「テクノロジーの文字は感覚を超えた。」、「人間の認知よりも下あるいは手前のレベルでテクノロジーが痕跡を書く(信号を処理する)。」等で主張される「技術的無意識」の説明は、説得的でもあり、秀逸。ソシュール流の「言語中心主義」的な記号観をすなおに、反省させてくれる。パース記号論の説明もわかりやすい。
認識とメディア(言語・技術)の相関を考えさせてくれる名著である。
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大人のためのメディア論講義 (ちくま新書 1167) 新書 – 2016/1/6
石田 英敬
(著)
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購入オプションとあわせ買い
情報産業が生みだす欲望に身を任せ、先端技術に自らの意識を預ける――二四時間デジタル機器を手放せない現代人に何が起こったの…
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2016/1/6
- 寸法10.7 x 1.3 x 17.4 cm
- ISBN-104480068716
- ISBN-13978-4480068712
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2016/1/6)
- 発売日 : 2016/1/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 256ページ
- ISBN-10 : 4480068716
- ISBN-13 : 978-4480068712
- 寸法 : 10.7 x 1.3 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 243,629位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 880位ちくま新書
- - 11,821位コンピュータ・IT (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月25日に日本でレビュー済み
ちくま大学の6回の講義が元になっている。本書は同著者による『新記号論』(ゲンロン叢書)の縮約版のような著書である(私は『新記号論』を読んでよりゲンロン叢書は読まないと決めた)。
つまるところ、石田の構想する「情報記号論」とは「情報技術に囲まれた日常批判のためのフランス哲学を下敷きにした記号論」ほどの意味なのである。石田記号論が記号学の情報学への適用ではないことは、彼がチューリングマシンの説明を自身の専門外であると述べていることから分かる(p.120)。未だにフロイト、タモス王の文字批判、「微分」「0・1」等の言葉遊び。第5章の図書館情報学の話は彼が情報学環の人間であることによるのだろう。石田が言う〈メディア再帰性〉とはなにか? 名こそ仰々しいが、これは種々の論者により散々論じられてきた、 Web 2.0 などの標語に代表されるメディアの双方向性ほどの意味しかないのである。人文学系の悪いところが集約されている。石田は、情報社会を支える現代の計算機科学の源流を、アラン・チューリングやフォン・ノイマンではなく、「思考とは計算である」と定立したホッブズや「推論は二値で表現可能である」と定立したライプニッツに求めるのだが、そのような人文学の歴史に押し込めようとする狭隘な(=石田が主張する文理融合の精神に矛盾する)認識をしているから、「情報学によって知識論が哲学から奪」(『新記号論』より)われることになったのである。つまり、ホッブズやライプニッツのような思想家は思想するだけで、実装できていないから情報社会の祖とは言われえないのである(ライプニッツは機械式計算機を製作したが)。チューリングやノイマンが現代の計算機科学=情報社会の祖とされるゆえんは〈思想の実現〉にあるのであって、そのアイデアではない。Google の PageRank も同じである。哲学がいかに知識論を積み上げようとも、哲学者は実装しない。机上の空論なのである。石田が不満な哲学と情報学の関係は、哲学者が怠慢で技術者を見下しているから、その理由による。
ちなみに石田が「石田の三テーゼ」と呼ぶものは次の通り。
第一テーゼ:「記号」は「テクノロジーの文字」によって書かれている。第二テーゼ:「記号」とは「意味」や「意識」を生み出す要素のこと。第三テーゼ:私たち人間は、「テクノロジーの文字」を「読む」ことができない。伴立テーゼ:「メディア」とは、「テクノロジーの文字」の問題だ。 (p.82)
