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サイファ覚醒せよ!: 世界の新解読バイブル (ちくま文庫 み 18-2) 文庫 – 2006/9/1

4.5 5つ星のうち4.5 20個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 筑摩書房 (2006/9/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2006/9/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 322ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4480422595
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480422590
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 20個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2016年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
細部に至るまで検品されていて信頼に足るものでした。中古本を求める唯一の手引きになる検品者の客観的評価は、中古本の流通システムの要です。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とにかく、大学生のときは嫌いでしたが今はレベルが上がっているので
いかに彼が大事なことを言っているのかがわかります。
バイブル足りえる一冊。お勧めです。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2007年7月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルが凝っていて、一見内容が推測しにくいものであるが、内容は極めて真っ当。本書は、同じ著者の『終わりなき日常を生きろ』の「続編」であり、以前から提起していた問題に対する取り敢えずの回答の提示という位置づけのものあるが、機能主義的な社会学の立場からなされる「現代」の心の病の分析は相変わらず鋭利であり、従来の様々な学問的営為の批判は快刀乱麻を断つ感がある。本書はパートナー速見由紀子との対論(というよりも速見女史が、宮台氏の主張を噛み砕きながら聞き出すといった方がよいか)という形式をとっており、語り口が、良く言えば「リラックス」しており、自由に語っているとも言えるが、お互いに気心の知れた者どうしの「狎れ」が少し鼻につき、「教祖のご託宣」を聞き出す高弟のように感じられるのは残念。但し、だからこそ、読者に対して社会学的な基礎を説明する部分が親切になり、しかもかなり浩瀚な内容を、取り敢えずこの分量で圧縮して説明しきってしまうことができたとも言える。つまり本書は、かなりの力業。鮮やかにあっさり語っているが、実は様々な議論を引き起こすものであり、かなり強烈な哲学的な主張を持っているものである。取り敢えず異論はあるにしても、これほどはっきりと、難問に対して主張を提示するのは、問題を逸らさず、正面から立ち向かう姿勢の提示であり、極めて倫理的で、好感が持てる。
18人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年6月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
はっきり言ってサッパリわかりません。宮台の本読んで自分が凄くなった気になってるだけなんだろうな。まだ自分はこんなの読む段階じゃないということだ。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年2月9日に日本でレビュー済み
本書は社会システム理論を駆使して、社会から突き抜けてしまった
「脱社会的存在」に対してどのような処方箋があるのかをテーマとしています。
宮台真司と速水由紀子の対談という形式ですが、宮台真司が「世界」の根源的な
未規定性に関連して、縦横無尽に語りつくすといった内容になっています。
とにかく社会システム理論の射程の広さというか、宮台真司の頭の良さに圧倒されますが、
非常に見晴らしのいい所まで連れて行ってくれます。
一読の価値あります。
対談相手の速水は最後まで”「世界」の根源的な未規定性”の意味するところを
理解できませんが、彼女のような人を”覚醒”させることの難しさをこの本は
”端的”に表していいて、そういう仕掛けとして読めばよく出来ています。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年6月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 面白い本ではある。が、トンデモ本スレスレなのがどうしたもんか。

 家族、社会、自己(アイデンティティ)を超えた第四の帰属先、それを指し示すキイワードが「サイファ」。社会に回収されない「端的なもの」「世界の根源的非規定性」を指示している。おおざっぱに言ってしまえば、いくら社会を改良して生きやすいものにしたとしても、そこからこぼれ落ちる存在が出る。そういう存在をどうしたらいいのか、という問いに対する答えが「サイファ」。だから、速水は「サイファ教、覚醒教」を布教するのだと言う。が、いまのところ、「サイファ」が巷で流行っている感はまったくない(笑)。

 速水の暴走に引きずられる形で、宮台が「社会学」のフィールドを乗り越えた発言をしているのが面白いが、ここでも両者の差異(というかレベルの差)が浮き彫りになる。宮台が「サイファ」を「超越論的なもの」とパラフレーズした上で、それはあくまで「論理の徹底」において開示されるという態度を取るのに対し、速水は「サイファ」を学校で子供に教えるべきだなどと言う。おいおい、それってそもそも本性からして「教えられないもの」なんじゃないの? 例えば、デリダの悪戦苦闘は、言語の伝達の(可能性と表裏にある)不可能性をめぐっている。「サイファ」と言い、「超越論的なもの」と言っても、結局言語を通過してしか他者に伝えられない。ここから宮台は「表現を通じて表出を救済する以外に、政治的に有効な策はあり得ない」(p.154)と適確に言う。速水にはそういう繊細さがまったく見られず、あまりに楽観的だ。

