藤原定家(ていか)。小倉百人一首の選者であり、平安末期から鎌倉にかけて御子左家をして和歌の家とし、冷泉家につながる歌道を確立させた平安貴族。この彼が実に五十六年の長きに渡って書き残した日記“明月記”を堀田良衛氏が読み解いて二冊の本にまとめた前半がこれ。読み物としては決して読み易いとは言えないが、内容にぐんぐん惹かれていき読了。今でこそ茶の湯の利休と並んで歌の定家と神格化されている定家だが、明月記に残された彼の日々を読み今も昔も人の考えることは大体同じということを再認識。
下級貴族(といっても後半生には運に恵まれ、結構な地位まで上り詰めるのだが)の彼の前半生の日記は「いつまでこんな小僧と同じ役職=官位なんだ!早く出世して~」「やはりおれには出世はむりなのか?」「毎日出社=出仕するの疲れた」「何もかも体面取り繕うのに金がかかって困る〜」「車=牛車買う金もない」「営業所=荘園から金が来ない」「長男は馬鹿だから次男に期待」「次男はサッカー=蹴鞠馬鹿だった」「上司が馬鹿でやってられん!」「いくらお偉いの息子でも我慢ならん、バキッ!(上級貴族の息子を燭台でなぐって蟄居)」「大事件だけど、私みたいな小物には関係のないことだもんね~」「姉さんがお偉いさんに荘園をあげて、おれの官位を買ってくれた」といった、正に、今の(どちらかと言えばダメな)サラリーマンと変わらぬ体たらくで埋め尽くされている。
そして続編は平家滅亡、承久の乱を経て鎌倉幕府の確立という激動に翻弄されつつ、運も向いてきて「社長=後鳥羽上皇に(以前庭の松を取られた皮肉を込めて)根暗な歌書いて出したら謹慎=蟄居させられちまったぜ」「社長=後鳥羽上皇は自分で反乱煽っといて負けたら部下のせいって、ひどくね?」「前社長=後鳥羽上皇が島流しされた後の屋敷は荒れ放題、おれは寂しくなって泣く」「ついに部長=公卿だ!」「とうとうこんな俺も大臣=正二位権中納言になってしまった。ビビる―。」「隣に強盗、社長=天皇の家=内裏にも強盗入った」「化け物が出た」「歯が痛い」「膝が痛い」「庭いじり最高!」「屋敷の維持にも金かかるな~」「誰の歌を選ぶかも鎌倉幕府に気を使わないとヤバい」「こんな時代(餓死者続出)に、贅沢三昧とは世も末じゃ」等々、激動の時代を運にも恵まれ(周りでは没落するもの、殺されるもの多々の中)なんとか生き延びつつ、老いてなお盛んな好奇心で時のニュースを自らのコメントとともに書き記している。
隠岐の後鳥羽上皇から名指しで「あいつ歌は凄いが、性格がひん曲がっている」と言われた愚痴とゴシップ好きの和歌ジジィ(失礼)の日記がつまらぬ訳がなかった。
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定家明月記私抄 (ちくま学芸文庫 ホ 3-2) 文庫 – 1996/6/10
堀田 善衞
(著)
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- 本の長さ281ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1996/6/10
- ISBN-104480082859
- ISBN-13978-4480082855
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1996/6/10)
- 発売日 : 1996/6/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 281ページ
- ISBN-10 : 4480082859
- ISBN-13 : 978-4480082855
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- - 191位日本文学(日記・書簡)
- - 269位ちくま学芸文庫
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2016年7月19日に日本でレビュー済み
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2021年2月5日に日本でレビュー済み
