フツーになるって難しいよね、という話をしたのを思い出した。
たしか大学生だったから、40年くらい前。
フツーとは、平均的か多数派か、はたまた日和見か。
いずれにせよ、コミュニケーションに関わる話かな、とは思う。
他者/世界との関係とは何か。
そこへの/からの始点・通過点・終点としてのわたしとは何か。
単行本が1998年、文庫(本書)が2010年の刊行で、今は2020年。
初出当時の世相はあるものの、書かれていることの本質は変わっておらず、むしろ懸念されていることはさらに深刻化しているように思える。
自らにとって都合のよい情報のみをネットから受け入れる/てしまうことによるものなのか。
うまく言えないのだけれど、根源的な部分でのコミュニケーションがなくなりつつあるように感じる。
朝日新聞の折々のことばが好きなのだけれど、あの短い文章、純度の高い内容に「ん?」と思う方には本書をお勧めしたい。
伝えること、聴くこと、それらが紡ぎ出す世界、それがなくなってしまう危惧・・・、わたしとは何か。
そんなことを考えさせられるから。
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新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫 ワ 5-3) 文庫 – 2010/2/9
鷲田 清一
(著)
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- 本の長さ350ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2010/2/9
- ISBN-104480092706
- ISBN-13978-4480092700
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2010/2/9)
- 発売日 : 2010/2/9
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 350ページ
- ISBN-10 : 4480092706
- ISBN-13 : 978-4480092700
- Amazon 売れ筋ランキング: - 146,062位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 206位近代西洋哲学
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- - 564位ちくま学芸文庫
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年12月30日に日本でレビュー済み
以下の内容を含む、愛知芸術文化センター『うつしとられた身体』(1995年)が参照されている。
謎としての身体(多木浩二)
芸術における身体現象
身体の視点が持つ批評的機能
20世紀の抽象絵画と身体
写真が切り開く現代的身体
近代の身体,そして謎としての身体。
鏡の中の皮膚(森村泰昌)
不気味なものの起源
境界線上の皮膚感覚
凍りついた映像
究極の変身
世紀末の合図,現代美術と身体(篠田達美)
西欧的二元論による身体観の断末魔
機械文明へのイン◯テンツな拒絶反応
共有されるバナリティな肉体観
反権力としての異常なる身体表現
情報の分泌物と身体の情報化。
情報としての身体(椹木野衣)
美術表現にかかわる身体イメージ
物質とイメージの性質を兼ね備えた情報
種の保存にかかわるパブリック・○ーメン
情報化による自己身体のイメージの再組織化
物質とイメージのずれから生じる不透明なノイズ。
身体の模像としての建築(八束はじめ)
神学的アナロジーとしての建築観
幾何学的秩序と官能的曲線
機械のリズムに対応する身体
解体・破壊される身体像
排除される身体感覚
宇宙的身体感覚の共有。
裸体の劇場(太田省吾)
演劇におけるリアルとは
存在の物語と価値の物語
引き算の論理
死んだ地点からの演劇。
演劇的表象と身体(内野儀)
ハムレットとオフィーリアの身体
身体のリアルな物質性
特権的身体から政治的身体へ。
身体=機械ヴィジョンの終焉(伊藤俊治)
機械美学から情報美学へ
デザイン概念の変容
見えないデザインの時代
物質から非物質へ。
感覚と物質をつなぐ身体(倉林靖)
身体の政治学を展開する広告
世界に浮遊する集団無意識
身体が発するイメージにみる現代人の願望。
物質・情報・身体(森岡祥倫)
身体領域を曖昧にする二つの淵
科学技術に推進される選択的身体の拡充
電子的身体の拡張と技術中心主義のヘゲモニー
人間機械論批判と20世紀初頭の芸術運動
近代的生産技術と記号論的身体の図面
電子情報空間と身体の編集
脱人格的身体を現出させるデジタル情報空間
身体地図の改編と感覚地図の変容
冗長性のない論理機械と揺らぐ身体の接点
選択的身体のメタファー 電子の皮膚。
