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人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書 273) 新書 – 2017/3/6
千野 帽子
(著)
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- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2017/3/6
- 寸法10.7 x 1.5 x 17.4 cm
- ISBN-104480689796
- ISBN-13978-4480689795
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
人はなぜ物語を求めるのか
人は真実を手に取ることができない。ましてやその手触りを他者と共有することは不可能である。そこで、思考の枠組みとして導入されるのが「物語」だ。そう、本書の指す「物語」はしばしば「演劇」や「小説」ではなく、事実の羅列に因果関係を見いだそうとする人間の思考癖についてである。
物事を「わかる」というのは知的な行為に思われるが、実は感情的かつ受動的なもので、脳に快楽をもたらす。例えば〈王が死んで、それから女王が死んだ〉よりも〈王が死んで、それから女王が悲しみのあまり死んだ〉のほうが小気味好い。
物語化とはあくまで仮説。「信仰がないから天罰が降った」となれば怪しげな壺を購入しかねない。物語からあぶれた事実──「『なにを知らないか』を知らない」ことの危うさを知ることが真実への第一歩だろう。
評者:福永奈津美
(週刊朝日 掲載)登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2017/3/6)
- 発売日 : 2017/3/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4480689796
- ISBN-13 : 978-4480689795
- 寸法 : 10.7 x 1.5 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 142,058位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年11月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
世界や歴史や人生を物語以外の方法で理解することができるのかも知れない。しかし、人はつい世界を物語で捉えてしまう。これを知っただけで少し自由になれる気がする。
2017年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
物語批判という立場にから、読んでみました。
様々なジャンルの多くの書物が引用され、著者の論考を形作っ
て行きます。
その柔軟で丁寧な語り口には好感が持てました。
主旋律となっているのは、人間はストーリーを不可避的に合成
してしまう、というものです。
ここから、様々な問題が展開されています。
白眉は、『黒子のバスケ脅迫事件』の被告の著書の分析とカ
ミュの『異邦人』との類比になります。
スタンダールとバルザックの動機の説明の有無にも、納得さ
せられました。
最終的には、「見るまえに跳べ」「崖から手を離す」など、
引きつった私的な小我を手離し、大我があることに気付く境
地や、エックハルトや臨済の信仰のために神や仏を捨て去る
言葉に至ります。
「二度生まれの人」たる下名には、大いに共感出来る部分で
した。
各章末には、まとめが箇条書きされていて、復習に役立ちま
す。
巻末には、「日本語で読める読書案内」として、本書で引用
されたものだけでなく、取り上げなかったものも紹介されて
います。
著者の読書の守備範囲の広さを想像させてくれます。
様々なジャンルの多くの書物が引用され、著者の論考を形作っ
て行きます。
その柔軟で丁寧な語り口には好感が持てました。
主旋律となっているのは、人間はストーリーを不可避的に合成
してしまう、というものです。
ここから、様々な問題が展開されています。
白眉は、『黒子のバスケ脅迫事件』の被告の著書の分析とカ
ミュの『異邦人』との類比になります。
スタンダールとバルザックの動機の説明の有無にも、納得さ
せられました。
最終的には、「見るまえに跳べ」「崖から手を離す」など、
引きつった私的な小我を手離し、大我があることに気付く境
