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川端康成集: 片腕 (ちくま文庫 ふ 36-1 文豪怪談傑作選) 文庫 – 2006/7/1
- 本の長さ380ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2006/7/1
- ISBN-104480422412
- ISBN-13978-4480422415
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2006/7/1)
- 発売日 : 2006/7/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 380ページ
- ISBN-10 : 4480422412
- ISBN-13 : 978-4480422415
- Amazon 売れ筋ランキング: - 457,979位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
東 雅夫(ひがし・まさお)
1958年、神奈川県横須賀市生まれ。アンソロジスト、文芸評論家、怪談専門誌「幽」編集長。
早稲田大学文学部卒。1982年に研究批評誌「幻想文学」を創刊、2003年の終刊まで21年間にわたり編集長を務めた。
近年は各種アンソロジーの企画編纂や、幻想文学・ホラーを中心とする批評、怪談研究などの分野で著述・講演活動を展開中。
評論家として「ホラー・ジャパネスク」や「怪談文芸」「800字小説ムーヴメント」などを提唱。NHKテレビ番組「妖しき文豪怪談」シリーズ等の企画監修や、「幽」怪談文学賞、ビーケーワン怪談大賞、みちのく怪談コンテストなど各種文学賞の選考委員も務める。
2011年、著書『遠野物語と怪談の時代』で日本推理作家協会賞を受賞。
著書に『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』『百物語の怪談史』『江戸東京 怪談文学散歩』『怪談文芸ハンドブック』ほか、編纂書に『文豪怪談傑作選』『伝奇ノ匣』『てのひら怪談』の各シリーズほか多数がある。
著者公式サイト「幻妖ブックブログ」http://blog.bk1.jp/genyo/
(1899-1972)1899(明治32)年、大阪生れ。東京帝国大学国文学科卒業。
一高時代の1918(大正7)年の秋に初めて伊豆へ旅行、旅芸人の一行と知り合う。以降約10年間毎年、伊豆湯ヶ島湯本館に長期滞在する。菊池寛の了解を得て1921年、第六次「新思潮」を発刊。新感覚派作家として独自の文学を貫いた。1968(昭和43)年ノーベル文学賞受賞。1972年4月16日、逗子の仕事部屋でガス自殺を遂げた。著書に『伊豆の踊子』『雪国』『古都』『山の音』『眠れる美女』など多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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そして、日本の作家の中では川端康成が一番好きです!
ともすれば若者には退屈な作家として片づけられがちな川端が、若い頃から才気ほとばしる先鋭文学家だったことがまざまざと見える。
そして、作品集全体に気鬱と死の影が、色濃くただよう。
なお、(文芸銃後運動の一員に名を連ねたり植民地文学選集の編纂委員になったり、とそれなりに時局に応じた活動はしていたのだが、)川端は政治には無関心だった作家として一般的には整理されている。また、彼の政治的無関心と日本美への想像的回帰自体をある種の政治的態度表明として批判することも今日では一般的だろう。ただ、本書に散見される仏教的輪廻観を読んでいると、霊界の存在に半ば本気で惹かれていたこの作家にとって、儚い今生で政治を云々すること自体に虚しさを感じていたのではないかという気になってくるのも事実である。
この不思議な心霊嗜好を持った作家にとって、自殺とは何だったのだろうか。また、愛弟子・三島のオカルト趣味に川端の嗜好がどの程度影響していたのだろうか。ものを知らない僕にはそんな興味も湧いてくる一冊だった。
太宰治を審査で落とすくらいの人だそうですから、稚拙な思考では歯が立たないのかもしれません。
自分は肺炎のため、他の人にうつらない様に病院の真っ白い個室に入れられてこの作品を読んでいました。
日頃は、町道と県道に挟まれ、両隣は工場と宗教施設という喧騒の中で暮らしているので個室の白い病室は信じられないほど静かで、ビルの一階にある
