この本自体はさほど重要ではなく、次の「死と狂気」1991 だけ読んで良いと思う。
しかしこの本がなければ当然ながら市村弘正氏の書評(「精神の現在形」(「名付け」の精神史)所収)は書かれず、この書評に触発された、現代日本で最重要の思想書「死と狂気」も書かれなかっただろう。
しかもというか、「精神の現在形」は市村さんのベストかもしれない。
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知覚の呪縛: 病理学的考察 (ちくま学芸文庫 ワ 8-1) 文庫 – 2002/2/1
渡辺 哲夫
(著)
- 本の長さ235ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2002/2/1
- ISBN-104480086803
- ISBN-13978-4480086808
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2002/2/1)
- 発売日 : 2002/2/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 235ページ
- ISBN-10 : 4480086803
- ISBN-13 : 978-4480086808
- Amazon 売れ筋ランキング: - 752,480位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2002年6月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
田口ランディさんが文庫版の解説をしていたり、小説中に触れられているということで、この本に出会いました。
著者・渡辺氏の患者である女性、Sさんの症例を通して、まことに不可解な「没落した世界」の有り様を探っていきます。Sさんにとっては自分の世界は「ワラ地球」で、主治医の渡辺さんも「ワラ人間」。そして本当の(?)世界である「オトチ」と、その手がかりたる「オタカラ」を求めて今日も「トグロ巻き」をします。
Sさん本人も、その治癒を目指す渡辺さんも、そして本書を読む私も、まるでカフカの世界です。
実際の話ですから、劇的な結論を期待してはいけないのですが、最初の章から思わず引き込まれ、夢中で読み進めてしまいました。
ただ、文体が「精神医が論文」なので、読みやすいとは言えません。やたら注があるけど注を見ても疑問が解けるわけでもなし。
それと価格が高いのが難点。でも、貴重な著書を、多くの人の努力で文庫化したのでしょうね。そのことに感謝したいと思います。
著者・渡辺氏の患者である女性、Sさんの症例を通して、まことに不可解な「没落した世界」の有り様を探っていきます。Sさんにとっては自分の世界は「ワラ地球」で、主治医の渡辺さんも「ワラ人間」。そして本当の(?)世界である「オトチ」と、その手がかりたる「オタカラ」を求めて今日も「トグロ巻き」をします。
Sさん本人も、その治癒を目指す渡辺さんも、そして本書を読む私も、まるでカフカの世界です。
実際の話ですから、劇的な結論を期待してはいけないのですが、最初の章から思わず引き込まれ、夢中で読み進めてしまいました。
ただ、文体が「精神医が論文」なので、読みやすいとは言えません。やたら注があるけど注を見ても疑問が解けるわけでもなし。
それと価格が高いのが難点。でも、貴重な著書を、多くの人の努力で文庫化したのでしょうね。そのことに感謝したいと思います。
2021年2月17日に日本でレビュー済み
’02年に邦語の呼称が「精神分裂病」から「統合失調症」に変わった疾病の罹患者についての記録は、セシュエー『分裂病の少女の手記』、笠原嘉『ユキの日記』をはじめ、決して少なくない。しかし精神科医である本書著者の、「S(著者の中年の女性患者)のような分裂病者がこれほどまで詳細に報告されるのは極めて稀である。ましてやこのような病者との真の交流の試みの記述など、私の知る限り皆無と言ってよいだろう」、という述懐に偽りはない。傍目にはとめどなく錯綜し混沌とした事態を、10年の歳月をかけて丹念に解きほぐし、ロジックを見極めんとする著者の才能と手腕に瞠目した。デリダの引用、ラカンへの言及もあるが、著者の思惟を主導しているのは大森荘蔵の「立ち現われ論」であり、カフカからの引用が読者の理解を助けている。
いま現在に局限されている「知覚的立ち現われ」は、知覚不可能な過去や未来の事象、いま現在は目に映っていない事象などから成る「思い的立ち現われ」に充填されることによって、われわれを囲む森羅万象の存在を告知している。事象をありありと現前させているのはあくまで「知覚的立ち現われ」であり、「思い的立ち現われ」には事象の実体性は伴っていない。
ところが、患者Sの世界では、いま現在の知覚がいわば非生命化されていて、他人や他所は消去され、その結果というべきか、それと裏腹にというべきか、思い的立ち現われが実体化されて途方もない幻想世界が現出している。著者はSの思い的立ち現われの本質を「死の欲動」と推察して、現れている幻想世界はその破壊衝動の産物であると結論する。根深い「死の欲動」が、一切を無機物化して実体的思いとして保持しようとしている、というのである。書名が意味するのは、非有機化された現在知覚によりもたらされた生命体の呪縛状態、ということであろう。
著者の高度に抽象的な思考を支えているのは、あくまで日々患者と向き合い続ける姿勢であり、患者の円環運動の症状を考えるために遊園地に赴いたり、通勤用自家用車の駐車の方向まで配慮したりすることには驚いた。10年目にして一縷の光明が射しかけるところで本書は閉じられるが、その後の推移は如何様だったのか。
