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日本近代美術史論 (ちくま学芸文庫 タ 6-3) 文庫 – 2006/6/1
高階 秀爾
(著)
- 本の長さ458ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2006/6/1
- ISBN-104480089896
- ISBN-13978-4480089892
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2006/6/1)
- 発売日 : 2006/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 458ページ
- ISBN-10 : 4480089896
- ISBN-13 : 978-4480089892
- Amazon 売れ筋ランキング: - 717,311位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年10月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
取り上げた人達は、有名な人ばかりですが、当時の社会背景から評価まで一般には知られていないことまで、過不足なく知ることができて、勉強になります。
2013年2月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最初に高橋油一の「花魁」への違和感提議から始まる。
著者自身の疑問に思ったこと、どこか腑に落ちないでいたことを問題提議する。のちに素人にも分かりやすい解説が続く。
66歳にしてこのように整理整頓出来ている高階ワールドにはまり「世紀末美術」「20世紀美術」も購入した。
著者自身の疑問に思ったこと、どこか腑に落ちないでいたことを問題提議する。のちに素人にも分かりやすい解説が続く。
66歳にしてこのように整理整頓出来ている高階ワールドにはまり「世紀末美術」「20世紀美術」も購入した。
2014年2月5日に日本でレビュー済み
日本で最も有名な美術評論家による、日本近代美術史論。
長く西洋美術館館長を務めていたせいか、西洋美術の専門家、と考えていたが、いい意味で、裏切られた。
近代の日本絵画は、日本美術院の絵画につきる、と言い切る高階。
しかし、この本では、高橋由一、黒田清輝、青木保など、美術院以外の画家も論じている。
というより、岡倉天心、横山大観、菱田春草らを論じた文章より、高橋らを論じた部分の方が面白いのは皮肉だ。
当たり障りのない、画家の紹介ではなく、批判的な視点から論じている本書は、とにかく読み応えがある。
長く西洋美術館館長を務めていたせいか、西洋美術の専門家、と考えていたが、いい意味で、裏切られた。
近代の日本絵画は、日本美術院の絵画につきる、と言い切る高階。
しかし、この本では、高橋由一、黒田清輝、青木保など、美術院以外の画家も論じている。
というより、岡倉天心、横山大観、菱田春草らを論じた文章より、高橋らを論じた部分の方が面白いのは皮肉だ。
当たり障りのない、画家の紹介ではなく、批判的な視点から論じている本書は、とにかく読み応えがある。
2017年2月4日に日本でレビュー済み
高階秀爾は著名な西洋美術史家であり、深い学識に裏打ちされた明晰な解説と鑑賞眼には定評があるが、誤解を恐れずに言えば、専門の西洋美術より、明治以降の「洋画」を含めた日本美術を論じたものの方が断然面白く、中でも本書は屈指の出来だと思う。高階は西洋美術の様々な技法や様式の正確な理解も然ること乍ら、それ以上に、そうした技法や様式を模索してきた画家の感受性や思想、そしてそれらを否応もなく規定する歴史的・文化的伝統に対して優れた嗅覚を持っている。だからこそ異なる伝統の接触がもたらす創造的作用だけでなく、画家が意識すると否とに関わらず、そこに孕まれる「ねじれ」や葛藤に自覚的であり得たのだと思う。
