バシュラール詩学の集大成的な「夢想の詩学」。
「火の精神分析」からここまで、
四大元素を中心媒体とする詩的夢想の諸相に切り込み
分析するバシュラールの生き生きとした方法論の変遷を
あらためて振り返る機会となりました。
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夢想の詩学 (ちくま学芸文庫) 文庫 – 2004/12/9
ガストン・バシュラール
(著),
及川 馥
(翻訳)
- 本の長さ413ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2004/12/9
- ISBN-104480088911
- ISBN-13978-4480088918
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2004/12/9)
- 発売日 : 2004/12/9
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 413ページ
- ISBN-10 : 4480088911
- ISBN-13 : 978-4480088918
- Amazon 売れ筋ランキング: - 883,410位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 667位フランス・オランダの思想
- - 1,225位文学理論
- - 1,658位西洋哲学入門
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2013年2月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
バシュラールの「空間の詩学」に続いて読みたくなった本。題名も本の外装も内容も好きでした。
2008年3月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本語には日本語の美質があり、フランス語にはフランス語の美質がある。
この本で用いられている日本語はまことにしっとりとしてこなれたもの、翻訳の及川氏の
仕事ぶりは疑いなく見事だ。
しかし、言語の間に横たわる壁など、どうあがいても乗り越えようがない。各々が各々の
体系を持ち、背景を持つ。ことばというのはそういうものだ。ましてや本書は詩を取り扱う
のだから、要求されるデリカシーはなおさらのこと。
無論、及川氏はその点においても極めて鋭敏、テキストの中に原文を混ぜ込んだり、原語を
添えたり、と最大限の配慮はなされてはいる。
しかし、仏語の独特の感性を訳すことなど出来ない。それは仏語に限らず、どの言語に
おいても同じこと。
このテキストを読み解くために要求されるのも、おそらくはそうした感性。
仏語に一定程度の嗜みのない方、名詞が性を持つという感覚になじみのない方、仏語の
語感をあまりお知りでない方は、残念ながら、この本を読んでももうひとつ理解しきれない
ことだろう。
内容に関しては、冒頭から「意識化prise de conscience」などという現象学の用語が出て
きて面食らうことがあるかもしれないが、とりたててその手の知識がないからといって
読むのに難儀することもないだろう。要は詩における性差、フランス語における性差の
イメージをどれほどまでに楽しめるか、という問題。
正直なところ、学問的達成は特に何もないし、「序」における仰々しいまでの意気込みに
反しはするが、本人にもはじめからそのつもりなどなかったのだろう。
やや悪い言い方をすれば、詩に対する個人的な感想の垂れ流し以上の何かをしているわけ
でもない。例えばユンクのアニマ・アニムスの議論も少なからぬ勘違いをしているようだし、
そもそもこれに関するユンクの議論の妥当性も今日となってははなはだ疑問。
ただし、そうはいっても、なぜか面白くはある。
ある面それも当然のこと。豊かなフランス語の詩の宝庫、それだけでそうそうつまらない
本に仕上がるはずもない。バシュラールとともに「夢想」の世界に浸ろうというのであれば、
たぶんそれ相応に愉しめる一冊ではあると思う。
この本で用いられている日本語はまことにしっとりとしてこなれたもの、翻訳の及川氏の
仕事ぶりは疑いなく見事だ。
しかし、言語の間に横たわる壁など、どうあがいても乗り越えようがない。各々が各々の
体系を持ち、背景を持つ。ことばというのはそういうものだ。ましてや本書は詩を取り扱う
のだから、要求されるデリカシーはなおさらのこと。
無論、及川氏はその点においても極めて鋭敏、テキストの中に原文を混ぜ込んだり、原語を
添えたり、と最大限の配慮はなされてはいる。
しかし、仏語の独特の感性を訳すことなど出来ない。それは仏語に限らず、どの言語に
おいても同じこと。
このテキストを読み解くために要求されるのも、おそらくはそうした感性。
仏語に一定程度の嗜みのない方、名詞が性を持つという感覚になじみのない方、仏語の
語感をあまりお知りでない方は、残念ながら、この本を読んでももうひとつ理解しきれない
ことだろう。
内容に関しては、冒頭から「意識化prise de conscience」などという現象学の用語が出て
きて面食らうことがあるかもしれないが、とりたててその手の知識がないからといって
読むのに難儀することもないだろう。要は詩における性差、フランス語における性差の
イメージをどれほどまでに楽しめるか、という問題。
正直なところ、学問的達成は特に何もないし、「序」における仰々しいまでの意気込みに
反しはするが、本人にもはじめからそのつもりなどなかったのだろう。
やや悪い言い方をすれば、詩に対する個人的な感想の垂れ流し以上の何かをしているわけ
でもない。例えばユンクのアニマ・アニムスの議論も少なからぬ勘違いをしているようだし、
そもそもこれに関するユンクの議論の妥当性も今日となってははなはだ疑問。
ただし、そうはいっても、なぜか面白くはある。
ある面それも当然のこと。豊かなフランス語の詩の宝庫、それだけでそうそうつまらない
本に仕上がるはずもない。バシュラールとともに「夢想」の世界に浸ろうというのであれば、
たぶんそれ相応に愉しめる一冊ではあると思う。
2017年5月21日に日本でレビュー済み
人々の夢想を、現象学的に分析する、というバシュラールらしいユニークな試み。
バシュラールによれば、夢想とは、詩や小説になる以前の状態であるという。
子供時代への回想、言葉から生まれる夢想、宇宙への夢想などが取り上げられる。
この本を読んで、プルーストの失われた時を求めて、を連想した。
バシュラールによれば、夢想とは、詩や小説になる以前の状態であるという。
子供時代への回想、言葉から生まれる夢想、宇宙への夢想などが取り上げられる。
この本を読んで、プルーストの失われた時を求めて、を連想した。