをきっかけに、愛知県豊田市に転居。地元中学から愛知県立岡崎高校に進学。文学や哲学書に埋没した思春期をすごす。
1981年、早稲田大学政経学部政治学科入学。前半はロッククライミングに熱中し、後半は当時普及しはじめていたPCを手に入れ、パソコン通信を使ったオータナティブな市民運動ネットワークの実験に参加。掲示板での議論に熱中する。
1988年、毎日新聞社に入社。以降12年あまりにわたって事件記者の日々を送る。東京社会部で警視庁を担当した際にはオウム真理教事件に遭遇。ペルー日本大使公邸占拠事件やエジプト・ルクソール観光客虐殺事件などで海外テロも取材する。
1998年、脳腫瘍を患って長期休養。翌年、糸が切れたように毎日新聞社を辞めてアスキーに移籍。月刊アスキー編集部でデスクを務める。
2003年、独立してフリージャーナリストに。以降たったひとりで事務所も構えず、取材執筆活動に邁進中。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
みんなに書かれてると思うけど、この本の書き方はまわりくどい。
枝葉末節が多く長ったらしい。
冒頭の開拓時代アメリカの、70歳くらいになってとつぜん絵を発表する機会を得たおっさんの話、
南米の音楽家エグベルト・ジスモンチの来日招待公演を巧妙なマーケティングで成功に導いたイベント制作の人の話、
著者行きつけのメガネ屋の話。
そういった話が妙に物語仕立てで長々と語られる。
そこにまとまりの悪さとじれったさがある。
――これはじつはもっと内容を刈り込める本だ。
要するに、インターネット、ソーシャルメディア、ブログ、購買情報蓄積、チェックイン機能などの普及で、
マーケティングとか物を売りたいときの宣伝の在り方とか、自分がとても気に入って感動している音楽や芸術などの紹介の仕方が、従来のマスメディア型、不特定多数に対して上から一方的に投下するだけ、の方法から、情報発信者は発信したい自分自身にとって大切な情報を見定め、さらにその情報を、それを介して有益なつながりが得られそうな、信頼と親しみをもってつながることができそうなコミュニティを発見して小さくつながっていく。
それがキュレーション。
そしてそれはネットを使う者ならだれにでも開かれている可能性。
そしてさらに、そうした同じ趣味同士だけのつながりが増えるならタコツボ化・閉鎖化する危機があるところもまた、ネットの特性によって回避できる。
それは、ネット利用時には人は場面ごとに多角化するので、ある分野で大影響力を持つ人は別の分野では素人で学ぶ側・吸収する側、といったことがネット使用によって際立つので、(この話題は東浩紀「一般意思2.0」にも出てくる)、入ってくる情報の固定化やコミュニティの閉塞化・同じ人ばかりしか一緒にいない、というような発展性のない事態も打開できる。
――そう書いてある。おおむねそんな内容だ。
ただ、とても共感できる部分も何か所かあって、
たとえばマイナーな映画を輸入して興業をかけるときに従来型のマスメディア系の発想では
そのマイナーな映画を見たがる客層とはどんな人々なのかろくにリサーチもせず、映画になにひとつ関係もないテレビの有名タレントを呼んで試写やプロモイベントをするような発想しかできない。
それをキュレーション時代のイベンターは、自身が提供するコンテンツを支持してくれる層・そのマニア的なコミュニティがどこに存在しているか徹底調査をしてジスモンチという無名に近い音楽家の公演を大成功させた。
この、従来の手法と・現在これからの手法の対比は興味深い。
ぼくは一方通行型のマスメディアのことを最近かなり嫌いになり始めていて、とくにテレビは完全にオワコン領域に突入していると勝手に見なして一切視聴しないようにしているのだが、
この本などが主張する論調の効果で情報伝達の在り方がどんどん更新されていって、以前からあった古いテレビ的な配信の仕方、一般大衆への迎合を装ってそのじつ製作者側の利益が増進するよう裏で手を加えられた宣伝の仕方などを、
徐々に滅亡に追いやっていく駆逐効果を発揮してほしい。
結論を言えば、テレビを臨終に導く誘引剤になるなら、賛辞を惜しまない。
ついて話をしてほしいとの依頼を頂いた。
振り返れば、御縁の延命という営業視点で始めたメルマガも早12年となる。
今まで人前でメルマガについて話す機会など無かったため、
講演内容について思いあぐねている際にたまたま手にしたのがこの一冊でした。
本書を開いて目に留まったのが
『人の信頼を測るということは、ソーシャルメディアの時代になった昔とは
比べ物にならないほど容易になりました。(中略)
ネットで活動するということは、常に自分の行動が過去の行動履歴を含めてすべて透明化され、
検索エンジンにキーワードを一発放り込むだけで誰にでも簡単に読まれてしまう。』
(207〜208ページより引用)の一節。
