93年出版されたものに「現代科学論とサイエンス・ウォーズ」「プラグマティズムの帰結」
「ウィトゲンシュタインの衝撃」の三論文を増補したもの。
感覚与件に基礎付けを求める「自然主義」、一方それを歴史的物語として相対的に見る双方の
流れについて、論理実証主義、批判的合理主義或いはハンソン、クーン、ハーバーマスらにふ
れながら見通しよく整理している。
増補の論文でクリプキの本質主義(著者はこれを結局は「科学的実在論」と批判するが)クワ
インの全体論、パトナムやローティら、「知の欺瞞」をきっかけとするサイエンス・ウォー
ズ、ウィトゲンシュタインのアスペクト論なども検討している。
著者の立場は(タイトルからもほぼ推察がつくように)素朴な科学的実在論では勿論なく、自
然をテキストとした「解釈学」や「生成の無根拠性」を主張している。
ひととおりの議論をへたうえで、なお形而上学をどうとらえるかなど興味はつきない。
科学について漠然と「事実の観察に基づいて一歩一歩進歩している」と信じている人は、本書
を是非よまれたい。
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科学の解釈学 増補 (ちくま学芸文庫 ノ 5-1) 文庫 – 2007/1/1
野家 啓一
(著)
- 本の長さ481ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2007/1/1
- ISBN-104480090398
- ISBN-13978-4480090393
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2007/1/1)
- 発売日 : 2007/1/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 481ページ
- ISBN-10 : 4480090398
- ISBN-13 : 978-4480090393
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2010年7月9日に日本でレビュー済み
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通約不可能性の議論については、何とかその概念を救い出そうと若干アクロバティックな説明が苦しい感じがしますが、観察の理論負荷性であるとか、実在論批判であるとか、科学の物語性であるとかの説明は非常に明快でわかりやすいと思います。しかし、突っ込みたくなるところはいろいろあって、観察の理論負荷性と言うテーゼにしても、観察そのものが実はその観察の背景にある理論に影響されるので、観察は独立しておらず、証明力がない、という自己言及的な 言明には致命的な欠陥があって、観察の理論負荷性の例として、著者があげる「遺伝理論を持った研究者が細胞を見ると、縞模様が染色体に見える」と言う例も、著者が「観察の理論負荷性という理論」を持っているから、それを証明する例に見えているだけだろと、それには「先入観」と言う簡単な言葉がすでにあるのだぞという、素人丸出しの突っ込みがはいるんではないでしょうか。結局、万能理論であり、それこそ特権性を否定しようとしながら、じつは自らが特権を帯びた理論になってしまいます。もう少しそこを回避するような厳密さで解説していただきたいものです。また、科学の真実へ向けた発展と言う物語は否定されるというのもそのとおりだと思いますが、そうなると、非実在論が実在論を乗り越えると言う図式も否定されることにならないでしょうか。ポストモダン的な相対主義に立てば、実在論もありだし、それと同程度に非実在論もありだよねという議論になるのでしょうか??また。「たかだか100年しか歴史のない科学・・」といった書きっぷりは、これもまた、じゃあ、長けりゃいいのかという話になるし、まさか、伝統の絶対性を信じているわけではないでしょうから少々混乱するところが散見します。しかし、語り口が明快だからこそ、肯定的であれ、批判的であれ自らの頭で考える楽しさを提供してくれる本であることは間違いありません。
2008年6月29日に日本でレビュー済み
クーンのパラダイム論に代表される「新科学哲学」が提起した一連の哲学的テーゼ――「観察の理論負荷性」「通約不可能性」など――に対するさまざまな誤解を解き、ときに提唱者自身の勇み足をも指摘する。とことんあらゆる角度から新科学哲学を検討しなおした労作。
パラダイム論の哲学的意義をこれほどまでに徹底的に掘り下げて論じた著作は他に見たことがありません。新科学哲学といえば村上陽一郎氏の著作ですが、哲学的深度という点では野家啓一氏のほうが数段上かと。村上氏より数段むずかしく感じられますが。
