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大江戸異人往来 (ちくま学芸文庫 ス 9-1) 文庫 – 2008/2/6
- 本の長さ251ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2008/2/6
- ISBN-104480091343
- ISBN-13978-4480091345
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2008/2/6)
- 発売日 : 2008/2/6
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 251ページ
- ISBN-10 : 4480091343
- ISBN-13 : 978-4480091345
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,069,608位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
高山宏訳と知り購入。他の長崎関連書籍とは違う視点から見た長崎と、翻訳本とは思えない訳文が面白みをましています。出品して下さったななろく堂様の対応と梱包に感謝の☆1足しております。
2008年7月23日に日本でレビュー済み
江戸時代といっても、完全に海外との交流が断たれていたわけではなく、様々なルートで事実上、文物や情報、そして人の行き来があった。
江戸時代にあって、そんな「異人」たちがどう認識されていたかを本書は豊かな資料・図版とエピソードをもって論じていく。なかなかさくっと明晰な洞察が展開されている。
漠然と我々の時代のほうが情報も多く、海外の理解もすぐれていると思いがだが、なかなかどうして、昔の人も必死に異人と接し、知恵をもって自らの世界観を構築していたことがよくわかる。
安っぽい「国際化」などというキーワードを振りかざす前に読んでみると、色々と認識を深めさせられる。
江戸時代にあって、そんな「異人」たちがどう認識されていたかを本書は豊かな資料・図版とエピソードをもって論じていく。なかなかさくっと明晰な洞察が展開されている。
漠然と我々の時代のほうが情報も多く、海外の理解もすぐれていると思いがだが、なかなかどうして、昔の人も必死に異人と接し、知恵をもって自らの世界観を構築していたことがよくわかる。
安っぽい「国際化」などというキーワードを振りかざす前に読んでみると、色々と認識を深めさせられる。
2020年9月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を勧めたい理由は勿論面白いからだ。この本が出たのは1995年で、彼の初の著書だそうだ。あとがきや「
定信お見通し
」のスクリーチ氏へのインタビューを読む限りでは、学魔・高山宏氏に良い意味でそそのかされて書いた本の様だ(笑)。さらに江戸文学者の田中優子氏と引き合わされてから、彼の人生は大きく変わってしまったしか思えない。勿論、彼自身の才気があってのことだが、彼は「異なった時代はそれぞれ異なったvisualities(視覚文化)を生む」と喝破する。
私も現代のマンガを読み続けて当然そう思う。というか、今までの文学史で、そこの小説や文章にある挿し絵に注目しなかったということが問題で、解題で田中優子氏(大学院時代にスクリーチ氏は、彼女の著書の「 江戸の想像力 」を読んで、自分がしたかったことを取られた!と愕然したという。「 定信お見通し 」のインタビューより)も外からの視点の必要を説く。
「外からの視点は、外国人だったり、外国に住んだからといって、獲得できるものではない。そこには本人ののびやかな才能が必要だろうし、それとともに、狭い分野にこだわらない、ぐっとひろがった視野が不可欠なのである」と、田中優子氏は述べる。そう、センスが大切。これの無い人が多いと思う。
エピソードも満載で飽きさせない。蘭学者で有名な杉田玄白は侍であり、藩医であったが、自らが解剖したかの如く言われることが多いが、実際は被差別民の九十翁の者が解剖を熟知していて執り行ったという(賤民蔑視が明確にあったということ)。阿蘭陀(オランダ)と総括されるが、実際はドイツ、フランス、スウェーデン、イギリス人など様々な人々が制限はあったが頻繁に出入りしていたこと。
四年に一回、出島の駐留者は、旧暦の三月には将軍に「謁見」する為に江戸城に伺わなくていけなかったこと(これは幕府の権威をアピールする意味で意図的だった。ただ、松平定信治世下では一時期中断された)、歴代の将軍に認められた外国人が宿泊することが出来る定宿であったのが「長崎屋」だったこと(赤字転落やら会社更生法やらで現在でもドン・キホーテの傘下で細々と生き残っているスーパーの前身)。
