この本のためには、おそらく一篇の序文だけではこと足るまい。だが、幾らあっても結局、相似たことを体験したものでないなら、序文なんぞによってこの本の体験に近づけるものではないのではないか、という疑問が依然として残るだろう。
この本の序文の冒頭ですが、なるほどその通りだと思います。
はっきり言って、全体を通して読んだところで全然理解できません。
しかし、自分の体験、発見、ひらめきなどを通して一定の共感を持つ事ができる文章があるはずです。
あるいは、この言い回しかっこいいな、とかでも良いと思います。
試験の読解問題とかではなく、感覚に頼るようなところが非常に多い本だと思います。(ニーチェの本はどれもそうかもしれません)
ですが、自分にハマる文章を見つける事ができれば、この本が好きになってくる・・・と思います。(趣味に合わず終わるということも大いにあり得ます)
ニーチェの入門用としては・・・ちょっとわかりません。
自分はこの本でニーチェにハマったのでなんとも言えないのですが、ニーチェをあれこれ読んでもう一度戻ってくると、更に理解が深まる本です。
この本にはニーチェの肝になることは記されていますが、これだけ読んでも「何を言ってるんだこいつは?」となること間違いなしです。
全体としてはツァラトゥストラに記されているので、ツァラトゥストラとこの本を行ったり来たりするのが良いのかな、と思います。
内容について
大したことは言えませんが、とっかかりやすいところで言うと、
ニーチェでイメージされやすい格言集のようなものがあります。(第三書後半)
第三書の一二五(219P)「狂気の人間」は、ちょっと長い文章ですが、ニーチェの代名詞である「神は死んだ」が出てきますので必見です。
あと、第三書の二七四(285P)「お前にとって最も人間的なことは何か」―誰をも恥ずかしい思いにさせないこと。
これは良いですね。ツァラトゥストラの「同情者たち」とかにも書かれています。
個人的に気に入ったのは、第四書の二七九(293P)「星の友情」です。
この友情のあり方は、アツいものがあります。読んでみてください。
また、第四書の最終部、三四二(363P)の「悲劇が始まる」はツァラトゥストラを読んだことがある方に是非読んでほしいです。
ツァラトゥストラの冒頭が記されていますが、翻訳が最高にかっこいいのです。
ツァラトゥストラは岩波、中公、河出に目を通しましたが、冒頭だけならこれが一番気に入っています。
「汝」や「われ」など、まるでファンタジー小説のセリフのような言い回しで、しかも恐ろしく理解しやすいのです。
この翻訳でツァラトゥストラの全文が読みたかったな、と思わせる文章です。
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ニーチェ全集 8 (ちくま学芸文庫 ニ 1-8) 文庫 – 1993/7/1
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悦ばしき知識
- 本の長さ526ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1993/7/1
- ISBN-104480080783
- ISBN-13978-4480080783
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1993/7/1)
- 発売日 : 1993/7/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 526ページ
- ISBN-10 : 4480080783
- ISBN-13 : 978-4480080783
- Amazon 売れ筋ランキング: - 297,076位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 289位ドイツ・オーストリアの思想
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- - 695位全集・選書 (本)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年6月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年7月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全体的には難解は難解であった。
