今回で3回目。何度読んでもよくわからない本です。研究者ではなく、サラリーマンのわたしには毎日チョロチョロ読んでいるために読み終えるのに時間がかかること、かかること。。。
思考実験で用いられている例や議論などは卑近な例が多くて、文も複雑ではなく、特殊な用語が出てくるわけでもなく、なんとなくわかりやすい雰囲気はあるのですが、結論が明確に書かれていないために、一体何が言いたいのかわからない。
『探求』同様に読者は自分で考えろということでしょうか。
しかしながら次のように似たようなことばが何度も出てくるということは重要だと考えて間違えはないと思います。
P013「思われる」3箇所、「思える」2箇所
P025~026 「感じる」7箇所
P106 「思われる」「みえる」「考えるようになる」「思われてくる」
これ、すべて私たちのある傾向性を述べているのです。私たちは実は日常言語の使い方を勘違いしているとウィトゲンシュタイン先生はのたもうておられるのです。
例えば「願望」とは?
「わたしは出世を望んでいるんですよ」
「えっ、願望の対象?実は部長になりたいんですよ」
実はこれは願望の説明にもなっていません。「出世」を「部長になる」と別のことばで言い換えたにすぎないのです。実はウィトゲンシュタインによりますと、「願望」ということばは1つしか使い方(意味)がないということではない とのことです。わたしたちはそこを勘違いしている。
「出世への願望」
「世界平和への願望」
「健康回復への願望」
願望それぞれ、これ、みんなそれぞれ違うみたいです。。。
例えば「ドラえもん」「招き猫」「シャムネコ」「キティちゃん」。。。共通するのは?
ネコだということ!
ウィトゲンシュタインによると「共通する一つの特性なんてないのだ。あるのは類似性だけなんだよ。」とのことです。確かにドラえもんは耳がないのにネコです。キティは口がないけどネコです。
どうもわたしたちはどうしても一般化、共通化させないと気がすまない動物のようです。
例えば「1+1=2」であり、「1+1=3」はありえない。答えは1つのみ!幼稚園児でも知っているよ。そんなこと(でも100年後に「深層数学」なるものが現れ、「1+1(+1)=3」という目には見えない深層構造のある数式が出てこないとも限らない。。。)。ウィトゲンシュタイン先生の頭脳はわたしたちの様な凡人には理解しかねます。
この一般化、共通化が後半に触れられる「独我論批判」につながるのかと思います。
私たちはことばの意味は1つしかないと考えます。「私は歯が痛い」と「彼は歯が痛い」は見たところ同じような文ですが、実はそもそもこの二つは異なる文だそうです。「私」ということばと「彼」ということばは「主体としての用法」、「客体としての用法」で異なります」(本書P153では「主観としての用法」「客観としての用法」ということばで書かれていますが、「主体」「客体」の方がわかりやすいです)。「主体としての用法は絶対に間違えるはずはない」とのことです。また「痛い」ということばも「痛みを感じる」ということばを言い換えているだけ。実際問題では独我論の人たちは他の人たちが自分のような痛みを感じてはいないなんて考えてはいません。本気でそう思っているのではなく、それを認めたくないという欲求、衝動があるだけなのです。
私たちは結局、「そうであるべき」という欲求、衝動を抑えることができないために誤解をしてしまっているところがあるのです。「絶対的」とか、「特殊」とか、「基準に従って」とかがとても好きです。そしてなんでも「心とか精神のせい」にして問題を解決しようとしているのです(P169)。
ウィトゲンシュタインは明確な答えを言ってくれません。ただ「こう考えたら」とヒントを与えてくれるだけです。しかしこれこそがまさに実践哲学と呼ぶのにふさわしいといえるのではないでしょうか。
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青色本 (ちくま学芸文庫 ウ 15-2) 文庫 – 2010/11/12
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- ISBN-104480093265
- ISBN-13978-4480093264
- 出版社筑摩書房
- 発売日2010/11/12
- 言語日本語
- 寸法10.6 x 0.9 x 14.8 cm
- 本の長さ212ページ
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- 出版社 : 筑摩書房 (2010/11/12)
- 発売日 : 2010/11/12
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 212ページ
- ISBN-10 : 4480093265
