大学で経済学も数学も学ばなかったが、卒後に独学で学んだ私には、目から鱗だった。多分、大学計量経済学を学んでいたら、疑問を教授にぶつけても適当にごまかされてしまっただろう
数学は純粋科学で応用が利く。経済学の分野ではサミュエルソンを始め多くのノーベル賞学者が画期的な研究をものしてきた。しかし、だ、統計学が万能では無いのは、社会科学を学ぶ上で重要な点だ。相関係数を利用するのは構わないが、相関検定によりt値を利用する時、自然科学と社会科学では%が異なる部分に違和感を持っていた。第一章では、将にその部分が指摘されている
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ノーベル賞経済学者の大罪 増補 (ちくま学芸文庫 マ 32-1) 文庫 – 2009/10/7
- 本の長さ309ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2009/10/7
- ISBN-104480092501
- ISBN-13978-4480092502
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2009/10/7)
- 発売日 : 2009/10/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 309ページ
- ISBN-10 : 4480092501
- ISBN-13 : 978-4480092502
- Amazon 売れ筋ランキング: - 792,814位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,120位ちくま学芸文庫
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2012年5月4日に日本でレビュー済み
2002年の単行本に増補がついた文庫版です。旧版にレビューがついていますが、文庫化されてから読んだのでこちらにレビューです。原著は1996年なので、おそらく1990年前半までの事情の基づいて書かれているのでしょうが文庫化にあたって2009年の新たな著者の序文がついていますから、状況はあまり変わっていないということでしょうか。
著者が第1の悪徳としてあげる統計的有意性を実体的有用性と強弁して論文を粗製乱造するといった、アカデミズムの歪んだシステムは経済学でも医学でも同じ(本文でも少しふれられていますが)なのだと思います。著者も言うように、これは確かにコンピューターの普及によって統計計算が安易にできるようになったことに起因することが大きいでしょう。昔はデータを表にしていちいち電卓で計算しました。とてもじゃないけれど、仮説を立てて、見込みのある計算しかできませんでした。今はエクセルで一発です。多変量解析にしたってそれなりのソフトを使うことで一発です。
本当に楽しいおもちゃだと思いますよ。まずたいした仮説もなしにデータを集め、片っ端からコンピュータにぶち込んで、有意差の出る組み合わせをトライアンドエラーで探すわけです。有意差が出さえすれば上でも下でもどちらでも良いのです。それで学会発表なり論文が書けてしまうのですから。しかもそれがセンセーショナルならばマスコミも飛びつくし、大々的にぶち上げれば、飯のたねもひとつ出来上がりというわけです。統計を使って論文を仕上げた院生に、ところでその統計処理の際の「帰無仮説はなにかね」と聞けば、即答できない院生のほうが多いのではないでしょうか。相関関係は因果関係であるかと聞いても良いでしょう。想像したくないけれども「そうじゃないんですか?」とあっさり答えそうでちょっと怖いものがあります。
第2のサミュエルソン的悪徳は、経済学が現実を考慮しない純粋理論的、定性的研究がメインストリームとなってしまい、いわゆる黒板経済学に堕してしまったことだと言うのであります。ある定理が論理学的に妥当であってもそれが現実の世界で真実であるかは何にも保証されないにもかかわらず、それがあたかも重大な真実のように扱われ、あまつさえノーベル賞の評価対象になるという倒錯した事態になっているといいます。
第3の悪徳は、これらふたつの悪徳から導かれる社会工学の悪徳とされます。そもそもなんら現実と切り結ぶことなく導かれた経済理論によって社会に介入しようとする誤りを指摘します。もちろん著者はリバタリアンではありません。ご都合主義的に政府の介入を嫌う連中をカントリーリパブリカンと呼んではばからないし、良い意味でのブルジョア自由主義を称揚しています。原題に「ブルジョアの美徳」とあるのもその意味でしょう。全編を通じて、きわめて常識的な議論なのです。
