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科学報道の真相: ジャーナリズムとマスメディア共同体 (ちくま新書1231) 新書 – 2017/1/5
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マスコミ不信の構造に迫る!
なぜ新聞・テレビの報道で失敗がおこるのか。
そして市民の不信感を引きおこすのか?
長年科学報道の第一線に身をおいていた著者が、
福島第一原発事故・STAP細胞事件・地球温暖化など、
著名な事例を検証。
さらに、研究機関や政府側からの発表攻勢、報道機関の自主規制、
科学的不確実性の伝え方、社内組織のパワーバランスなど、
科学報道がかかえる問題を分析。科学事件の構造、
マスメディア自体が直面する課題を、生々しい現場から浮き彫りにする。
- 本の長さ283ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2017/1/5
- 寸法10.7 x 1.6 x 17.4 cm
- ISBN-104480069275
- ISBN-13978-4480069276
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2017/1/5)
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- 言語 : 日本語
- 新書 : 283ページ
- ISBN-10 : 4480069275
- ISBN-13 : 978-4480069276
- 寸法 : 10.7 x 1.6 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 379,478位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 85位新聞マスメディア
- - 94位印刷マスメディア
- - 367位ジャーナリズム (本)
- カスタマーレビュー:
著者について

早稲田大学政治経済学術院・政治学研究科教授。
1954年岡山市生まれ。東京大学教養学部教養学科(科学史・科学哲学)卒。東京大学大学院工学系研究科中退。毎日新聞社でワシントン特派員、科学環境部長、編集局次長などを務める。1998年「劣化ウラン弾報道」のチーム取材で日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞(現JCJ賞)を受賞。2008年1月から早稲田大学ジャーナリズム大学院(J-School)プログラム・マネージャー。専門はジャーナリズム研究、科学技術社会論。NPO法人 ファクトチェック・イニシャティブ(FIJ)、報道実務家フォーラム各理事長。
著書(単著)に『科学報道の真相――ジャーナリズムとマスメディア共同体』(2017年、ちくま新書)、『カードの科学』(講談社ブルーバックス)、『心臓移植の現場』(新潮社)など。『科学報道の真相』の著作で科学ジャーナリスト賞2017を受賞。共編著に『理系白書』(講談社文庫)、『アジア30億人の爆発~迫り来る食糧危機、資源戦争』(毎日新聞社)など。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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報道と広報と広告が混在する時代になった気がしている。
本書は上記の情況を「科学報道」の側面から丁寧に分析している。
具体的な事例として、STAP細胞や福島第一原発事故や地球温暖化などを挙げている。
上記のようなテーマは報道が主導権を握って事実の裏取りをして
抑制的に事実を列挙してほしいのだが、
実際は「研究をしているのはうちの団体です!」みたいなロゴがバッチリ見えたり、
それこそ「株の関連銘柄」が漁るようにして乱高下したり。
もはや誰のための情報発信なのかがわからなくなっている。
本書を読んで、報道と広報と広告が混在する時代のマスメディアの役割は
一体何で、どこまでを「真実」と信じてよいのだと思った。
この著者は早稲田大学でジャーナリズムを教えているそうです。結果から単純に結論を導けば「このような人が学生を教えているから日本のジャーナリズムはダメなんじゃないかな?」となるはずだと思うのですが、自分がダメにしている立場にあることがまったく理解できていないようなのです。
著者は、第三者の立場の「つもり」で、厳しい視線を投げかけている「つもり」のようです。実際は身内同士の軽い指摘にすぎません。その軽い指摘をまるでラディカルに振る舞っているかのように勘違いしています。
一方で、あくまでも個人的な好みの問題かもしれないが、著者の文章構成(見通しがあまりよくない)や文章表現(時として単調)には、大いに改善の余地があると感じる。編集者があまりアドバイスしなかったのだろうか?
