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シミュレ-ショニズム (ちくま学芸文庫 サ 14-1) 文庫 – 2001/5/9
椹木 野衣
(著)
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- 本の長さ400ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2001/5/9
- ISBN-104480086358
- ISBN-13978-4480086358
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2001/5/9)
- 発売日 : 2001/5/9
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 400ページ
- ISBN-10 : 4480086358
- ISBN-13 : 978-4480086358
- Amazon 売れ筋ランキング: - 148,792位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 78位アート・芸術
- - 531位ちくま学芸文庫
- - 1,135位アート・建築・デザイン作品集
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サンプリング・カットアップ・リミックスの古典的名著。本書は1991年6月10日、洋泉社より刊行された『シミュレーショニズム――ハウス・ミュージックと盗用芸術』を基にし、若干の修整を加えた上で新たに「講義篇」を加筆したものである。文体は、ポスト構造主義の伝統にある80年代のニュー・アカデミズムを想起させる。読者は(福田和也によればニーチェのハイデガーによる講釈に値する)講義編を読むだけでも十分であろう。シミュレーショニズムは〈否定の美学〉であり、またベンヤミン『複製技術時代の芸術』とは異なるベクトルにある。
2014年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
数々のキュレーション等を行っている美術評論家が、思想哲学の広範な知識を援用しながら
ポピュラーミュージックや現代美術を論じた批評集である。福田和也の解説によれば「新しい王
の、あまりにも激しくかつ巨大な欲望をそのままに反映をした詔勅」であり、無軌道なまでに
多様な素材を刺激的で挑発的に鑑賞し尽くしている。無からの創造ではない形成あるいは編集と
いった方法論の鋭利な解析であり、良くも悪くも現代という時代の特質を明らかにしていると思う。
「端的にいえば、『シミュレーション』とは、対象に近似な思考モデルの実際的活用である
といえる。…それが実際に機能する限りにおいて、そこでは実在と表象との間のゲームの
規則を放棄することによってしか獲得できないある自由が獲得されているのだ。…『時間』、
『空間』、さらには『物質』すらもが物理学の記述から切り捨てられるような選択も存在して
いる。この欠如、この拘束、この不自由、それこそがわれわれの自由である。」(132〜3頁)
「『サンプリング』が可能となる次元とは、あらゆる出来事がその所属する固有名を離れ、
ただ使用可能なツールとして『現在』に立ち現れる世界である。…必要なのは攻撃的な
までに機能的な忘却能力なのであり、史的思考は時にこの忘却力のなせるアナキズムの
驚異を忘れて、すべてを複合的に序列化しようとする。それでもわれわれは忘れるのだと
いうこと。この絶対的事実をあらゆる権力者はおして知るべきである。」(168〜9頁)
「『女性』とは一個の性ではない。それは遠ざかる力である。彼女たちの作品に共通する産み
の苦しみの不在は賞賛されてよい。それらは誕生するのではなくいつのまにかかたわらにたた
ずみ、けっして捕獲しえない力としてある。彼女らの作品は、芸術(=男)に押しつけがま
しく死を宣告するのではなく、芸術(=男)にやさしく死を許してくれる、そのような残酷
さである。そのような残酷さの放つ美しさ(こそが女性の美しさ)なのである。」(185頁)
