「統合失調症・病」への理解の一助になる。「実存主義的・現象学的基礎」当時隆盛であった
哲学アプローチかも知れないが、それ以上に患者の対する深い愛情が読み取れる。
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引き裂かれた自己: 狂気の現象学 (ちくま学芸文庫 レ 7-1) 文庫 – 2017/1/10
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統合失調症とは、苛酷な現実から自己を守ろうとする決死の努力である。患者の世界に寄り添い、反精神医学の旗手となったレインの主…
- 本の長さ368ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2017/1/10
- 寸法10.6 x 1.5 x 14.8 cm
- ISBN-104480097694
- ISBN-13978-4480097699
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2017/1/10)
- 発売日 : 2017/1/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 368ページ
- ISBN-10 : 4480097694
- ISBN-13 : 978-4480097699
- 寸法 : 10.6 x 1.5 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 122,160位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 418位ちくま学芸文庫
- - 419位ストレス・心の病気
- - 783位臨床医学一般 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年3月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
洋書の訳本としては、「大変読みやすい本だなあ」というのが第一印象です。まだ、途中までしか読んでいませんが、新鮮さを感じます。amazonさん、あまり感想をせかさないでください。
2022年3月14日に日本でレビュー済み
レインそして岸田秀唯幻論はおさえておくべき。わかるものが感じればいいことなのでご自由にですが
ただ、臨床を蓄積されたとの方のレビューに「内面の確信とは異なり、行動では別のことをしなくてはならないのは、実生活では常態として起きることであり…」と、疑問を呈してらっしゃいますが、あなたのおっしゃってる事は、意識のレベルにおける葛藤を表してるに過ぎないという事は指摘しておきたい。専門家らしいので敢えて言わせていただく
ただ、臨床を蓄積されたとの方のレビューに「内面の確信とは異なり、行動では別のことをしなくてはならないのは、実生活では常態として起きることであり…」と、疑問を呈してらっしゃいますが、あなたのおっしゃってる事は、意識のレベルにおける葛藤を表してるに過ぎないという事は指摘しておきたい。専門家らしいので敢えて言わせていただく
2017年2月26日に日本でレビュー済み
字が小さく読みにくい。紙も茶色で安物感が出ていて、字とのコントラストが悪い。
とレビューしたら9人中1人が参考になったようだ。事実を書いたのに、酷い仕打ちである。それが虎馬になって自己が引き裂かれてしまった。どうしてくれるのだ。
とレビューしたら15人中2人が参考になったようだ。そろそろ真面目にレビューしないと、自己の分裂が進んでしまいそうだ。ううう。本書はブランケンブルグ「自明性の喪失」と対照的である。具体的な症例と実存主義的分析がきっちりかみ合っている部分が、である。統合失調症において「分かりにくい」と言われる破瓜型を分析した「自明性の喪失」は木村敏などにたびたび取り上げられて有名ではあるが、実存主義的分析の部分があまりに分かりにくいと言わざるをえない。そこだけ読んでもまるで理解できない。逆に症例部分は分かりやすく、そこだけ読むと面白い。それに比べて本書(引き裂かれた自己)は、実存主義的分析の部分も分かりやすく非常によくできていると言える。例えば以下のようなものを見よ。
>結論を先取りして言うと、自己の存在がこの根源的経験という意味において安定している人においては、他人との関わりは潜在的に満足すべきことなのであるが、一方、存在論的に不安定な人は、自己を満足させることよりも、自己を保持することに精一杯なのだ。
