東京裁判は、今では、実定法上の拠法なく、国家としての行為を遂行した指導者個人を「平和に対する罪」で有罪とし、連合国の一般戦争犯罪については全く裁くことがなかった、裁判の名を借りた勝者による敗者の裁きに過ぎなかったことは明らかである。また、手続法上も、検事の提出する証拠は、事実認定のない証拠、伝聞証拠を含め多くが採用されているが、弁護人の提出する証拠資料は、当裁判には関係がないとして、多くが却下されている。
さらには、検事の主張に個別的に反証するのではなく、検事側の弁論、立証が10ケ月継続した後に、弁護側の陳述、反証が行われた。検事側の一方的な弁論、立証が連続した8ケ月の間に、日本国民には、検事の主張のままに日本国の行為が報道された。
しかも、GHQの占領により、連合国に対する一切の批判や日本の行為に対する一切の弁明は、プレスコード検閲により禁止されていた。この結果、この8ケ月の間に、日本国民は、報道された検事の主張のままに日本国に対する批判を実はそうであったのかと信用するに至り、現在の自虐史観(東京裁判史観)を抱くに至っている。
公平な裁判において、日本の行為の正当性の可否を判断するには、刑法上、相手国が先に何をしたのかの事情参酌は、当然に必要である。にも係わらず、弁護人が提出しようとした、支那での排日、支那人による日本人に対する暴虐の現状、英米蘭露仏のアジア及び日本に対する行為は、日本を裁く当裁判には無関係であるとして、多くの弁論や証拠が却下されている。
本書は、起訴状前文、弁護側が準備したが却下された弁論(重要部門では提出の8割りが却下)、証拠、多くが却下され続けるあまり、提出しなかった弁論、証拠の主要なもの、及び、冒頭陳述、最終弁論などを収録している。
清瀬一郎弁護人の冒頭陳述(総論A)は、「平和に対する罪」は事後法であり東京裁判所は管轄権を有さない、ドイツとイタリアと組んで世界支配を目論んだ共同謀議は有り得ない、「八紘一宇」は建国以来の和の精神を根幹とする道徳的規範である、西欧により虐げられた東亜全域の民族の地位の向上及び人種差別を完全に撤廃する(東亜新秩序の構築)、通商破棄、連合国から日本への輸出禁止、経済封鎖に対する自衛権、何が自衛権の行使かは自国が判断できる(ケロッグ米国務長官の主張)、満洲における特殊権益などに関して、日本の行為の正当性を主張するものである。
また、冒頭陳述(総論B)としては却下されたが、1年後の最終弁論段階で提出を許可された高柳賢三の最終弁論は、パリ不戦条約の米国議会での立法趣旨(経済封鎖は戦争行為、国家の行為に個人責任は及ばない、自衛戦争は除かれており、自衛か否かは自国が判断する)や、当時の国際法の解釈に沿って、管轄権問題に真っ向から反駁している。
ローガン弁護人の最終弁論( 自衛戦争論) には、「1 国からその国民の生存に必要な物資を剥奪することは、確かに、爆薬や武力を用いた強行手段に訴えて人命を奪うのと変わるところの無い戦争方法である。緩慢な行動を以て相手国の抵抗力を減じ結局は在来の敵対行為として用いられた方法と同様確実にこれを敗北せしめ、緩慢なる餓死という手段で徐々に全国民の士気と福祉を減耗し、物理的な方法により人命を爆破し去る方法よりも、一層激烈な方法である。一国が危殆に置かれた場合には、自衛の為の決定権を有するという諸国家一致せるところである。昭和16年7 月29日の南部仏印進駐は、昭和15年9 月22日に日仏間で締結された協定及び昭和16年7 月21日に締結された議定書に基づく。単に自衛のために過ぎないこの消極的な議定が、如何にして英米への脅威を構成するに至るのかその理由を発見することは困難である。英米が日本の仏印南部進駐を重視したのは、日本に対する資産凍結及び経済関係の断絶を行うための単なる口実に過ぎないとの結論に自ずから達する。」とある。
東京裁判では、多くの米国人弁護士が被告代理人として活躍している。本書には、ワーレン弁護人による冒頭陳述「満洲部門」と、ラザラス弁護人による冒頭陳述「支那段階」、「対ソ関係」、カニンガム弁護人による冒頭陳述「太平洋段階・日本に対する連合国の圧迫」、ブレイクニ弁護人による「日米交渉」が収録さている。その他、日本の戦争回避の意向を記載したグルー大使書簡などの日本弁護が記載されている。