なぜ新聞・テレビの報道で失敗がおこるのか。そして市民の不信感を起きおこすのか――この課題に対し、STAP細胞、福島第一原発事故、地球温暖化という3つの題材を取り上げ、各々の報道された内容を具体的に分析し、ジャーナリズムの原則を導いていく。
第一のSTAP細胞については、「メディアはなぜ見抜けなかったのか」という視点で考察する。
マスメディアは、理化学研究所という「権威」による記者発表を信用し、科学誌掲載という水準を超えて大々的に報道していた。その後も、研究不正のことは逐一報道したものの、マスメディア自身の「誤報」についての自己検証はおこなっていない。
第二の福島第一原発事故では、「大本営発表報道は克服できるのか」という視点で考察する。
事故発生当初の原子炉内の炉心浴融に関係して、マスメディアの初期報道は、政府・東京電力の記者会見の内容にほぼ沿った「発表報道」になっていた。記者会見をする原子力安全・保安院と東京電力は炉心「損傷」という言葉を使って事故の楼小化を図り、新聞報道も「本格的な炉心溶融はおきていない」というメッセージを読者に伝えた。新聞別では、朝日・毎日の二紙と読売・日経の二紙のあいだで、興なる言説を読み取ることができた。「全電源喪失」事故については、東電の「想定外」という認識を、マスメディアもそのまま踏襲した報道がつづいている。
第三の地球温暖化では、「公平・中立報道」が意味するところを考察する。
科学的な不確実性が指摘され、温暖化懐疑論も主張されるなかで、地球温暖化報道における公平さや中立性は絶対的なものではなく、「科学者集団からみた公平さ」「市民からみた中立性」というように、特定の立場や視点に依存した相対的なものであることをしめした。また、日本のマスメディアにおいて懐疑論の報道が少ないのは、IPCCという公的組織にたいする権威としての信頼、が背景にあることが推察された。
これらに共通してみえてくるのは、日本のマスメディア(とりわけ中央の新聞・テレビ・通信社)が政府や電力会社、科学コミュニティ、科学者グループといった権威に重きをおき、権威からの情報を発表報道している姿である。もちろん、個々には明確な問題意識をもつ記者が優れた報道に取り組んでいるケースはある。ここで指摘しているのは、マスメディア報道のメインストリームとして、権威に依拠する発表報道が多いという点である。
また、自身の経験から、記者や編集者が実際の仕事において強く意識するのは、読者としての一般市民ではなく、競争相手としての同業他社であり、他社の記者・編集者であるという。
瀬川さんは、コヴアッチらの著作『ジャーナリズムの原則』を取り上げ、ジャーナリズムの原則は、「3.ジャーナリズムの核心は検証の規律である。【検証】」「4.ジャーナリズムの実践者は取材対象者からの独立を維持しなければいけない。【独立性】」の2つであると指摘する。
製造業に携わっている身として、製品の品質水準として、常にvalidationとverificationが求められる。前者は、規格・基準に沿っているか顧客要求に合っているかを検証すること。後者は正しく動作するかの検証である。
ジャーナリズムもコンテンツという製品を世に送り出しているのだから、当然、validationとverificationが求められるべきだろう。verificationは校正といったところか。瀬川さんが指摘するのは、validationの方である。
学術論文が雑誌に掲載されるためには査読を通らねばなりませんが、論文のデータの真偽を判断することは査読者にはありません(無論明々白々な誤りなら別ですが、データの真偽まで判断せよと言われたら査読システムは成立しえません)。また、基本的には学術論文誌は発表の場を提供するもので、発表内容に対する責任は(人種差別などのモラルに反するものを掲載したとかなら別ですが)著者にあります。にもかからわず本書の著者の主張は、端的には、一流論文誌に掲載されたから仕方なかった、掲載した論文誌も悪い、といったものです。
例のIPS細胞臨床なりSTAP細胞なり、多少なりとも研究に関係している人であれば、第一報ですでに何かおかしいと感じたはずなのですが(私自身は工学ですが、かなり強い違和感を感じました)、何故報道があんなかんじだったのかがよくわかりました。結局報道する側が内容ではなく、著者の肩書や経歴だけで判断していた(そこでしか判断できなかった)ということですね。やっぱりかという気もしますが、その点を著者が意図せずとも明瞭にしてくれたことには価値があると感じます。