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公共哲学 政治における道徳を考える (ちくま学芸文庫 サ 28-1) 文庫 – 2011/6/10
マイケル・サンデル
(著)
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経済格差、安楽死の幇助、市場の役割など、私達が現代の問題を考えるのに必要な思想とは? ハーバード大講義で話題のサンデル教授の主著初邦訳。
- ISBN-104480093877
- ISBN-13978-4480093875
- 出版社筑摩書房
- 発売日2011/6/10
- 言語日本語
- 本の長さ432ページ
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2011/6/10)
- 発売日 : 2011/6/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 432ページ
- ISBN-10 : 4480093877
- ISBN-13 : 978-4480093875
- Amazon 売れ筋ランキング: - 186,363位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2011年に書かれたものであるが、政治を独特の視点で捉えている。時々のアメリカの大統領についての分析やコミュニティや公共にまつわる幻想、バイオテクノロジーと宗教、人間が自然を支配することなど大きな視点で書いてありとても良かった。
2017年5月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
権利が価値に優先することに対する警告、この本の内容はこの一言に尽きます。
30本もの論文や論説が載っておりなかなかの読み応え。
自律を人間存在の原理とする、もしくは、道徳論争は水掛け論であり議論として成立し難いという現実、これら2点に基づき、価値判断や目的設定の内容ではなく決定を重視し、諸権利を正当化するリベラリズム。
これに対してサンデルは一貫して攻撃します。
現実の人間は様々な利害関係に身を置いているはずです。また、損得勘定を超えた価値観を共有する複数のコミュニティに属しているため、何を良し悪しとする人との繋がりを断ち切ることはできないはずでしょう。公の場から個々人の価値内容を締め出すというものがリベラルの方法です。しかし、その為に義務という観念は忘れさられ、それ故、公共空間に道徳の空白が起こり、特定の価値内容を信奉し他者に広めるという自己決定をした原理主義者が、その空白に滑り込み存在感を増していく。目論見と全く逆の現象が起きているのです。
そういったリベラリズムの修正案として、コミュニティ内にある固有の道徳が、正義=権利を保障する考えが挙げられます。しかし、サンデルはこの考え方にも反対します。その考え方では、リベラルにおける自律の部分にコミュニティの道徳が代入されるだけで、結局は道徳の内容については手付かずのままである。正義というものの批判的な役割が発揮されることはない、と。
では、両者がダメならば一体どうすれば良いのか?この部分の提言は、この本ではあまりまとまっておらず、やや曖昧であり難しいですが、共通点として、話し合えるはずだということです。リベラルが禁じ、コミュニティ保守原理主義では議題にも挙げられない、道徳的な価値観を大いに議論すべきであると。そして、その実践は既に歴史の中にある、とアメリカにおける様々な歴史的事件をサンデルは取り上げます。リベラル、コミュニティ保守主義、そしてサンデルの推す共和主義の要素を大統領演説や人権的公演から見出し、再整理していくのです。
まだサンデルを読み始めたばかりですが、なかなかに面白い本です。サンデルは日本でも有名で古本も割とありますから、是非読んでみてください。
30本もの論文や論説が載っておりなかなかの読み応え。
自律を人間存在の原理とする、もしくは、道徳論争は水掛け論であり議論として成立し難いという現実、これら2点に基づき、価値判断や目的設定の内容ではなく決定を重視し、諸権利を正当化するリベラリズム。
これに対してサンデルは一貫して攻撃します。
現実の人間は様々な利害関係に身を置いているはずです。また、損得勘定を超えた価値観を共有する複数のコミュニティに属しているため、何を良し悪しとする人との繋がりを断ち切ることはできないはずでしょう。公の場から個々人の価値内容を締め出すというものがリベラルの方法です。しかし、その為に義務という観念は忘れさられ、それ故、公共空間に道徳の空白が起こり、特定の価値内容を信奉し他者に広めるという自己決定をした原理主義者が、その空白に滑り込み存在感を増していく。目論見と全く逆の現象が起きているのです。