本書に収録された弁論は、当時の日本の正当な主張であり、大東亜戦争に至る原因を知るには、日本側の弁護抗弁を知る必要があり、それにより正当な歴史観が醸成される。
多くの日本人の命を落した大東亜戦争である。単に、連合国の意図する歴史観に日本人が捕らわれる必要はない。戦後70年が経過した。真実の歴史を知ることこそ、今を生きる日本人の使命である。
戦後、日本は一方的に侵略戦争を仕掛けて、アジアに迷惑を掛けてきたと教育され、それを疑わないできた日本人、特に、政治家、役人、学者、マスコミ人が、是非とも読むべき本である。
多くの人が、是非とも読まれることを薦める。
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東京裁判 幻の弁護側資料: 却下された日本の弁明 (ちくま学芸文庫 コ 35-1) 文庫 – 2011/8/9
小堀 桂一郎
(著)
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我々は東京裁判の真実を知っているのか? 準備されたものの未提出に終わった膨大な裁判資料から18篇を精選。緻密な解説とともに裁判の虚構に迫る。
- 本の長さ572ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2011/8/9
- 寸法10.8 x 2.2 x 15.2 cm
- ISBN-104480093974
- ISBN-13978-4480093974
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- 出版社 : 筑摩書房 (2011/8/9)
- 発売日 : 2011/8/9
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 572ページ
- ISBN-10 : 4480093974
- ISBN-13 : 978-4480093974
- 寸法 : 10.8 x 2.2 x 15.2 cm
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2015年7月12日に日本でレビュー済み
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2013年3月5日に日本でレビュー済み
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「面白い」という言葉には、腹を抱えて笑えるという意味と、興味深く思慮が凝らされていてすばらしいと感動する、という意味がありますが、これは後者です。
東京裁判と聞くと、単純に日本がありとあらゆる悪行を暴かれて断罪された裁判、と思ってしまいますが、実際にはどんな内容だったのか知らないので、感想もなければ反論もありませんでした。
なので読んでみたのですが、単純な弁護資料ではなくて、当時の世界情勢なども見えてきます。
ひとつの国が戦争を決意するに至った経緯や、なぜそうしなければならなかったのか、どうしてそうなってしまったのかなどが見えてくるのです。
却下された書類のため、よりいっそう臨場感あふれるものや、詳しい資料、説得力ある資料、数字だったりします。
「いやこれ却下したらあかんやろ」と何度突っ込んだことか☆これは却下された資料のほんの一部らしいのですが、この元になった本…読んでみたいやら見たくないやら…いやだって辞書何冊分ですか(>_<;)
東京裁判と聞くと、単純に日本がありとあらゆる悪行を暴かれて断罪された裁判、と思ってしまいますが、実際にはどんな内容だったのか知らないので、感想もなければ反論もありませんでした。
なので読んでみたのですが、単純な弁護資料ではなくて、当時の世界情勢なども見えてきます。
ひとつの国が戦争を決意するに至った経緯や、なぜそうしなければならなかったのか、どうしてそうなってしまったのかなどが見えてくるのです。
却下された書類のため、よりいっそう臨場感あふれるものや、詳しい資料、説得力ある資料、数字だったりします。