余白に立つ(勅使河原三郎)
サラエヴォの影
解剖学的平面
視線の錯綜空間
作品の生成と必然
表現と文化的なもの
余白,もしくは反歴史の逆説。
身体への帰還:20世紀のダンスと身体(尼ヶ崎彬)
表現された身体と表現する身体
スターの身体
表現された身体
内面のない身体
ダンサーの身体。
始源の音と螺旋の身体観(土取利行)
ナニカ不思議な力が導く偶然の出会い
ミルフォードとの出会い
ブルックの求める演劇の本質的エネルギー
縄文人の全体感覚と螺旋の世界
創造はいつも身近な日常生活にある。
アクースマティックな身体の再組織化(庄野進)
機械化から電子化へ
セリー音楽:音楽の非身体化
音の身振り:響きの再身体化。
起源の身体 文学の根源(小林康夫)
禁じられた身体
身体的な同一化の場
身振りの考古学
太古的な身体の次元。
沈黙をまとう身体(山本耀司)
拓かれた身体を求めて
完結させない
黒の選択
知りすぎた女と,野暮な男
できればサイズレス
シンメトリーは醜い
制約の魅力
もう一つの牢獄を愛する男。
衣服という皮膚(鷲田清一)
身体はまずは衣服なのだ
ファッションの皮膚論的な転位,ミニスカート
衣服こそわたしたちの魂の皮膚だ。
饒舌なる肉体(周坊正行)
肉体の差異が物語を成立させる
リアリティの獲得は肉体の色と形。
映画的身体の分類学(松浦寿輝)
分断か持続か
ベルクソン的身体
アルトマンの悪意。
電子映像時代の身体距離(建畠哲)
電子映像がもたらす身体
距離の意味を無化するメディア
身体の客体化への試み
時間的ヒエラルキーの曖昧化。
ダダ・パンク・パフォーマンス(上野俊哉)
ダダ的文化運動としてのパンク
アートと音を結ぶロック・ミュージック
革命性・破壊性を喪失したパフォーマンス・アート。
批評する身体(伊島薫)
モードという記号化された身体
欲望のまなざしの外へ
モードという身体の死。
写真の歴史的パラドックス(大嶋浩)
写真がもたらした身体へのまなざし
ベンヤミンのアウラが持つ批評的倒錯性
写真の歴史を支配する二重性
見ることの知覚とイマージュ
罠としての歴史的パラドックス
写真の分類学,そして再びアウラへ。
あとがき(荻原朔美)。
謎としての身体(多木浩二)
芸術における身体現象
身体の視点が持つ批評的機能
20世紀の抽象絵画と身体
写真が切り開く現代的身体
近代の身体,そして謎としての身体。
鏡の中の皮膚(森村泰昌)
不気味なものの起源
境界線上の皮膚感覚
凍りついた映像
究極の変身
世紀末の合図,現代美術と身体(篠田達美)
西欧的二元論による身体観の断末魔
機械文明へのイン◯テンツな拒絶反応
共有されるバナリティな肉体観
反権力としての異常なる身体表現
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情報としての身体(椹木野衣)
美術表現にかかわる身体イメージ
物質とイメージの性質を兼ね備えた情報
種の保存にかかわるパブリック・○ーメン
情報化による自己身体のイメージの再組織化
物質とイメージのずれから生じる不透明なノイズ。
身体の模像としての建築(八束はじめ)
神学的アナロジーとしての建築観
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機械のリズムに対応する身体
解体・破壊される身体像
排除される身体感覚
宇宙的身体感覚の共有。
裸体の劇場(太田省吾)
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存在の物語と価値の物語
引き算の論理
死んだ地点からの演劇。
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身体のリアルな物質性
特権的身体から政治的身体へ。
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科学技術に推進される選択的身体の拡充
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電子情報空間と身体の編集
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選択的身体のメタファー 電子の皮膚。
余白に立つ(勅使河原三郎)
サラエヴォの影
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余白,もしくは反歴史の逆説。
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ダンサーの身体。
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アクースマティックな身体の再組織化(庄野進)
機械化から電子化へ
セリー音楽:音楽の非身体化
音の身振り:響きの再身体化。