地や、エックハルトや臨済の信仰のために神や仏を捨て去る
言葉に至ります。
「二度生まれの人」たる下名には、大いに共感出来る部分で
した。
各章末には、まとめが箇条書きされていて、復習に役立ちま
す。
巻末には、「日本語で読める読書案内」として、本書で引用
されたものだけでなく、取り上げなかったものも紹介されて
います。
著者の読書の守備範囲の広さを想像させてくれます。
2017年7月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「物語に縛られるのはよくない」全くその通りで、
他のレビュアーの方が書いている個々の主張自体にも異論はないのである。
まあ因果関係の存否の超越的基準がないところで「物語にすぎない」という言明が意味を持つのかという疑問はあるにしても。
しかし、読後感としてはこの著者との相性は良くなかった、というものになる。
もうこれは文章の感触とか、もっと言えばこちらが近親憎悪を勝手に投影しているとかいう話なのかもしれない。
ただ理由を求めてはいけない、物語に縛られてはいけないと言われるたびに、
日常の些事にとらわれて感情の激流に呑まれてきた著者の過去が想像せられて、
なんだか精神がずいぶん疲弊してしまった。
それはおいておくとしても、
「物語からの解放」という方面を強調して、
そのために他人や世の中の物語る行為を例に出して束縛されていると認定し、
あまつさえ聖書の放蕩息子の帰還のエピソードの解釈に関して
「この読み方を『浅い』と思う人がいたとしたら、その人は、
人間が自分のストーリーメイキングを捨てることの難しさを、よほど甘く見ているのでしょう(p.209)」
などと狭量にも書けてしまうところを見ると(この話に自己物語の編集という観点でのみ含蓄があるとでもいうのだろうか?)、
「物語との格闘」がいまだ重要なテーマとして位置を占めていると考えてよさそうだ。
もちろんこれも私の作ったストーリーどころか憶測でしかないのだが。
物語が人を傷つけ、自らを腐らせるということは確かにある。
降ってわいた出来事に実存的意味を見つけようというのも徒労なのかもしれない。
しかし世界と自己に意味を与え、出来事に作用因を超えた目的因を垣間見せ、
人に未来への行動の活力をもたらすのも物語の作用である。
仏教でいう「空」とは例えば存在の否定ではなく、「ある」と「ない」から等しく中立であるのだという。
物語に関しても、因果の存否を判定する上位の枠組みを認めない上は、
そのように両側から考えて物語ることと付き合っていくほうが、個人的には好みである。
また、他人が物語に縛られているのか物語を主体的に生きているのかを判別する手段はないのだから、
そのことを指摘するのは訴えかけとしては意味があっても理路としては筋が良くないし、
怒ったり悲しんだりしていることをもって「公正世界の誤謬」に陥って闇雲に期待していると断ずることもできない。
自らの中にある物語の作用を止滅させた状態に留まるよりはむしろそれを生かし、
相手や世界に期待するとかしないとかいうレベルを超えて、世の不正に憤り行動するということもある。
もちろんそれは個人の信念に基づき偏りもあるから、異なる意見の人どうしで諸々摩擦や衝突も生まれようが、
いろんな人が自らの物語と付かず離れずで互いにコミュニケートする社会のダイナミズムの可能性を信じたい。
以上、読んだ印象をもとに本書の趣旨を超えて針小棒大に語ったきらいもあり恐縮ではあるが、
あえて思い感じたところをそのまま書かせてもらった。
他のレビュアーの方が書いている個々の主張自体にも異論はないのである。
まあ因果関係の存否の超越的基準がないところで「物語にすぎない」という言明が意味を持つのかという疑問はあるにしても。
しかし、読後感としてはこの著者との相性は良くなかった、というものになる。
もうこれは文章の感触とか、もっと言えばこちらが近親憎悪を勝手に投影しているとかいう話なのかもしれない。
ただ理由を求めてはいけない、物語に縛られてはいけないと言われるたびに、
日常の些事にとらわれて感情の激流に呑まれてきた著者の過去が想像せられて、
なんだか精神がずいぶん疲弊してしまった。
それはおいておくとしても、
「物語からの解放」という方面を強調して、
そのために他人や世の中の物語る行為を例に出して束縛されていると認定し、
あまつさえ聖書の放蕩息子の帰還のエピソードの解釈に関して
「この読み方を『浅い』と思う人がいたとしたら、その人は、
人間が自分のストーリーメイキングを捨てることの難しさを、よほど甘く見ているのでしょう(p.209)」