「いやこれ却下したらあかんやろ」と何度突っ込んだことか☆これは却下された資料のほんの一部らしいのですが、この元になった本…読んでみたいやら見たくないやら…いやだって辞書何冊分ですか(>_<;)
2014年1月25日に日本でレビュー済み
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『東京裁判却下未提出弁護側資料』全8巻からの抜粋です。東京裁判に興味のある人なら読んで良いと思います。
裁判長のウィリアム・ウェブがいかに不公正だったかを日本人は再認識すべき。
裁判長のウィリアム・ウェブがいかに不公正だったかを日本人は再認識すべき。
2013年6月20日に日本でレビュー済み
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GHQの都合で証拠採用されない事実が、いかに日本の正義であったか。
2016年12月31日に日本でレビュー済み
東京裁判却下未提出弁護側資料抜粋には第六回太平洋会議(一九三六年八月十五~二十九日、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園)の議事抄録がある。
小堀教授は「ヨセミテでの会議がどの様な性格のものであったか、日本からの参加者があったのか否かを編者はつまびらかにしない。この資料が提出されずに終わった理由がよくわからない」と述べている。この会議に参加した日本人の一人である朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実は、昭和十一年(一九三六)十月二十六日から十一月二日にかけて「アメリカ西海岸を歩く」と題する紀行文を帝国大学新聞に寄稿し、
「今夏ヨセミテで開かれた太平洋会議には太平洋に関係ある各国の知名の学者、政治家、評論家など多数参集し、この人里離れた国立公園に時ならぬ賑いを呈せしめた。注目に値すると思われたのは会議の指導機関である太平洋問題調査会事務局の空気であった。ここにはいかにも秀才といった感じの若手の学者や評論家がいてその傾向は頗る進歩的であった」
と述べている。さらに却下未提出弁護側資料には尾崎秀実が近衛文麿の最高政治幕僚として支那事変の最中に発表した戦争煽動論文の一つである大陸昭和十三年九月号「漢口をなぜ撃つか」(漢口攻略の意義)の抜粋がある。
この戦時論文の中では共産主義者の尾崎が漢口攻略の防共価値を説いて支那撃滅論を唱えている。これこそ近衛文麿の東亜新秩序声明や汪兆銘工作と共通する尾崎の真骨頂で、もしこれらの弁護側資料が裁判所に受理されていたら、尾崎が所属したゾルゲ機関の謀略活動、近衛内閣の軍事外交内政の本当の目的、近衛文麿の正体、スターリンおよびソ連共産党の邪悪な世界戦略が白日の下の晒され、東京裁判は、国際連盟によって侵略国と認定され連盟より除名されたソ連を裁く裁判となり、ソ連の勢力拡大に奉仕したアメリカ合衆国は面目を失い、連合国から「平和愛好諸国民」という自称を外さざるを得なかっただろう。
本書と、「尾崎秀実、西園寺公一が雑誌等に論文を執筆して汪兆銘工作が日本の執るべき唯一の道であることを強調していた」という犬養健の証言(昭和十七年四月二十一日、現代史ゾルゲ事件4巻)を裏付ける公論昭和十四年十一月号「汪精衛政権の基礎」( 尾崎秀実著作集〈第2巻〉 )と、晩年の岸信介(元首相)に大きな衝撃を与えた「 大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (三田村武夫著/自由選書)」とを併読する人は、岸の遺言「東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人は、スターリンでなければならない、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事をつとめたのだから、まことに茶番というほかはない」が本当の真実を突いていることに気付くはずである。