「サンプリングに関して認識論的に言及すべき最大の問題は、それが引用ではないという
ことに尽きる。…それはあくまで略奪的な戦略なのであり、『引用』がそれをなす当事
者の表現的自我を不可避的に肥大させるのに対して、サンプリングを敢行した当事者の
自我は抹消され、無名性のなかに雲散する。さらにいえば、引用する者が富めるものから
『収奪』するものを、サンプリングする者は『没収』しているのである。」(248〜9頁)
ポピュラーミュージックや現代美術を論じた批評集である。福田和也の解説によれば「新しい王
の、あまりにも激しくかつ巨大な欲望をそのままに反映をした詔勅」であり、無軌道なまでに
多様な素材を刺激的で挑発的に鑑賞し尽くしている。無からの創造ではない形成あるいは編集と
いった方法論の鋭利な解析であり、良くも悪くも現代という時代の特質を明らかにしていると思う。
「端的にいえば、『シミュレーション』とは、対象に近似な思考モデルの実際的活用である
といえる。…それが実際に機能する限りにおいて、そこでは実在と表象との間のゲームの
規則を放棄することによってしか獲得できないある自由が獲得されているのだ。…『時間』、
『空間』、さらには『物質』すらもが物理学の記述から切り捨てられるような選択も存在して
いる。この欠如、この拘束、この不自由、それこそがわれわれの自由である。」(132〜3頁)
「『サンプリング』が可能となる次元とは、あらゆる出来事がその所属する固有名を離れ、
ただ使用可能なツールとして『現在』に立ち現れる世界である。…必要なのは攻撃的な
までに機能的な忘却能力なのであり、史的思考は時にこの忘却力のなせるアナキズムの
驚異を忘れて、すべてを複合的に序列化しようとする。それでもわれわれは忘れるのだと
いうこと。この絶対的事実をあらゆる権力者はおして知るべきである。」(168〜9頁)
「『女性』とは一個の性ではない。それは遠ざかる力である。彼女たちの作品に共通する産み
の苦しみの不在は賞賛されてよい。それらは誕生するのではなくいつのまにかかたわらにたた
ずみ、けっして捕獲しえない力としてある。彼女らの作品は、芸術(=男)に押しつけがま
しく死を宣告するのではなく、芸術(=男)にやさしく死を許してくれる、そのような残酷
さである。そのような残酷さの放つ美しさ(こそが女性の美しさ)なのである。」(185頁)
「サンプリングに関して認識論的に言及すべき最大の問題は、それが引用ではないという
ことに尽きる。…それはあくまで略奪的な戦略なのであり、『引用』がそれをなす当事
者の表現的自我を不可避的に肥大させるのに対して、サンプリングを敢行した当事者の
自我は抹消され、無名性のなかに雲散する。さらにいえば、引用する者が富めるものから
『収奪』するものを、サンプリングする者は『没収』しているのである。」(248〜9頁)
2015年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
筆者は佐野研二郎氏をどのように見たのか、気になりますね。
いや、前向きな意味で気になるんです。
いや、前向きな意味で気になるんです。
2018年5月2日に日本でレビュー済み
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シミュレーショニズム、アメリカの動向が書かれています。少し難しいがよく分析されています。
2012年5月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みたいと思っていたものの、手がついていなかった「シミュレーショニズム」を読む。
元々は美術手帳に椹木さんが執筆されていた記事をまとめ、1991年に出版されたもの。引用やコピーなどを特徴とする80年代、90年代の美術ムーブメント「シミュレーショニズム」を、同時代の音楽の見られるサンプリングなどの手法や傾向を引用しつつ、理論的に擁護する名著。90年代の日本の若手アーチストを支える理論書になると同時に、椹木さんをこの一作でスターダムへと押し上げた仕事だ。ネタ本とは言わないまでも、東浩紀さんの「動物化するポストモダン」(2001年)に多大な影響を与えた一冊なのではなかろうか?