・『ツァラトゥストラ』につながっていく本書には、同情や道徳、隣人愛、平等に対する批判は出て来ているがそれほど激烈には書かれていない。穏やかに批判が展開されている。
・『ツァラトゥストラ』や『道徳の系譜学』『善悪の彼岸』を読んで本書を読むことをすすめる。ニーチェの思想の萌芽が見て取れて読みやすい。
・おそらくだがこの本はニーチェの精神状態が良い時に書かれたのだと思われる(至極個人的な見解だが)。
・P102-103(31)には現代社会におけるインターネットやパソコンを使いこなす一部の人の特権について予言めいたことが記されている。ニーチェの先見眼のするどさに驚く。
・神なき後の絶対物としての科学についても述べられている。
・P195「われわれは道徳を超えて上に立つことができなくてはならぬ。しかも今にも足滑らして転ぶのではないかと恐れるような者のびくついた硬張りを持って立つだけでなく、さらに道徳の上をひょうひょうと漂い遊び、戯れることができなくてはならぬ!」とかっこいい言葉もあったりする。
・P108「神は死んだ。そしてわれわれ、我々はさらにまた神の影をも克服しなければならない!」
・永遠回帰思想の萌芽も見られる
・P219「神は死んだ」の一文が出てくる。これはツァラトゥストラへ続く布石となっている。
・P283「究極の懐疑そもそも人間の真理とは究極のところ何なのだ?それは人間の論駁不可能な錯覚である」ここにおいて真理について直球で批判している。
・P284「英雄的にさせるのは何か?自分の最高の苦悩と最高の希望とに向かって同時に突き進んでゆくことがそれだ」ニーチェだからこそ言える名言である。
・随所に高貴なるものたちへの礼賛がある。
・危なっかしい文言だが、ニーチェらしいと言えばニーチェらしい。P299「お前は何か究極の平和といったものに対して抵抗する。お前は戦争と平和の永遠なる回帰を欲する」永遠回帰を想起させられる。
・P302「おお、もっと多くのそういう新しい太陽が創造されたらいいのに!悪人も不幸者も例外人も自分の哲学、自分の正当の権利、自分の太陽の光をもつべきだ!!彼らに同情する必要などない!これまで永いこと人類は同情と言うやつを覚え込み(中略)我々は忘れ去らねばならぬ」自分の太陽の光を持つと言う文言なんてかっこいいのだろうか。
・P311「例えば官職とか同一といつまでも顔を突き合わせているとか、決まりきった居所とか、同じ調子の健康とかによるように。真実、私は私のあらゆる資産と病気に対して、なお、また私の身はどんな不完全なものに対しても一心の1番深いところでは、感謝の思いを抱いている。」これなんかは現代においては、転職の問題に光を当てているものだ。場所を変えることを(チャレンジ)で自分を鍛えていく。病気に関しては、ニーチェも病気持ちだったことによる実際性がある。
・P332「苦痛の中には、快楽の中におけると同じだけの知恵がある。苦痛は、快楽と同じく、第一級の種族保持力の1つだ。普通がこういうものでないとしたら、それはとっくの昔に消えてなくなって、いただろう。」ニーチェも病気持ちであったすごく響く言葉だ。そして最高の肯定である。
・ここでニーチェのユーモアというか、面白い文言がある。P343「『仕事をする』こと、それ自体が何か軽蔑すべきことだったのだ。『高貴と栄誉はただ閑暇と戦闘のもとにある」これこそ、古代の先入見の宣言であった。』労働に対する概念をひっくり返してしまっている。
・P362(341)はそのまんま、永遠回帰について述べられている。
・P363(342)は『ツァラトゥストラ』について述べられている。
・超人について語っていると思われる箇所P373「『無私』なぞは、天でも地でもまるっきり価値がない。偉大な問題はどれも、これもみな、偉大な愛を必要とする。そして偉大な愛を燃やすことのできるのは、確乎として自己自身に立脚している剛殻で円熟した泰然たる精神の者たちだけである」他人を助ける前に、まずは自分を助けることが必要だと説いている。それができるのは超人のみだと言うことだ。
・P377道徳的に振る舞ってきたが、そんなものはないのだと初めからわかっていた。
