いわゆる哲学というのは、
高度な知識を必要とし、
学問の学問、教養主義、
というとっつきにくさを持っているのですが、
ネルソン・グッドマンは、合理的に構造を解説し、
あらゆる物や現象を、詳細に語ることで印象を解体し、
わかり易く、とても読み易いです。
わたしはこの本から、
情報消費社会を俯瞰するのに適した知識を学ぶことができました。
心理学研究、精神分析だけではなく、小説を書く人、記号論者にもおすすめです。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
世界制作の方法 (ちくま学芸文庫 ク 15-1) 文庫 – 2008/2/6
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,540","priceAmount":1540.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,540","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"GAEKwC7FwyAFZtWVRt86CYXWLOIMob9JtsBaqGy80ifnbPSKV0FVpz%2FEX50mRFuaew92hGOlBdZsZENc5DrSWC1gGPJTZ86rpSaG8vR5pNOxTT%2BZPJnIIyas1a1OybgD","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
- 本の長さ305ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2008/2/6
- ISBN-104480091254
- ISBN-13978-4480091253
よく一緒に購入されている商品
対象商品: 世界制作の方法 (ちくま学芸文庫 ク 15-1)
¥1,540¥1,540
最短で6月12日 水曜日のお届け予定です
残り6点(入荷予定あり)
¥4,400¥4,400
最短で6月12日 水曜日のお届け予定です
残り3点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品を見た後にお客様が購入した商品
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2008/2/6)
- 発売日 : 2008/2/6
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 305ページ
- ISBN-10 : 4480091254
- ISBN-13 : 978-4480091253
- Amazon 売れ筋ランキング: - 77,365位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中3.8つ
5つのうち3.8つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
20グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2017年6月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2010年10月16日に日本でレビュー済み
本書は「英米系哲学」、さらには「分析哲学」の系譜に連なる名著だといえる。
グッドマンの名前は日本ではあまり有名とは言えないが、非常に重要な学者である。
本書の内容を極まて乱暴にまとめて言えば、「世界は様々な見方ができるものだ」ということを、「バージョン」という言葉をキーワードにして論じている。
我々日本人にとっては、大陸系哲学、つまり「ドイツ、フランス」あたりの哲学・思想が馴染み深いのだが、大陸系哲学は常に「過去の哲学者」の考え方に遡って体系化していくという、面倒くさい手続きを大抵は踏んでいる。
しかし、英米系の哲学、いわゆる「分析哲学」はあまり過去の哲学者の考え方には戻らない。
私にとってはこういう考え方は実に新鮮であり、問題だけを純粋に追っていくという姿勢は、むしろ分かりやすいようにすら思えた。
