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「読み」の整理学 (ちくま文庫 と 1-3) 文庫 – 2007/10/10
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- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2007/10/10
- ISBN-10448042380X
- ISBN-13978-4480423801
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2007/10/10)
- 発売日 : 2007/10/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 222ページ
- ISBN-10 : 448042380X
- ISBN-13 : 978-4480423801
- Amazon 売れ筋ランキング: - 38,060位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
1923(大正12)年愛知県生れ。英文学者、文学博士、評論家、エッセイスト。東京文理科大学英文学科卒業後、同大学特別研修生修了。’51(昭和 26)年より、雑誌「英語青年」(現・web英語青年)編集長となる。その後、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授を務め、’89(平成元)年、同大名誉教授。専門の英文学に始まり、思考、日本語論の分野で活躍を続ける。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 日本語の作法 (ISBN-13: 978-4101328317)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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問い「どうしてモモから赤ん坊が生まれたのか」
竹から生まれる姫もいた。
神様にお参りすると授かる法師もいた。
英雄は庶民と違うから凄いんだ、と私はワクワクしてお伽話を読んだ。
⇒これって、話の筋だけのアルファ読みのようだ。
「モモは果物ではなく若い女性である....」と著者は説いていく。
⇒これが下敷きがなく文字だけを手掛かりにするベータ読み。
「(作者が第1次的なら)読者の第2次的創造」だと語る。
この読みだと感動が薄らぎ無味乾燥と感じる。
しかし著者の解説は、私にとって発見だ。
答えのない問題を考えるのが、ベータ読みだ。
知らない世界がパッと広がるところも面白い。
筆者の考へる読書の在り方は二つあって、既知のものを読むアルファ読みと未知のものにアプローチして読むベータ読みであります。この二つの読みが持つ意味と意義を本当に丁寧に掘り下げてゐます。この考究はかなり貴重なものと私は捉へました。
突き詰めて考へれば、アルファ読みは日常生活の小さな枠の中で収まってしまふ現状維持、現状確認の読書と言っていいとのではないのでせうか。一方、ベータ読みは文明や哲学にも通ずる深い知識と智慧に繫がる道と言ってもいい氣がします。ですから、深い知識と智慧を獲得するためにはベータ読みを学びに取り入れなければならないと思ひ至りました。
母国語だけの甘えが許される環境を離れてラテン語や漢文による教育が過去にあったやうに広く考へれば外国語的教育によって知は磨かなければ叡智に辿り着かないのかも知れません。筆者の考へに近い所にゐる考へに渡部昇一があるやうに思はせられました。外国語といふ水源に至る事によって豊かな知的生活が得られるといふ渡部昇一の考へ方です。私は、二人の考究した貴重な考察をじっくりゆっくり自分のものとすべく実践、実行して行ければと思ってゐる次第であります。
考えさせられたり、新たな視点を与えてくれる云い本だと思います。
速読や積ん読など、量的知識充足を志向する現代的な読書法が昨今の主流である。
これに対して、学問として勉強になるのは「読んでもすぐにはわからない」ような難しい内容を時間をかけて繰り返し読むような読書法であるという。
暗唱できるほどに体得した文章の意味を、自分なりのコンテクストに応じて腑に落ちたとき、古典のような普遍的価値を実感する。このような時間の助けを借りなければならないような知的プロセスに学問的意義を見いだすものである。
全く同感である。とともに、安易な読書に流れていた自分に反省することしきりである。
最近、久しぶりに読み直してみたアダムスミス「国富論」の中に現代日本の憂鬱を重ね見た。
これは外山滋比古先生の言うところの「知己を百年の後に俟つ」(作者が読者に一番わかってもらいたいことは、当座の常識的な古いものを見つけてきた眼鏡をかけた人にはわからない。次の時代の人に読まれることで、発見されるものである。)というものであろう。
古典を通して現代を顧みる楽しさを再認識させていただいた。
外山氏は講談社現代新書のあとがきで「この本では、どういう読み方が、本当の読みと言えるものであるか。われわれの精神をきたえ、真に新しい知識を獲得するにはいかなる読み方をすべきか、を追求した」と書いており、「既知を読むアルファー読み」ではなく「未知を読むベータ―読み」が大事であることを繰り返し述べている。
そして、ベータ―読みの王道は「読書百遍(意おのずから通ず)」であり、「読書百遍にたえるのは、だんだんすぐれたところが姿をあらわすような本である。言いかえると、そういう本はその読者において、時の経過のあいだに、古典になって行く」という。
自らの読書に対する姿勢を正させられる一冊である。