・P393「こうしたすべてのことのために人間は何をおいてもまず意識を必要とした、つまり自分に何が不足しているかを知ること、自分がどんな気分でいるかを知ること、自分が何を考えているかを知ることが必要であった。なぜなら、もう一度言うが、人間は一切の生あるものと同じく、絶えず考えてはいる、がそれを知らないでいるからである。意識に上ってくる思考はその知られないでいる極めて僅少の部分、言うならば、その最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない-と言うのもこの意識化された思考だけが、言語をもってすなわち伝達記号-これで意識の素性そのものが暴き出されるか-をもって営まれるからである」これは非常に面白い考察である。意識のあり方や、それから人類が言語を持つようになった過程が知れて面白い。
・P436(371)はニーチェらしい痛快な文章だ。
・P446「我々は正義と融和の国が地上に建設されるのを願わしいことだとも露思ってはいない(なぜといって、そうしたものは所詮どのみち底は底まで凡庸化された支那式の国であろうからだ)我々は、我々と同じく、危険、戦争、冒険を愛し、妥協せず、とらえられず、丸め込まれず、強制される全ての人々を喜ばしく感ずる。」ニーチェらしいスリリングな文言であるが、ぐっと引き込まれる文書だ。
・『ツァラトゥストラ』につながっていく本書には、同情や道徳、隣人愛、平等に対する批判は出て来ているがそれほど激烈には書かれていない。穏やかに批判が展開されている。
・『ツァラトゥストラ』や『道徳の系譜学』『善悪の彼岸』を読んで本書を読むことをすすめる。ニーチェの思想の萌芽が見て取れて読みやすい。
・おそらくだがこの本はニーチェの精神状態が良い時に書かれたのだと思われる(至極個人的な見解だが)。
・P102-103(31)には現代社会におけるインターネットやパソコンを使いこなす一部の人の特権について予言めいたことが記されている。ニーチェの先見眼のするどさに驚く。
・神なき後の絶対物としての科学についても述べられている。
・P195「われわれは道徳を超えて上に立つことができなくてはならぬ。しかも今にも足滑らして転ぶのではないかと恐れるような者のびくついた硬張りを持って立つだけでなく、さらに道徳の上をひょうひょうと漂い遊び、戯れることができなくてはならぬ!」とかっこいい言葉もあったりする。
・P108「神は死んだ。そしてわれわれ、我々はさらにまた神の影をも克服しなければならない!」
・永遠回帰思想の萌芽も見られる
・P219「神は死んだ」の一文が出てくる。これはツァラトゥストラへ続く布石となっている。
・P283「究極の懐疑そもそも人間の真理とは究極のところ何なのだ?それは人間の論駁不可能な錯覚である」ここにおいて真理について直球で批判している。
・P284「英雄的にさせるのは何か?自分の最高の苦悩と最高の希望とに向かって同時に突き進んでゆくことがそれだ」ニーチェだからこそ言える名言である。
・随所に高貴なるものたちへの礼賛がある。
・危なっかしい文言だが、ニーチェらしいと言えばニーチェらしい。P299「お前は何か究極の平和といったものに対して抵抗する。お前は戦争と平和の永遠なる回帰を欲する」永遠回帰を想起させられる。
・P302「おお、もっと多くのそういう新しい太陽が創造されたらいいのに!悪人も不幸者も例外人も自分の哲学、自分の正当の権利、自分の太陽の光をもつべきだ!!彼らに同情する必要などない!これまで永いこと人類は同情と言うやつを覚え込み(中略)我々は忘れ去らねばならぬ」自分の太陽の光を持つと言う文言なんてかっこいいのだろうか。
・P311「例えば官職とか同一といつまでも顔を突き合わせているとか、決まりきった居所とか、同じ調子の健康とかによるように。真実、私は私のあらゆる資産と病気に対して、なお、また私の身はどんな不完全なものに対しても一心の1番深いところでは、感謝の思いを抱いている。」これなんかは現代においては、転職の問題に光を当てているものだ。場所を変えることを(チャレンジ)で自分を鍛えていく。病気に関しては、ニーチェも病気持ちだったことによる実際性がある。
・P332「苦痛の中には、快楽の中におけると同じだけの知恵がある。苦痛は、快楽と同じく、第一級の種族保持力の1つだ。普通がこういうものでないとしたら、それはとっくの昔に消えてなくなって、いただろう。」ニーチェも病気持ちであったすごく響く言葉だ。そして最高の肯定である。
・ここでニーチェのユーモアというか、面白い文言がある。P343「『仕事をする』こと、それ自体が何か軽蔑すべきことだったのだ。『高貴と栄誉はただ閑暇と戦闘のもとにある」これこそ、古代の先入見の宣言であった。』労働に対する概念をひっくり返してしまっている。