とレビューしたら、17人中3人が参考になったようだ。賛同も否定も減ったようだ。ここいらで批判でも書いておこう。レインの思想には詳しくないが、本書を読む限り人間存在の捉え方が甘い気もする。木村敏は初期においては精神病は人と人の間の病であるとしたが、後期では人と人という関係に加えて、人と生命との齟齬をその原因と考えた。レインは、人間関係における問題(自己のアイデンティティの問題)を内的に解決する(内的に逃げる)方法として統合失調状態を考えているが、人間は他人とうまく関係するように設計されているとでもいうような、近代的人間像を前提にしているようである。後半である患者がフェデリコフェリーニの「道」をみて感動し病気が治ったという部分があるが、その程度で治るようなものなのか、あまりに安易に思えた。人間関係がうまくいけば統合失調は存在しないはず、とレインは考えたのだろうか?哲学に重きを置く木村敏とは立場の違いが大きかろうが、後半の分析は甘いように思えた。
とレビューしたら9人中1人が参考になったようだ。事実を書いたのに、酷い仕打ちである。それが虎馬になって自己が引き裂かれてしまった。どうしてくれるのだ。
とレビューしたら15人中2人が参考になったようだ。そろそろ真面目にレビューしないと、自己の分裂が進んでしまいそうだ。ううう。本書はブランケンブルグ「自明性の喪失」と対照的である。具体的な症例と実存主義的分析がきっちりかみ合っている部分が、である。統合失調症において「分かりにくい」と言われる破瓜型を分析した「自明性の喪失」は木村敏などにたびたび取り上げられて有名ではあるが、実存主義的分析の部分があまりに分かりにくいと言わざるをえない。そこだけ読んでもまるで理解できない。逆に症例部分は分かりやすく、そこだけ読むと面白い。それに比べて本書(引き裂かれた自己)は、実存主義的分析の部分も分かりやすく非常によくできていると言える。例えば以下のようなものを見よ。
>結論を先取りして言うと、自己の存在がこの根源的経験という意味において安定している人においては、他人との関わりは潜在的に満足すべきことなのであるが、一方、存在論的に不安定な人は、自己を満足させることよりも、自己を保持することに精一杯なのだ。
とレビューしたら、17人中3人が参考になったようだ。賛同も否定も減ったようだ。ここいらで批判でも書いておこう。レインの思想には詳しくないが、本書を読む限り人間存在の捉え方が甘い気もする。木村敏は初期においては精神病は人と人の間の病であるとしたが、後期では人と人という関係に加えて、人と生命との齟齬をその原因と考えた。レインは、人間関係における問題(自己のアイデンティティの問題)を内的に解決する(内的に逃げる)方法として統合失調状態を考えているが、人間は他人とうまく関係するように設計されているとでもいうような、近代的人間像を前提にしているようである。後半である患者がフェデリコフェリーニの「道」をみて感動し病気が治ったという部分があるが、その程度で治るようなものなのか、あまりに安易に思えた。人間関係がうまくいけば統合失調は存在しないはず、とレインは考えたのだろうか?哲学に重きを置く木村敏とは立場の違いが大きかろうが、後半の分析は甘いように思えた。
2017年2月5日に日本でレビュー済み
「引き裂かれた自己」には、一方で「世界」との間に、他方で「自分自身」との間に二重の亀裂がある。その結果、他者「とともに」ある自己として生きることができず、世界の中でくつろぐ自己を実感することもできない。世界との亀裂、即ち他者との断絶は、「本当の自己」を守ろうとする絶望的なあがきと言ってよい。彼/彼女にとって他者とは自己の存在を脅かす恐ろしい存在なのだ。だがそれは同時に自己が自己であることを承認してくれる存在でもある。他者から孤立した自己は自己を自己として確証することができない。即ち他者からも自己からも切り離された存在、それが統合失調症である。
比喩的に言えば、他者によってただの物に貶められる前に、先手を打って自分を一個の物体に変えようとする。殺される前に自殺すると言ってもいい。先に死んでおけば少なくとも殺される心配はない。だから統合失調症患者の身体感覚は極端に希薄で、自己の身体が他人のようによそよそしく感じられるという。レインの鋭い症例解釈にははっとさせられることが少なくない。本書が専門家だけでなく、多くの読者の共感を得たのもうなづける。レインは統合失調症を「病」と捉えるのではなく、彼/彼女が世界をどのように構成しているのかを現象学的に記述し、了解可能なものとして提示する。
だが「病」の治療を目的とする精神医学界でレインの考えが広く支持されることはなかった。「正常者」の自己が内面化した規範に従って、謂わばパラノイアックに行為し続けることが近代社会の作動メカニズムであるならば、そしてフーコーが指摘したように、学校や病院がその一翼を担うものだとすれば、それも当然と言えば当然だ。「本当の自己」とはまさしく近代の産物であるとともに近代の条件である。今日その近代の問い直しが求められているとすれば、自己というものの相対化を伴わねばならないはずだ。そうした文脈でレインが読み直されることに意味もあるだろう。自己の同一性ではなく、その多数性を肯定してみせる現代思想もそうした試みの延長線上にある。