小堀教授は「ヨセミテでの会議がどの様な性格のものであったか、日本からの参加者があったのか否かを編者はつまびらかにしない。この資料が提出されずに終わった理由がよくわからない」と述べている。この会議に参加した日本人の一人である朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実は、昭和十一年(一九三六)十月二十六日から十一月二日にかけて「アメリカ西海岸を歩く」と題する紀行文を帝国大学新聞に寄稿し、
「今夏ヨセミテで開かれた太平洋会議には太平洋に関係ある各国の知名の学者、政治家、評論家など多数参集し、この人里離れた国立公園に時ならぬ賑いを呈せしめた。注目に値すると思われたのは会議の指導機関である太平洋問題調査会事務局の空気であった。ここにはいかにも秀才といった感じの若手の学者や評論家がいてその傾向は頗る進歩的であった」
と述べている。さらに却下未提出弁護側資料には尾崎秀実が近衛文麿の最高政治幕僚として支那事変の最中に発表した戦争煽動論文の一つである大陸昭和十三年九月号「漢口をなぜ撃つか」(漢口攻略の意義)の抜粋がある。
この戦時論文の中では共産主義者の尾崎が漢口攻略の防共価値を説いて支那撃滅論を唱えている。これこそ近衛文麿の東亜新秩序声明や汪兆銘工作と共通する尾崎の真骨頂で、もしこれらの弁護側資料が裁判所に受理されていたら、尾崎が所属したゾルゲ機関の謀略活動、近衛内閣の軍事外交内政の本当の目的、近衛文麿の正体、スターリンおよびソ連共産党の邪悪な世界戦略が白日の下の晒され、東京裁判は、国際連盟によって侵略国と認定され連盟より除名されたソ連を裁く裁判となり、ソ連の勢力拡大に奉仕したアメリカ合衆国は面目を失い、連合国から「平和愛好諸国民」という自称を外さざるを得なかっただろう。
本書と、「尾崎秀実、西園寺公一が雑誌等に論文を執筆して汪兆銘工作が日本の執るべき唯一の道であることを強調していた」という犬養健の証言(昭和十七年四月二十一日、現代史ゾルゲ事件4巻)を裏付ける公論昭和十四年十一月号「汪精衛政権の基礎」( 尾崎秀実著作集〈第2巻〉 )と、晩年の岸信介(元首相)に大きな衝撃を与えた「 大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (三田村武夫著/自由選書)」とを併読する人は、岸の遺言「東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人は、スターリンでなければならない、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事をつとめたのだから、まことに茶番というほかはない」が本当の真実を突いていることに気付くはずである。
2021年5月7日に日本でレビュー済み
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父の日に欲しがっていたので購入しました。
どうやら、イマイチだったようです。
どうやら、イマイチだったようです。
2015年9月13日に日本でレビュー済み
東京裁判に関する本は数多く、論点もほぼ出尽くした感があるが、本書は却下された膨大な弁護側資料を抜粋し、解説を付して編集したものである。裁判過程を分析する上での一次資料の整理として極めて高い価値を持つとともに、被告人の弁護を主眼とする法廷資料であることを割り引いたとしても、大東亜戦争の全体像を歴史的事実に基づいて実に多面的に考察しており、公正な歴史認識を持つための必須文献である。敗者の「弁明」とは言え、決して「弁解」ではない堂々たる日本の主張を読むことができる。本書に限ったことではないが、正しい歴史認識の普及と日本の名誉回復を願った小堀桂一郎氏の地道で真摯な取り組みには頭が下がる。勝者であると敗者であるとを問わず、あの戦争を本当に反省しようと思うなら、まずは本書を繙くべきである。