つまり鎖国というのは、今までの歴史学者の「幻想」であって、キリスト教の普及はご法度だったが、比較的文化や著書、物品の貿易は盛んだったこと。長崎の丸山遊郭で「ハーフ」の私生児が多かったこと(理由はわかると思うが)、遊郭での揚代は高いので、贈り物で砂糖が多かったこと、ただ禁制(密輸)破りに関しては厳格だったので、遊郭の人々は「筋肉」を大いに鍛え、御禁制の宝石を見事に持ち帰って、やおら取り出した遊女がいたという。その川柳が「丸山にキンゴウジヤ(宝石)を生む女あり」と書かれている。出島の外国人の中には日本酒が好きになった人も多く、抜け荷(密輸)も発生したという。
この頃の著書で外国人の見聞きした情報以外にも、出版物にファンタジーやパロディが横行していて、首二つの民族がいたり、頭が空を飛ぶ飛首蛮(ろくろくび)が胸に穴のあいた穿胸だのが載っていて突然阿蘭陀人の絵が載っていたりする「和漢三才図会」という本があったり、意外と江戸時代の人々の感性は現代の人に近いのではないかという気がする。挿絵の多い小説、つまりライトノベルの走りの「南総里見八犬伝」などはこの頃でもあるし。
現代では、江戸時代の「衆道」のことはよく知られているが、当時、蘭学者の間では、キリスト教下でのホモセクシャルに対する厳格さに驚いている話とか面白い話題を出すとキリがない止めるが、読みだすと止まらない面白さがある。ほかにも私が読んだ本では「 江戸の身体を開く 」、「 春画 片手で読む江戸の絵 」がお勧めで、翻訳として高山宏氏が関わっているものなら、まず大丈夫そうだ。
私も現代のマンガを読み続けて当然そう思う。というか、今までの文学史で、そこの小説や文章にある挿し絵に注目しなかったということが問題で、解題で田中優子氏(大学院時代にスクリーチ氏は、彼女の著書の「 江戸の想像力 」を読んで、自分がしたかったことを取られた!と愕然したという。「 定信お見通し 」のインタビューより)も外からの視点の必要を説く。
「外からの視点は、外国人だったり、外国に住んだからといって、獲得できるものではない。そこには本人ののびやかな才能が必要だろうし、それとともに、狭い分野にこだわらない、ぐっとひろがった視野が不可欠なのである」と、田中優子氏は述べる。そう、センスが大切。これの無い人が多いと思う。
エピソードも満載で飽きさせない。蘭学者で有名な杉田玄白は侍であり、藩医であったが、自らが解剖したかの如く言われることが多いが、実際は被差別民の九十翁の者が解剖を熟知していて執り行ったという(賤民蔑視が明確にあったということ)。阿蘭陀(オランダ)と総括されるが、実際はドイツ、フランス、スウェーデン、イギリス人など様々な人々が制限はあったが頻繁に出入りしていたこと。
四年に一回、出島の駐留者は、旧暦の三月には将軍に「謁見」する為に江戸城に伺わなくていけなかったこと(これは幕府の権威をアピールする意味で意図的だった。ただ、松平定信治世下では一時期中断された)、歴代の将軍に認められた外国人が宿泊することが出来る定宿であったのが「長崎屋」だったこと(赤字転落やら会社更生法やらで現在でもドン・キホーテの傘下で細々と生き残っているスーパーの前身)。
つまり鎖国というのは、今までの歴史学者の「幻想」であって、キリスト教の普及はご法度だったが、比較的文化や著書、物品の貿易は盛んだったこと。長崎の丸山遊郭で「ハーフ」の私生児が多かったこと(理由はわかると思うが)、遊郭での揚代は高いので、贈り物で砂糖が多かったこと、ただ禁制(密輸)破りに関しては厳格だったので、遊郭の人々は「筋肉」を大いに鍛え、御禁制の宝石を見事に持ち帰って、やおら取り出した遊女がいたという。その川柳が「丸山にキンゴウジヤ(宝石)を生む女あり」と書かれている。出島の外国人の中には日本酒が好きになった人も多く、抜け荷(密輸)も発生したという。
この頃の著書で外国人の見聞きした情報以外にも、出版物にファンタジーやパロディが横行していて、首二つの民族がいたり、頭が空を飛ぶ飛首蛮(ろくろくび)が胸に穴のあいた穿胸だのが載っていて突然阿蘭陀人の絵が載っていたりする「和漢三才図会」という本があったり、意外と江戸時代の人々の感性は現代の人に近いのではないかという気がする。挿絵の多い小説、つまりライトノベルの走りの「南総里見八犬伝」などはこの頃でもあるし。
現代では、江戸時代の「衆道」のことはよく知られているが、当時、蘭学者の間では、キリスト教下でのホモセクシャルに対する厳格さに驚いている話とか面白い話題を出すとキリがない止めるが、読みだすと止まらない面白さがある。ほかにも私が読んだ本では「 江戸の身体を開く 」、「 春画 片手で読む江戸の絵 」がお勧めで、翻訳として高山宏氏が関わっているものなら、まず大丈夫そうだ。