などと狭量にも書けてしまうところを見ると(この話に自己物語の編集という観点でのみ含蓄があるとでもいうのだろうか?)、
「物語との格闘」がいまだ重要なテーマとして位置を占めていると考えてよさそうだ。
もちろんこれも私の作ったストーリーどころか憶測でしかないのだが。
物語が人を傷つけ、自らを腐らせるということは確かにある。
降ってわいた出来事に実存的意味を見つけようというのも徒労なのかもしれない。
しかし世界と自己に意味を与え、出来事に作用因を超えた目的因を垣間見せ、
人に未来への行動の活力をもたらすのも物語の作用である。
仏教でいう「空」とは例えば存在の否定ではなく、「ある」と「ない」から等しく中立であるのだという。
物語に関しても、因果の存否を判定する上位の枠組みを認めない上は、
そのように両側から考えて物語ることと付き合っていくほうが、個人的には好みである。
また、他人が物語に縛られているのか物語を主体的に生きているのかを判別する手段はないのだから、
そのことを指摘するのは訴えかけとしては意味があっても理路としては筋が良くないし、
怒ったり悲しんだりしていることをもって「公正世界の誤謬」に陥って闇雲に期待していると断ずることもできない。
自らの中にある物語の作用を止滅させた状態に留まるよりはむしろそれを生かし、
相手や世界に期待するとかしないとかいうレベルを超えて、世の不正に憤り行動するということもある。
もちろんそれは個人の信念に基づき偏りもあるから、異なる意見の人どうしで諸々摩擦や衝突も生まれようが、
いろんな人が自らの物語と付かず離れずで互いにコミュニケートする社会のダイナミズムの可能性を信じたい。
以上、読んだ印象をもとに本書の趣旨を超えて針小棒大に語ったきらいもあり恐縮ではあるが、
あえて思い感じたところをそのまま書かせてもらった。
2019年3月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルだけ見ると物語を創作する人(作家、脚本家、漫画家など)に向けた本のようにも見えるが、「物語」というキーワードから人間の心理をわかりやすく説明している。
「現実」と「物語」の違いが理解しやすくなるので、物語を創作する人々にもおすすめの一冊。
「現実」と「物語」の違いが理解しやすくなるので、物語を創作する人々にもおすすめの一冊。
2020年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に難解で、一文が長く読みにくい。
抽象的、あれそれの代名詞が多く、何が
どこを指しているのかわかりづらい。
読書感想文にチャレンジさせたが、困難を
極めた模様。
その甲斐あってか、学年で4人しか選ばれない
優秀作に選ばれた。
抽象的、あれそれの代名詞が多く、何が
どこを指しているのかわかりづらい。
読書感想文にチャレンジさせたが、困難を
極めた模様。
その甲斐あってか、学年で4人しか選ばれない
優秀作に選ばれた。
2019年5月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今まで、自分がアンラッキーと思ってきたこと、つらいと思ってきたことは、自分がそのようなストーリーを描いてきたからだ、と捉えるととても楽しくなる。むしろ、自分が紡いできたストーリーはなぜそのようなストーリーになったのか、という事に純粋な興味関心が湧いてくる。ストーリーは創りたいように作れる、という事が分かると、人生楽しく過ごせるストーリーを選べばよいだけで、すごく価値のある本です。
2017年4月4日に日本でレビュー済み
「人はなぜ物語を求めるのか」という本書の書名になっている「問い」に対して、
本文中にその「答え」を探して、この本を三度読み返してみました。
結局、この「問い」に正解があるのか、ないのかも分かりませんでしたが、
一応、私なりの「答え」にやっとたどり着けたような気がします。
私の「答え」:
人間は日常、世界をストーリー形式で認知しているので、
未知の出来事(非日常)が発生したとき(想定されるとき)、
それを強引に無理やり既知の「筋」立てに当てはめて物語化し、
感情的に心の中で解消(消化)してしまい、心の平衡状態を取り戻したいから。
さて、著者は、本書を書くにあたり、多数の書物を読み解き、物語論の研究成果を通して、
人間を深く考え、理解しようとしていることが分かりました。
巻末の「日本語で読める読書案内」は、これからもっと掘り下げて考えたい私のような読者には、
良き手引きになりそうです。
怖しいことですが、人の心の中には、「ほんとうのことを知りたいというよりも、
未知のできごと(異なるもの)を既知のパターンの形に押しこめて消化(同化)してしまいたい」