そういったリベラリズムの修正案として、コミュニティ内にある固有の道徳が、正義=権利を保障する考えが挙げられます。しかし、サンデルはこの考え方にも反対します。その考え方では、リベラルにおける自律の部分にコミュニティの道徳が代入されるだけで、結局は道徳の内容については手付かずのままである。正義というものの批判的な役割が発揮されることはない、と。
では、両者がダメならば一体どうすれば良いのか?この部分の提言は、この本ではあまりまとまっておらず、やや曖昧であり難しいですが、共通点として、話し合えるはずだということです。リベラルが禁じ、コミュニティ保守原理主義では議題にも挙げられない、道徳的な価値観を大いに議論すべきであると。そして、その実践は既に歴史の中にある、とアメリカにおける様々な歴史的事件をサンデルは取り上げます。リベラル、コミュニティ保守主義、そしてサンデルの推す共和主義の要素を大統領演説や人権的公演から見出し、再整理していくのです。
まだサンデルを読み始めたばかりですが、なかなかに面白い本です。サンデルは日本でも有名で古本も割とありますから、是非読んでみてください。
2020年7月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書評や論評めいたことは書きません。
この著作は、「ハーバード白熱講義」で日本でも有名になった哲学者サンデル教授の本流・根底とも言える著作です。「白熱」で教授の考えに触れた方も、ぜひこの著作を手にとって読んでみてください。
また法学や経済学を学ぶ学生さんにもおすすめします。
個人的には文庫ではなくハードカバー本やKindleでもリリースして欲しいと思います。
この著作は、「ハーバード白熱講義」で日本でも有名になった哲学者サンデル教授の本流・根底とも言える著作です。「白熱」で教授の考えに触れた方も、ぜひこの著作を手にとって読んでみてください。
また法学や経済学を学ぶ学生さんにもおすすめします。
個人的には文庫ではなくハードカバー本やKindleでもリリースして欲しいと思います。
2021年2月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、マイケル•サンデルの、「アメリカの公共生活を突き動かす道徳的•市民的ジレンマを考察する」30本からなる小論集である。
言うならば、司馬遼太郎が文藝春秋に連載していたものをまとめた、「この国のかたち」をアメリカ版にしてちょっと小難しくしたような印象だ。
つまり一冊の本として筋の立ったものではなく、小論一本毎の時代背景も異なるため内容を汲み取りにくいし、何より面白みがない。
他の方が書かれているように、サンデルでも他の本の方が読みやすいだろうし、発刊されて時間が経った本書をわざわざ読むならトクヴィルなりアーレントなりを読む方が有益だと感じた。
論理の立て方など、自分で小論文を書く上での参考にはなるかもしれない。
言うならば、司馬遼太郎が文藝春秋に連載していたものをまとめた、「この国のかたち」をアメリカ版にしてちょっと小難しくしたような印象だ。
つまり一冊の本として筋の立ったものではなく、小論一本毎の時代背景も異なるため内容を汲み取りにくいし、何より面白みがない。
他の方が書かれているように、サンデルでも他の本の方が読みやすいだろうし、発刊されて時間が経った本書をわざわざ読むならトクヴィルなりアーレントなりを読む方が有益だと感じた。
論理の立て方など、自分で小論文を書く上での参考にはなるかもしれない。
2011年7月13日に日本でレビュー済み
この書はサンデルが雑誌などに寄稿した論文を集めたものである。
大統領選の分析や、選挙の結果などを踏まえた論が進められている。特に、アメリカ国民の多くがなぜ社会保障制度に
対して懐疑的なのか、などといったことに対する分析はかなり読ませるものがある。
訳文もしっかりしていて、全体的に読みやすい上、『正義の話』よりもサンデル自身の思想が中心となっているので、
コミュニタリアンとは一体、何なのかといったことを学ぶ上でも役に立つだろう。
アメリカ現代政治を学ぶ上でも、示唆に富んでいる一冊である。
大統領選の分析や、選挙の結果などを踏まえた論が進められている。特に、アメリカ国民の多くがなぜ社会保障制度に
対して懐疑的なのか、などといったことに対する分析はかなり読ませるものがある。
訳文もしっかりしていて、全体的に読みやすい上、『正義の話』よりもサンデル自身の思想が中心となっているので、
コミュニタリアンとは一体、何なのかといったことを学ぶ上でも役に立つだろう。
アメリカ現代政治を学ぶ上でも、示唆に富んでいる一冊である。
2017年11月30日に日本でレビュー済み
著者は、ジョン・F・ケネディ以後、アメリカの民主党はジミー・E・カーター、ビル・J・クリントンしか大統領を輩出していないことから話を始める。その間、民主党の大統領候補はウォルター・F・モンデール、マイケル・S・デュカキス、アル・A・ゴア、ジョン・F・ケリー…といたが、彼らは魂や道徳に関する議論を避け、ひたすら政策論争に時間を割いた。しかし投票者の多くは、魂や道徳に関して投票行動を行っていることを説明する。