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禁じられた身体
身体的な同一化の場
身振りの考古学
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完結させない
黒の選択
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制約の魅力
もう一つの牢獄を愛する男。
衣服という皮膚(鷲田清一)
身体はまずは衣服なのだ
ファッションの皮膚論的な転位,ミニスカート
衣服こそわたしたちの魂の皮膚だ。
饒舌なる肉体(周坊正行)
肉体の差異が物語を成立させる
リアリティの獲得は肉体の色と形。
映画的身体の分類学(松浦寿輝)
分断か持続か
ベルクソン的身体
アルトマンの悪意。
電子映像時代の身体距離(建畠哲)
電子映像がもたらす身体
距離の意味を無化するメディア
身体の客体化への試み
時間的ヒエラルキーの曖昧化。
ダダ・パンク・パフォーマンス(上野俊哉)
ダダ的文化運動としてのパンク
アートと音を結ぶロック・ミュージック
革命性・破壊性を喪失したパフォーマンス・アート。
批評する身体(伊島薫)
モードという記号化された身体
欲望のまなざしの外へ
モードという身体の死。
写真の歴史的パラドックス(大嶋浩)
写真がもたらした身体へのまなざし
ベンヤミンのアウラが持つ批評的倒錯性
写真の歴史を支配する二重性
見ることの知覚とイマージュ
罠としての歴史的パラドックス
写真の分類学,そして再びアウラへ。
あとがき(荻原朔美)。
2015年9月25日に日本でレビュー済み
1995年に起きた、阪神・淡路大震災と1997年の神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の前後に書かれた文章を中心に構成されていますが、新編(文庫版)を編むにあたり、比較的新しめの文章が収められています。具体的には、1993年から2008年までの文章が収められています。
この本には70編もの鷲田氏の文章が収められています。中には20年以上も前に書かれたものもあるので、時代を感じさせる記述があります。しかし、やわらかい文体と鋭敏な切り口で紡ぎだされた、様々なテーマに対する深い考察は、まったく色褪せていません。
「からだの変容」や「食生活」、そして「対人関係」をテーマにした文章に、私はとりわけ膝を打ち首肯しました。私たちはさらなる利便性を追求し、生活の水準をより高次的なものにしようとしていますが、その行為によって、私たちが考えている以上に、私たちのからだはその負担を背負っています。たとえば食生活を見ても、かつては「共食」であった食事が「分食」となり「個食」となりました(「コンビニという文化」)。携帯電話に関する言及もこの本の中でたびたび取り上げられますが、この出現により、パブリックとプライヴェートとの境界線がきわめて曖昧になりました。このような生活体系や意識の変化は、私たちのからだに大きな影響を与えているのだ、そう氏は警鐘を鳴らしています。
「ひとはじぶんの生命(いのち)をみずから創りだしたわけではない。(中略)少なくともこのわたしの身体は、私だけのものではない。ということは、この生命はわたしだけが決しうるものではないし、決すべきものでもない」(「身体はだれものものか?」)との言葉は私たちがじゅうぶんに認識すべきものではないか、そう考えさせられます。
氏の卓越した慧眼をじゅうぶんに味わえる、価値ある一冊です。
この本には70編もの鷲田氏の文章が収められています。中には20年以上も前に書かれたものもあるので、時代を感じさせる記述があります。しかし、やわらかい文体と鋭敏な切り口で紡ぎだされた、様々なテーマに対する深い考察は、まったく色褪せていません。
「からだの変容」や「食生活」、そして「対人関係」をテーマにした文章に、私はとりわけ膝を打ち首肯しました。私たちはさらなる利便性を追求し、生活の水準をより高次的なものにしようとしていますが、その行為によって、私たちが考えている以上に、私たちのからだはその負担を背負っています。たとえば食生活を見ても、かつては「共食」であった食事が「分食」となり「個食」となりました(「コンビニという文化」)。携帯電話に関する言及もこの本の中でたびたび取り上げられますが、この出現により、パブリックとプライヴェートとの境界線がきわめて曖昧になりました。このような生活体系や意識の変化は、私たちのからだに大きな影響を与えているのだ、そう氏は警鐘を鳴らしています。
「ひとはじぶんの生命(いのち)をみずから創りだしたわけではない。(中略)少なくともこのわたしの身体は、私だけのものではない。ということは、この生命はわたしだけが決しうるものではないし、決すべきものでもない」(「身体はだれものものか?」)との言葉は私たちがじゅうぶんに認識すべきものではないか、そう考えさせられます。
氏の卓越した慧眼をじゅうぶんに味わえる、価値ある一冊です。