いま現在に局限されている「知覚的立ち現われ」は、知覚不可能な過去や未来の事象、いま現在は目に映っていない事象などから成る「思い的立ち現われ」に充填されることによって、われわれを囲む森羅万象の存在を告知している。事象をありありと現前させているのはあくまで「知覚的立ち現われ」であり、「思い的立ち現われ」には事象の実体性は伴っていない。
ところが、患者Sの世界では、いま現在の知覚がいわば非生命化されていて、他人や他所は消去され、その結果というべきか、それと裏腹にというべきか、思い的立ち現われが実体化されて途方もない幻想世界が現出している。著者はSの思い的立ち現われの本質を「死の欲動」と推察して、現れている幻想世界はその破壊衝動の産物であると結論する。根深い「死の欲動」が、一切を無機物化して実体的思いとして保持しようとしている、というのである。書名が意味するのは、非有機化された現在知覚によりもたらされた生命体の呪縛状態、ということであろう。
著者の高度に抽象的な思考を支えているのは、あくまで日々患者と向き合い続ける姿勢であり、患者の円環運動の症状を考えるために遊園地に赴いたり、通勤用自家用車の駐車の方向まで配慮したりすることには驚いた。10年目にして一縷の光明が射しかけるところで本書は閉じられるが、その後の推移は如何様だったのか。
2002年2月19日に日本でレビュー済み
一般の常識や物の見方というものが、自分自身の価値観や物の見方よりも正しいのか。 何が本当にいい物の見方なのか。その見方は自分自身にとってもいいものなのか。という 基本的な考え方を考え直させられるきっかけになるのではないでしょうか。 どうしても理解できない人を近くに抱えている人や、閉じこもり、自閉症など一般的に心の病とされるような方と接する機会のある方にはぜひ読んで頂きたい本です。 一般的な考え方から見て、相手を変えようとするのではなく。お互いに理解しあう事の重要性を 私は教えられました。
2002年5月27日に日本でレビュー済み
本書では、ある精神分裂病患者との対話を通じて、精神分裂病という言葉の定義について考えていくものである。その中で、精神科医の著者は患者が発する「オトチ」や「ワラ」について考え、自分なりに解釈していく。その過程が、まるでドラマのようで、読んでいる私を惹きつける。
著者は患者をある対象として、「外部から」診断するのではなく、患者の世界に自分から飛び込み対話する手法をとっている。そのため、読者である私にとっても、精神分裂病が少しではあるが、実感できるものになった。私自身は精神科医でもなんでもない一大学生ではあるが、著者と同様に精神分裂病という言葉に惹かれてしまった。
著者は患者をある対象として、「外部から」診断するのではなく、患者の世界に自分から飛び込み対話する手法をとっている。そのため、読者である私にとっても、精神分裂病が少しではあるが、実感できるものになった。私自身は精神科医でもなんでもない一大学生ではあるが、著者と同様に精神分裂病という言葉に惹かれてしまった。
2004年6月22日に日本でレビュー済み
評者は著者を「シュレーバー回想録」の翻訳者としてしか知らなかった。期待して読んだのだが、期待は無残に打ち砕かれた。
本書の中で逆転移の危険性について、著者自身記述しているが、全体の文脈においてはむしろ自分の禁欲原則に反する行為を正当化、英雄化する意味あいになってしまっている。
もし、同様の内容を学会報告でしようものなら、直ちにフロアから「あなたは分析治療の場を自らのナルシシズムを充たす場として利用されていますね?」と手厳しい批判を受けるであろうことは必定である。
本書を読んで感動する人があるとすれば、それは余程ナイーブな人であると言わざるをえない。そのような人はナルシシズム共同体の確立が分析治療の目的であるとする、理論的誤りに導かれてしまっているのだ。
本書によって新たな誤解が拡大再生産されることが憂慮される。
但し、唯一の救いはむしろ患者の側にある。本症例の患者は見事に治療者の側からの逆転移を拒むのだ。評者はこのような患者にこそなりたいと思う。
本書の中で逆転移の危険性について、著者自身記述しているが、全体の文脈においてはむしろ自分の禁欲原則に反する行為を正当化、英雄化する意味あいになってしまっている。
もし、同様の内容を学会報告でしようものなら、直ちにフロアから「あなたは分析治療の場を自らのナルシシズムを充たす場として利用されていますね?」と手厳しい批判を受けるであろうことは必定である。
本書を読んで感動する人があるとすれば、それは余程ナイーブな人であると言わざるをえない。そのような人はナルシシズム共同体の確立が分析治療の目的であるとする、理論的誤りに導かれてしまっているのだ。
本書によって新たな誤解が拡大再生産されることが憂慮される。
但し、唯一の救いはむしろ患者の側にある。本症例の患者は見事に治療者の側からの逆転移を拒むのだ。評者はこのような患者にこそなりたいと思う。
2002年6月30日に日本でレビュー済み
Sさんの知覚領域は全てワラ、すなわち偽物でできている。しかし、そのワラの中心にいるはずのSさんは、いない。Sさん自信により消去されているのだ。自分の対象となる、鏡となる他者が消去されてしまったとき、それと同時に自己も消去されてしまう。このことは、自己とは何かという問題を突きつける。そのようなSさんの世界に渡辺医師は溶け込もうとし、治療しようとする。この本の解説でランディさんは警鐘を鳴らす。現在のこの情報の氾濫、コンピュータを等してのみのコミュニケーション、情報の交換取得、それらはすなわち、ワラなのではないかと。実体験の伴わないワラが増殖しているのではないかと。