 気になるのは、やたらと速水が「最先端物理学」を持ち出しており(というか、ほとんどその一点張り)、ニューエイジを髣髴とさせるところだ。なるほど速水は、宮台と口裏を合わせてニューエイジ思想を批判しているのだが、ニューエイジを批判するニューエイジャーなどごまんといる(笑)。ニューエイジ思想はもともと、既成宗教に駄目出しするところから出発している。だから、ニューエイジそのものが旧体制化すれば、それにまた駄目出しするのは自然の流れだ。結局の所、新しさという病に取りつかれているだけで、既成宗教に対して無知・無教養なため、ニューエイジ思想が実際は、既成宗教のつまみぐい、現代科学のつまみぐいで成り立ったキッチュだということに気づかない。

 で、その隠れニューエージャー速水由紀子の結論(自己満足)は、自分自身が「サイファ」だと気づくことに行き着く(おやおや・・)。となれば、「サイファ教」とは現代の本覚思想か? 現代物理学に散々言及した行き着き先は、かなりトホホな内容である。

速水 (・・・)もっと根源的な話をすれば、全宇宙で、地球に生命が生まれるような現象が起こりうる確率は、「奇跡」という言葉にふさわしいほど低い。そして様々な遺伝子の組み合わせの中から、私や宮台さんという人間の全ての特徴を持った生体を組み立てる可能性も、「奇跡」的な確率なんです。つまり人間ひとりがここに生きているという事実は、「奇跡中の奇跡」、というわけです。「自分がサイファである」と信じる動機付けは、それだけでも十分な気がしますが。
(『サイファ覚醒せよ!―世界の新解読バイブル』、ちくま文庫、2006年、p.286)

地球に生命が、それから人間が生まれる確率が「奇跡」的に低くても、そのこと自体は別に奇跡でも何でもない。「速水」なり「宮台」なり、個々の人間の全ての特徴を持った個体云々というのは、むしろ「このもの性」の問題であって、「奇跡」とはあまり関係ないと思うが。

 だいいち、かくも表面的な「奇跡」教説だけで十分なら、こんな本など出さずに、家に引きこもって勝手に「サイファ教」をやってくれ、と心底思う。
20人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年1月18日に日本でレビュー済み
この本は対談本で、宮台真司が速水由紀子という人と話しているのだが、彼女がどういう人で宮台とどのような関係にある(あった)のかということはgoogle検索してもらうとしても、あまりにも速水の発言がアンポンタンで酷く、読むのが苦痛だった。

たとえば、「サイファ」とやらに万民を覚醒させる役割を背負う宮台真司には、社会学の枠組みの外にでてきてもらわなければならないそうだ(166ページ)。彼女によると、社会の外側に言及できない社会学は「さびついて劣化している」らしい。では一体社会学の枠組みとは何だろう。社会学とはなにか。これがわかるのは結局のところ社会学に精通した社会学者だけで、厳密な意味で社会学の外に出られるのも社会学者だけである。では社会学者でもない速水由紀子が社会学を否定するのはどのような正当性によってなのか? クルクルパーと言うほかない。

このような度外れて支離滅裂な発言のオンパレードなので、ほとんど電波女と言ってもいいほどだ。これから読もうという人には、速水発言を読み飛ばすことを強くお勧めする。

一方宮台真司のほうは流石で、どんなにキチガイじみた発言をされても、「そのとおり、僕もそう思います! でもね……」式の応答を徹底していて、一見対話が成立しているように見えて事実上宮台が一人で喋っているに等しい。つまり速水発言を読み飛ばしても何ら問題ないということだ。そして、そのような読み飛ばしをしてこそこの本は真価を発揮する。宮台の後の書物で繰り返し言及されている通りの重要性は持っているだろう。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年4月1日に日本でレビュー済み
第4の帰属先がサイファ。それに目覚めよ。
っと…。
その前に第3(自己アイデンティティ)の帰属先も得られてないのに…。

最近意識していることがあるんですが、
『今僕は生きている』って感じることを率先して行っていますが、
なんか行きにくいですよねねぇ。

もっと修行しないと。
しかし意味はない。
うむ・・・・。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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