ラカンを理解するのはどうしてこうもむずかしいのだろう。
ラカンを一つの思想として理解できるとすれば、それは意識の領域に属するものとなりり、一つの集合を設定するのと同じとなる。
しかし精神分析が無意識を扱うのであれば、集合の外側(否定)、ジジェクの言い方なら仮想化しきれない残余に目を向けることであり、思想に要求される無矛盾性や完全性に対して精神分析には矛盾や不完全性や不可能性を扱うことを要請せざるえない。
自我心理学が提示するものがユートピアありイデオロギーだというのであれば、精神分析を構築するには、否定、矛盾、不完全性、不可能性を廻って用語を定義せざるえないだろう。
例えば「要求は常に、誰か別の者にとっての不可能性として、他者が主体に与えることのない何かとしてもたらされる。」と定義されている。
ラカンのわかりにくさは、思想やイデオロギーがもたらす直接性や簡明性といった欺瞞(自我がやっている)を避けようとする試みからなのだろう。
この本で始めて、そういった感覚がつかめたように思えた。
しかし、この本だけでなくラカンの全体像をつかむのはむずかしいだろう。
否定や残余を集めて全体性がつかめるなんて考えること自体、不可能を廻る幻想だろう。どんなに定義しても、もれるものは出てくるのだから。
無意識を扱うことの困難さを教えてくれるという意味で良い本でした。

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ラカン (ちくま学芸文庫 ヒ 4-3) 文庫 – 2007/2/1
- 本の長さ255ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2007/2/1
- ISBN-104480090142
- ISBN-13978-4480090140
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2007/2/1)
- 発売日 : 2007/2/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 255ページ
- ISBN-10 : 4480090142
- ISBN-13 : 978-4480090140
- Amazon 売れ筋ランキング: - 516,950位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,670位ちくま学芸文庫
- - 2,329位臨床心理学・精神分析
- - 7,970位心理学入門
- カスタマーレビュー:
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2015年12月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
もちろん、この本でラカンを知った気になってはいけない、でも基本はこの本で書かれていると思う、
たぶんこの本をきっかけにラカンへの興味が強まると思う。
現実界、象徴界、想像界とかは大体この本で概要はわかるので、これからはもっと本格的な著作を読みたくなる、
ただしこの本を書店で見かけることはないので、それが大問題ではあるが
たぶんこの本をきっかけにラカンへの興味が強まると思う。
現実界、象徴界、想像界とかは大体この本で概要はわかるので、これからはもっと本格的な著作を読みたくなる、
ただしこの本を書店で見かけることはないので、それが大問題ではあるが
2014年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
フィリップ・ヒル「ラカン」では、極めて難解といわれるジャック・ラカンの思想と理論の成立と展開を、写真やイラストを多用して解説しています。横書き、255ページ。新宮一成氏、村田智子氏訳。著者はロンドンで開業している精神分析家。内容はー序章 精神分析とは何か? に始まり◇ラカンとは何者だったか?◇言語活動は精神分析とどのように関係しているか?◇語りえぬものとしての現実界について◇享楽と現実界、症状、幻覚、欲望の関係◇対象と主体◇4つの語らいについてのラカン理論◇精神の病理について、フロイトーラカンの概念あるいは健康や正常とは何であるのか、ないのか◇精神病◇女であるとはどういうことか?◇時間とトポロジー◇精神分析を受けたらどんな善いことがあるか?◇レビュー、以上の12章により構成されています。付録として「用語集(重要なものだけ)」「推薦図書」「ラカン年譜」「ビギナーズ・ガイドブック」「索引」「(訳者・新宮一成氏による)解説」を収録。入門書としては少々手強い部分もありますが、ラカン思想に近付くための重要な道しるべになってくれます。
2011年2月13日に日本でレビュー済み
とてもわかりやすい、ラカンの入門書。