本書は哲学の上級者はもちろん、むしろ初心者にもチャレンジのしがいのある本と言えるだろう。
自分で考えることの楽しさを教えてくれる、非常によく出来た本であると思う。
グッドマンの名前は日本ではあまり有名とは言えないが、非常に重要な学者である。
本書の内容を極まて乱暴にまとめて言えば、「世界は様々な見方ができるものだ」ということを、「バージョン」という言葉をキーワードにして論じている。
我々日本人にとっては、大陸系哲学、つまり「ドイツ、フランス」あたりの哲学・思想が馴染み深いのだが、大陸系哲学は常に「過去の哲学者」の考え方に遡って体系化していくという、面倒くさい手続きを大抵は踏んでいる。
しかし、英米系の哲学、いわゆる「分析哲学」はあまり過去の哲学者の考え方には戻らない。
私にとってはこういう考え方は実に新鮮であり、問題だけを純粋に追っていくという姿勢は、むしろ分かりやすいようにすら思えた。
本書は哲学の上級者はもちろん、むしろ初心者にもチャレンジのしがいのある本と言えるだろう。
自分で考えることの楽しさを教えてくれる、非常によく出来た本であると思う。
2022年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は、ハーバード大学「名誉」教授のネルソン・グッドマンによる、「表面」上は面倒な論述によるカルチャーから思考、認識に関して、「われわれはヴァージョンを制作することによって世界を制作する」と「世界」は多様に満ちたヴァージョン(Version)によって制作されているという、相対化を根元にした、方法による転換プロセスを述べた本だ。
解説を書いた菅野盾樹氏の本は読んでもいないのでコメントはしないが、解説を書いている内容を読む限りで、ネルソン・グッドマンを真面目な学者の「玉座」に座らせておきたいが為の「弁護」としか思えない解説で、この解説だけは読むことをお勧めしない。
グッドマン自身の論述が学際政治に縛られているせいで、まどろっこしいところもあるが、言っていることはわかる。一番いけないのは、この翻訳者の解説であり、翻訳者も東大卒、大阪大学「名誉」教授という哲学者なので、記号学、人間学、形而上学を専門にしてる、これまた学際政治にどっぷり漬かった「真面目」な学者であり、「いじめ」に関する著書も書いている。私なら、いじめ問題についてなら、統合失調症の「ダブルバインド理論」の提唱者のグレゴリー・ベイトソンの「 精神と自然 生きた世界の認識論 」とか「 精神の生態学 」を読むことをお勧めしたい。メタメッセージに気付けるかどうか、メタ化が可能かどうかによって「いじめ」問題は脱出出来ると私は考えているのだが(私は意識化は出来なかったけれど、いままで無意識レベルでこの方法で「いじめ」を脱出してきた)、日本人はこの思考法がかなり苦手ではないかと思うだけにベイトソンを勧めたい。それに今回のグッドマンの論述と底辺で繋がっている。ベイトソンも論理学や記号学に長けているので、問題解決へのヒントにはなると思う。
ネルソン・グッドマンの妻は画家であり、グッドマン自身もボストンに画廊を営んでおり、さらにダンススクールも経営していたので、恐らく直接話せば割と「面白い」人物であったことが伺える。大の芸術愛好家(訳者は藝術と古い漢字を使うところからも「見栄」が伺える)でもある。
菅野氏は、画廊やダンススクールの経営が、哲学にこじつけない方が良いなどと解説で述べているが、どう考えてもこれは「間違い」である。人間がそこに介在している以上、芸術「行為」と普段の認識にシームレスとまで言わないにしても、繋がりが「無い」などと断言してよいものではない。これはネルソン・グッドマンの解説としてはマイナスである。
私の解説などより、一度学問領域などという、狭い圏内から脱出した松岡正剛氏の千夜千冊の1793夜の解説の方が自由闊達としておりお勧めしておきたい。
日本においてヴァージョンは文化や行為に根付いていて、仮面ライダーや戦隊もののシリーズ化、石ノ森プロダクションやウルトラマンシリーズの円谷プロダクションによるシリーズ化にはヴァージョンによる多様性による「世界制作」の方法を活用しているし、先刻終わってしまった「エヴァンゲリオン」のシリーズ化も、庵野秀明監督が、シリーズ化によるこれらの方法論を「オタク」的に知り尽くしていると思われる。
