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敗者の戦後 (ちくま学芸文庫 イ 34-1) 文庫 – 2007/6/1
入江 隆則
(著)
- 本の長さ492ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2007/6/1
- ISBN-104480090673
- ISBN-13978-4480090676
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2007/6/1)
- 発売日 : 2007/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 492ページ
- ISBN-10 : 4480090673
- ISBN-13 : 978-4480090676
- Amazon 売れ筋ランキング: - 217,775位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
紀元前のポエニ戦争からナポレオンの敗戦後の処理、第一次大戦、第二次大戦の戦後処理と大変勉強になありました。 著者の深く広い知識に感銘しました。
2016年8月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大変な情報量で勉強になりました。ただ同じ話しが重複する所が多いのが不満です。
2018年7月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
近現代史における世界の三大敗戦を総括でき、しかも大東亜戦争の総括に近づくため前者と合わせた両書であると思う。
2021年8月20日に日本でレビュー済み
古典的名著と思う。太平洋戦争とは何であったのか。どのようにして、日本は対米開戦に踏み込み、玉音放送と共に、敗戦を迎えたのか。勝者が敗者を裁くという東京裁判は尋常な裁判であったのか。筆者は、明治維新以来の、日清、日露戦争の経緯も踏まえながら、先の大戦を巡る様々な論点に対して、新鮮な解釈を与えようとする。非常に興味深く、面白い。
「日本の戦後」を世界史的な文脈のなかで、客観的に整理し普遍化する試みだ。もし、クラウゼヴィッツが言うように「戦争とは、政治の一つの手段」であるなら、「戦後処理」とは、敗戦国に対して自己の主張を強要し、戦勝国との新たな協力関係を築かせれば足りる。筆者は、この観点から、ナポレオン戦争、第1次世界大戦、太平洋戦争の戦後を比較検証しようとする。もちろん、焦点は、太平洋戦争の敗者、日本の戦後だ。
筆者によれば、「戦後処理」とは、歴史的に大きく二分類される。一つは、ポエニ戦役後に、ローマがカルタゴに対して行った徹底破壊のような処理。敗戦国の殺戮と消滅を試みるもの。第1次大戦後のドイツへの巨額の賠償請求と領土の割譲は、この戦後処理に近い。もう一つは、ナポレオン戦争後のウィーン体制など、先のクラウゼヴィッツのテーゼに基づく戦後処理。「文明の立場からの戦後処理」という。
日本は、後者に近いが、この戦後処理に、すんなりと至ったわけではない。広島、長崎への原爆投下や無差別空襲。硫黄島や沖縄等での旧日本軍の徹底抗戦。敗戦に至るまでの日本国民の多大の犠牲と抵抗、そして天皇に対する日本人の強い忠誠心が、連合国をして、本土上陸作戦を躊躇させ、「国体護持」を条件とする“戦略降伏”を受け入れさせることになったという。日本がカルタゴのように殲滅、消滅した可能性もあった。本書の白眉は、これらの経緯を種々の資料を基に解明することにある。どのようにして、日本という「敗者の戦後」は成り立ち得たのか。
筆者によれば、1945年8月の降伏は、「すべてを捨てて天皇を護る」という「戦略降伏」であったという。天皇を護るためのポツダム宣言の受諾、武装解除、進駐軍の受け入れであり、東京裁判でのA級戦犯であり、憲法第9条であった。
特に、9条をめぐっては、戦争放棄条項が天皇制維持のための取り引き、交換条件であったことが示唆されている。
この背景には、旧日本軍の強い抵抗力と天皇への忠誠心に対する、米国側の怯えがあったという。天皇制廃止がもたらすであろう戦後統治の混乱への危惧だ。旧日本軍の残滓を完全に排除したうえで、天皇制を残すという、この交換条件案は誰から出た案なのか。米国側からとは断定出来ないと筆者は言う。憲法に入れたのはマッカーサーだが、発案は弊原首相であったという説もある。いずれにしろ、戦争放棄条項が、日本への復讐心に燃える米国内やその他の戦勝国の反対を押さえ、中核的価値である天皇を護るための予防的措置であったのなら、正しい選択であったと入江氏は評価されている。
つまり、9条は、現在の自主憲法制定論者が主張するような、日本の再軍備阻止のための押し付け条項ではなく、日本存続のための妥当な条項であったわけだ。「戦没者の死は決して犬死にではなく、200万英霊の力と、未来の安全保障を含むあらゆることを捨てるという日本人の決意が中核的価値としての天皇を守った」(p329)。そして、天皇を象徴として残したことで、日本政治の正統性が継承され、戦後の混迷を最小限にくいとめ、戦後復興の礎となっていく。
