第一部「幻想としての資本主義」では、貨幣が通用する理由について、「信用」が重要なポイントであると指摘しています。カネになりそうなアイデアを持っているビジネスマンに銀行が融資するという与信行為は、金や銀のように何か実体的な裏付けがあるものに対してカネを貸している訳ではなく、「カネになりそうなアイデア」に対して信用が与えられている、つまり、「カネになりそうなアイデア」という全くどこにも現物が存在しないものからお金が生まれたことになります。このように、「信用創造」による信用貨幣の創出は、本当の意味での創造、即ち、「無からの創造」であると言えます。
それでは何故、確固たる根拠(現物の裏付け)がないまま銀行が与信するのかと言えば、「きっと、この人は将来利子をつけて貸したお金を返済してくれるだろう」と信用しているからです。つまり、信用貨幣が貨幣として妥当であることの理解は、利子を伴って貨幣が還流してくることについての予期によって支えられているということになります。即ち、こうしたメカニズムがワークするためには、未来への信用の存在が必要不可欠であり、「無限の未来」という未だ到来していない時間が、不確実なままでありながらもあたかも実在しているかのように、安定的に観念されなければならないということです。従って、これを時間軸で見ると、将来のある時点において実現するであろうことが、現時点で先取されて特定されるということになります。そして、現在という場所と将来という場所では、商品と貨幣の総体的な関係が異なっており、そこから生じる差額が利子になるのだと言っています。
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資本主義のパラドックス: 楕円幻想 (ちくま学芸文庫 オ 15-2) 文庫 – 2008/3/10
大澤 真幸
(著)
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- 本の長さ382ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2008/3/10
- ISBN-104480091378
- ISBN-13978-4480091376
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2008/3/10)
- 発売日 : 2008/3/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 382ページ
- ISBN-10 : 4480091378
- ISBN-13 : 978-4480091376
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2016年7月18日に日本でレビュー済み
このページはちくま学芸文庫版ですが、私が読んだのは1991年に刊行された新曜社版のものです。
現在に至るまで精力的な執筆活動を続ける著名な社会学者の論文集です。
収録されている各論文が執筆されたのは80年代ですが、新曜社版が刊行された1991年は
ソ連が崩壊して資本主義の勝利が確認された時期です。
(F.フクヤマ「歴史の終わり」の論文が発表されたのが89年)
著者はその先の、勝利したかに見えた資本主義そのものが、それを成立させた機制自体によって自壊に至るプロセスを記述していきます。
それがこのタイトル「資本主義のパラドックス」の示す意味です。
なぜかというのを私のつたない理解でまとめると、資本主義は外部(他者性)の媒介によってその体系を成立させているので
技術革新により、また物理的な意味でも外部=植民地がなくなってしまうとそのダイナミズムは停止してしまうというのです。
その兆候を、著者はディズニーランドに見出します。
外部が・性や暴力が・速度が・不在となったディズニーランドは、「かえって死に最も近接した場所であるかも知れない」(p.299)
と大澤は言います。その理路はあまりにアクロバティックなため、ここではうまく紹介できません。
ここで扱われる主題は、貨幣と信用創造の謎・花田清輝・モーツァルト・フロイト・ディズニーランド・環境倫理など様々ですが、
著者の論理構成は一貫しています。
(本書だけではなく、これまで読んできた著者の本すべてが同じ論理に貫かれているように私には思えますが)
のちには乱用気味の「第三者の審級」という単語自体はそれほど出てきませんが、著者の議論に慣れた人なら
著者のいつもの構図に当てはめて理解できる記述が頻繁にあり、理解しやすいのではないかと思います。
ただ、先ほど触れたディズニーランドを論じる章で
「この点を志田(1984)が鋭く指摘している」(p.292)という記述があり、
文献を見ると志田基与師(1984)「ディズニーランドを読む」(未発表)←検索しましたが現在に至るまで未発表
これはあまり感心しませんでした。検証が不可能ですし文献を掲げる意味があまりありません。
「肛門は、身体の自己同一性が危機に瀕する場所である」(p.152)
フロイトは大きな茸を集めていた→大きな茸はドイツ語でHerrenpilze→Herr(主人)→父=神!! (p.219)
といった楽しい記述も随所にあり、著者のファンには大いにおすすめです。
現在に至るまで精力的な執筆活動を続ける著名な社会学者の論文集です。
収録されている各論文が執筆されたのは80年代ですが、新曜社版が刊行された1991年は
ソ連が崩壊して資本主義の勝利が確認された時期です。
(F.フクヤマ「歴史の終わり」の論文が発表されたのが89年)
著者はその先の、勝利したかに見えた資本主義そのものが、それを成立させた機制自体によって自壊に至るプロセスを記述していきます。
それがこのタイトル「資本主義のパラドックス」の示す意味です。
なぜかというのを私のつたない理解でまとめると、資本主義は外部(他者性)の媒介によってその体系を成立させているので
技術革新により、また物理的な意味でも外部=植民地がなくなってしまうとそのダイナミズムは停止してしまうというのです。