『定家明月記私抄』(堀田善衞著、ちくま学芸文庫)と『定家明月記私抄 続篇』(堀田善衞著、ちくま学芸文庫)では、若い時に『明月記』に出会って以来、数十年をかけて読み継いできた堀田善衞と、藤原定家が一体化している。これだけ長い付き合いとあっては、当然のことだろう。
「『明月記』の面白さは、(藤原兼実の)玉葉などとともに歴史的、時代的といった形容句のともなうものとしてもさることながら、やはり定家という人その人に即いての面白さであり、ときとしてはその癇癖の高さがかえって当方の哄笑をさそったりもし、その哄笑の間に、苦虫を噛みつぶしたような定家氏の表情までが見えて来たりもするのである。またその職業歌人としての矜持、二流貴族としての苦渋、歌壇操作のやり切れなさ、あるいは今日のことばで言っての生活難をかこつところなどは、同じ文筆業をいとなむ者として同情を禁じえないところもあり、私としては同業の先輩の日常の記として読んでいたこともあった」。
「すでに長の歳月にわたって彼の日記によってこの歌人と付き合って来て、この人の大概の言いぐさや癖、物事、事件に対する反応の仕方、あるいは考え方の屈折などについては、一通りは承知しているつもりではあるけれども、その日記の、どの部分をひらいてみても、やはり驚かされるところがある」。
私にとって、とりわけ興味深いのは、若き定家の西行との関わり、定家と後鳥羽院との微妙な関係、源実朝の真実――の3つである。
●西行――。
定家は、歌の道に専念することに決したのは、と問われて、若い時に西行に会ったことを挙げている。「父(藤原)俊成などにやかましく言われたことなどはそっちのけで、西行である。・・・西行の歌風と宮廷歌人としての俊成、定家などのそれとは劃然として別のものである。しかもなお、西行なのである。余程印象が深かったものとしなければならない。文治二年、西行六十九歳、定家は二十五歳、この年に定家は『文治二年、円位上人(西行)、之ヲ勧進ス』として二見浦百首なるものを詠んでいるのであるが、このときに勧進――すなわちすすめられて百首歌を伊勢神宮の神に手向けた者は、定家、家隆、寂蓮、隆信、祐盛、公衡等のほか、伊勢在住の蓮位以下の四法師と度合某なる人などであるが、いずれも京、伊勢の錚々たるメンバーであり、西行という人物の、いわば動員力を如実に物語っているものである」。
「(西行は)生涯経済的な心配のない豪族の出であったが、徳大寺家の家人であり、平清盛とは同年でともに鳥羽院の北面に仕えていたことがあり、彼の遁世後といえども、権力の中枢に立った人々との交渉は絶えたことがなかった。鳥羽法皇、崇徳上皇、入道信西、平清盛、源頼朝、藤原秀衡等、数えて行けば百人を越え、出家などというよりも、『政僧』ということばを使いたくなるほどの部分を色濃くもっているのである。・・・この人物の巨大さ、あるいは巨怪さが知られるであろうと思う。・・・放胆にして鋭利、おどろくべき人物であろう。・・・かかる異様な大人物が、彼の側からして若き定家に接触を求めて来てくれたのである。それは歌の家に生れた者の仕合せの一つであった。印象の浅かろう筈がないのである。父俊成や、周辺の競い合わねばならぬ立場にある歌人たちなどとは比較にならぬ強烈なものが、『久しくあひ伴ひて聞きならひ侍りし』際に存したであろうことも想像に難くないのである」。
若い定家が西行から大きな刺激を受けたという話は、浅学にして知らなかったが、西行という人物が、単に優れた歌詠みではなかったという指摘には、もっと驚かされた。
●後鳥羽院――。
後鳥羽院は桁外れの大遊戯人間であった。「この年(建仁元年)は、後鳥羽院は水無瀬離宮での遊女やら白拍子やらを総揚げしての遊興とともに、憑かれたようにして和歌に熱中しはじめ、その出来映えもまた定家をして『金玉ノ声、今度凡ソ言語道断ナリ。今ニ於テハ、上下更ニ以テ及ビ奉ルベキ人無シ。毎首不可思議。感涙禁ジ難キ者ナリ』と感歎させるほどのものであった。この院は実際に主催者としても実践者としても、競馬、相撲、蹴鞠、闘鶏、囲碁、双六、それから何軒もの別邸と庭園の建造等々、何をさせても、いわばルネサンス人的な幅をもっていて、京都宮廷などというせせこましいところに閉じ込めておくのが惜しいくらいのものであった。後には承久の乱という戦争までを発起する。しかも後鳥羽院御口伝などの歌論書にも見られるように、他の歌人の歌の鑑賞についても批評家として充分に自立しえていたと言っていい」。