日本においては、マンガや特撮もの、ドラマなどでヴァージョンの制作によって「疑似」世界を作り出す営み、グッドマンも指摘しているが、作曲による「変奏」、アレンジ、絵画などを例に出しているが、本書が実に退屈な「事例」多くて学際「業界」=政治を意識しすぎていて、これがマイナス要因のもう一つの理由である。
日本の様にアニメや音楽、サブカルチャーの豊かさを考えると実にもったいない。もっと分かりやすい事例はネット環境にも多数見受けられる。偶発性、偶有性をも取り込んだ「ニコニコ動画」などの「ミーム感染」事例などもMMD(Miku Miku Dance)などによる二次制作による「ヴァージョン」すら「素材」というデータベース化されたものが「 ゲーム的リアリズムの誕生 」で東浩紀が述べたことに繋がる。
リチャード・ローティは「 偶然性・アイロニー・連帯 リベラル・ユートピアの可能性 」で「アイロニー」(よそわれた無知)の戦略を意識して「偶然性の哲学」を模索した。リチャード・ローティも元々は分析哲学で頭角を現した人なので、ネルソン・グッドマンと畑が近い。一周回回って、議論の方向性がグッドマンに戻っていく。けれど、これらの文化的な「戦略」は特に戦後からプロレスや、スポーツの世界でも同様に論理的破綻を回避し、メタ化する方法は日本の最も長けた優れた特徴である。北方系言語(アルタイ語)と南方系言語(オーストロネシア語族)によるクレオール言語が、日本語の起源ではないかという説があるのも、混合した文化による変化の影響があったという議論もあった証拠も多いだけに、日本には寛容性と同時に、論理的破綻を回避しやすい言語的特徴がある。
しかし、こういうコミュニティにおもねる日本社会の「苦しみ」は、文化的流入に寛容である反面、海外から(特にアメリカ)の消費文化や競争社会、速度経済によって捻じ曲げられたものに起因している。
この「欠陥」にどれだけ「意識」出来るかどうか、日本には「日本鬼子」という中国人の罵倒を美少女に置き換えて「メタメッセージ」にしてしまった「柔軟さ」があるが、速度思考には弱い。それが日本を息苦しくさせているのではないだろうか?
海外の経済手法を真似する必要が明治維新以後あったとしても、現代ではそれが足かせになっている。確かに経済大国にはなったが、それが「日本人」の本来の望みであったかどうかまでは考えにくい。この辺で思想的な転換をしないと、ますます日本人の意識を狭くしてしまう気がする。こういう本で唸るのもたまには良いかもしれない。
解説を書いた菅野盾樹氏の本は読んでもいないのでコメントはしないが、解説を書いている内容を読む限りで、ネルソン・グッドマンを真面目な学者の「玉座」に座らせておきたいが為の「弁護」としか思えない解説で、この解説だけは読むことをお勧めしない。
グッドマン自身の論述が学際政治に縛られているせいで、まどろっこしいところもあるが、言っていることはわかる。一番いけないのは、この翻訳者の解説であり、翻訳者も東大卒、大阪大学「名誉」教授という哲学者なので、記号学、人間学、形而上学を専門にしてる、これまた学際政治にどっぷり漬かった「真面目」な学者であり、「いじめ」に関する著書も書いている。私なら、いじめ問題についてなら、統合失調症の「ダブルバインド理論」の提唱者のグレゴリー・ベイトソンの「 精神と自然 生きた世界の認識論 」とか「 精神の生態学 」を読むことをお勧めしたい。メタメッセージに気付けるかどうか、メタ化が可能かどうかによって「いじめ」問題は脱出出来ると私は考えているのだが(私は意識化は出来なかったけれど、いままで無意識レベルでこの方法で「いじめ」を脱出してきた)、日本人はこの思考法がかなり苦手ではないかと思うだけにベイトソンを勧めたい。それに今回のグッドマンの論述と底辺で繋がっている。ベイトソンも論理学や記号学に長けているので、問題解決へのヒントにはなると思う。
ネルソン・グッドマンの妻は画家であり、グッドマン自身もボストンに画廊を営んでおり、さらにダンススクールも経営していたので、恐らく直接話せば割と「面白い」人物であったことが伺える。大の芸術愛好家(訳者は藝術と古い漢字を使うところからも「見栄」が伺える)でもある。