その兆候を、著者はディズニーランドに見出します。
外部が・性や暴力が・速度が・不在となったディズニーランドは、「かえって死に最も近接した場所であるかも知れない」(p.299)
と大澤は言います。その理路はあまりにアクロバティックなため、ここではうまく紹介できません。
ここで扱われる主題は、貨幣と信用創造の謎・花田清輝・モーツァルト・フロイト・ディズニーランド・環境倫理など様々ですが、
著者の論理構成は一貫しています。
(本書だけではなく、これまで読んできた著者の本すべてが同じ論理に貫かれているように私には思えますが)
のちには乱用気味の「第三者の審級」という単語自体はそれほど出てきませんが、著者の議論に慣れた人なら
著者のいつもの構図に当てはめて理解できる記述が頻繁にあり、理解しやすいのではないかと思います。
ただ、先ほど触れたディズニーランドを論じる章で
「この点を志田(1984)が鋭く指摘している」(p.292)という記述があり、
文献を見ると志田基与師(1984)「ディズニーランドを読む」(未発表)←検索しましたが現在に至るまで未発表
これはあまり感心しませんでした。検証が不可能ですし文献を掲げる意味があまりありません。
「肛門は、身体の自己同一性が危機に瀕する場所である」(p.152)
フロイトは大きな茸を集めていた→大きな茸はドイツ語でHerrenpilze→Herr(主人)→父=神!! (p.219)
といった楽しい記述も随所にあり、著者のファンには大いにおすすめです。
2012年5月2日に日本でレビュー済み
哲学とは疑うことである。常識を疑い、道徳を疑い、科学を疑い、人間を疑う。要するにありとあらゆる先入観を哲学は疑う。だが言うまでもなく、社会に深く根付いている先入観ほど疑うことが難しい。
例えば資本主義というイデオロギーは、最も疑うのが難しい先入観の一つであろう。登校を拒否する反体制の不良でさえ弱者からカネを巻き上げ、道徳に囚われない殺し屋でさえ報酬を要求する世の中なのだから。「地獄の沙汰もカネ次第」という言い回しにもあるように、われわれは貨幣至上主義に染まっておりしかもそのことに気づいていない。
だが実のところ貨幣そのものに価値はない。価値のない貨幣がなぜ流通し続けるのか。そのパラドックスは岩井克人が『貨幣論』で鋭く分析しているところであるが、大澤はメディチ家、花田清輝、ベラスケス、モーツァルト、フロイト、ディズニーランド、等々を題材にとり、多少強引とも思える手腕で議論を展開する。その博識ぶりには舌を巻くしかない。
最も興味深かったのは資本主義と環境倫理の関係を論じた最終章であった。大澤によれば資本主義の運動は、人間の同一性を貧困化し、それ以外の存在者との境界線を曖昧にする。その結果、人間以外のあらゆる存在者が権利を持っているかのような社会観が形成されることになる。環境倫理とはその結果であって、人間の道徳的進化の賜物ではない。だがそのような環境倫理は最終的には失効せざるをえない。なぜならあらゆる存在者が権利を持つということは、あらゆる存在者が責任を持つということであり、そのような世界では責任という概念がそもそも無効になってしまうのだから。
少々こじつけと思われるような箇所も散見されるが、そこがまたこの人の魅力でもあるのだろう。知的刺激に飢えている読者層には楽しめる一冊かも知れない。
例えば資本主義というイデオロギーは、最も疑うのが難しい先入観の一つであろう。登校を拒否する反体制の不良でさえ弱者からカネを巻き上げ、道徳に囚われない殺し屋でさえ報酬を要求する世の中なのだから。「地獄の沙汰もカネ次第」という言い回しにもあるように、われわれは貨幣至上主義に染まっておりしかもそのことに気づいていない。
だが実のところ貨幣そのものに価値はない。価値のない貨幣がなぜ流通し続けるのか。そのパラドックスは岩井克人が『貨幣論』で鋭く分析しているところであるが、大澤はメディチ家、花田清輝、ベラスケス、モーツァルト、フロイト、ディズニーランド、等々を題材にとり、多少強引とも思える手腕で議論を展開する。その博識ぶりには舌を巻くしかない。
最も興味深かったのは資本主義と環境倫理の関係を論じた最終章であった。大澤によれば資本主義の運動は、人間の同一性を貧困化し、それ以外の存在者との境界線を曖昧にする。その結果、人間以外のあらゆる存在者が権利を持っているかのような社会観が形成されることになる。環境倫理とはその結果であって、人間の道徳的進化の賜物ではない。だがそのような環境倫理は最終的には失効せざるをえない。なぜならあらゆる存在者が権利を持つということは、あらゆる存在者が責任を持つということであり、そのような世界では責任という概念がそもそも無効になってしまうのだから。
少々こじつけと思われるような箇所も散見されるが、そこがまたこの人の魅力でもあるのだろう。知的刺激に飢えている読者層には楽しめる一冊かも知れない。
2008年3月16日に日本でレビュー済み
とにかく多才。あれこれ人の本を読んで、論点を外さず、そつなくまとめていく図抜けた秀才の著書。言っては何だが器用貧乏な感じもする。ここに出てくるテーマは、しかし、オリジナリティがあるとはおもえないのは、当時、岩井克人、浅田彰、柄谷行人などが、あれこれ論じていた論点や視点のリバイバルみたいな感じがする。貨幣の「謎」とやらは、もううんざりな感じだが。。。反吉本隆明のために、遅ればせながら引っ張り出された「花田清輝」とか、「言葉と物」(フーコー)の冒頭のラスメニーナスや、モーツアルト、エディプス、フロイト、そして、当時今以上に驚きをもって見られていたディズニーランド、こういうサブカルチャーを「読む」、ということ。吉本あたりが引っ張り出した「東京」「都市論」。。。。。そして全編をつらぬく「身体」論の視点も、どこかで聞いたような気はする。とにかく、そういえば、なんかこんなこと言ってたよなあ、というようなハナシが、本書で纏めて出てくる。高階秀爾の紹介しているメディチ家の金儲けの話の孫引きはちょっとおもしろかったが、まあ、こんな単純な話、歴史的な興味以上のものは無かったが。或る時代の日本の文化人が好んで本にしていたテーマが一書で分かるという意味で、便利な本。