カーターは、前々大統領のニクソンのウォーターゲート事件の煽りで当選したとも言えるが、それ以後の大統領は共和党・民主党関係なく「魂や価値観」をちりばめた演説を行っている。特にジョージ・W・ブッシュが著しい。
リンドン・ジョンソン大統領以後、「偉大な社会」を掲げて政策を行って来たが、それ以後「手続き的共和国」というように魂や価値観に関する議論に関し、国家は関与しないという姿勢を見せて来た。しかしそうすると、メディアは政治家のあら探しや原理主義者の台頭など、その意味では下らなく、センセーショナルな報道が多勢を占めるようになる。まさしく今の日本に当てはまる。そのような中、全体主義を肯定するような思想も出てくる。その意味でサンデルは、これを肯定して来た「リベラリズム」は貧弱な思想だとはいうが、また同時に不寛容な思想もまた「見当違い」であるとする。
そこで彼がその一派であるとあるとされる「共同体主義」であるが、彼はそのロールズの正義論の偉大さを説明する。ロールズの生きた1970年代の英米圏の政治哲学は瀕死の状態であり、功利主義が多勢を占めていたそうである。しかし彼はそれは人権を侵害しているとはねのけ、生まれた地位による格差原理を肯定した。
彼はコミュニタリアンであると云われるが、そのコミュニタリアニズムがその共同体で主流となっている思想を肯定するという意味においては、彼は賛同しないとする。実際「共同体主義」を辞書で引くと、そのように書いてある。
彼は「正義と善」は連関していることについては肯定するが(相関していないと考えるのはリベラリストである)、そのコミュニティで広く支持されていることや共有されている概念を求めることは、サンデルは批判している。彼の主張は、さらに内在的であり、批判を広く支持し、その正義の目的に応じて正当化される、とする。それはアリストテレスの時代から云われていることである。
信教の自由や表現の自由は、信じることまたは表現することそれ自体の自己を守ることがリベラリストの主張である。しかし彼らはそれが正しいと思っているから、その行動を行う。ゆえにその目的の判断から、国家は逃れることはできない。なぜならば、その行動によって引き起こされる問題が、他に起因する同じような問題も存在するからだ。
この本は一部と二部は、「これからの正義の話をしよう」に焼き直しのような内容であるが、三部は彼の思想がそのまま顕れている。リベラリズムに関する記述は、ロールズ以外にもデューイなどの思想も紹介されているが、難解で理解に苦しんでしまった。
彼がテレビや講義で「何が正義なのか?」と問い続けているのも、この彼の「共同体主義(目的論)」に基づくものであり、彼の姿勢そのものが、彼の信念に基づいた行動であると言えると、私は考える。
カーターは、前々大統領のニクソンのウォーターゲート事件の煽りで当選したとも言えるが、それ以後の大統領は共和党・民主党関係なく「魂や価値観」をちりばめた演説を行っている。特にジョージ・W・ブッシュが著しい。
リンドン・ジョンソン大統領以後、「偉大な社会」を掲げて政策を行って来たが、それ以後「手続き的共和国」というように魂や価値観に関する議論に関し、国家は関与しないという姿勢を見せて来た。しかしそうすると、メディアは政治家のあら探しや原理主義者の台頭など、その意味では下らなく、センセーショナルな報道が多勢を占めるようになる。まさしく今の日本に当てはまる。そのような中、全体主義を肯定するような思想も出てくる。その意味でサンデルは、これを肯定して来た「リベラリズム」は貧弱な思想だとはいうが、また同時に不寛容な思想もまた「見当違い」であるとする。
そこで彼がその一派であるとあるとされる「共同体主義」であるが、彼はそのロールズの正義論の偉大さを説明する。ロールズの生きた1970年代の英米圏の政治哲学は瀕死の状態であり、功利主義が多勢を占めていたそうである。しかし彼はそれは人権を侵害しているとはねのけ、生まれた地位による格差原理を肯定した。
彼はコミュニタリアンであると云われるが、そのコミュニタリアニズムがその共同体で主流となっている思想を肯定するという意味においては、彼は賛同しないとする。実際「共同体主義」を辞書で引くと、そのように書いてある。
彼は「正義と善」は連関していることについては肯定するが(相関していないと考えるのはリベラリストである)、そのコミュニティで広く支持されていることや共有されている概念を求めることは、サンデルは批判している。彼の主張は、さらに内在的であり、批判を広く支持し、その正義の目的に応じて正当化される、とする。それはアリストテレスの時代から云われていることである。
信教の自由や表現の自由は、信じることまたは表現することそれ自体の自己を守ることがリベラリストの主張である。しかし彼らはそれが正しいと思っているから、その行動を行う。ゆえにその目的の判断から、国家は逃れることはできない。なぜならば、その行動によって引き起こされる問題が、他に起因する同じような問題も存在するからだ。