つまるところ、石田の構想する「情報記号論」とは「情報技術に囲まれた日常批判のためのフランス哲学を下敷きにした記号論」ほどの意味なのである。石田記号論が記号学の情報学への適用ではないことは、彼がチューリングマシンの説明を自身の専門外であると述べていることから分かる(p.120)。未だにフロイト、タモス王の文字批判、「微分」「0・1」等の言葉遊び。第5章の図書館情報学の話は彼が情報学環の人間であることによるのだろう。石田が言う〈メディア再帰性〉とはなにか? 名こそ仰々しいが、これは種々の論者により散々論じられてきた、 Web 2.0 などの標語に代表されるメディアの双方向性ほどの意味しかないのである。人文学系の悪いところが集約されている。石田は、情報社会を支える現代の計算機科学の源流を、アラン・チューリングやフォン・ノイマンではなく、「思考とは計算である」と定立したホッブズや「推論は二値で表現可能である」と定立したライプニッツに求めるのだが、そのような人文学の歴史に押し込めようとする狭隘な(=石田が主張する文理融合の精神に矛盾する)認識をしているから、「情報学によって知識論が哲学から奪」(『新記号論』より)われることになったのである。つまり、ホッブズやライプニッツのような思想家は思想するだけで、実装できていないから情報社会の祖とは言われえないのである(ライプニッツは機械式計算機を製作したが)。チューリングやノイマンが現代の計算機科学=情報社会の祖とされるゆえんは〈思想の実現〉にあるのであって、そのアイデアではない。Google の PageRank も同じである。哲学がいかに知識論を積み上げようとも、哲学者は実装しない。机上の空論なのである。石田が不満な哲学と情報学の関係は、哲学者が怠慢で技術者を見下しているから、その理由による。
ちなみに石田が「石田の三テーゼ」と呼ぶものは次の通り。
第一テーゼ:「記号」は「テクノロジーの文字」によって書かれている。第二テーゼ:「記号」とは「意味」や「意識」を生み出す要素のこと。第三テーゼ:私たち人間は、「テクノロジーの文字」を「読む」ことができない。伴立テーゼ:「メディア」とは、「テクノロジーの文字」の問題だ。 (p.82)
2018年8月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
軽い気持ちで読みはじめたが、なかなか恐ろしいことが書かれてあった。
私たち人類は、「書物の時代」→「アナログ革命」→「デジタル革命」という文脈の中で、この現在を生きている。
切れば血の出る有機的な肉体を持ちながら、しかしその生活情報は巧みにスキャンされ、「アルゴリズム化されつつある。
その便利さゆえに日常生活の隅々にまで入り込んでくるデジタルメディアの食指に、私たちはいつしか完全に搦め捕られ、気がついたときには生きているのか、生かされているのか、分からなくなっている。いや、そんなことにさえ気づかずに一生を終えていくのかもしれない。そんな時代がもう目前まで迫っている。
筆者は問う。「あらためて人間がイニシアチブをとるというポジティブな可能性はいったいあるのか」「そのためには、自らメディアを捉え返すもうひとつの回路をつくっていく必要がある」のだと。目には目を、というわけである。
水面下で推し進められているデジタルメディア企業の「思惑」を、どうにかして可視化する「眼」を私たち利用者が持つことが大切だ。
一方、「メディア」に対抗する「回路」を持つだけでなく、メディアの外側(メタ・メディア)の空間を広げていくための思想や概念が必要ではないかと考えずにはいられない。
私たち人類は、「書物の時代」→「アナログ革命」→「デジタル革命」という文脈の中で、この現在を生きている。
切れば血の出る有機的な肉体を持ちながら、しかしその生活情報は巧みにスキャンされ、「アルゴリズム化されつつある。
その便利さゆえに日常生活の隅々にまで入り込んでくるデジタルメディアの食指に、私たちはいつしか完全に搦め捕られ、気がついたときには生きているのか、生かされているのか、分からなくなっている。いや、そんなことにさえ気づかずに一生を終えていくのかもしれない。そんな時代がもう目前まで迫っている。
筆者は問う。「あらためて人間がイニシアチブをとるというポジティブな可能性はいったいあるのか」「そのためには、自らメディアを捉え返すもうひとつの回路をつくっていく必要がある」のだと。目には目を、というわけである。
水面下で推し進められているデジタルメディア企業の「思惑」を、どうにかして可視化する「眼」を私たち利用者が持つことが大切だ。
一方、「メディア」に対抗する「回路」を持つだけでなく、メディアの外側(メタ・メディア)の空間を広げていくための思想や概念が必要ではないかと考えずにはいられない。
2019年3月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「メディア」が空気、無意識のような存在になり、取り囲まれてどっぷり浸かっていることも気づかずに支配されていることや先取りされてしまう世の中になり、少しでも主体性を取り戻す為の策を記号学などを通して講じたり、「メディア」の構造や歴史やプロセスや環境を学ぶことで自覚的になることにより、少しでも抜け出す一助となっています。併せて『広告都市・東京: その誕生と死』もおすすめします。
