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思想のアンソロジ- (ちくま学芸文庫 ヨ 1-11) 文庫 – 2013/1/10
吉本 隆明
(著)
- 本の長さ319ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2013/1/10
- 寸法10.7 x 1.4 x 15 cm
- ISBN-104480095179
- ISBN-13978-4480095176
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2013/1/10)
- 発売日 : 2013/1/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 319ページ
- ISBN-10 : 4480095179
- ISBN-13 : 978-4480095176
- 寸法 : 10.7 x 1.4 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 942,579位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,312位ちくま学芸文庫
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古典から現代人まで幅広い感想を語っている。目次を見て私の知らない名前がかなりあるが、大変な読書量だと思う。吉本隆明没後、いくつかの追悼文を読んだが、ある出版社の編集者と打ち合わせ中、昼過ぎ、一緒にうな重を食べた、半分ほど食べて先生を見るともう食べ終わっている。俺は本の早読みと早食いは誰にも負けないからねと言ったそうだ。今は読まれなくなっている、坂口安吾、飴井勝一郎の名がある。ネットで吉本隆明の書斎が見れるが、入口のすぐ左に藤田まことの色紙がある。恥ずかしながら、一生、芸人です。自分の職業は恥ずかしいものだ。吉本の名言だと思う。
2007年2月10日に日本でレビュー済み
寸鉄人を刺す「引用」と「読み」の見事さには若い頃から定評がありました。
「マチウ書試論」や丸山真男批判、加藤東大総長代行(当時)批判の際の引用と解釈には、驚いたものです。
また『言語にとって美とは何か』で寺山修司の短歌を初めて読んだ人も多いのではないでしょうか。
自身もだいぶ以前(40年前?)に「引用のみによる本」を作りたいと語っていたことを憶えています。
今回、「詩のアンソロジー」になぞらえた、著者の念願とする「思想のアンソロジー」が成りました。
古典文の「引用」と「口語訳」に、言語によって記述された思想という観点からの解説と批評が加えられています。
この意味で『言語にとって美とは何か』の「表現転移論」の発展型としての、思想言語史となってもいます。
愉快な発言と思ったのは、
>(南方)熊楠は膨大な読書家であるが、巨大な理論家とは言えないところがある。(93頁)
>〈贅沢は敵〉でも何でもないこと、これに慣れるのははなはだ難しかった。慣れたとてどうということもないのだが。
また、「地域」によって異なるということを念頭に置いてのことと思われるのですが、
>ナショナリズムとインターナショナリズム、個人主義と全体主義とかいう対比の論議は、
>現代の歴史の実情が、ことごとく解体させてしまった。(242頁)
このところ、対談やインタビューによる「話体」の本が続いたので、久々の「文学体」による著述がなされたことを喜びたいと思います。
独特の言い回しや文体が復活しています。
ただし、「〜〜もヘチマもない」というキメせりふは、見あたりませんでしたが。。。
「マチウ書試論」や丸山真男批判、加藤東大総長代行(当時)批判の際の引用と解釈には、驚いたものです。
また『言語にとって美とは何か』で寺山修司の短歌を初めて読んだ人も多いのではないでしょうか。
自身もだいぶ以前(40年前?)に「引用のみによる本」を作りたいと語っていたことを憶えています。
今回、「詩のアンソロジー」になぞらえた、著者の念願とする「思想のアンソロジー」が成りました。
古典文の「引用」と「口語訳」に、言語によって記述された思想という観点からの解説と批評が加えられています。
この意味で『言語にとって美とは何か』の「表現転移論」の発展型としての、思想言語史となってもいます。
愉快な発言と思ったのは、
>(南方)熊楠は膨大な読書家であるが、巨大な理論家とは言えないところがある。(93頁)
>〈贅沢は敵〉でも何でもないこと、これに慣れるのははなはだ難しかった。慣れたとてどうということもないのだが。
また、「地域」によって異なるということを念頭に置いてのことと思われるのですが、
>ナショナリズムとインターナショナリズム、個人主義と全体主義とかいう対比の論議は、
>現代の歴史の実情が、ことごとく解体させてしまった。(242頁)
このところ、対談やインタビューによる「話体」の本が続いたので、久々の「文学体」による著述がなされたことを喜びたいと思います。
独特の言い回しや文体が復活しています。
ただし、「〜〜もヘチマもない」というキメせりふは、見あたりませんでしたが。。。
2007年11月12日に日本でレビュー済み
「乞骸骨表」の項(P115)は、現在の状況論(本質論)にもなっていて、これだけでも面白い(他も面白いが)。
「建前と本音」の本質論が、吉備真備の「乞骸骨表」という朝廷に対する「辞表」から論じられている。
大体、私なぞ吉備真備の名前がかろうじて判るくらいだから、レビューを書くなぞおこがましいが、最も謎のように判らなかった「アジア的ということ」を通して、「建前と本音」がどこからやってくるのか合点がいった。
ということを書いて、とりあえず一読の感想。
「建前と本音」の本質論が、吉備真備の「乞骸骨表」という朝廷に対する「辞表」から論じられている。
大体、私なぞ吉備真備の名前がかろうじて判るくらいだから、レビューを書くなぞおこがましいが、最も謎のように判らなかった「アジア的ということ」を通して、「建前と本音」がどこからやってくるのか合点がいった。
ということを書いて、とりあえず一読の感想。