菅野氏は、画廊やダンススクールの経営が、哲学にこじつけない方が良いなどと解説で述べているが、どう考えてもこれは「間違い」である。人間がそこに介在している以上、芸術「行為」と普段の認識にシームレスとまで言わないにしても、繋がりが「無い」などと断言してよいものではない。これはネルソン・グッドマンの解説としてはマイナスである。
私の解説などより、一度学問領域などという、狭い圏内から脱出した松岡正剛氏の千夜千冊の1793夜の解説の方が自由闊達としておりお勧めしておきたい。
日本においてヴァージョンは文化や行為に根付いていて、仮面ライダーや戦隊もののシリーズ化、石ノ森プロダクションやウルトラマンシリーズの円谷プロダクションによるシリーズ化にはヴァージョンによる多様性による「世界制作」の方法を活用しているし、先刻終わってしまった「エヴァンゲリオン」のシリーズ化も、庵野秀明監督が、シリーズ化によるこれらの方法論を「オタク」的に知り尽くしていると思われる。
日本においては、マンガや特撮もの、ドラマなどでヴァージョンの制作によって「疑似」世界を作り出す営み、グッドマンも指摘しているが、作曲による「変奏」、アレンジ、絵画などを例に出しているが、本書が実に退屈な「事例」多くて学際「業界」=政治を意識しすぎていて、これがマイナス要因のもう一つの理由である。
日本の様にアニメや音楽、サブカルチャーの豊かさを考えると実にもったいない。もっと分かりやすい事例はネット環境にも多数見受けられる。偶発性、偶有性をも取り込んだ「ニコニコ動画」などの「ミーム感染」事例などもMMD(Miku Miku Dance)などによる二次制作による「ヴァージョン」すら「素材」というデータベース化されたものが「 ゲーム的リアリズムの誕生 」で東浩紀が述べたことに繋がる。
リチャード・ローティは「 偶然性・アイロニー・連帯 リベラル・ユートピアの可能性 」で「アイロニー」(よそわれた無知)の戦略を意識して「偶然性の哲学」を模索した。リチャード・ローティも元々は分析哲学で頭角を現した人なので、ネルソン・グッドマンと畑が近い。一周回回って、議論の方向性がグッドマンに戻っていく。けれど、これらの文化的な「戦略」は特に戦後からプロレスや、スポーツの世界でも同様に論理的破綻を回避し、メタ化する方法は日本の最も長けた優れた特徴である。北方系言語(アルタイ語)と南方系言語(オーストロネシア語族)によるクレオール言語が、日本語の起源ではないかという説があるのも、混合した文化による変化の影響があったという議論もあった証拠も多いだけに、日本には寛容性と同時に、論理的破綻を回避しやすい言語的特徴がある。
しかし、こういうコミュニティにおもねる日本社会の「苦しみ」は、文化的流入に寛容である反面、海外から(特にアメリカ)の消費文化や競争社会、速度経済によって捻じ曲げられたものに起因している。
この「欠陥」にどれだけ「意識」出来るかどうか、日本には「日本鬼子」という中国人の罵倒を美少女に置き換えて「メタメッセージ」にしてしまった「柔軟さ」があるが、速度思考には弱い。それが日本を息苦しくさせているのではないだろうか?
海外の経済手法を真似する必要が明治維新以後あったとしても、現代ではそれが足かせになっている。確かに経済大国にはなったが、それが「日本人」の本来の望みであったかどうかまでは考えにくい。この辺で思想的な転換をしないと、ますます日本人の意識を狭くしてしまう気がする。こういう本で唸るのもたまには良いかもしれない。
2009年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
グッドマンの「世界制作の方法」は,世界は多面的に見るべしというテーマで抜かれているように思います.
西洋的な思考は,歴史的に学問の細分化を進める一方で(根底では)世界を整理する単一の座標系を模索しつづけている,と考えられます.どの時代の思想家・哲学者も結局は,究極の,たった一つ「世界の眺め方」を標榜しています.
つまり西洋的な思考は,(数学的な言い方をするならば),(1)小さい次元で(2)どの対象にも適用可能な,座標系を求める.つまり平坦な多様体として世界を眺めるという傾向があります.このあたり,複雑な世界は複雑なまま「混沌」として受け入れましょう,という道教や禅のような東洋的な思考とは相容れません.