追記:『新記号論』のプロローグとして読むことも可能です。いわばデジタル時代のフーコー的解釈とも言えます。
追記:『新記号論』のプロローグとして読むことも可能です。いわばデジタル時代のフーコー的解釈とも言えます。
2016年3月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
メディアを「テクノロジーの文字」として捉える新しい記号論を提唱
三万年以上前のクロマニョン人の洞窟壁画にまで遡ってメディアの問題の文明的起源を導入する驚きのイントロにつづき、第一章では、フロイトの「不思議のメモ帳」論を手掛かりに、知覚や記憶といった「心の働き」がメディア技術によって外部化され、スマホやiPadのようなメディア端末の「心の装置」と化していく二十世紀以降のメディア文明の問題への導入がはかられる。
著者の理論が説かれるのはおもに第2章である。著者はメディアの問題とは「テクノロジーの文字」の問題だとする。メディアの問題は、ヒトが「文字」を読み書きする時代から、メディアという「機械」が文字を書く時代への移行だと考える。人間には機械が読み書きする「テクノロジーの文字」が読めないが、読めないことによって逆にメディアは「人間の意識」をつくる。これが著者のいう「技術的無意識」の問題である。現代人の「意識生活」は、メディアの「技術的無意識」の上に成り立っていることが説かれる。
著者は、メディアの「テクノロジーの文字」が書き取る「意識や意味の要素」を「記号」と呼び、20世紀にはメディア社会の到来にともなって「記号論」という学問が興隆したことを説明する。
メディアが可能にしたのは、メディアによって大衆の意識を生産する「文化産業」である。20世紀以降の資本主義は物を消費する「欲望」を生み出すことによって成り立っている。20世紀にはハリウッドの映画やテレビ、広告やマーケティングの技術によって大衆の欲望を作り出すことが広まり、消費を生産する資本主義の時代が到来した。
20世紀のメディアの歴史は、前半の「アナログ革命」、後半の「デジタル革命」に大きく分かれる。
20世紀後半を通して進行した「デジタル革命」は、メディアがすべてコンピュータになる技術革新で、いまではすべてのメディアはコンピュータとなった。この「デジタル革命」によってもたらされたのが現在の情報産業社会である。いまではグーグルやアップルやフェイスブックやアマゾンという情報産業によって人々の生活が囲い込まれ、人々の情報・意識・欲望が管理されている。人々の時間と意識を奪い合う情報産業の「注意力の経済」によって、「精神のエコロジー」の問題が起こっている。その解決のために、人びとがメディアについて反省的になる「メディア再帰社会」の価値観を著者は提唱している。
情報化した世界をトータルに理解するためには、20世紀のアナログ革命を捉えたソシュールやパースの「現代記号論」を超えて、コンピュータの思想的な設計図を作ったライプニッツの時代の「バロック記号論」にまで遡って記号論をつくりなおすことが必要で、本書は著者の「新しい〈記号の学〉」の導入としての性格をもっている。
著者の長年の研究がコンパクトにまとめられている充実した一冊。新書には中身がないものも多いが、これは非常に中身の濃い、読者からすると大変「お得」な新書といえる。
三万年以上前のクロマニョン人の洞窟壁画にまで遡ってメディアの問題の文明的起源を導入する驚きのイントロにつづき、第一章では、フロイトの「不思議のメモ帳」論を手掛かりに、知覚や記憶といった「心の働き」がメディア技術によって外部化され、スマホやiPadのようなメディア端末の「心の装置」と化していく二十世紀以降のメディア文明の問題への導入がはかられる。
著者の理論が説かれるのはおもに第2章である。著者はメディアの問題とは「テクノロジーの文字」の問題だとする。メディアの問題は、ヒトが「文字」を読み書きする時代から、メディアという「機械」が文字を書く時代への移行だと考える。人間には機械が読み書きする「テクノロジーの文字」が読めないが、読めないことによって逆にメディアは「人間の意識」をつくる。これが著者のいう「技術的無意識」の問題である。現代人の「意識生活」は、メディアの「技術的無意識」の上に成り立っていることが説かれる。
著者は、メディアの「テクノロジーの文字」が書き取る「意識や意味の要素」を「記号」と呼び、20世紀にはメディア社会の到来にともなって「記号論」という学問が興隆したことを説明する。
メディアが可能にしたのは、メディアによって大衆の意識を生産する「文化産業」である。20世紀以降の資本主義は物を消費する「欲望」を生み出すことによって成り立っている。20世紀にはハリウッドの映画やテレビ、広告やマーケティングの技術によって大衆の欲望を作り出すことが広まり、消費を生産する資本主義の時代が到来した。