本書を読んで、それまでパラダイム概念のことをぼんやりと認識枠組みのようなもので、あるいは研究の見本例のようなもので…と実にあいまいに理解して済ませていた自分を反省しました。徹底的に考察すればそんなあいまいな理解でいいはずがなかったんですね。ごめんなさい。救いはクーン自身だって超あいまいに考えていたってことでしょうか。
新科学哲学に対するクワインの、ひいてはプラグマティズムの、侮りがたい重要性の指摘も蒙を啓かれました。ウィトゲンシュタインのアスペクト知覚の問題からまさか構造主義言語学のヤーコブソンにまで話がつながってしまうとは全く恐れ入りました。「風景が一変する」に近いくらいの読書体験であったかと思います。
科学を数ある物語のうちのひとつの形式として相対化するという現在着々と進行中の(はずの)野家氏のプログラムの一端が本書で伺えますが、まだ本書ではその「物語」の性格の分析は具体化されていないなあという印象でした。
パラダイム論の哲学的意義をこれほどまでに徹底的に掘り下げて論じた著作は他に見たことがありません。新科学哲学といえば村上陽一郎氏の著作ですが、哲学的深度という点では野家啓一氏のほうが数段上かと。村上氏より数段むずかしく感じられますが。
本書を読んで、それまでパラダイム概念のことをぼんやりと認識枠組みのようなもので、あるいは研究の見本例のようなもので…と実にあいまいに理解して済ませていた自分を反省しました。徹底的に考察すればそんなあいまいな理解でいいはずがなかったんですね。ごめんなさい。救いはクーン自身だって超あいまいに考えていたってことでしょうか。
新科学哲学に対するクワインの、ひいてはプラグマティズムの、侮りがたい重要性の指摘も蒙を啓かれました。ウィトゲンシュタインのアスペクト知覚の問題からまさか構造主義言語学のヤーコブソンにまで話がつながってしまうとは全く恐れ入りました。「風景が一変する」に近いくらいの読書体験であったかと思います。
科学を数ある物語のうちのひとつの形式として相対化するという現在着々と進行中の(はずの)野家氏のプログラムの一端が本書で伺えますが、まだ本書ではその「物語」の性格の分析は具体化されていないなあという印象でした。
2009年11月15日に日本でレビュー済み
著者野家啓一氏の哲学的特色は、最も影響を受けたリチャード・ローティに劣らず優れて語りが上手いことである。その巧みな語りと視野の拡がりを実証したのはなにあろう本書ではないか。科学論と言うおよそ語りでは明確に議論しえないと一般人ならば考える対象を、いとも簡単にまとめてしまう技量は並大抵ではない。ローティに劣らず古今東西の古典に親しみ、マンガにも通じた碩学である。その柔軟な読解と解釈が、科学研究における現象と理論構築の関係を縦横無尽に検証する。
冒頭の科学哲学においては、プリンストン時代の師であるトマス・クーンのパラダムを敷衍しながら、近代の始まり前後の哲学者の基本的な著作がいずれの優れて哲学書でありながら学問論を構成していること指摘し、この連綿がウィーン学団や現象学派などの優れた科学哲学成立に大きく貢献したことを哲学史的に、認識論的共通基盤を解釈して、科学哲学のパラダイム構築とその解釈手法を開明して本書を始める。この語りとしての読みやすさはひいては著者の語りの巧みさ自体が、解釈学的転回の卓越性そのものである。
そして、生活世界(Umwelt)としての世界像とパラダイムの関係、さらにローティが主著「哲学と自然の鏡」の中で用いた自然(nature)のひそみに倣って、言語論的転回(linguistic turn)から解釈学的転回(hermeneutic turn)へと展開させる。知のネットワークの意義を科学史的に精緻に考究した哲学者の一つのわかりやすい科学と人間社会を結び付ける科学哲学モデルをまさに物語風に考察した一冊で、小説のように読みやすい。冴えた文才のなせる技(arts)である。
議論は精緻で、読みやすい名文。ゆえにパラダイムは存在しないという科学者の反論を、科学と社会に解釈を与えるための概念枠モデルの重要性で反証したともいえる。科学の人間化を考える際には多数のヒントを与える学問論。
冒頭の科学哲学においては、プリンストン時代の師であるトマス・クーンのパラダムを敷衍しながら、近代の始まり前後の哲学者の基本的な著作がいずれの優れて哲学書でありながら学問論を構成していること指摘し、この連綿がウィーン学団や現象学派などの優れた科学哲学成立に大きく貢献したことを哲学史的に、認識論的共通基盤を解釈して、科学哲学のパラダイム構築とその解釈手法を開明して本書を始める。この語りとしての読みやすさはひいては著者の語りの巧みさ自体が、解釈学的転回の卓越性そのものである。
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議論は精緻で、読みやすい名文。ゆえにパラダイムは存在しないという科学者の反論を、科学と社会に解釈を与えるための概念枠モデルの重要性で反証したともいえる。科学の人間化を考える際には多数のヒントを与える学問論。