馴染めない言い回し、それに独特の感性や文体も加わって、理解及ばずのところ、正直多数。それでも2度読みました。著者とは10歳以上の年齢差があり、当方は戦前知らずで、しかも育ちの明白な違いなどを考えると、不思議は少しもないが、<感傷>の大旗=福永武彦「草の花」などには、共通する記憶があったりして、気持ちが止め置かれました。また戦後の無頼派3人衆について、織田作之助は<オダサク>、太宰治は<ダザイ>、坂口安吾は<アンゴ>と呼んで親しんだことにも、奇妙な一致を見たりしました。
圧巻は、そして、芝居は終わった=狂言者としての小林秀雄であります。<彼>の用意周到な意図を見抜き、正体?を暴く件は、<呪縛>を如何にしても解きたい、その執念がビンビンと伝わってくるものでした。
作家の数ある作品の中から、これはという一作を選び、作家の真実に迫る、その力量も凄い、と感じました。滅びの唄=江藤淳「南洲残影」、浪漫の背景=原武史「大正天皇」、あなたはいつか桃色の骨になる=瀬戸内寂聴「場所」他。また、妖刀伝説=福田和也「甘美な人生」や、春の探偵=半藤一利「続・漱石先生ぞな、もし」には、このように書くかと驚嘆の思いを抱かされました。向田邦子についての、これ一冊でいい=高島俊男「メルヘン誕生」には、著者の感情を超えて、真の評価を求めて止まない作家魂を見る思いでした。本書の表題となる美の死=三島由紀夫や、生勃えの戯れ唄=吉行淳之介なども、要所を外していない、と感じ入りました。
まだまだ読んでみたい、そんなことを含めて、5の評価と致しました。
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美の死: ぼくの感傷的読書 (ちくま文庫 く 6-1) 文庫 – 2006/3/1
久世 光彦
(著)
- 本の長さ334ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2006/3/1
- ISBN-104480421874
- ISBN-13978-4480421876
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2006/3/1)
- 発売日 : 2006/3/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 334ページ
- ISBN-10 : 4480421874
- ISBN-13 : 978-4480421876
- Amazon 売れ筋ランキング: - 104,035位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 102位読書法
- - 419位ちくま文庫
- - 3,424位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年6月21日に日本でレビュー済み
最初の書評が川端康成の「片腕」。これでもう、本書がおそろしく偏った趣味の書評集であることが透けて視えます。久世氏のファンはもちろん、そうでなくても、「滅びの美学」や「少女」、あるいは「死」「吐息」「囁き」「欲情」などといった言葉に、思わず青臭く反応しがちな読書趣味の方にはぴったりな一冊だと思います。
十代だったら、まさに感傷的に涙しつつ読んだにちがいない、大人になった現在は遠くからニヤリと眺め、ちょっと青春期を思い出すような作家たちです。清水卓行や、渡辺温や、中原中也と小林秀雄の三角関係について等々。
久世氏の文章は、やけに一文が長く女々しい印象がありますが、ときおり内側からナイフで抉るような鋭さも内包しており、まるで慈母のように優しく褒めちぎっていたかと思えば、いきなり酷薄に、同業者とは思えない、完全に読者目線になった冷ややかな切り口にて、作家たちの苦心した文章をぶった切ってしまうのが、ヒヤリとしつつも痛快です。
個人的に、長年愛読している梶井基次郎に関しては久世氏にも負けないつもりで、このページだけは余裕をもって、上から目線にて読み始めたのですが、梶井は「性質(たち)のいい患者」であるとズバリ評し、短篇小説『Kの昇天』にて梶井はドッペルゲンゲルそのものだと評してしまう久世氏に、一言も反論できず完敗でした。