20世紀のメディアの歴史は、前半の「アナログ革命」、後半の「デジタル革命」に大きく分かれる。
20世紀後半を通して進行した「デジタル革命」は、メディアがすべてコンピュータになる技術革新で、いまではすべてのメディアはコンピュータとなった。この「デジタル革命」によってもたらされたのが現在の情報産業社会である。いまではグーグルやアップルやフェイスブックやアマゾンという情報産業によって人々の生活が囲い込まれ、人々の情報・意識・欲望が管理されている。人々の時間と意識を奪い合う情報産業の「注意力の経済」によって、「精神のエコロジー」の問題が起こっている。その解決のために、人びとがメディアについて反省的になる「メディア再帰社会」の価値観を著者は提唱している。
情報化した世界をトータルに理解するためには、20世紀のアナログ革命を捉えたソシュールやパースの「現代記号論」を超えて、コンピュータの思想的な設計図を作ったライプニッツの時代の「バロック記号論」にまで遡って記号論をつくりなおすことが必要で、本書は著者の「新しい〈記号の学〉」の導入としての性格をもっている。
著者の長年の研究がコンパクトにまとめられている充実した一冊。新書には中身がないものも多いが、これは非常に中身の濃い、読者からすると大変「お得」な新書といえる。
2016年2月5日に日本でレビュー済み
「意識」の問題。これが今の社会の一番の問題だと思います。
「スマホ」という色々な方法(SNS、ソシャゲ)で、
「意識」に影響を与えるツールが普及している。
「意識」の量は人それぞれ一定なのだから、
人の生活の変化を考える上で、これ以上に影響を与えているものはないと思います。
当然、TVを観る時間が減って、スマホをいじるように…
など、代替しているわけですが、
その辺の変化の歴史をイメージしたりと、
色々と考えさせられる本になっていると思いました。
以下、本書を読んで、考えされた内容となります。
印刷物→液晶と観る対象が増えるにつれて、
どのように、意識が変わったか?
メディアによる認知への影響。
特に、ipad、スマホ
1900年頃のアナログ革命、
1950年頃のデジタル革命。
2000年頃にアナログ→デジタルの移行が完了。
→複製可能性(コスト減)、伝達可能性(デジタルとネットワークの親和性)
情報量の制限による象徴性の差。昔の電報?
→解釈、解凍能力が人間の強み?
システムは、決められたようにしか情報を解凍できないが、
人間はその可能性が凄く広がっている。
(例えば、一つの「表」で何時間もプレゼンできたりする。)
デジタルの本質は、01で全てを表す。という事で、
アナログとの違いは、劣化しないということ(→複製、伝達)
生産と広告→消費
<生産の革新>
科学的管理法ーテイラー
稼業分析
→標準作業化
(=何をするか(動作研究)→作業の分解=ベルトコンベアの論理に繋がる、
どの位時間が掛かるか(時間研究)を設定)
フォーディズム→労働者の賃金増→購入の良循環。
ベルトコンベア→分業、単能工化。
<広告>
理想の提供。→不足感を煽り、消費へ…という流れ。
イメージの変更。欲望を変える。
広告の強制性。(TVCM、中づり、アドセンス…)脳の時間。
重視されるメディアの変遷と、広告の関係
新聞(チラシ)→ラジオ(CM)→テレビ(TVCM)→スマホ(アドセンス)。
メディアの本質は情報の媒介物だから、何かの情報を伝えたがっている、
広告と結びつくのは、当たり前。
1925 日本のラジオ放送開始
2011 地デジ化
石板、巻物、メモ帳…
←人間の記憶を補完→精神活動に影響
人間の脳は、ROMの要素と、RAMの要素を持つ。
長期記憶と短期記憶。
その瞬間に意識できることは限られている。
→いくら広大なROMがあってもRAMに載せられるのはその一部
ROMはRAMに載せる事で、強化される?
(長期記憶は、何度も、短期記憶として、利用すると…)
コンピュータで、何かをすれば、履歴(=データ)として残る。
それをモノにも拡張しようとしているのが、「IOT」
実態は、センサーとICチップ。
情報へのアクセス可能性の変化。
「検索」があるのだから、学びとして、必要な要素も変わってくるはず。
何を学ぶべきか?どう学ぶのが、効果的なのか?
アルゴリズムは、データの処理則。
データが増えれば、増えるほど、精度の高い、予想が可能になる。
データ≒フラグ値(男女とか…)
AMAZONのアドセンス、レコメンド
ネットワーク世界の母集団は壮大だから、
ネット上で、今までは、成立し得なかった、集団が集まる事が出来る。
グーグルのネットワークの経済性。
ページランクの上位が総取りする構造。
~経済
貨幣経済、欲望の経済、注意力の経済…
→貨幣が希少な資源となる社会。
注意力が希少な資源となる社会。
って解釈で良い気がしてきた。
注意力を強制されないように。スマホとか凄い注意力を阻害する?
→「刺激」の問題?