訴追理由の「平和に対する罪」を論駁した高柳弁護人の冒頭陳述は、正統的な国際法理論に即した精緻な論理構成が圧巻であるが、他にも思わず膝を打ちたくなる箇所は多い。徳富蘇峰は日本は欧米帝国主義を手本にしたのであって、その技倆のまずさを笑うのは勝手だが、之を咎め、責め立てるのは不公平ではないかと言って憚らない。日本の南部仏印進駐がアメリカの態度硬化の引き金を引いたとされることが多いが、ブレークニー弁護人は対日経済封鎖は実は南部仏印進駐の前に決定されていたことを明らかにしている。またローガン弁護人も日本が戦争準備に入るはるか以前から戦争計画を着々と進め、立ち上がらざるを得ない状況に日本を追い詰めたのは連合国側であるとし、パリ不戦条約が禁止する戦争には国家の存立を脅かす経済制裁が含まれるとする米上院の解釈を引いて、日本の行った行為が自衛戦争であると主張する。さらに満州事変当時、無法地帯と化していた中国大陸の実情や熾烈を極めた日貨排斥運動など、大陸での日本の軍事行動にも少なからず理があったことを示す事実が具に報告されている。
東京裁判が事後法による勝者の裁きであるという手続上の瑕疵だけでなく、侵略の共同謀議という事実誤認に基づくものであり、法的正当性がないことに今や議論の余地はない。一方、多分に復讐劇の性質を帯びた政治ショーであることを認めつつも、A級戦犯と引き替えに天皇を免責にし、勝者と敗者が過去と決別するための言わば「手打ち式」だとする見方(宮台真司)がある。この論によれば東京裁判を否定することは旧連合国との戦後の友好の基礎を掘り崩すことになるという。一見国際政治の力学を見据えた現実的判断のようにも見えるが、非力ゆえに力の前に譲歩することと卑屈になることは同じではない。あからさまな対立を避けるために現実に折り合いをつけることと、声高に主張はしないまでも、歴史の歪曲に対して毅然とした態度をとることは矛盾ではない。東京裁判の結果である「諸判決 (judgements)」を受け入れても、そこで正しいとされた事実や歴史観を含む「裁判」そのものは受け入れないというのはそういうことだ。それはこの国の過去と未来に対する我々の最低限の責任であり、それすら放棄するのは長いものに巻かれて今さえ無難にやり過ごせばよいという身勝手な敗北主義以外の何ものでもない。
訴追理由の「平和に対する罪」を論駁した高柳弁護人の冒頭陳述は、正統的な国際法理論に即した精緻な論理構成が圧巻であるが、他にも思わず膝を打ちたくなる箇所は多い。徳富蘇峰は日本は欧米帝国主義を手本にしたのであって、その技倆のまずさを笑うのは勝手だが、之を咎め、責め立てるのは不公平ではないかと言って憚らない。日本の南部仏印進駐がアメリカの態度硬化の引き金を引いたとされることが多いが、ブレークニー弁護人は対日経済封鎖は実は南部仏印進駐の前に決定されていたことを明らかにしている。またローガン弁護人も日本が戦争準備に入るはるか以前から戦争計画を着々と進め、立ち上がらざるを得ない状況に日本を追い詰めたのは連合国側であるとし、パリ不戦条約が禁止する戦争には国家の存立を脅かす経済制裁が含まれるとする米上院の解釈を引いて、日本の行った行為が自衛戦争であると主張する。さらに満州事変当時、無法地帯と化していた中国大陸の実情や熾烈を極めた日貨排斥運動など、大陸での日本の軍事行動にも少なからず理があったことを示す事実が具に報告されている。
東京裁判が事後法による勝者の裁きであるという手続上の瑕疵だけでなく、侵略の共同謀議という事実誤認に基づくものであり、法的正当性がないことに今や議論の余地はない。一方、多分に復讐劇の性質を帯びた政治ショーであることを認めつつも、A級戦犯と引き替えに天皇を免責にし、勝者と敗者が過去と決別するための言わば「手打ち式」だとする見方(宮台真司)がある。この論によれば東京裁判を否定することは旧連合国との戦後の友好の基礎を掘り崩すことになるという。一見国際政治の力学を見据えた現実的判断のようにも見えるが、非力ゆえに力の前に譲歩することと卑屈になることは同じではない。あからさまな対立を避けるために現実に折り合いをつけることと、声高に主張はしないまでも、歴史の歪曲に対して毅然とした態度をとることは矛盾ではない。東京裁判の結果である「諸判決 (judgements)」を受け入れても、そこで正しいとされた事実や歴史観を含む「裁判」そのものは受け入れないというのはそういうことだ。それはこの国の過去と未来に対する我々の最低限の責任であり、それすら放棄するのは長いものに巻かれて今さえ無難にやり過ごせばよいという身勝手な敗北主義以外の何ものでもない。