翻って,この本でのグッドマンは,世界を眺めるときに外延指示その他に関する言語論的な問題に拘泥するよりも,異なる見方の多様性と異なる見方相互の「重なり」に関心を集中させます.(グッドマンが引用の問題に拘るのは,そこに理由があります.)
結局,世界を調べるときに,万能の単一の座標系なんてない.局所的な座標系を豊かにしつつ,異なる座標系間の座標変換を明確かつ整合的にしましょう.つまり,「世界を多様体として見るのだと」いうマニフェストにこの本は読めました.(哲学マニアには反発受けそうなまとめになってしまいました.)
世界を「制作する」という言い方は,個人的・主観的に世界を「見る」ということに自分の考えはとどまらないぞという,グッドマンの矜持でしょうね.
西洋的な思考は,歴史的に学問の細分化を進める一方で(根底では)世界を整理する単一の座標系を模索しつづけている,と考えられます.どの時代の思想家・哲学者も結局は,究極の,たった一つ「世界の眺め方」を標榜しています.
つまり西洋的な思考は,(数学的な言い方をするならば),(1)小さい次元で(2)どの対象にも適用可能な,座標系を求める.つまり平坦な多様体として世界を眺めるという傾向があります.このあたり,複雑な世界は複雑なまま「混沌」として受け入れましょう,という道教や禅のような東洋的な思考とは相容れません.
翻って,この本でのグッドマンは,世界を眺めるときに外延指示その他に関する言語論的な問題に拘泥するよりも,異なる見方の多様性と異なる見方相互の「重なり」に関心を集中させます.(グッドマンが引用の問題に拘るのは,そこに理由があります.)
結局,世界を調べるときに,万能の単一の座標系なんてない.局所的な座標系を豊かにしつつ,異なる座標系間の座標変換を明確かつ整合的にしましょう.つまり,「世界を多様体として見るのだと」いうマニフェストにこの本は読めました.(哲学マニアには反発受けそうなまとめになってしまいました.)
世界を「制作する」という言い方は,個人的・主観的に世界を「見る」ということに自分の考えはとどまらないぞという,グッドマンの矜持でしょうね.
2008年2月18日に日本でレビュー済み
入手困難だったグッドマンの主著が文庫になってる!
あわてて購入しました。みると訳も見直されておりうれしい。
グッドマンは最初は論理実証主義者っぽところもあって、反事実的条件
法の分析や「グルーのパラドクス」など言語哲学のテクニカルな部分での
イメージがあったが、本来は言語哲学自体を乗り越えることを模索していて
いたのだなあ、懐深いのだなあと、いまさらながら「世界制作」という哲学
らしいタイトルをみて感じました。邦訳は少ないけど、パトナムの「内在的
実在論」へも影響を与えた人物。1998年になくなりました。
没後十年、最近のちくま文庫のなかでもこれはなかなかのイイ企画では
ないでせうか。
あわてて購入しました。みると訳も見直されておりうれしい。
グッドマンは最初は論理実証主義者っぽところもあって、反事実的条件
法の分析や「グルーのパラドクス」など言語哲学のテクニカルな部分での
イメージがあったが、本来は言語哲学自体を乗り越えることを模索していて
いたのだなあ、懐深いのだなあと、いまさらながら「世界制作」という哲学
らしいタイトルをみて感じました。邦訳は少ないけど、パトナムの「内在的
実在論」へも影響を与えた人物。1998年になくなりました。
没後十年、最近のちくま文庫のなかでもこれはなかなかのイイ企画では
ないでせうか。
2011年11月4日に日本でレビュー済み
他のレビュワーの評価が高いのが驚き。新鮮な視点はほとんどみられず、
広い意味での現象学的分析もよくある冗長さ。世界の見方はいろいろあって、
解釈は重層だと言い放つだけ。そんなの誰でもわかります。