久世氏は「解説はしない。筋も書かない。」「その人に熱心に話しかけるだけ」というスタンスで書評を書いていたらしく、あとがきによれば、「一冊の本を読むことは、一人の女と寝ることに似ている」「結局のところ、女は寝てみなければわからない。」とのこと。
「それにしても、ずいぶんたくさんの女たちと寝てきたものである。――太宰はどうしても田舎臭さの抜けない、けれど床上手の可愛い女だった。チエホフは、おなじ男と二度と寝ない女だった。だから男たちは、いつまでも思い出してばかりいた。川端康成は、明け方の墓場でするのが好きだった。そして三島由紀夫は、生涯、体にぴったりの黒い下着をつけていて、脱がせるのにずいぶん難儀したものである。――こんなにいい女たちと出逢えて、私の半世紀はたいそう幸福だった。」(P328)
私ももっと「女好き」にならなければ・・・と焦りを感じるような一冊でした。
十代だったら、まさに感傷的に涙しつつ読んだにちがいない、大人になった現在は遠くからニヤリと眺め、ちょっと青春期を思い出すような作家たちです。清水卓行や、渡辺温や、中原中也と小林秀雄の三角関係について等々。
久世氏の文章は、やけに一文が長く女々しい印象がありますが、ときおり内側からナイフで抉るような鋭さも内包しており、まるで慈母のように優しく褒めちぎっていたかと思えば、いきなり酷薄に、同業者とは思えない、完全に読者目線になった冷ややかな切り口にて、作家たちの苦心した文章をぶった切ってしまうのが、ヒヤリとしつつも痛快です。
個人的に、長年愛読している梶井基次郎に関しては久世氏にも負けないつもりで、このページだけは余裕をもって、上から目線にて読み始めたのですが、梶井は「性質(たち)のいい患者」であるとズバリ評し、短篇小説『Kの昇天』にて梶井はドッペルゲンゲルそのものだと評してしまう久世氏に、一言も反論できず完敗でした。
久世氏は「解説はしない。筋も書かない。」「その人に熱心に話しかけるだけ」というスタンスで書評を書いていたらしく、あとがきによれば、「一冊の本を読むことは、一人の女と寝ることに似ている」「結局のところ、女は寝てみなければわからない。」とのこと。
「それにしても、ずいぶんたくさんの女たちと寝てきたものである。――太宰はどうしても田舎臭さの抜けない、けれど床上手の可愛い女だった。チエホフは、おなじ男と二度と寝ない女だった。だから男たちは、いつまでも思い出してばかりいた。川端康成は、明け方の墓場でするのが好きだった。そして三島由紀夫は、生涯、体にぴったりの黒い下着をつけていて、脱がせるのにずいぶん難儀したものである。――こんなにいい女たちと出逢えて、私の半世紀はたいそう幸福だった。」(P328)
私ももっと「女好き」にならなければ・・・と焦りを感じるような一冊でした。
2006年4月11日に日本でレビュー済み
たいそうなタイトルだけれども、副題は「ぼくの感傷的読書」。あとがきに「一冊の本を読むことは、一人の女と寝ることに似ている」なんて書くのだから、ほんとうに感傷的な書評だ。
最近亡くなってしまった久世さんだが、会社の上司に紹介されて以来、けっこう好きな作家となっていた。だから、惜しい。もっとたくさん書いてほしかったのに。一文が長くて、比喩表現が多くて、しっかり読まないとついていけなくなってしまう。そんな筆者の文体が好きだった。
今回も書評とはいえ、その嘆美な世界をじっくり味わえる。知ってる作家も、知らない作家も出てくるけれど、なんだか妙にすべてがすてきに見えてくる。「小説っていいな」と素直に思えてくる。
最近亡くなってしまった久世さんだが、会社の上司に紹介されて以来、けっこう好きな作家となっていた。だから、惜しい。もっとたくさん書いてほしかったのに。一文が長くて、比喩表現が多くて、しっかり読まないとついていけなくなってしまう。そんな筆者の文体が好きだった。
今回も書評とはいえ、その嘆美な世界をじっくり味わえる。知ってる作家も、知らない作家も出てくるけれど、なんだか妙にすべてがすてきに見えてくる。「小説っていいな」と素直に思えてくる。