実はこんな話を知己よりアドバイスいただいたことがある。
『12年にわたり定期的にメルマガを送ってくれるので、
現在はどういった立場で何をしているのかについての透明性が
担保されているので、久しぶりでも安心して気軽に連絡ができるし、相談もできる。』と。
齢五十を超えるとしばらく連絡が無かった人からの久し振りのコンタクトには、
嬉しい反面、疑心暗鬼な気持ちも拭えない。
特に一方的に連絡が無くなって、突如一方的に連絡が来た場合や、
このご時世の中ネット上にその方に関する記事が全く無ければ、
何か無理をお願いされるのではないだろうか…と感じてしまうことも
失礼ながら正直なところではないだろうか。
人の世の理でしょうか。
特に私のように大企業の名刺・肩書きから卒業したフリーの立場になると
まさにその様に受け取られてしまうことが多々あることを
戒め的により一歩踏み込んで深く認識しておいた方が
年相応の配慮ともいえるかもしれないとその一節を目にし改めて感じた。
年を召せば、年に見合い”デジタルネイティブ”と言われる時代に
そぐった”中年版デジタルネイティブ”的な視点も必要なのだろう。
もう一点,
『広告やメディアの業界では、ソーシャルメディアの台頭に対して
あれやこれやとさまざまな戦略が日々語られています。
「これからはブログだ」とブロガーイベントを熱心にやっていたかと思えば、
「今度はツイッターだ!」とツイッターマーケティングに血道を上げる。
そうしてフェイスブックが本格稼働してくると
「ツイッターはもう古い。これからはフェイスブック」_。
でもそんな風にあちこち走り回って、短期的な戦術を採用しても、
そんなものはすぐに古びて行ってしまいます。』(あとがきより引用)
この一説も痛快に感じられた。
私もメルマガを12年継続する中で、トレンドに乗じた各サービスの専門家とおっしゃる方々から
「メルマガなんてもう古い」とずいぶん揶揄されたりせせら笑われたことが記憶に残っている。
たまたま私自身のITリテラシが低かったのであちこちに手を広げず、
オーソドックスなメルマガ&ブログのままできたことが、
結果的に“常DeleteOKはそこに居る”という空気感を醸成したようだ。
そしてそこにソーシャルなビオトープ、ソーシャルなキュレーション、
そして”絆”が醸成されていた。
ある意味私の場合、鈍感力が幸いだったと言えるのかもしれない。
敏感に反応し過ぎてサービスやツールに使いまわされるのではなく、
軸足を一つ決めてみて、無理なく使い込む視点が
ビオトープ、キュレーションそしてまさに”絆”につながるようだ。
実は震災後、趣味の写真が撮れなくなってしまった。
シャッターを押すに辛く、そんな心持で早ひと月
そんな中、30歳も年の離れた顧問先の若い営業の方が、
『今年はメルマガで桜の写真は無いんですか?』と。
確かにその方にもメルマガは配信はしているが30歳もお若い方が
私のメルマガを実際に読んでいるとはと思っておらず正直驚いた。
待ってくれている人が居るのなら勇気をもってシャッターを押してみよう。
たった一言で私の心を救ってくれたメルマガでのつながりは、
今、全ての日本人が心の底から振り返っている“絆”そのものではなかろうか。
有難う、その一言を。皆さんの気持ちの足しになるのであらば、
今年もライフワークのイズマメザクラを撮ってこよう。
そして講演のヒントをたくさん授けてくれ、
”絆”を振り返らせてくれたこの一冊に有難う。
通常「キュレーター」とは、博物館や美術館などで資料収集、保管、展示、調査研究などに携わる専門職員のことを言うようです。
ソーシャルメディアにおいてのキュレーターは情報を収集し、ある目的を持って情報を発信する。その情報をSNSで受け取る人たちは、キュレーターの視点で、その情報を受け取ることができる。キュレーターの視座へチェックインするのがフォロアーということになるようです。
アートや音楽といったコンテンツは、無数に存在するが、キュレーターの視点によって拾い上げられ、有名になったりもする。本書では、キュレーターの活動を多数の実例をあげて、わかりやすく紹介しています。
誰の視点であっても、その人のフィルターを通せば、それは唯一無二の視点になる。好きなことに集中してSNSで情報発信していけば、いずれは私もキュレーターになれるかも?と思いました。
当時としてはある程度新しい切り口で書かれていたようには思います。
ただ、それらから大きな何かが浮かび上がってくることはありませんでした。
海外の先進事例を取り上げるのは良いのですが、それで「時代」が創れるというのは、それこそ時代遅れ。
なにやら哲学的コンセプトを作り上げたかったらしいが、清水博の言いたい事を全く理解しないまま、自分の都合の良いところだけ引用するのは、物書きを生業とする人としてどうかと思います。
勉強して出直せ。