比喩的に言えば、他者によってただの物に貶められる前に、先手を打って自分を一個の物体に変えようとする。殺される前に自殺すると言ってもいい。先に死んでおけば少なくとも殺される心配はない。だから統合失調症患者の身体感覚は極端に希薄で、自己の身体が他人のようによそよそしく感じられるという。レインの鋭い症例解釈にははっとさせられることが少なくない。本書が専門家だけでなく、多くの読者の共感を得たのもうなづける。レインは統合失調症を「病」と捉えるのではなく、彼/彼女が世界をどのように構成しているのかを現象学的に記述し、了解可能なものとして提示する。
だが「病」の治療を目的とする精神医学界でレインの考えが広く支持されることはなかった。「正常者」の自己が内面化した規範に従って、謂わばパラノイアックに行為し続けることが近代社会の作動メカニズムであるならば、そしてフーコーが指摘したように、学校や病院がその一翼を担うものだとすれば、それも当然と言えば当然だ。「本当の自己」とはまさしく近代の産物であるとともに近代の条件である。今日その近代の問い直しが求められているとすれば、自己というものの相対化を伴わねばならないはずだ。そうした文脈でレインが読み直されることに意味もあるだろう。自己の同一性ではなく、その多数性を肯定してみせる現代思想もそうした試みの延長線上にある。
2020年12月27日に日本でレビュー済み
初学者の時代に、聞きかじって(読みかじって)なんとなく納得した記憶がある。しかし、臨床を蓄積して、今、内的自己と外的自己が分断されることで統合失調症が生じるとの考えには、疑問がある。こうしたことが統合失調症発症の陥穽になるというのはありうるが、それが統合失調症の根本原因であるとはどうしても賛同できない。内面の確信とは異なり、行動では別のことをしなくてはならないのは、実生活では、常態として起きることであり、これらの日常的ストレスは、通常、不安性障害、すなわち不安発作やパニック障害など神経症症状に帰結するものであり、統合失調症を惹起する要素としては、さらに進んだ、別の要素の関与を想定せざるを得ない。
本書を最初に読んだ時期を前後して、岸田修の「ものぐさ精神分析」も読んだが、初学者のころだったので、それも、そんなものかと浅く納得していた。岸田氏によれば、近代の日本国家は、分裂病なんだそうだ。それを最近読み返したら、その根拠に本書の議論が使われていた。自我が不調和とされた状態で生じる現象は、通常、了解可能なストレス反応であり、それがきっかけで統合失調症が惹起されるには、量子力学的なエネルギーレベルの階段状の上昇・励起を起こす何かが必要であるが、それについての納得のいく指摘は見られない。本書は「内的自己と外的自己の分裂・齟齬の視点で統合失調症を見直すと、こんな面白い理論になるよ」と言えることをつづったものであるが、統合失調症の病態は、内的自己と外的自己の分断にあることは何ら証明していない。さらに、そう言うには難がある。岸田氏の理論も、日本が内的自己と外的自己の齟齬に苦しみつつ近代を生き、その苦しみの中で内政・外政を行った結果、了解不能な統合失調症:精神病症状としての戦争をはじめ、周辺諸国に多大な被害をもたらしたといった筋書きは、(本書がそこまでの域に達していない以上)全くの空論であると言えよう。上記のように、自我が不調和は、統合失調症には直結しないが、神経症的な混乱をもたらすことは想定してよく、例えば、日本が、独立した個人であれば依存してはいけない○○や、○○に神経症的に頼ってしまっていることの原因になっていると言っていいのかもしれない・・・など、考察のきっかけにはなってくれている。
本書を最初に読んだ時期を前後して、岸田修の「ものぐさ精神分析」も読んだが、初学者のころだったので、それも、そんなものかと浅く納得していた。岸田氏によれば、近代の日本国家は、分裂病なんだそうだ。それを最近読み返したら、その根拠に本書の議論が使われていた。自我が不調和とされた状態で生じる現象は、通常、了解可能なストレス反応であり、それがきっかけで統合失調症が惹起されるには、量子力学的なエネルギーレベルの階段状の上昇・励起を起こす何かが必要であるが、それについての納得のいく指摘は見られない。本書は「内的自己と外的自己の分裂・齟齬の視点で統合失調症を見直すと、こんな面白い理論になるよ」と言えることをつづったものであるが、統合失調症の病態は、内的自己と外的自己の分断にあることは何ら証明していない。さらに、そう言うには難がある。岸田氏の理論も、日本が内的自己と外的自己の齟齬に苦しみつつ近代を生き、その苦しみの中で内政・外政を行った結果、了解不能な統合失調症:精神病症状としての戦争をはじめ、周辺諸国に多大な被害をもたらしたといった筋書きは、(本書がそこまでの域に達していない以上)全くの空論であると言えよう。上記のように、自我が不調和は、統合失調症には直結しないが、神経症的な混乱をもたらすことは想定してよく、例えば、日本が、独立した個人であれば依存してはいけない○○や、○○に神経症的に頼ってしまっていることの原因になっていると言っていいのかもしれない・・・など、考察のきっかけにはなってくれている。