イラストも豊富で、とても親しみやすいです。
ラカンの思想、ひいては、人間というものの無意識の世界の深みに思いを馳せると、畏怖の念を抱かずにはいられません。
以下、備忘録。
シニフィアンは主体を、別のシニフィアンに対して代表象する。
無意識は、まったく根源的に、1つの言語活動として構造化されている。
われわれ個人の生は、各々にとって現実であるものの周りに凝縮しており、その現実は、言うことの不可能なものである。そして、それぞれにとっての現実が象徴的に表れたものこそが、個人の症状なのであり、誰もが症状を持っているのだ。
現実界は常に回帰してくるものである…症状とは、抑圧されたものの回帰である。
欲望は常に、他者の欲望への欲望である。
それ(対象aや小文字の他者)は欲望の対象という論理的なものであると同時に、欲望の原因という因果論的なものでもある。
対象aは、主体に拾いあげられる限りでの他者の欲求や欲望である。
ラカンはフロイトの考えを用いながら、診断カテゴリや「精神の構造」を分類し、4つの異なる構造があるのだとした。すなわち、ヒステリー、強迫神経症、倒錯、精神病である。われわれの精神の構造は、このいずれかに支配されるというのがラカンの考えだ。
象徴的父の、文法規則のように固定されてゆく面が、父-の-名となるのである。
女というものは存在しない。(ファルス享楽を直接に研究することはできるが、それにひきかえファルス的でない享楽、女性享楽ときたら、まるで存在していることは分かるのに開けることのできぬ箱のよう。つまり、女のセクシュアリティにあるのは捕らえどころのなさだ)
性関係なんてものは存在しない。人は全体になることはできない。近代精神療法のもう1つの馬鹿げた前提は、"統合された人格"というやつだ。
本能の固定的意味は、言語活動の流動的意味によって取って代わられた。
「主体は分割されている」というのがラカン理論の根本だ。
精神分析の本来の特質は、症状にその意味を返してやり、症状が隠蔽している欲望に居場所を与えてやることにあった。
イラストも豊富で、とても親しみやすいです。
ラカンの思想、ひいては、人間というものの無意識の世界の深みに思いを馳せると、畏怖の念を抱かずにはいられません。
以下、備忘録。
シニフィアンは主体を、別のシニフィアンに対して代表象する。
無意識は、まったく根源的に、1つの言語活動として構造化されている。
われわれ個人の生は、各々にとって現実であるものの周りに凝縮しており、その現実は、言うことの不可能なものである。そして、それぞれにとっての現実が象徴的に表れたものこそが、個人の症状なのであり、誰もが症状を持っているのだ。
現実界は常に回帰してくるものである…症状とは、抑圧されたものの回帰である。
欲望は常に、他者の欲望への欲望である。
それ(対象aや小文字の他者)は欲望の対象という論理的なものであると同時に、欲望の原因という因果論的なものでもある。
対象aは、主体に拾いあげられる限りでの他者の欲求や欲望である。
ラカンはフロイトの考えを用いながら、診断カテゴリや「精神の構造」を分類し、4つの異なる構造があるのだとした。すなわち、ヒステリー、強迫神経症、倒錯、精神病である。われわれの精神の構造は、このいずれかに支配されるというのがラカンの考えだ。
象徴的父の、文法規則のように固定されてゆく面が、父-の-名となるのである。
女というものは存在しない。(ファルス享楽を直接に研究することはできるが、それにひきかえファルス的でない享楽、女性享楽ときたら、まるで存在していることは分かるのに開けることのできぬ箱のよう。つまり、女のセクシュアリティにあるのは捕らえどころのなさだ)
性関係なんてものは存在しない。人は全体になることはできない。近代精神療法のもう1つの馬鹿げた前提は、"統合された人格"というやつだ。
本能の固定的意味は、言語活動の流動的意味によって取って代わられた。
「主体は分割されている」というのがラカン理論の根本だ。
精神分析の本来の特質は、症状にその意味を返してやり、症状が隠蔽している欲望に居場所を与えてやることにあった。
2010年8月2日に日本でレビュー済み
ラカン思想は、フロイトに強固に依拠しており、また、時期による変遷が大きい。
だから、彼自身の著作のうち(セミネールを含む)何か一冊を読んで、それで見通しが一気に良くなるということもない。
強いていうなら、『精神分析の四基本概念』などが核になるのだろうが、それとて、素手で攻めてもなかなか苦しい。
私が本書を読んだのは、数冊入門書を読了した後にセミネールを仏語で読んでいた時です。
諸用語間の関係を頭の中にたたき込めていなかったが故に、話題について行けなかったり、見通しが利かない部分が多かったのですが、本書を読んだ後には、対概念や諸概念の関係が見えるようになって、シェママの『精神分析事典』なども有効に使用できるようになったと感じています。