・P362(341)はそのまんま、永遠回帰について述べられている。
・P363(342)は『ツァラトゥストラ』について述べられている。
・超人について語っていると思われる箇所P373「『無私』なぞは、天でも地でもまるっきり価値がない。偉大な問題はどれも、これもみな、偉大な愛を必要とする。そして偉大な愛を燃やすことのできるのは、確乎として自己自身に立脚している剛殻で円熟した泰然たる精神の者たちだけである」他人を助ける前に、まずは自分を助けることが必要だと説いている。それができるのは超人のみだと言うことだ。
・P377道徳的に振る舞ってきたが、そんなものはないのだと初めからわかっていた。
・P393「こうしたすべてのことのために人間は何をおいてもまず意識を必要とした、つまり自分に何が不足しているかを知ること、自分がどんな気分でいるかを知ること、自分が何を考えているかを知ることが必要であった。なぜなら、もう一度言うが、人間は一切の生あるものと同じく、絶えず考えてはいる、がそれを知らないでいるからである。意識に上ってくる思考はその知られないでいる極めて僅少の部分、言うならば、その最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない-と言うのもこの意識化された思考だけが、言語をもってすなわち伝達記号-これで意識の素性そのものが暴き出されるか-をもって営まれるからである」これは非常に面白い考察である。意識のあり方や、それから人類が言語を持つようになった過程が知れて面白い。
・P436(371)はニーチェらしい痛快な文章だ。
・P446「我々は正義と融和の国が地上に建設されるのを願わしいことだとも露思ってはいない(なぜといって、そうしたものは所詮どのみち底は底まで凡庸化された支那式の国であろうからだ)我々は、我々と同じく、危険、戦争、冒険を愛し、妥協せず、とらえられず、丸め込まれず、強制される全ての人々を喜ばしく感ずる。」ニーチェらしいスリリングな文言であるが、ぐっと引き込まれる文書だ。
2014年9月2日に日本でレビュー済み
ニーチェの著作は不思議である。読んでいてチンプンカンプンなのだが、読むのをなぜか止めたいと思わせないのだ。
すでにニーチェの著作はいくつか読んだが、どれもそうなのだ。とにかく最後まで読めてしまう。
久しぶりにニーチェを読みたくて本書を手に取った。
中には「こういうことを言っているんだな」と解釈できる箇所もあるが、多くは「なんやらさっぱりピーマン」。
でも変なことが書いてあるので、それはそれで面白いと許してしまう。
以下、印象に残った第1書から第5書までそれぞれ1つをピックアップする。
第1書
21 「教育は、一聯の刺戟と利益を通じて、個人をある種の考え方および振舞い方にしばりつけようとつとめる」
私たちが道徳として考えていることがらは実は教育によって押し付けられた価値観、公のために個を犠牲にすることを強いているということ。
第2書
99 「自由になろうと欲する者は誰でも、自分自身によってそうならなくてはならぬ、誰にとってにしろ自由は奇蹟の賜物よろしく棚ぼた式に落ちてくるものではない」
ここではヴァーグナー批判がなされているが、ただ上記のことば(これはヴァーグナーは批判に値するが、このヴァーグナーのことばは留意に値するとニーチェが引用している)は重要なことばだとニーチェは言っている。
自由は自らが努力してつかむもの。天から降ってくるものではないということか。
第3書
116 「道徳によって、個人は、群畜存在の機能であるように、また機能としてだけ自分を価値付けるように、導かれる」
人は道徳により、「〜でなければならない」「〜してはならない」というように縛られてしまう。そして共同体による道徳に従う群畜であればあるほど良心的であるとされる。
第4書
335 「自分自身に最も遠い存在は、各人それ自身である」
一番身近の存在であるはずの自分自身が案外と一番理解が難しいのかもしれない。ただ335で取り上げられているテーマは道徳批判。
第5書
354 「意識にのぼってくる思考は、その知られないでいる思考の寡少の部分、いうならばその最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない。というのも、この意識化された思考だけが、言語をもって、すなわち伝達記号(中略)をもって営まれるからである」