という困った感情があり、そのため「強引にストーリー化してしまう」のだ、と著者は言っています。
(136頁) でも、それって、でたらめの、でっちあげ物語ですよね。
人間は、お互いに隣人なのに、「正義」「平等」「愛国」「恋愛」「芸術」「文学」
その他素敵な理想に、それぞれが執着して閉じこもり、
「間違っている<彼ら>は、正しい<私>によって攻撃されてもしょうがない」とばかりに、
他責的ストーリーを生きる場合には、衝突と武力行使は避けられそうにもありません。
怖い話です。
他方、著者は「怖いけど、素敵な理想をえいっと手放すという選択肢もあります」(212頁)
と気付かせてくれています。しがみつかずに、手を放してみると意外な展開と解決法が
見つかるかもしれません。
21世紀に入ってからも、ジョージ・ブッシュ米大統領は対テロリズムの戦闘を
「十字軍」と呼んだそうです。(209頁)
核爆弾の現代に「十字軍の騎士団」の剣で対抗できるのでしょうか。
なぜ中世の「十字軍」の「物語」を現代に求めるのでしょうか。
『臨済録』に「仏に逢ったなら仏を殺せ」というフレーズがある
ことを著者は教えてくれました。(212頁)
仏さまだって、執着してしまえば仏ではなく、小さい我の投影にすぎない、
と著者「千野帽子」さんは読者の私に小さな声でそっと教えてくれました。
本文中にその「答え」を探して、この本を三度読み返してみました。
結局、この「問い」に正解があるのか、ないのかも分かりませんでしたが、
一応、私なりの「答え」にやっとたどり着けたような気がします。
私の「答え」:
人間は日常、世界をストーリー形式で認知しているので、
未知の出来事(非日常)が発生したとき(想定されるとき)、
それを強引に無理やり既知の「筋」立てに当てはめて物語化し、
感情的に心の中で解消(消化)してしまい、心の平衡状態を取り戻したいから。
さて、著者は、本書を書くにあたり、多数の書物を読み解き、物語論の研究成果を通して、
人間を深く考え、理解しようとしていることが分かりました。
巻末の「日本語で読める読書案内」は、これからもっと掘り下げて考えたい私のような読者には、
良き手引きになりそうです。
怖しいことですが、人の心の中には、「ほんとうのことを知りたいというよりも、
未知のできごと(異なるもの)を既知のパターンの形に押しこめて消化(同化)してしまいたい」
という困った感情があり、そのため「強引にストーリー化してしまう」のだ、と著者は言っています。
(136頁) でも、それって、でたらめの、でっちあげ物語ですよね。
人間は、お互いに隣人なのに、「正義」「平等」「愛国」「恋愛」「芸術」「文学」
その他素敵な理想に、それぞれが執着して閉じこもり、
「間違っている<彼ら>は、正しい<私>によって攻撃されてもしょうがない」とばかりに、
他責的ストーリーを生きる場合には、衝突と武力行使は避けられそうにもありません。
怖い話です。
他方、著者は「怖いけど、素敵な理想をえいっと手放すという選択肢もあります」(212頁)
と気付かせてくれています。しがみつかずに、手を放してみると意外な展開と解決法が
見つかるかもしれません。
21世紀に入ってからも、ジョージ・ブッシュ米大統領は対テロリズムの戦闘を
「十字軍」と呼んだそうです。(209頁)
核爆弾の現代に「十字軍の騎士団」の剣で対抗できるのでしょうか。
なぜ中世の「十字軍」の「物語」を現代に求めるのでしょうか。
『臨済録』に「仏に逢ったなら仏を殺せ」というフレーズがある
ことを著者は教えてくれました。(212頁)
仏さまだって、執着してしまえば仏ではなく、小さい我の投影にすぎない、
と著者「千野帽子」さんは読者の私に小さな声でそっと教えてくれました。
2021年7月28日に日本でレビュー済み
この本をよんで、結局、人間は自分の理屈の中で生きているのだなと思う。
自分の中でつじつまを合わせた世界観の中で生きているである。
一個人の理屈というだけでなく、「大きな物語」と言われる概念もそうである。
誰の言葉か、出典が分からないのだが、(ヴォルテールとか、ナポレオンという説がある。)
「歴史とは公認された作り話である」という。それがどういう意味か自分なりに解釈できたような気がする。
自分の中でつじつまを合わせた世界観の中で生きているである。
一個人の理屈というだけでなく、「大きな物語」と言われる概念もそうである。
誰の言葉か、出典が分からないのだが、(ヴォルテールとか、ナポレオンという説がある。)
「歴史とは公認された作り話である」という。それがどういう意味か自分なりに解釈できたような気がする。