物置きの様でした。
”片腕”を読むには打って付けの環境だったのですが、自分の中には車がやってくる描写の見事さは伝わったものの、主人公と片腕を貸した女性とのやりとりのところを疑問に思ってしまい答えを探そうと読み返してしまいました。
不思議なやり取りは現実の尺度で測りながらもそれに収まらないから驚嘆するんだと思いつつも自分に感覚がない冷たさ故か受け止めていませんでした。
病室の特殊な環境に恵まれた中でも分かりませんでしたが、この作品を持っている以上はまた読んでみたい不思議な怪談です。
ただ、ただ、読んで不気味な感じというだけではないような気がして、でもそれだけかもしれません。
それが怪談なのかもしれませんが・・・・・・・・・
本書は以上の29点の収録でした。
が、「Oasis of Death」は巻末の解説では「アイルランドの幻想作家として近年、わが国でも再評価いちじるしいロード・ダンセイユの掌篇集『戦争の物語』(1918)」からの珍しい訳業。ダンセイユの作品を川端が訳出したもの。
川端康成は、1899年(明治32年)生まれで、1968年(昭和43年)日本人として初のノーベル文学賞を受賞し、1972年(昭和47年)4月16日夜、72歳でガス自殺した。
本書の以上の28点の作品で、一番新しい作品は「片腕」の1963年、とすれば全ての作品がノーベル文学賞を受賞した以前のもの。
「ちよ」の一部48頁「十日あまり伊豆の温泉場をめぐりました。その旅で、大島育ちの可愛らしい踊り娘と知合いになりました。―娘一人とでなく、その一行と知合いになったのですけれど、思い出のうちでは、娘一人と、云いたい心持がしますから。一行の者は、その小娘を、『ちよ』と呼びました」また「処女作の祟り」の一部62頁「私はその金で伊豆の旅に出た。そして旅芸人の踊子に恋をした。彼女はちよと言った」両作品とも川端のあの傑作「伊豆の踊子」の製作前のもので、作者の初々しい心の動きが見て取れるもの。
本書巻末の「解説」にこう記載されている。「何か怪奇なもの、うす気味の悪いものに、興味を持つところが川端には昔からあったが、それが川端に於ける本質であったにちがいない。」 そうはいっても、本書に収納されている作品は「怪奇小説」として書いたものではないと思われるので、それを期待すると肩透かしとなってしまう。あくまでも川端の作品の一連のものとして読むべきと思われる。
ところで2020年からは「(新型コロナウィルス伝染の)コロナ禍」である。「ちよ」の一部47頁に「ところが、秋になって、例の感冒の第一回目の流行が、東京で漸く下火になった頃、私は思いもよらぬ一通の書留郵便を、山本家から受取ました。」とある。さらに巻末の初出一覧によると「ちよ」の初出は1919(大正8)年とある、感冒とはスペイン風邪だろう。決して健康とも見えない川端はそのとき二十歳ころで、スペイン風邪をやり過ごしたのだった。
「白い満月」の一部132頁「この時私たちは八重子や静江の父を星の世界へ追放したのであったが。ほんとに彼がこの世に実在する人間なのか、彼女たち姉と妹との父が同一の人間なのか、またはちがった二人の人間なのか、これらのことを私は知らない。私は母を疑うべき確な証拠は持っていないし、そうしたものを嗅ぎ出そうと思ったこともない。けれども、私の父は私が生れる前から癈人に近い虚弱者であった上に、長らく母と別居していたということだけで、十分疑うことが出来るだろうし、また正しい父の子であるという祝福と呪詛とのしるしとして、父の体質を私だけが受継いでいるものだから、妹たちの美しい健康を嫉妬する複雑な気持が、母に対する私の疑いを青い焔にしているのだ。」これは気になる文章だった。川端の文章には、こういった彼の背景が透けて見えるような気になる部分が点在している。こういった文章を発見するのも面白味である。
と言う衝撃的な文で始まる小説が、ノーベル賞作家で最後は自殺を遂げた川端康成の作品であるとは、すぐには信じられないだろう。余りにも代表作と違うので、『雪国』や『伊豆の踊子』に感心した記憶がないので、期待して読み始めた。だが、発想は面白いし、また自分の右腕と交換してみると言う発展も良いのだけれども、読み終えてみると、他の収録作品もそうであるように、端正だけれども面白みに欠ける、と言うのが正直な感想だろうか。
川端のデビュー作は、この本に収録されている「ちよ」らしい。どうやら、第一高等学校の「校友会雑誌」に
1919年発表したもののようだ。これを読むことができたのは、幸いだったかもしれない。
女性の名前を振り返るだか「ちよ_。
粘膜的な好きな作品と子宮や卵
さほど嫌いと若いでも年代の
近い遠いが困難が厳しい。