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2015年11月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
論考の禅問答のような表現はなく、じっくり読めば理解できる。前半は言語ゲームにつながる議論があるが、家族的類似性がある概念を純粋に表すイデアが思惟可能という観念とは対立するように思え、できるだけ単純に自然現象を説明する科学の方法と同じやり方が哲学者を形而上学の闇に導くというのは、語りえぬものには沈黙しなければならないという論考からの流れであろうか。
しかし、後半の独我論の謎解きは“言葉で語られる独我論”は私的言語の使用に解消されると理解できる。著者自身は独我論者ではないような書きっぷりである。独我論へのとらわれからの「治癒としての哲学」としても読める。
しかし、後半の独我論の謎解きは“言葉で語られる独我論”は私的言語の使用に解消されると理解できる。著者自身は独我論者ではないような書きっぷりである。独我論へのとらわれからの「治癒としての哲学」としても読める。
2014年10月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みややくす初心者にはとても参考となりました。入門書を読むよりやはりはじめから原書(翻訳ですが)にあたることが大切ですね。
2014年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
当然内容は最高にスリリングである。原文も比較的平易な英語だったが、英語で読んだ時に分かりにくかった部分が大森訳でかなり解消された。しかし何故にKidle版では解説が割愛されているのだろうか。少々価格をアップしても入れて欲しかった。よって星1つ減。
2017年11月30日に日本でレビュー済み
彼はあらゆる哲学的探求、会話は言葉ゲームであると云っているが、個人的には「そんなことを考えてどうするのか」と思わせるところも多い。
ただ、人であれば一度は考えることも多いし、「云われてみれば」と思わせるあたり、ヴィトゲンシュタイン哲学の魅力があるのだろう。私一個人としては、「そういう考え方を人もいる」程度のものでしかない。
彼の考え方に触れたのは、「他人の心を知ることはできるか」という箇所であるが、これは大学の講義で知ったことで、かつ彼の後期作「哲学探究」の中課から引用するものである。仮に「『リンゴ』や『歯痛』という単語が共有されている以上、どう表現しようとも、その言葉を把握している以上、他人の心を把握できているに違いない。」と。文理としては分からなくもない。
彼は語の定義に関する回答は、あらゆる例示によってのみ解消されるとする。しかしこれは、いままでのソクラテス的回答「しみじみと何かを語りつくす」ことに対する挑戦である。ただ、私も思うのは、哲学はそれによってあらゆる要素が混沌とし、難解にしてきたのも確かだ。分からなくもないが、20世紀初頭ですでにこの考えを主張する、というのも、哲学のいったんであろうけども・・・。
かのデカルトは、スコラ哲学に関して「その問い自体がなんであるかを考えないのか。」と云って修道院を抜け出したとされる。ヴィトゲンシュタインも、デカルト、ベーコン、カント...という近代哲学の系譜に対する「哲学的挑戦」をけしかけているのかもしれない。「語に対する探求」から「語を使うことによる探求」へと逆立ちさせたあたり、彼は俗的だが、云いえて妙な説を展開する。
読めば読むほど、「そんなことを云っても仕方ないだろう。話を振り出しに戻したいのか。」と云いたくなってくる。ただ、それはそう言わしめるくらい、哲学が複雑すぎることへの反発だ。
ただ、人であれば一度は考えることも多いし、「云われてみれば」と思わせるあたり、ヴィトゲンシュタイン哲学の魅力があるのだろう。私一個人としては、「そういう考え方を人もいる」程度のものでしかない。
彼の考え方に触れたのは、「他人の心を知ることはできるか」という箇所であるが、これは大学の講義で知ったことで、かつ彼の後期作「哲学探究」の中課から引用するものである。仮に「『リンゴ』や『歯痛』という単語が共有されている以上、どう表現しようとも、その言葉を把握している以上、他人の心を把握できているに違いない。」と。文理としては分からなくもない。
彼は語の定義に関する回答は、あらゆる例示によってのみ解消されるとする。しかしこれは、いままでのソクラテス的回答「しみじみと何かを語りつくす」ことに対する挑戦である。ただ、私も思うのは、哲学はそれによってあらゆる要素が混沌とし、難解にしてきたのも確かだ。分からなくもないが、20世紀初頭ですでにこの考えを主張する、というのも、哲学のいったんであろうけども・・・。