おそらく他のアカデミズムでも同様な事態が起きているのでしょうけれども、その極端な事態が経済学であったわけで、それをその悪徳を知り尽くしている研究者(何せ著者はあのシカゴ大学に勤めていたことがあるのですよ)が指摘しているのですから説得力いっぱいです。
著者が第1の悪徳としてあげる統計的有意性を実体的有用性と強弁して論文を粗製乱造するといった、アカデミズムの歪んだシステムは経済学でも医学でも同じ(本文でも少しふれられていますが)なのだと思います。著者も言うように、これは確かにコンピューターの普及によって統計計算が安易にできるようになったことに起因することが大きいでしょう。昔はデータを表にしていちいち電卓で計算しました。とてもじゃないけれど、仮説を立てて、見込みのある計算しかできませんでした。今はエクセルで一発です。多変量解析にしたってそれなりのソフトを使うことで一発です。
本当に楽しいおもちゃだと思いますよ。まずたいした仮説もなしにデータを集め、片っ端からコンピュータにぶち込んで、有意差の出る組み合わせをトライアンドエラーで探すわけです。有意差が出さえすれば上でも下でもどちらでも良いのです。それで学会発表なり論文が書けてしまうのですから。しかもそれがセンセーショナルならばマスコミも飛びつくし、大々的にぶち上げれば、飯のたねもひとつ出来上がりというわけです。統計を使って論文を仕上げた院生に、ところでその統計処理の際の「帰無仮説はなにかね」と聞けば、即答できない院生のほうが多いのではないでしょうか。相関関係は因果関係であるかと聞いても良いでしょう。想像したくないけれども「そうじゃないんですか?」とあっさり答えそうでちょっと怖いものがあります。
第2のサミュエルソン的悪徳は、経済学が現実を考慮しない純粋理論的、定性的研究がメインストリームとなってしまい、いわゆる黒板経済学に堕してしまったことだと言うのであります。ある定理が論理学的に妥当であってもそれが現実の世界で真実であるかは何にも保証されないにもかかわらず、それがあたかも重大な真実のように扱われ、あまつさえノーベル賞の評価対象になるという倒錯した事態になっているといいます。
第3の悪徳は、これらふたつの悪徳から導かれる社会工学の悪徳とされます。そもそもなんら現実と切り結ぶことなく導かれた経済理論によって社会に介入しようとする誤りを指摘します。もちろん著者はリバタリアンではありません。ご都合主義的に政府の介入を嫌う連中をカントリーリパブリカンと呼んではばからないし、良い意味でのブルジョア自由主義を称揚しています。原題に「ブルジョアの美徳」とあるのもその意味でしょう。全編を通じて、きわめて常識的な議論なのです。
おそらく他のアカデミズムでも同様な事態が起きているのでしょうけれども、その極端な事態が経済学であったわけで、それをその悪徳を知り尽くしている研究者(何せ著者はあのシカゴ大学に勤めていたことがあるのですよ)が指摘しているのですから説得力いっぱいです。
2002年11月26日に日本でレビュー済み
性転換したことでも知られるディアドラ・マクロスキーの経済学批判の書。とくに統計的有意性の概念の悪用を批判した第二章と、事実と向き合おうとしない理論経済学者のメンタリティーを告発した第三章は読みごたえがある。日本語版タイトルはややグランド・サウンディングだが、その内容は意外にまともだ。経済学者はもっと事実そのものを重視しなければならないとする著者の立場には賛成したい。性転換した著者を意識してか、訳者がところどころおねえ言葉を交えて訳出しているのは、著者にたいする訳者の暖かい配慮を感じさせる。
2002年12月13日に日本でレビュー済み
現実の経済政策に役に立たない学問をもっとこうして考えるべきであるとする趣旨は大変啓蒙的。スミス等の古典派が如何に偉大であったかと言う印象を受けました。但し、私自身はサミエルソンの教科書で学び、黒板経済理論に熱中したことから、経済学は実経済に合ったものばかりでは無いとは百も承知。それでも経済理論の面白さを否定する気にはなりません。ジョン・ナッシュの一般均衡理論もそのちょっとした着目点には今でも心服しています。理論ばかりやると他の分析経済学がアホらしく見えてくる傾向が確かにありますが、突き詰めればどんなコトでも実際の有効性とはかけ離れて行くもんだと思います。
赤羽さんの訳ですが、昔からぶっちゃけた事を書いて来た方なのでああも書けるんだなあ、とは思いますが正直言って論文調の言葉が連続する途中でいきなりオネエ言葉が出てくるのには閉口した。あんまり文体に合ってないように感じます。
赤羽さんの訳ですが、昔からぶっちゃけた事を書いて来た方なのでああも書けるんだなあ、とは思いますが正直言って論文調の言葉が連続する途中でいきなりオネエ言葉が出てくるのには閉口した。あんまり文体に合ってないように感じます。