問題は、芸術作品の世界開示的な機能を、専ら言語モデルのタームで
思索していくセンスの悪さ。よくて(今では誰も読まない)中村雄二郎くらいのレベル。
デザインや工学の人が読む、というのは「世界制作の方法」という素晴らしいタイトルに
釣られただけだろう。この哲学は、方法として利用できない退屈さなのだからホント役にたたない。
奥さんのどうでもいいドローイングを引き合いに出すところからみると、典型的に
芸術オンチっぽい。一見、一般書に見えるが、実は分析哲学を専門的に学んだ人が
肩の力を抜いて読む哲学エッセイ。それ以上でも以下でもなし。
広い意味での現象学的分析もよくある冗長さ。世界の見方はいろいろあって、
解釈は重層だと言い放つだけ。そんなの誰でもわかります。
問題は、芸術作品の世界開示的な機能を、専ら言語モデルのタームで
思索していくセンスの悪さ。よくて(今では誰も読まない)中村雄二郎くらいのレベル。
デザインや工学の人が読む、というのは「世界制作の方法」という素晴らしいタイトルに
釣られただけだろう。この哲学は、方法として利用できない退屈さなのだからホント役にたたない。
奥さんのどうでもいいドローイングを引き合いに出すところからみると、典型的に
芸術オンチっぽい。一見、一般書に見えるが、実は分析哲学を専門的に学んだ人が
肩の力を抜いて読む哲学エッセイ。それ以上でも以下でもなし。
2008年5月3日に日本でレビュー済み
「多くの世界があるというのは、正確にはどういう意味でなのか。本物の世界をいつわりの
世界から区別するものは何なのか。世界は何から作られているのか。世界はどのようにして
作られるのか。その制作にさいして記号はどのような役割をはたしているのか。さらに、世界
制作は知識とどのように関連しているのか」
これらが本書において取り上げられるべき主題。キーワードは、例えば「ヴァージョン」。
あるときは認識論、あるときは存在論、あるときは芸術論。
イギリス経験論の香りをはらみつつ、カントの香りを漂わせつつ、分析哲学の香りを放ち
つつ、パラダイム論の香りをまといつつ……そんな知の重層性に加えて、誰とも違う氏特有の
思索のアプローチが交わった濃密な一冊。
世界から区別するものは何なのか。世界は何から作られているのか。世界はどのようにして
作られるのか。その制作にさいして記号はどのような役割をはたしているのか。さらに、世界
制作は知識とどのように関連しているのか」
これらが本書において取り上げられるべき主題。キーワードは、例えば「ヴァージョン」。
あるときは認識論、あるときは存在論、あるときは芸術論。
イギリス経験論の香りをはらみつつ、カントの香りを漂わせつつ、分析哲学の香りを放ち
つつ、パラダイム論の香りをまといつつ……そんな知の重層性に加えて、誰とも違う氏特有の
思索のアプローチが交わった濃密な一冊。
2008年2月9日に日本でレビュー済み
グッドマンほど我が国で冷遇されてきた哲学の巨匠はいないだろう。最近刊行されつつある某大手出版社の哲学史シリーズ――日本人研究者が書いたことがウリの――でも見事に無視されている。さて本書は本国アメリカで刊行されるや大きな反響を引きおこした問題作であり、グッドマンのメタ哲学ならびに記号主義を事例に即して懇切に展開した、グッドマン哲学への最良の入門書(あるいはそれ以上)だ。かつて、みすず書房から刊行されたが長らく品切れになっていた。哲学に関心のある人だけでなく、工学系やデザイン関係者などに読まれていたらしいが、容易に入手できなかった。古本相場も高かったし、第一古本屋の店頭に出なかったのだ。今回文庫化されたが、早速確認したところ、訳や注も改善されていて格段に読みやすくなった。訳者による解題や用語解説も資料として役にたつ。