「後鳥羽院その人もまた遊戯人間(ホモ・ルーデンス)の典型的存在である。承久の乱などという戦争行為も、『真面目な』かつ真剣な権力闘争としては、その準備において、また指揮作戦についても欠けるところの方が多い。帝王的大らかさなどと屡々称される評価や形容の仕方は不正確というものであろう。・・・(定家の)出世昇官への望みはますます強烈になって来るのであるけれども、ここに困ったことなのは、大遊戯人間にとっては、和歌もまた諸芸能のうちの一つにすぎないことである。蹴鞠、管弦、連句、勝負笠懸、賭弓、双六などの遊芸、遊宴の道に長けた者は、ただの武士でも白拍子、遊女でもたやすく昇殿を許されるのが実情であり・・・和歌所の復活は、新古今集編纂のため、及び宮廷遊戯あるいは『御遊儀』の一つの制度化であり、それ以上のものではなかった。出世昇官とは次元の異る問題であり、後者は政治的実力の範疇に属する」。
「後鳥羽院もまた執念深い男である。後に(流された)隠岐の島での、今日『後鳥羽院御口伝』として伝えられている歌論書に『定家は左右なき物なり』、すなわち定家はもうどう仕様もない頑固者だ、と前置きをしてこの時の歌を引き、『傍若無人、理も過ぎたりき。他人の詞を聞くに及ばず』とまで言い出す素地をつくるのである」。
歌という特技を通じて宮廷で出世したい定家と、歌は数ある趣味の一つに過ぎない後鳥羽院では、しょせん相容れぬのは已むを得ないだろう。
●実朝――。
定家の実朝観は辛辣である。「(実朝は)成長するに従って現実が見えなくなって行く青年、と見える・・・幕府の長として、鎌倉将軍として、実際に実朝が何をしていたかを調べてみると、そこに実に異様な形姿が浮び上って来る。政治上の実験が、執権北条義時に握られていたことは、これは言うまでもない。・・・(実朝の)日常のほとんどは、神事と仏事、それも仏教、密教と陰陽道の習合した、何とも怪異な祭事や仏会についやされているのである。百日泰山府君祭、天地災変祭、天曹地府祭、七座泰山府君祭、三万六千神祭、百怪祭、鬼気祭等々・・・。実朝は、幕府の長であるよりも、その幕府における祭祀の長であり、時には祭祀用の象徴でしかなかった。しかもそうした象徴にとって最重要、かつ最優先の任務である、嗣子を生ませることが、未だに出来ていないのである。不毛の祭祀長である」。
「実朝は、幻想のなかに生きている。そうしてこの幻想のピークに来るものが、大船建造による。渡宋幻想である」。
「『箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ』。平安鎌倉期の和歌には、和する歌としての和歌の特質にもとづいて、いわゆる絶唱といった言い方に相当するものは、まず見当らない。けれどもこの一首は、やはり絶唱というに価するであろう。現実を失ってしまった者の眼に、箱根路、伊豆の海、沖の小島はまさに現実そのものでありながら、この風景はすでに現実から離陸してしまっていて、実朝の心象としての風景と化し、渺茫として風の音ばかりが耳に鳴っている。風景の自己分身(ドッペルゲンガー)である。この歌の周辺に、和すべき者も、また和すべき歌も何もない。ありえない。孤独な実朝がいるだけである。絶唱たる所以である」。
ここまで実朝に厳しい評価は、管見の限り、初めである。
「『明月記』の面白さは、(藤原兼実の)玉葉などとともに歴史的、時代的といった形容句のともなうものとしてもさることながら、やはり定家という人その人に即いての面白さであり、ときとしてはその癇癖の高さがかえって当方の哄笑をさそったりもし、その哄笑の間に、苦虫を噛みつぶしたような定家氏の表情までが見えて来たりもするのである。またその職業歌人としての矜持、二流貴族としての苦渋、歌壇操作のやり切れなさ、あるいは今日のことばで言っての生活難をかこつところなどは、同じ文筆業をいとなむ者として同情を禁じえないところもあり、私としては同業の先輩の日常の記として読んでいたこともあった」。
「すでに長の歳月にわたって彼の日記によってこの歌人と付き合って来て、この人の大概の言いぐさや癖、物事、事件に対する反応の仕方、あるいは考え方の屈折などについては、一通りは承知しているつもりではあるけれども、その日記の、どの部分をひらいてみても、やはり驚かされるところがある」。