「日本の“戦略降伏”は、天皇という中核価値のみを護り、すべてを捨てるという世界の戦争史上に例を見ない見事な降伏だった。しかも日本は敗北したとはいえ、西欧が世界のすべてを植民地化しようとした19世紀的構造を完全に覆えした」
「日本の戦後」を世界史的な文脈のなかで、客観的に整理し普遍化する試みだ。もし、クラウゼヴィッツが言うように「戦争とは、政治の一つの手段」であるなら、「戦後処理」とは、敗戦国に対して自己の主張を強要し、戦勝国との新たな協力関係を築かせれば足りる。筆者は、この観点から、ナポレオン戦争、第1次世界大戦、太平洋戦争の戦後を比較検証しようとする。もちろん、焦点は、太平洋戦争の敗者、日本の戦後だ。
筆者によれば、「戦後処理」とは、歴史的に大きく二分類される。一つは、ポエニ戦役後に、ローマがカルタゴに対して行った徹底破壊のような処理。敗戦国の殺戮と消滅を試みるもの。第1次大戦後のドイツへの巨額の賠償請求と領土の割譲は、この戦後処理に近い。もう一つは、ナポレオン戦争後のウィーン体制など、先のクラウゼヴィッツのテーゼに基づく戦後処理。「文明の立場からの戦後処理」という。
日本は、後者に近いが、この戦後処理に、すんなりと至ったわけではない。広島、長崎への原爆投下や無差別空襲。硫黄島や沖縄等での旧日本軍の徹底抗戦。敗戦に至るまでの日本国民の多大の犠牲と抵抗、そして天皇に対する日本人の強い忠誠心が、連合国をして、本土上陸作戦を躊躇させ、「国体護持」を条件とする“戦略降伏”を受け入れさせることになったという。日本がカルタゴのように殲滅、消滅した可能性もあった。本書の白眉は、これらの経緯を種々の資料を基に解明することにある。どのようにして、日本という「敗者の戦後」は成り立ち得たのか。
筆者によれば、1945年8月の降伏は、「すべてを捨てて天皇を護る」という「戦略降伏」であったという。天皇を護るためのポツダム宣言の受諾、武装解除、進駐軍の受け入れであり、東京裁判でのA級戦犯であり、憲法第9条であった。
特に、9条をめぐっては、戦争放棄条項が天皇制維持のための取り引き、交換条件であったことが示唆されている。
この背景には、旧日本軍の強い抵抗力と天皇への忠誠心に対する、米国側の怯えがあったという。天皇制廃止がもたらすであろう戦後統治の混乱への危惧だ。旧日本軍の残滓を完全に排除したうえで、天皇制を残すという、この交換条件案は誰から出た案なのか。米国側からとは断定出来ないと筆者は言う。憲法に入れたのはマッカーサーだが、発案は弊原首相であったという説もある。いずれにしろ、戦争放棄条項が、日本への復讐心に燃える米国内やその他の戦勝国の反対を押さえ、中核的価値である天皇を護るための予防的措置であったのなら、正しい選択であったと入江氏は評価されている。
つまり、9条は、現在の自主憲法制定論者が主張するような、日本の再軍備阻止のための押し付け条項ではなく、日本存続のための妥当な条項であったわけだ。「戦没者の死は決して犬死にではなく、200万英霊の力と、未来の安全保障を含むあらゆることを捨てるという日本人の決意が中核的価値としての天皇を守った」(p329)。そして、天皇を象徴として残したことで、日本政治の正統性が継承され、戦後の混迷を最小限にくいとめ、戦後復興の礎となっていく。
「日本の“戦略降伏”は、天皇という中核価値のみを護り、すべてを捨てるという世界の戦争史上に例を見ない見事な降伏だった。しかも日本は敗北したとはいえ、西欧が世界のすべてを植民地化しようとした19世紀的構造を完全に覆えした」
2018年11月8日に日本でレビュー済み
日本語で書かれた最高の現代史分析のひとつ。10回再読しても飽きることがない、時間をおいて再読するといつも新しい認識を得ることができる。
2010年1月17日に日本でレビュー済み
昭和63年6月まで寄稿され、その後平成10年に文庫化されるもここ数年間は絶版になっていた著作、『敗者の戦後』 。
読み進めるほどになぜこの著作が絶版となっていたのか、理解に苦しむ。
この本の基本は、クラウゼヴィッツ「戦争論」における「戦争は他の手段をもってする政治の実行である」というテーマであり、このテーマをいかに紐解き、「戦後論」に展開していくかという部分がこの著作の真髄である。
この著作では、ナポレオン戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦(大東亜戦争)の戦後を綿密に分析することにより、ナポレオン戦争の敗者フランス、第一次大戦の敗者ドイツ、大東亜戦争の敗者日本の「戦後」を比較検討している。
歴史における一つの事象を断片的に判断し、後世から一方的に断罪することに非常に慎重な姿勢を示しながらも、3つの戦後を比較することによりそれぞれの戦争における特徴を浮き彫りにしている。
連続性の観点から「普遍化」した比較論を展開し、欧米の膨張主義の背景まで分析を進めている点で、世界史における「戦後」をこれほど客観視できている本はないのではないかと思われる。