洋画のパイオニア高橋由一を論じた巻頭論文には、そうした高階の鋭い感性がよく表れている。傑作『花魁』や『鮭』で、由一は油彩画の手法を取り入れて西洋的な「写実」を追求したが、その表現を支える感受性は意外にも日本的であった。それがむしろ作品に迫真のリアリティを与えていたという指摘は極めて興味深い。表現手段と感受性が拮抗しながらも統一を保っていたのだ。ところが由一が本場の油絵に接するようになってからは、その緊張感が失われ平凡になってしまったという。表現手段が感受性から遊離して一人歩きし始めた。自らの感受性の根と切断した様式の流入に翻弄された近代日本美術の宿命の一端がここにある。
西洋から影響を受けたのは日本画も同じだ。洋画を排斥し、伝統美術の再興を企図したフェノロサや天心からしてそうだ。彼らが目指したのは日本美術の国際化であり、そのために伝統の中から西洋にも通用する古典主義的要素を掘り起こそうとした。その意味ではあくまで西洋の眼で日本美術を観ていた。だからフェノロサや天心に学んだ大観や春草が、西洋的な色彩や構図、そして画題に意欲的だったのも不思議ではない。洋画では高橋由一の次の世代の黒田清輝が西洋絵画を徹底的に学びながら、日本的な精神風土の中で変質していった。高階が指摘するように、明治期には洋画よりむしろ日本画の方に西洋の絵画理念が深く浸透していたというのは皮肉である。
洋画のパイオニア高橋由一を論じた巻頭論文には、そうした高階の鋭い感性がよく表れている。傑作『花魁』や『鮭』で、由一は油彩画の手法を取り入れて西洋的な「写実」を追求したが、その表現を支える感受性は意外にも日本的であった。それがむしろ作品に迫真のリアリティを与えていたという指摘は極めて興味深い。表現手段と感受性が拮抗しながらも統一を保っていたのだ。ところが由一が本場の油絵に接するようになってからは、その緊張感が失われ平凡になってしまったという。表現手段が感受性から遊離して一人歩きし始めた。自らの感受性の根と切断した様式の流入に翻弄された近代日本美術の宿命の一端がここにある。
西洋から影響を受けたのは日本画も同じだ。洋画を排斥し、伝統美術の再興を企図したフェノロサや天心からしてそうだ。彼らが目指したのは日本美術の国際化であり、そのために伝統の中から西洋にも通用する古典主義的要素を掘り起こそうとした。その意味ではあくまで西洋の眼で日本美術を観ていた。だからフェノロサや天心に学んだ大観や春草が、西洋的な色彩や構図、そして画題に意欲的だったのも不思議ではない。洋画では高橋由一の次の世代の黒田清輝が西洋絵画を徹底的に学びながら、日本的な精神風土の中で変質していった。高階が指摘するように、明治期には洋画よりむしろ日本画の方に西洋の絵画理念が深く浸透していたというのは皮肉である。
2011年8月15日に日本でレビュー済み
芸術論、美術批評本によく有りがちな年譜、事象、人名の羅列のみの
味気の無い本とは違い、高階秀爾の豊かな見識と一人一人の画家達が
激動の明治期に、洋行した者、しない者関わりなく、いかに西洋と対比し
生き抜き芸術に落とし込んだかが感じられる著作である。
特に黒田清輝や岸田劉生という日本洋画界をリードした人達に対し、手離しで評価するのではなく、
歴史上の意義とそれぞれ役割を詳やかにしたうえで、どこまで彼らが到達でき、さらに今後の洋画界に
必要とされる潮流は何かを想像させる内容となっている。
現在、ブリジストン美術館で、青木繁展をやっているが、この短命天才の画家に関しても、
黒田清輝との性質上の違い絵画上にどう表れているかを見てとれた。近代美術の導き本としては最適である。
一人の画家と比べ、歴史上の文化的背景と結びつけ、更に個としてその画家が何を描きたかったか、
何に到達したかが重要となる。
洋画のみならず、日本画も同時期比較し、歴史も鳥瞰出来る美術歴史本としてお勧めである。
味気の無い本とは違い、高階秀爾の豊かな見識と一人一人の画家達が
激動の明治期に、洋行した者、しない者関わりなく、いかに西洋と対比し
生き抜き芸術に落とし込んだかが感じられる著作である。
特に黒田清輝や岸田劉生という日本洋画界をリードした人達に対し、手離しで評価するのではなく、
歴史上の意義とそれぞれ役割を詳やかにしたうえで、どこまで彼らが到達でき、さらに今後の洋画界に
必要とされる潮流は何かを想像させる内容となっている。
現在、ブリジストン美術館で、青木繁展をやっているが、この短命天才の画家に関しても、