ただし、これは入門書なのであって、そこから先に進むのは大変です。
私の場合、中山元の手によるフロイトの『自我論集』など、フロイトの著作を読みつつ、ラカンのセミネールを1から読んでいくという作業をせざるを得なくなっています。
ただし、それを行うにしても、全体の地図もなく歩き回っているだけでは苦痛ですし、一読して得ることが出来るものも少なくなってしまいます。
少なくとも私にとって、本書は最初の簡便な地図の役割を果たしてくれていますし、次にフィンクらの手による解説書に進もうという気にさせてくれるだけの内容はもっていると思います。
本書に関して、用語の定義が粗い、ないし、標準的ではないという批判もあるようですし、実際その通りなのかも知れませんが、本書の目的が、著者のもっている見取り図を入門者に対して示すことであるというように好意的に解釈することも可能でしょうし、そういう役には立つ筈です。
だから、彼自身の著作のうち(セミネールを含む)何か一冊を読んで、それで見通しが一気に良くなるということもない。
強いていうなら、『精神分析の四基本概念』などが核になるのだろうが、それとて、素手で攻めてもなかなか苦しい。
私が本書を読んだのは、数冊入門書を読了した後にセミネールを仏語で読んでいた時です。
諸用語間の関係を頭の中にたたき込めていなかったが故に、話題について行けなかったり、見通しが利かない部分が多かったのですが、本書を読んだ後には、対概念や諸概念の関係が見えるようになって、シェママの『精神分析事典』なども有効に使用できるようになったと感じています。
ただし、これは入門書なのであって、そこから先に進むのは大変です。
私の場合、中山元の手によるフロイトの『自我論集』など、フロイトの著作を読みつつ、ラカンのセミネールを1から読んでいくという作業をせざるを得なくなっています。
ただし、それを行うにしても、全体の地図もなく歩き回っているだけでは苦痛ですし、一読して得ることが出来るものも少なくなってしまいます。
少なくとも私にとって、本書は最初の簡便な地図の役割を果たしてくれていますし、次にフィンクらの手による解説書に進もうという気にさせてくれるだけの内容はもっていると思います。
本書に関して、用語の定義が粗い、ないし、標準的ではないという批判もあるようですし、実際その通りなのかも知れませんが、本書の目的が、著者のもっている見取り図を入門者に対して示すことであるというように好意的に解釈することも可能でしょうし、そういう役には立つ筈です。
2007年3月14日に日本でレビュー済み
具体的な話、繰り返し、簡単な言葉でとにかくわかりやすい。
イラストも多くレイアウトが変化に富んでいるので飽きない。
とりあえずのところわかったと思えるように書いてある。
ラカンについては有名な語句くらいしか知らず、
それがどのように語られているのかまったくわかっていなかったのだが、
そういう状態から一歩抜け出し、ラカンの解釈をイメージできるようになった。
比較的平易な入門書とされているらしい新宮一成『ラカンの精神分析』すら途中で放置していた私も、
これは引き込まれて最後まで飽きることなく読み通すことができた。
安易な心理学やAC概念にとらわれている人にもこれをすすめたい。
ああこういう見方もあるのか、
と少し気持ちが変わるきっかけになるかもしれません。
イラストも多くレイアウトが変化に富んでいるので飽きない。
とりあえずのところわかったと思えるように書いてある。
ラカンについては有名な語句くらいしか知らず、
それがどのように語られているのかまったくわかっていなかったのだが、
そういう状態から一歩抜け出し、ラカンの解釈をイメージできるようになった。
比較的平易な入門書とされているらしい新宮一成『ラカンの精神分析』すら途中で放置していた私も、
これは引き込まれて最後まで飽きることなく読み通すことができた。
安易な心理学やAC概念にとらわれている人にもこれをすすめたい。
ああこういう見方もあるのか、
と少し気持ちが変わるきっかけになるかもしれません。
2007年6月29日に日本でレビュー済み
本来ラカンなどどうでもいいのだが、結構よく聞く名前だからどんなものなのだろうという‘雰囲気’程度に知りたいという人には本書を薦めたい。
しかしこのような精神分析に関する本を読むと必ず沸き起こる疑問がある。フロイトやラカンを精神分析家と認めることに異存はないだろうが、彼らの考えの全体像をいまだに把握できずに一生懸命勉強している一般の精神分析家を精神分析家と認めてしまっていいのだろうかと。例えば、音楽学校へ通ったからといって誰でもがビートルズになれるとは限らないどころか誰もビートルズなどになれないように、「フロイト派分析研究センター」で勉強したからといって、その人がフロイトのような精神分析家になったとフロイトがいない今、誰がお墨付きを与えるのか?