私にとって、とりわけ興味深いのは、若き定家の西行との関わり、定家と後鳥羽院との微妙な関係、源実朝の真実――の3つである。
●西行――。
定家は、歌の道に専念することに決したのは、と問われて、若い時に西行に会ったことを挙げている。「父(藤原)俊成などにやかましく言われたことなどはそっちのけで、西行である。・・・西行の歌風と宮廷歌人としての俊成、定家などのそれとは劃然として別のものである。しかもなお、西行なのである。余程印象が深かったものとしなければならない。文治二年、西行六十九歳、定家は二十五歳、この年に定家は『文治二年、円位上人(西行)、之ヲ勧進ス』として二見浦百首なるものを詠んでいるのであるが、このときに勧進――すなわちすすめられて百首歌を伊勢神宮の神に手向けた者は、定家、家隆、寂蓮、隆信、祐盛、公衡等のほか、伊勢在住の蓮位以下の四法師と度合某なる人などであるが、いずれも京、伊勢の錚々たるメンバーであり、西行という人物の、いわば動員力を如実に物語っているものである」。
「(西行は)生涯経済的な心配のない豪族の出であったが、徳大寺家の家人であり、平清盛とは同年でともに鳥羽院の北面に仕えていたことがあり、彼の遁世後といえども、権力の中枢に立った人々との交渉は絶えたことがなかった。鳥羽法皇、崇徳上皇、入道信西、平清盛、源頼朝、藤原秀衡等、数えて行けば百人を越え、出家などというよりも、『政僧』ということばを使いたくなるほどの部分を色濃くもっているのである。・・・この人物の巨大さ、あるいは巨怪さが知られるであろうと思う。・・・放胆にして鋭利、おどろくべき人物であろう。・・・かかる異様な大人物が、彼の側からして若き定家に接触を求めて来てくれたのである。それは歌の家に生れた者の仕合せの一つであった。印象の浅かろう筈がないのである。父俊成や、周辺の競い合わねばならぬ立場にある歌人たちなどとは比較にならぬ強烈なものが、『久しくあひ伴ひて聞きならひ侍りし』際に存したであろうことも想像に難くないのである」。
若い定家が西行から大きな刺激を受けたという話は、浅学にして知らなかったが、西行という人物が、単に優れた歌詠みではなかったという指摘には、もっと驚かされた。
●後鳥羽院――。
後鳥羽院は桁外れの大遊戯人間であった。「この年(建仁元年)は、後鳥羽院は水無瀬離宮での遊女やら白拍子やらを総揚げしての遊興とともに、憑かれたようにして和歌に熱中しはじめ、その出来映えもまた定家をして『金玉ノ声、今度凡ソ言語道断ナリ。今ニ於テハ、上下更ニ以テ及ビ奉ルベキ人無シ。毎首不可思議。感涙禁ジ難キ者ナリ』と感歎させるほどのものであった。この院は実際に主催者としても実践者としても、競馬、相撲、蹴鞠、闘鶏、囲碁、双六、それから何軒もの別邸と庭園の建造等々、何をさせても、いわばルネサンス人的な幅をもっていて、京都宮廷などというせせこましいところに閉じ込めておくのが惜しいくらいのものであった。後には承久の乱という戦争までを発起する。しかも後鳥羽院御口伝などの歌論書にも見られるように、他の歌人の歌の鑑賞についても批評家として充分に自立しえていたと言っていい」。
「後鳥羽院その人もまた遊戯人間(ホモ・ルーデンス)の典型的存在である。承久の乱などという戦争行為も、『真面目な』かつ真剣な権力闘争としては、その準備において、また指揮作戦についても欠けるところの方が多い。帝王的大らかさなどと屡々称される評価や形容の仕方は不正確というものであろう。・・・(定家の)出世昇官への望みはますます強烈になって来るのであるけれども、ここに困ったことなのは、大遊戯人間にとっては、和歌もまた諸芸能のうちの一つにすぎないことである。蹴鞠、管弦、連句、勝負笠懸、賭弓、双六などの遊芸、遊宴の道に長けた者は、ただの武士でも白拍子、遊女でもたやすく昇殿を許されるのが実情であり・・・和歌所の復活は、新古今集編纂のため、及び宮廷遊戯あるいは『御遊儀』の一つの制度化であり、それ以上のものではなかった。出世昇官とは次元の異る問題であり、後者は政治的実力の範疇に属する」。
「後鳥羽院もまた執念深い男である。後に(流された)隠岐の島での、今日『後鳥羽院御口伝』として伝えられている歌論書に『定家は左右なき物なり』、すなわち定家はもうどう仕様もない頑固者だ、と前置きをしてこの時の歌を引き、『傍若無人、理も過ぎたりき。他人の詞を聞くに及ばず』とまで言い出す素地をつくるのである」。