かのデカルトは、スコラ哲学に関して「その問い自体がなんであるかを考えないのか。」と云って修道院を抜け出したとされる。ヴィトゲンシュタインも、デカルト、ベーコン、カント...という近代哲学の系譜に対する「哲学的挑戦」をけしかけているのかもしれない。「語に対する探求」から「語を使うことによる探求」へと逆立ちさせたあたり、彼は俗的だが、云いえて妙な説を展開する。
読めば読むほど、「そんなことを云っても仕方ないだろう。話を振り出しに戻したいのか。」と云いたくなってくる。ただ、それはそう言わしめるくらい、哲学が複雑すぎることへの反発だ。
2023年1月7日に日本でレビュー済み
ウィトゲンシュタインは読まなくてもいいだろう。とくに日本人は求心的に信じるという文化も習俗もないので、大陸の観念的発想に違和感を持つ経験論的実在論的発想が根強いイギリスの思想界で、しかもキリスト的な「神」を深く信じ込んだ経験をもつ人間がウィト氏である。彼は、大陸の観念的な発想に反発しながら、自己の宗教的発想と実在論的環境の食い違いを放っておけず、生涯を棒に振った1哲学者であって、日本の知識オタクにならって、それほど持ち上げることはない。大森荘蔵も無理筋のクイズ解きにに疲れ、日本的自然主義に回帰して合致してしまった。つまり幸せに日本思想と和解したが、ウィトは根深く宗教的、求心的であったため、後にひけずに狂った。
2013年10月13日に日本でレビュー済み
この「青色本」は後期ウィトゲンシュタインを理解する上でも重要視されているものであり、本書は彼が口頭で述べたものを学生が文章にしたものであるから、論考や探求などの比べれば読み易いはずであるのだが・・・実際はそうでもない。
ウィトゲンシュタインの解説書などを読むと、大抵は彼が使用した単語を「そういう表現というよりはむしろ●●●とした方がいいだろう」というように、別の単語に置き換える提案がなされることが多い。
私自身もそうした解説書の箇所を読むたびに「それでは、まるでウィトゲンシュタインは単語の使用方法に問題があった」というように、感じても致し方ないようなそうした指摘にふれて、だんだんと彼の単語チョイスに問題を感じるようになってしまった。
本書は口頭で述べられたことからも、やはり厳密性には欠けているようなところが散見され、そういう意味でもやはり「読み易い本」というわけにはいかない。
これはウィトゲンシュタインの残したもの全てに共通することであるが、「説明不足」あるいは「適切で無い用語の使用」ということが壁になって、独自に考案された用語などは使用していないにもかかわらず、全体の意味が非常に掴みにくいという欠点があると思う。
最近になって色々な学者が指摘している、「ウィトゲンシュタインのアスペルガー症候群説」というものがあるが、やはりそういうことを視野にいれて読むべき存在なのかもしれないと、つくづく思ってしまうのだ。
別にこうした考え方はウィトゲンシュタインを貶めることではなくて、むしろもっと彼の当初の頭の中にあった思考を知るためにも必要なことであるかように思える。
これだけ平易に書かれていながら、文意を中々つかめないということは、新しい解釈の方法が必要だということでもあるだろう。
私としてはそういう新しい観点に立つためにも、「本書の読み」ということをやや角度を変えて行う必要性を強調したいと思うのだが・・・。
ウィトゲンシュタインの解説書などを読むと、大抵は彼が使用した単語を「そういう表現というよりはむしろ●●●とした方がいいだろう」というように、別の単語に置き換える提案がなされることが多い。
私自身もそうした解説書の箇所を読むたびに「それでは、まるでウィトゲンシュタインは単語の使用方法に問題があった」というように、感じても致し方ないようなそうした指摘にふれて、だんだんと彼の単語チョイスに問題を感じるようになってしまった。
本書は口頭で述べられたことからも、やはり厳密性には欠けているようなところが散見され、そういう意味でもやはり「読み易い本」というわけにはいかない。
これはウィトゲンシュタインの残したもの全てに共通することであるが、「説明不足」あるいは「適切で無い用語の使用」ということが壁になって、独自に考案された用語などは使用していないにもかかわらず、全体の意味が非常に掴みにくいという欠点があると思う。
最近になって色々な学者が指摘している、「ウィトゲンシュタインのアスペルガー症候群説」というものがあるが、やはりそういうことを視野にいれて読むべき存在なのかもしれないと、つくづく思ってしまうのだ。
別にこうした考え方はウィトゲンシュタインを貶めることではなくて、むしろもっと彼の当初の頭の中にあった思考を知るためにも必要なことであるかように思える。
これだけ平易に書かれていながら、文意を中々つかめないということは、新しい解釈の方法が必要だということでもあるだろう。
私としてはそういう新しい観点に立つためにも、「本書の読み」ということをやや角度を変えて行う必要性を強調したいと思うのだが・・・。