本書にも書かれているように(P.207)、ラカンの理論を利用して様々なものが説明されたりしているが、誰もラカンの理論の全容を把握していないわけなのだから、それが本当に有効なものなのかは怪しい。
だから今のところラカン理論の最も有効な利用方法は‘脳トレ’である。
しかしこのような精神分析に関する本を読むと必ず沸き起こる疑問がある。フロイトやラカンを精神分析家と認めることに異存はないだろうが、彼らの考えの全体像をいまだに把握できずに一生懸命勉強している一般の精神分析家を精神分析家と認めてしまっていいのだろうかと。例えば、音楽学校へ通ったからといって誰でもがビートルズになれるとは限らないどころか誰もビートルズなどになれないように、「フロイト派分析研究センター」で勉強したからといって、その人がフロイトのような精神分析家になったとフロイトがいない今、誰がお墨付きを与えるのか?
本書にも書かれているように(P.207)、ラカンの理論を利用して様々なものが説明されたりしているが、誰もラカンの理論の全容を把握していないわけなのだから、それが本当に有効なものなのかは怪しい。
だから今のところラカン理論の最も有効な利用方法は‘脳トレ’である。
2007年2月14日に日本でレビュー済み
難解不落(?)のラカン!夜郎自大な物言いを許してもらうなら、奇天烈珍妙な語句・用語・言説でさっぱりわからないラカンの思想についての解説本のなかで、おそらく本書は最もとっつきやすいのではないだろうか。
「ラカンはわからん」というオヤジギャグをこの20年連呼してきた評者にとっては、何か癒される1冊でもあった。フロイト生誕150年でもある今年はラカンをも含めたフロイト派の見直し元年にもなるかもしれない。
精神分析学という20世紀最大の学問は、その大方がオカルトに塗れてしまった。悪用され過ぎたのである。そうした泥沼からフロイトとラカンを救い出さねばならない。
斎藤環の『生き延びるためのラカン』もその意図するところはわからぬでもないが、あまりにハウツー染みていて「??」である。サービス精神が旺盛過ぎるのかも。
ラカンの欲求―要求―欲望の段階説は、人間性心理学のマズローなんぞの自己実現=自己責任イデオロギーの「5段階説」の浅はかさを証している。この点、斎藤環の言わんとする「自分なんて探すな」というメッセージは全く正しい。
「ラカンはわからん」というオヤジギャグをこの20年連呼してきた評者にとっては、何か癒される1冊でもあった。フロイト生誕150年でもある今年はラカンをも含めたフロイト派の見直し元年にもなるかもしれない。
精神分析学という20世紀最大の学問は、その大方がオカルトに塗れてしまった。悪用され過ぎたのである。そうした泥沼からフロイトとラカンを救い出さねばならない。
斎藤環の『生き延びるためのラカン』もその意図するところはわからぬでもないが、あまりにハウツー染みていて「??」である。サービス精神が旺盛過ぎるのかも。
ラカンの欲求―要求―欲望の段階説は、人間性心理学のマズローなんぞの自己実現=自己責任イデオロギーの「5段階説」の浅はかさを証している。この点、斎藤環の言わんとする「自分なんて探すな」というメッセージは全く正しい。