歌という特技を通じて宮廷で出世したい定家と、歌は数ある趣味の一つに過ぎない後鳥羽院では、しょせん相容れぬのは已むを得ないだろう。
●実朝――。
定家の実朝観は辛辣である。「(実朝は)成長するに従って現実が見えなくなって行く青年、と見える・・・幕府の長として、鎌倉将軍として、実際に実朝が何をしていたかを調べてみると、そこに実に異様な形姿が浮び上って来る。政治上の実験が、執権北条義時に握られていたことは、これは言うまでもない。・・・(実朝の)日常のほとんどは、神事と仏事、それも仏教、密教と陰陽道の習合した、何とも怪異な祭事や仏会についやされているのである。百日泰山府君祭、天地災変祭、天曹地府祭、七座泰山府君祭、三万六千神祭、百怪祭、鬼気祭等々・・・。実朝は、幕府の長であるよりも、その幕府における祭祀の長であり、時には祭祀用の象徴でしかなかった。しかもそうした象徴にとって最重要、かつ最優先の任務である、嗣子を生ませることが、未だに出来ていないのである。不毛の祭祀長である」。
「実朝は、幻想のなかに生きている。そうしてこの幻想のピークに来るものが、大船建造による。渡宋幻想である」。
「『箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ』。平安鎌倉期の和歌には、和する歌としての和歌の特質にもとづいて、いわゆる絶唱といった言い方に相当するものは、まず見当らない。けれどもこの一首は、やはり絶唱というに価するであろう。現実を失ってしまった者の眼に、箱根路、伊豆の海、沖の小島はまさに現実そのものでありながら、この風景はすでに現実から離陸してしまっていて、実朝の心象としての風景と化し、渺茫として風の音ばかりが耳に鳴っている。風景の自己分身(ドッペルゲンガー)である。この歌の周辺に、和すべき者も、また和すべき歌も何もない。ありえない。孤独な実朝がいるだけである。絶唱たる所以である」。
ここまで実朝に厳しい評価は、管見の限り、初めである。
2018年2月5日に日本でレビュー済み
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が、文字が小さくて70代の目にはちょっと負担です。初版の年月日を確認すべきだったかなあ。
2021年12月12日に日本でレビュー済み
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藤原定家と言うと文学に造詣のある人は古今和歌集と言うだろうし、明月記と言えば古代の天文イベントを記録した古文書と言う印象が今日の日本では強いと思う。
昨今オリオン座のベテルギウスが超新星爆発をするのではないかと言われていて、明月記にはその超新星爆発の様子が書かれていると言うから、その辺が気になって本書を取ったのが購入のきっかけだった。
ついでに藤原定家の人となりがわかればいいかな~、程度で。
ところが、別の方のレビューにもある通り、編者である堀田善衛の文書の方が圧倒的に多い。
明月記ではなくて堀田記かと言わんばかりだ。
そりゃ同年代の方丈記も文量にすると大した事が無いから、定家19歳から80歳まで書いたという明月記も実際にはたかが知れている文量かもしれない。
とは言っても堀田氏は文語体の書き下し文が理解出来る前提で本書を作ってしまっているので、明月記はどんなものかと言うライトユーザーには間違いなく本書は向かない、むしろ堀田氏のファンが堀田節を楽しむ為と言ってもいいくらいだ。
オマケに本書だけで明月記の記録が完結しておらず、続きは別の本でという終わり方である。
これはちょっと酷いのではないだろうか。
私は過去に枕草子、竹取物語、方丈記の全訳中を読んだ事があり、現代語訳がもっとするすると読めればいいのに…と残念に思った事があるが、本書は原文も無ければ訳注もなく、文語体の解説も無く、堀田氏の解説をただ延々と読まされているだけだった。
もし本書の評価を高くするとすれば堀田氏のファンか、明月記を既に通読していて同時代の背景を完全に頭に入れている人に限定されると思う。
単に明月記に触れたいと言うならば、全訳版が別にあるからそっちの方が絶対に良い。