「日本は当時、戦争をするべきではなかった」という論点が散見されるのは事実であるが、観点を日本のみに絞るのではなく、アジア史と帝国主義の観点から考えることで、「戦争は他の手段をもってする政治の実行である」という命題の正当性も証明され得る。そのようにならなかったとしたら、当時の歴史の流れから考えてどのようなことが起こっていたかを考える必要がある。
このテーゼが現代における核戦争やテロ(この表現も非常に難しいが)でも通用するかは検討の余地があるが、核が「抑止力」として機能しているという残念な事実があるとすれば、やはりそれはクラウゼヴィッツの論理の範疇になるのではないだろうか。
生きていると「これほど価値のある本なのになぜ読まれないのか」という著作にめぐり合うことがあるが、この本はまさにその類の本であり、個人的に是非おすすめしたい。
読み進めるほどになぜこの著作が絶版となっていたのか、理解に苦しむ。
この本の基本は、クラウゼヴィッツ「戦争論」における「戦争は他の手段をもってする政治の実行である」というテーマであり、このテーマをいかに紐解き、「戦後論」に展開していくかという部分がこの著作の真髄である。
この著作では、ナポレオン戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦(大東亜戦争)の戦後を綿密に分析することにより、ナポレオン戦争の敗者フランス、第一次大戦の敗者ドイツ、大東亜戦争の敗者日本の「戦後」を比較検討している。
歴史における一つの事象を断片的に判断し、後世から一方的に断罪することに非常に慎重な姿勢を示しながらも、3つの戦後を比較することによりそれぞれの戦争における特徴を浮き彫りにしている。
連続性の観点から「普遍化」した比較論を展開し、欧米の膨張主義の背景まで分析を進めている点で、世界史における「戦後」をこれほど客観視できている本はないのではないかと思われる。
「日本は当時、戦争をするべきではなかった」という論点が散見されるのは事実であるが、観点を日本のみに絞るのではなく、アジア史と帝国主義の観点から考えることで、「戦争は他の手段をもってする政治の実行である」という命題の正当性も証明され得る。そのようにならなかったとしたら、当時の歴史の流れから考えてどのようなことが起こっていたかを考える必要がある。
このテーゼが現代における核戦争やテロ(この表現も非常に難しいが)でも通用するかは検討の余地があるが、核が「抑止力」として機能しているという残念な事実があるとすれば、やはりそれはクラウゼヴィッツの論理の範疇になるのではないだろうか。
生きていると「これほど価値のある本なのになぜ読まれないのか」という著作にめぐり合うことがあるが、この本はまさにその類の本であり、個人的に是非おすすめしたい。
2010年9月24日に日本でレビュー済み
著者はプロローグで、大東亜戦争の戦後を普遍化すると明言している。著者の言う普遍化とは、いわゆる「戦後」を特定のイデオロギーを通して解釈するのではなく、広く世界の戦後論に共通性や異端性を求め、戦後の歴史を客観的に見つめ直すことである。
西洋的にはクラウゼヴィッツに始まる戦争論はあっても戦後論はない。どのように勝利・敗北するか、の研究が無いという。クラウゼヴィッツの戦争論に至っては、本人が最後まで書き上げたわけではないし、そもそも終戦について書こうとしていたか怪しい。
それでも著者は、一貫してクラウゼヴィッツの例の名言「戦争とは、他の手段をもってする政治の実行である」を中心テーゼとして、ナポレオン戦争の戦後「ウィーン体制」、第1次政界大戦の戦後「ベルサイユ体制」、大東亜戦争の戦後「ヤルタ体制」を俯瞰し、戦後日本が陥った病理・勝者アメリカの誤算を「普遍化」することに成功している。
日本の戦後を普遍化することにより、保守も革新も含め、改めて日本が大東亜戦争を戦った意味と現在に連なる歴史の重要性を認識できるだろう。それは、敗者日本が引き起こした世界史の転換であり、その反動が自分自身に帰ってきていることの自覚である。この自覚なくして日本の赤化も大衆迎合的民主主義も止めることはできないだろう。
西洋的にはクラウゼヴィッツに始まる戦争論はあっても戦後論はない。どのように勝利・敗北するか、の研究が無いという。クラウゼヴィッツの戦争論に至っては、本人が最後まで書き上げたわけではないし、そもそも終戦について書こうとしていたか怪しい。
それでも著者は、一貫してクラウゼヴィッツの例の名言「戦争とは、他の手段をもってする政治の実行である」を中心テーゼとして、ナポレオン戦争の戦後「ウィーン体制」、第1次政界大戦の戦後「ベルサイユ体制」、大東亜戦争の戦後「ヤルタ体制」を俯瞰し、戦後日本が陥った病理・勝者アメリカの誤算を「普遍化」することに成功している。
日本の戦後を普遍化することにより、保守も革新も含め、改めて日本が大東亜戦争を戦った意味と現在に連なる歴史の重要性を認識できるだろう。それは、敗者日本が引き起こした世界史の転換であり、その反動が自分自身に帰ってきていることの自覚である。この自覚なくして日本の赤化も大衆迎合的民主主義も止めることはできないだろう。