今回手に取ったものは、2001年に講義形式で「シミュレーショニズム」のアウトラインを語る第一章が加えられたもので、椹木さんが別の切り口で語る「シミュレーショニズム」を一冊で読むことが出来ることが特徴だろう。
一読後の印象は、第一章の語り口はわかりやすく、オリジナル部分は難解であるがピーキーでスピーディな論理展開が楽しめる。おそらくこのオリジナル部分のとんがった部分、びっくりするようなストーリー展開が多くの若いアーチストの心をひきつけて離さなかったのではないかな、などと考えながら一気に読了。
シミュレーショニズムをサンプリング、カットアップ、リミックスの3つキーワードから説明し、そのアート構築のプロセスが、エイズ・ウイルスが寄生する生命体を破壊する戦略をシミュレーションするものだと、とするストーリー展開は圧巻。日本の美術評論の一つのピークを示すものであり、今読んでも引き込まれる内容。ボードリアールの「シミュラークルとシミュレーション」を再読したくなってきた。
元々は美術手帳に椹木さんが執筆されていた記事をまとめ、1991年に出版されたもの。引用やコピーなどを特徴とする80年代、90年代の美術ムーブメント「シミュレーショニズム」を、同時代の音楽の見られるサンプリングなどの手法や傾向を引用しつつ、理論的に擁護する名著。90年代の日本の若手アーチストを支える理論書になると同時に、椹木さんをこの一作でスターダムへと押し上げた仕事だ。ネタ本とは言わないまでも、東浩紀さんの「動物化するポストモダン」(2001年)に多大な影響を与えた一冊なのではなかろうか?
今回手に取ったものは、2001年に講義形式で「シミュレーショニズム」のアウトラインを語る第一章が加えられたもので、椹木さんが別の切り口で語る「シミュレーショニズム」を一冊で読むことが出来ることが特徴だろう。
一読後の印象は、第一章の語り口はわかりやすく、オリジナル部分は難解であるがピーキーでスピーディな論理展開が楽しめる。おそらくこのオリジナル部分のとんがった部分、びっくりするようなストーリー展開が多くの若いアーチストの心をひきつけて離さなかったのではないかな、などと考えながら一気に読了。
シミュレーショニズムをサンプリング、カットアップ、リミックスの3つキーワードから説明し、そのアート構築のプロセスが、エイズ・ウイルスが寄生する生命体を破壊する戦略をシミュレーションするものだと、とするストーリー展開は圧巻。日本の美術評論の一つのピークを示すものであり、今読んでも引き込まれる内容。ボードリアールの「シミュラークルとシミュレーション」を再読したくなってきた。
2019年11月3日に日本でレビュー済み
ビジネスへの応用の観点から読んだ。目からうろこの観点があり、大変学びが多かった。
イノベーションの本質を音楽・アート的な観点から説明している。
たとえば、AIの精度は「アルゴリズム×データ(量×質)」で決まる。新しい価値を創造するAIも元データなくしては、何も生まれない。だから僕たちは、常に新しい情報を入手し、解釈し、リミックスした作品(ビジネス)を生む。
また、僕はアートに興味はないが、ハウスは大好き。ハウスの歴史を時系列でまとまっており、大変面白かった。
イノベーションの本質を音楽・アート的な観点から説明している。
たとえば、AIの精度は「アルゴリズム×データ(量×質)」で決まる。新しい価値を創造するAIも元データなくしては、何も生まれない。だから僕たちは、常に新しい情報を入手し、解釈し、リミックスした作品(ビジネス)を生む。
また、僕はアートに興味はないが、ハウスは大好き。ハウスの歴史を時系列でまとまっており、大変面白かった。
2010年7月14日に日本でレビュー済み
美術史と美術批評とキュレーション、三者の緊張をはらんだ関係について考えさせてくれるのが、その3つの領域を横断している椹木野衣その人ではないだろうか。
椹木は、あえていうならば美術批評から出発した人である。その後、1992年のレントゲン藝術研究所の誕生に伴ってキュレーターとしての仕事が始まり、「アノーマリー」展、「日本ゼロ年」展、「EXPOSE2002」展など、その時代時代の熱気をパッケージしたような展覧会の数々を手がけている。