黒田清輝との性質上の違い絵画上にどう表れているかを見てとれた。近代美術の導き本としては最適である。
一人の画家と比べ、歴史上の文化的背景と結びつけ、更に個としてその画家が何を描きたかったか、
何に到達したかが重要となる。
洋画のみならず、日本画も同時期比較し、歴史も鳥瞰出来る美術歴史本としてお勧めである。
2010年10月2日に日本でレビュー済み
ストレートなタイトルですが、この本は昭和42〜44年にかけて「季刊芸術」に高階氏が連載した
論考集。ここでとりあげられているのは、高橋由一、黒田清輝、青木繁、狩野芳崖、フェノロサ、岡倉天心、
横山大観、菱田春草、富岡鉄斎、藤島武二、山本芳翠。明治期に確固たる足跡を残した画家や美術史家
についての文章です。
といって、ただのコンパクトな略歴集かというと、全く違います。もちろん濃度の濃淡はありますが、
ある代表的な作品と作家論で、とても読み応えがあります。代表的な作品をとりあげているので
興味をもてるし、何より読みやすい。初級者用の本かというとそうではなく、専門的かつ鮮やかな
論考で、徹底して実証的に論じているところがさすがです。
また、いまから40年前!に書かれた本ではありますが、今でも古びない内容ですし、
再刊するたびに参考文献を新しく付け加えており、文庫とは思えないほどの充実度です。
日本近代美術に関心のある方にとっては必読の書です。
論考集。ここでとりあげられているのは、高橋由一、黒田清輝、青木繁、狩野芳崖、フェノロサ、岡倉天心、
横山大観、菱田春草、富岡鉄斎、藤島武二、山本芳翠。明治期に確固たる足跡を残した画家や美術史家
についての文章です。
といって、ただのコンパクトな略歴集かというと、全く違います。もちろん濃度の濃淡はありますが、
ある代表的な作品と作家論で、とても読み応えがあります。代表的な作品をとりあげているので
興味をもてるし、何より読みやすい。初級者用の本かというとそうではなく、専門的かつ鮮やかな
論考で、徹底して実証的に論じているところがさすがです。
また、いまから40年前!に書かれた本ではありますが、今でも古びない内容ですし、
再刊するたびに参考文献を新しく付け加えており、文庫とは思えないほどの充実度です。
日本近代美術に関心のある方にとっては必読の書です。
2007年8月24日に日本でレビュー済み
近代日本史を語る時に開国による西洋文明の受け入れと、反面、日本の伝統への回帰が、大きなテーマであったと思います。絵画の分野においても、同じような西洋文明の受け入れと伝統的な日本画への回帰が大きなテーマであったことが分かる本です。新開地横浜で育ち、英語で教育を受け、最も西洋人を理解していた岡倉天心が日本画をはじめとする日本の伝統美術に価値を見出したことは、個人の心中に発生したドラマですが、もし、岡倉天心が日本の伝統美術を発見し評価しなければ、美術の分野において、日本人の誇りは失われていたと思えば大きなドラマだったといえるでしょう。今の東京芸大の前身の東京芸術学校の初代校長として、明治二十年代に、洋画ではなく、日本画を授業の中心に置き、横山大観や菱田春草など多くの日本画家を育て上げた影響力は計り知れません。渡航先のアメリカで人種差別を受け、黄色い猿(モンキー)と言われた時に、そう言うお前はヤンキーかドンキー(ロバ)かと言い返した、骨のある日本人が戦後、右翼の一員であるかのように言われたことは残念なことです。東京芸術学校を追われた岡倉天心が庵を編んで、天心を慕う画家たちと芸術三昧に暮らした、茨城県の五浦に行ってみたくなりました。
2008年12月3日に日本でレビュー済み
狩野派、琳派、に連なる日本画から明治維新後の近代絵画へどう展開して行くのか
昔から不思議に思っていましたが、高階秀爾氏の緻密な分析が理解の助けとなりま
した。まだ日本の近代美術が注目されていなかった昭和47年に出版された本書は
高橋由一、黒田清輝、青木茂から山本芳翠まで12名の代表的な絵と解説が楽しめます。
昔から不思議に思っていましたが、高階秀爾氏の緻密な分析が理解の助けとなりま
した。まだ日本の近代美術が注目されていなかった昭和47年に出版された本書は
高橋由一、黒田清輝、青木茂から山本芳翠まで12名の代表的な絵と解説が楽しめます。