蓄積された情報、データを使うために、
どうアルゴリズムを使うか。
検索、関連要素の抜き出し、分割。
データーシステム。情報。
拡張読書。→まぁそりゃ既に考えている人がいる。
ニコ動の読書版みたいな。
本の物体的なメリットと、データとしてのメリット。
データを蓄積し続ける事で、データのパターンをつかんで、
データの処理則=アルゴリズムを見つける。
それがBigDataの考え方。
→一番のポイントは、アルゴリズムを機械だけのものにしない事?
機械→人間にフィードバックするべき。
「スマホ」という色々な方法(SNS、ソシャゲ)で、
「意識」に影響を与えるツールが普及している。
「意識」の量は人それぞれ一定なのだから、
人の生活の変化を考える上で、これ以上に影響を与えているものはないと思います。
当然、TVを観る時間が減って、スマホをいじるように…
など、代替しているわけですが、
その辺の変化の歴史をイメージしたりと、
色々と考えさせられる本になっていると思いました。
以下、本書を読んで、考えされた内容となります。
印刷物→液晶と観る対象が増えるにつれて、
どのように、意識が変わったか?
メディアによる認知への影響。
特に、ipad、スマホ
1900年頃のアナログ革命、
1950年頃のデジタル革命。
2000年頃にアナログ→デジタルの移行が完了。
→複製可能性(コスト減)、伝達可能性(デジタルとネットワークの親和性)
情報量の制限による象徴性の差。昔の電報?
→解釈、解凍能力が人間の強み?
システムは、決められたようにしか情報を解凍できないが、
人間はその可能性が凄く広がっている。
(例えば、一つの「表」で何時間もプレゼンできたりする。)
デジタルの本質は、01で全てを表す。という事で、
アナログとの違いは、劣化しないということ(→複製、伝達)
生産と広告→消費
<生産の革新>
科学的管理法ーテイラー
稼業分析
→標準作業化
(=何をするか(動作研究)→作業の分解=ベルトコンベアの論理に繋がる、
どの位時間が掛かるか(時間研究)を設定)
フォーディズム→労働者の賃金増→購入の良循環。
ベルトコンベア→分業、単能工化。
<広告>
理想の提供。→不足感を煽り、消費へ…という流れ。
イメージの変更。欲望を変える。
広告の強制性。(TVCM、中づり、アドセンス…)脳の時間。
重視されるメディアの変遷と、広告の関係
新聞(チラシ)→ラジオ(CM)→テレビ(TVCM)→スマホ(アドセンス)。
メディアの本質は情報の媒介物だから、何かの情報を伝えたがっている、
広告と結びつくのは、当たり前。
1925 日本のラジオ放送開始
2011 地デジ化
石板、巻物、メモ帳…
←人間の記憶を補完→精神活動に影響
人間の脳は、ROMの要素と、RAMの要素を持つ。
長期記憶と短期記憶。
その瞬間に意識できることは限られている。
→いくら広大なROMがあってもRAMに載せられるのはその一部
ROMはRAMに載せる事で、強化される?
(長期記憶は、何度も、短期記憶として、利用すると…)
コンピュータで、何かをすれば、履歴(=データ)として残る。
それをモノにも拡張しようとしているのが、「IOT」
実態は、センサーとICチップ。
情報へのアクセス可能性の変化。
「検索」があるのだから、学びとして、必要な要素も変わってくるはず。
何を学ぶべきか?どう学ぶのが、効果的なのか?
アルゴリズムは、データの処理則。
データが増えれば、増えるほど、精度の高い、予想が可能になる。
データ≒フラグ値(男女とか…)
AMAZONのアドセンス、レコメンド
ネットワーク世界の母集団は壮大だから、
ネット上で、今までは、成立し得なかった、集団が集まる事が出来る。
グーグルのネットワークの経済性。
ページランクの上位が総取りする構造。
~経済
貨幣経済、欲望の経済、注意力の経済…
→貨幣が希少な資源となる社会。
注意力が希少な資源となる社会。
って解釈で良い気がしてきた。
注意力を強制されないように。スマホとか凄い注意力を阻害する?
→「刺激」の問題?
蓄積された情報、データを使うために、
どうアルゴリズムを使うか。
検索、関連要素の抜き出し、分割。
データーシステム。情報。
拡張読書。→まぁそりゃ既に考えている人がいる。
ニコ動の読書版みたいな。
本の物体的なメリットと、データとしてのメリット。
データを蓄積し続ける事で、データのパターンをつかんで、
データの処理則=アルゴリズムを見つける。
それがBigDataの考え方。
→一番のポイントは、アルゴリズムを機械だけのものにしない事?
機械→人間にフィードバックするべき。