この本は一部と二部は、「これからの正義の話をしよう」に焼き直しのような内容であるが、三部は彼の思想がそのまま顕れている。リベラリズムに関する記述は、ロールズ以外にもデューイなどの思想も紹介されているが、難解で理解に苦しんでしまった。
彼がテレビや講義で「何が正義なのか?」と問い続けているのも、この彼の「共同体主義(目的論)」に基づくものであり、彼の姿勢そのものが、彼の信念に基づいた行動であると言えると、私は考える。
2011年9月14日に日本でレビュー済み
「ハーバード白熱教室」などで好評を博すマイケル・サンデル教授だが、昨年(2010年)5月に刊行された『 これからの「正義」の話をしよう 』(早川書房)は、アマゾンの「哲学・思想」分野において、依然として上位を走っているようだ。そのサンデル教授の公共哲学(Public Philosophy)に関する論説等を収載しているのが、この「政治における道徳を考える」というサブタイトルの付いた当書である。前掲書の翻訳者であった鬼澤忍氏の訳出も適切で、読み易く感じる。
さて、この評論集は「アメリカの市民生活」「道徳と政治の議論」及び「リベラリズム、多元主義、コミュニティ」という3部構成をとっており、アメリカにおけるアップデートでホットな道徳的・政治的イシューを議論の俎上に載せたり、アメリカ・リベラリズムの巨星、ジョン・ロールズ(John Rawls,1921‾2002)への論理的批判を展開したりしている。こうした言説を通じて、前掲書では今ひとつ見えづらかった同教授の思想的スタンスが、かなり鮮明に浮かび上がってこよう。
もとより、教授は「権利(正義)」と「善」の関係において「権利が依拠すべきなのは、一定の時代の一定のコミュニティで有力な価値観や好みである」といった意味でのコミュニタリアンではない。実際、教授は「善に対する正の優先を唱えるタイプのリベラリズムや、権利の根拠をコミュニティの価値のみに求めるタイプのコミュニタリアニズム」(本書第30章)に否定的である。問題なのは「特定の善の概念を前提とせずに権利を確定し、正当化できるかどうか」ということだ(同第28章)。
「善」なくして「正=権利」は語れない、という教授の論旨は判るとして、ここで最大の“難問”は、教授のいう「善」とは何か、ということではなかろうか…。私見だが、その「善(共通善)」を見出す手法として、あの「白熱教室」の討論があるようにも思える。「善」とは、家族や地域、学校や教会といったコミュニティで涵養された道徳的宗教的な信念であろう。それらが「内省」「熟慮」等を伴う「熟議」を通して「共通善」となり、「権利(正義)」を正当化する典拠を与えていくのではなかろうか。
「ハーバード白熱教室」などで好評を博すマイケル・サンデル教授だが、昨年(2010年)5月に刊行された『 これからの「正義」の話をしよう 』(早川書房)は、アマゾンの「哲学・思想」分野において、依然として上位を走っているようだ。そのサンデル教授の公共哲学(Public Philosophy)に関する論説等を収載しているのが、この「政治における道徳を考える」というサブタイトルの付いた当書である。前掲書の翻訳者であった鬼澤忍氏の訳出も適切で、読み易く感じる。
さて、この評論集は「アメリカの市民生活」「道徳と政治の議論」及び「リベラリズム、多元主義、コミュニティ」という3部構成をとっており、アメリカにおけるアップデートでホットな道徳的・政治的イシューを議論の俎上に載せたり、アメリカ・リベラリズムの巨星、ジョン・ロールズ(John Rawls,1921‾2002)への論理的批判を展開したりしている。こうした言説を通じて、前掲書では今ひとつ見えづらかった同教授の思想的スタンスが、かなり鮮明に浮かび上がってこよう。
もとより、教授は「権利(正義)」と「善」の関係において「権利が依拠すべきなのは、一定の時代の一定のコミュニティで有力な価値観や好みである」といった意味でのコミュニタリアンではない。実際、教授は「善に対する正の優先を唱えるタイプのリベラリズムや、権利の根拠をコミュニティの価値のみに求めるタイプのコミュニタリアニズム」(本書第30章)に否定的である。問題なのは「特定の善の概念を前提とせずに権利を確定し、正当化できるかどうか」ということだ(同第28章)。
「善」なくして「正=権利」は語れない、という教授の論旨は判るとして、ここで最大の“難問”は、教授のいう「善」とは何か、ということではなかろうか…。私見だが、その「善(共通善)」を見出す手法として、あの「白熱教室」の討論があるようにも思える。「善」とは、家族や地域、学校や教会といったコミュニティで涵養された道徳的宗教的な信念であろう。それらが「内省」「熟慮」等を伴う「熟議」を通して「共通善」となり、「権利(正義)」を正当化する典拠を与えていくのではなかろうか。