私たちの考えていることは100%言語化されるわけではない。むしろ言語化されない思考の方が多いのかもしれない。確かに抽象的な思考を言語化しようとする哲学書などは何が書いてあるのかチンプンカンプンなものが多い(というか、書いている人や翻訳者の日本語の問題なのかもしれないが)。
その他にも71のように「要するに、われわれは妻たちにどんなにやさしくしてやってもこれでいいということはない!」とどこをどう読めばこんな結論になるのかわからないことが書いてあったり、200のように「他人の不幸は蜜の味」みたいなことが書いてあったり、よくわからなくても楽しめることがたくさん書かれている。
ニーチェ参考書にあるような、ニヒリズムやキリスト教批判、ルサンチマンのニーチェも良いが、それ以外のニーチェを探してみるのも面白い。
ニーチェ研究者でなければ一字一句精読をする必要などなく、まずは読んでみることをお勧めする。
私の場合は途中で行ったり来たりして結局全部読むのに1ヶ月かかった(精読なら数年かかることだろう)。
いちどニーチェにシビレテみよう。
ちなみに381に理解しにくいものを書く理由がニーチェなりに解説されている。
すでにニーチェの著作はいくつか読んだが、どれもそうなのだ。とにかく最後まで読めてしまう。
久しぶりにニーチェを読みたくて本書を手に取った。
中には「こういうことを言っているんだな」と解釈できる箇所もあるが、多くは「なんやらさっぱりピーマン」。
でも変なことが書いてあるので、それはそれで面白いと許してしまう。
以下、印象に残った第1書から第5書までそれぞれ1つをピックアップする。
第1書
21 「教育は、一聯の刺戟と利益を通じて、個人をある種の考え方および振舞い方にしばりつけようとつとめる」
私たちが道徳として考えていることがらは実は教育によって押し付けられた価値観、公のために個を犠牲にすることを強いているということ。
第2書
99 「自由になろうと欲する者は誰でも、自分自身によってそうならなくてはならぬ、誰にとってにしろ自由は奇蹟の賜物よろしく棚ぼた式に落ちてくるものではない」
ここではヴァーグナー批判がなされているが、ただ上記のことば(これはヴァーグナーは批判に値するが、このヴァーグナーのことばは留意に値するとニーチェが引用している)は重要なことばだとニーチェは言っている。
自由は自らが努力してつかむもの。天から降ってくるものではないということか。
第3書
116 「道徳によって、個人は、群畜存在の機能であるように、また機能としてだけ自分を価値付けるように、導かれる」
人は道徳により、「〜でなければならない」「〜してはならない」というように縛られてしまう。そして共同体による道徳に従う群畜であればあるほど良心的であるとされる。
第4書
335 「自分自身に最も遠い存在は、各人それ自身である」
一番身近の存在であるはずの自分自身が案外と一番理解が難しいのかもしれない。ただ335で取り上げられているテーマは道徳批判。
第5書
354 「意識にのぼってくる思考は、その知られないでいる思考の寡少の部分、いうならばその最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない。というのも、この意識化された思考だけが、言語をもって、すなわち伝達記号(中略)をもって営まれるからである」
私たちの考えていることは100%言語化されるわけではない。むしろ言語化されない思考の方が多いのかもしれない。確かに抽象的な思考を言語化しようとする哲学書などは何が書いてあるのかチンプンカンプンなものが多い(というか、書いている人や翻訳者の日本語の問題なのかもしれないが)。
その他にも71のように「要するに、われわれは妻たちにどんなにやさしくしてやってもこれでいいということはない!」とどこをどう読めばこんな結論になるのかわからないことが書いてあったり、200のように「他人の不幸は蜜の味」みたいなことが書いてあったり、よくわからなくても楽しめることがたくさん書かれている。
ニーチェ参考書にあるような、ニヒリズムやキリスト教批判、ルサンチマンのニーチェも良いが、それ以外のニーチェを探してみるのも面白い。
ニーチェ研究者でなければ一字一句精読をする必要などなく、まずは読んでみることをお勧めする。
私の場合は途中で行ったり来たりして結局全部読むのに1ヶ月かかった(精読なら数年かかることだろう)。
いちどニーチェにシビレテみよう。
ちなみに381に理解しにくいものを書く理由がニーチェなりに解説されている。