昨今オリオン座のベテルギウスが超新星爆発をするのではないかと言われていて、明月記にはその超新星爆発の様子が書かれていると言うから、その辺が気になって本書を取ったのが購入のきっかけだった。
ついでに藤原定家の人となりがわかればいいかな~、程度で。
ところが、別の方のレビューにもある通り、編者である堀田善衛の文書の方が圧倒的に多い。
明月記ではなくて堀田記かと言わんばかりだ。
そりゃ同年代の方丈記も文量にすると大した事が無いから、定家19歳から80歳まで書いたという明月記も実際にはたかが知れている文量かもしれない。
とは言っても堀田氏は文語体の書き下し文が理解出来る前提で本書を作ってしまっているので、明月記はどんなものかと言うライトユーザーには間違いなく本書は向かない、むしろ堀田氏のファンが堀田節を楽しむ為と言ってもいいくらいだ。
オマケに本書だけで明月記の記録が完結しておらず、続きは別の本でという終わり方である。
これはちょっと酷いのではないだろうか。
私は過去に枕草子、竹取物語、方丈記の全訳中を読んだ事があり、現代語訳がもっとするすると読めればいいのに…と残念に思った事があるが、本書は原文も無ければ訳注もなく、文語体の解説も無く、堀田氏の解説をただ延々と読まされているだけだった。
もし本書の評価を高くするとすれば堀田氏のファンか、明月記を既に通読していて同時代の背景を完全に頭に入れている人に限定されると思う。
単に明月記に触れたいと言うならば、全訳版が別にあるからそっちの方が絶対に良い。
2016年6月19日に日本でレビュー済み
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おなじみ堀田善衛の本です。
今、文庫本で読んでいるのですが、読みずらいので、単行本を探しています。
続編はAmazonで見つけ購入したのですが、前編にあたるこの単行本が上がってきません。
大阪市の古本市でも、探していますがありません。
今、文庫本で読んでいるのですが、読みずらいので、単行本を探しています。
続編はAmazonで見つけ購入したのですが、前編にあたるこの単行本が上がってきません。
大阪市の古本市でも、探していますがありません。
2017年1月23日に日本でレビュー済み
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京都の二尊院が好きですが、それはこの本のせいか、どっちが先かわかりません。定家が嵯峨野の山荘に行った、と3,4回記述が出てきます。
定家もいろいろ苦労したのだ、など興味深い。
定家もいろいろ苦労したのだ、など興味深い。
2021年5月24日に日本でレビュー済み
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進歩派知識人とやらの読書感想文。読んだ時間が無駄だった。
2015年3月12日に日本でレビュー済み
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明月記は藤原定家が自ら書き留めた日記である。平安末期から鎌倉初期の公家がどんな生活をしていたのかが判り興味深い。
内容は公事故実、即ち宮廷の儀式、その儀式にどんな服装をするか等の記述が多いが、定家の個人生活もうかがい知ることが出来る。
歴史書としても極めて貴重な資料とされ、現在は国宝に指定されている。原文は漢文で、小生のような無教養な人間には
読むことが出来ない。堀田善衛氏は、この難解な書を口語にわかりやすく翻訳してくれている。単に翻訳ではなく堀田氏自身の
感想やコメントも書かれており、それも興味深い。藤原定家に関心のある方には必読の書であろう。
内容は公事故実、即ち宮廷の儀式、その儀式にどんな服装をするか等の記述が多いが、定家の個人生活もうかがい知ることが出来る。
歴史書としても極めて貴重な資料とされ、現在は国宝に指定されている。原文は漢文で、小生のような無教養な人間には
読むことが出来ない。堀田善衛氏は、この難解な書を口語にわかりやすく翻訳してくれている。単に翻訳ではなく堀田氏自身の
感想やコメントも書かれており、それも興味深い。藤原定家に関心のある方には必読の書であろう。