そして、キュレーションとしての仕事の狭間にあって「真に批評的な自己の再確認を通じてしか書くことはありえない」と感じた彼は、戦後日本美術史の分析に着手する。美術史家としての彼の仕事は、『 日本・現代・美術 』や『 戦争と万博 』などの著書に結実している(このあたりの彼自身の活動の歴史は『 美術になにが起こったか―1992‐2006 』に詳しい)。
本書『シミュレーショニズム』は、彼の初期の美術批評家としての仕事であり、その後2度にわたり文庫化もされている。こういう言い方は変だが、時代に寄り添うジャーナリズムとしての美術批評にしてはやけに「ロングセラー」でもある。しかしおそらく本書が読み継がれているのにはそれなり理由がある。混迷を深める1990年代の美術界を読み解くための新たな文脈を提示し、80年代までの歴史を踏まえながらそれを「シミュレーショニズム」という何ともキャッチーなフレーズで一刀両断に道筋をつけてみせたのが本書だったのだ。その意味で本書は美術批評家としての仕事でありながらきわめて「美術史」的である。ただ目の前で動いている”コンテンポラリー・アート”を対象にしていたがゆえに「美術批評」と呼ばれたにすぎない。そして彼は、もうひとつの側面であるキュレーションの仕事を通じてその美術史/批評をたえず現実の美術界にフィードバックし続けているのである。
椹木は、あえていうならば美術批評から出発した人である。その後、1992年のレントゲン藝術研究所の誕生に伴ってキュレーターとしての仕事が始まり、「アノーマリー」展、「日本ゼロ年」展、「EXPOSE2002」展など、その時代時代の熱気をパッケージしたような展覧会の数々を手がけている。
そして、キュレーションとしての仕事の狭間にあって「真に批評的な自己の再確認を通じてしか書くことはありえない」と感じた彼は、戦後日本美術史の分析に着手する。美術史家としての彼の仕事は、『 日本・現代・美術 』や『 戦争と万博 』などの著書に結実している(このあたりの彼自身の活動の歴史は『 美術になにが起こったか―1992‐2006 』に詳しい)。
本書『シミュレーショニズム』は、彼の初期の美術批評家としての仕事であり、その後2度にわたり文庫化もされている。こういう言い方は変だが、時代に寄り添うジャーナリズムとしての美術批評にしてはやけに「ロングセラー」でもある。しかしおそらく本書が読み継がれているのにはそれなり理由がある。混迷を深める1990年代の美術界を読み解くための新たな文脈を提示し、80年代までの歴史を踏まえながらそれを「シミュレーショニズム」という何ともキャッチーなフレーズで一刀両断に道筋をつけてみせたのが本書だったのだ。その意味で本書は美術批評家としての仕事でありながらきわめて「美術史」的である。ただ目の前で動いている”コンテンポラリー・アート”を対象にしていたがゆえに「美術批評」と呼ばれたにすぎない。そして彼は、もうひとつの側面であるキュレーションの仕事を通じてその美術史/批評をたえず現実の美術界にフィードバックし続けているのである。
2017年5月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
美術用語を使うのに
一般的でない言葉を使うのは
まだ分かるが
いちいち誰も使わないようなカタカナ英語を多用されて
読みにくいしイライラさせられる
ひどいのになると検索しても出てこないような言葉を使っている
現代美術の世界に批評家が必要なのは分かるが
伝えるという基本的なことができていない表現が多い
巻末では作者自身がそのことを自覚も反省もできていない
ハウスミュージックに関しては
趣味的な捉え方しかできていない
シミュレーショニズム 講義篇はまだよかったので
星二つ
一般的でない言葉を使うのは
まだ分かるが
いちいち誰も使わないようなカタカナ英語を多用されて
読みにくいしイライラさせられる
ひどいのになると検索しても出てこないような言葉を使っている
現代美術の世界に批評家が必要なのは分かるが
伝えるという基本的なことができていない表現が多い
巻末では作者自身がそのことを自覚も反省もできていない
ハウスミュージックに関しては
趣味的な捉え方しかできていない
シミュレーショニズム 講義篇はまだよかったので
星二つ