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中島敦全集 第2巻 ペーパーバック – 1976/5/1
中島 敦
(著)
下田の女,ある生活,喧嘩,蕨・竹・老人,巡査の居る風景 他
- 本の長さ695ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1976/5/1
- ISBN-104480738029
- ISBN-13978-4480738028
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1976/5/1)
- 発売日 : 1976/5/1
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 695ページ
- ISBN-10 : 4480738029
- ISBN-13 : 978-4480738028
- Amazon 売れ筋ランキング: - 2,329,928位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 541,248位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本に収録されている小説は、「南島譚(幸福/夫婦/鶏)」「環礁(寂しい島/夾竹桃の家の女/ナポレオン/真昼/マリヤン/風物抄)」「わが西遊記(悟浄出世/悟浄歎異)」「古俗(盈虚/牛人)」「過去帳(かめれおん日記/狼疾記)」です。この本の後半には、中島敦が遺した日記や書簡がけっこうな数で収録されています。
「南島譚」と「環礁」は、南の島が舞台の連作短編集です。テレビやインターネットが無かった当時は、この短編集が紡ぎ出す南の島の世界はとても新鮮だったんだろうなと思います。テレビやインターネットで南の島の様子を当たり前に見られる現代人の私には、この世界観をそれほど新鮮だと思えないのが残念ではありました。
「わが西遊記」と「古俗」は、中国が舞台の連作短編集です。「わが西遊記」の主人公は、河童の悟浄です。「悟浄出世」は、この本に収録されている小説の中で一番面白く読めました。「悟浄出世」は物語と哲学が融合した『ツァラトゥストラ』のようなタイプの小説なのですが、答えの出ない問題を考えることの益体のなさを学べる小説でもあります。「古俗」は「古譚」と作風が似ていますが、「古譚」とは違って「言葉」がテーマになっていない作品集だと思いました。だから「古俗」は「古譚」から外されたのでしょう。
「過去帳」は、哲学的な日記のような連作短編集です。中島敦が哲学的なことを考える素質にかなり恵まれていることが窺える作品集でした。
「南島譚」と「環礁」は、南の島が舞台の連作短編集です。テレビやインターネットが無かった当時は、この短編集が紡ぎ出す南の島の世界はとても新鮮だったんだろうなと思います。テレビやインターネットで南の島の様子を当たり前に見られる現代人の私には、この世界観をそれほど新鮮だと思えないのが残念ではありました。
「わが西遊記」と「古俗」は、中国が舞台の連作短編集です。「わが西遊記」の主人公は、河童の悟浄です。「悟浄出世」は、この本に収録されている小説の中で一番面白く読めました。「悟浄出世」は物語と哲学が融合した『ツァラトゥストラ』のようなタイプの小説なのですが、答えの出ない問題を考えることの益体のなさを学べる小説でもあります。「古俗」は「古譚」と作風が似ていますが、「古譚」とは違って「言葉」がテーマになっていない作品集だと思いました。だから「古俗」は「古譚」から外されたのでしょう。
「過去帳」は、哲学的な日記のような連作短編集です。中島敦が哲学的なことを考える素質にかなり恵まれていることが窺える作品集でした。
2012年10月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中島敦がパラオを舞台にした小説を書いていると知って、手に取った一冊。「南島譚」と「環礁」収録の九篇は小説というよりも紀行やエッセイのような感じ。南の島が舞台の小説と言うとすぐにモームの名が挙げられますが、モームの小説が南太平洋を舞台としながらも登場人物はほとんど白人に限られているのに対し、中島敦の主人公はあくまでミクロネシアの現地の人たちです。中島は、日米開戦の前後九ヶ月間を南洋庁の役人(国語教科書の編纂員)としてパラオをはじめとしたミクロネシアの島々で過ごしたそうで、その時の経験が元になっています。当時、南洋に進出していった日本人の驕りなど微塵も感じられない、島民の間に溶け込んだ中島の暮らしぶりが垣間見える計九篇。だから中島は現地の日本人社会で浮いていたのかな。パラオ赴任時、中島は大腸カタルやデング熱に罹り、さらに持病の喘息もあって南洋暮らしは相当過酷だったようですが、日記や書簡からはあまり悲愴感は感じられません。むしろ南洋の暮らしをエンジョイしている印象さえ受ける。地図を片手に日記・書簡を読むと、わずか九ヶ月の間に、いかに中島が精力的にミクロネシアの島々を廻ったかがよくわかります。ミクロネシアの島民に対する愛、わが子に対する愛、そして奥さんに対する愛に満ちた日記、書簡集。「たか助は、洗濯と掃除とで、働きすぎて、身体をこわさないように」と、奥さんのたかさんをたか助と呼んだり、読んでるこちらが赤面するような表現もちらほら。日記は帰国直前の昭和17年2月20日まで。中島敦の本領は「わが西遊記」、「古俗」に収められた中国ものにあるのでしょうが、南洋ものには別の中島がいて、又面白いです。
2008年11月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
特に印象的だったのは「悟浄歎異」。西遊記を題材にした小説です。沙悟浄が孫悟空や三蔵法師の人物について語るという形式が採られています。何も考えていないようでありながら思索を行動にまで昇華させた悟空と、どこまでも内に内に思索を深めていく三蔵の対比は見事としか言いようがありません。そして、全くの対極にあるふたりが、人生を必然であり自由であると考える、その一点においてのみ一致しているという面白さ。小説というのは人物をここまで表現できるのかと思い知らされるような作品です。
2005年11月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1に引き続き、他文庫に収録されていない作品の魅力を述べたい。
まず、特に自意識をもてあます読者に。’過去帳’に分類された「かめれおん日記」を読めば、元気が出て、あるいは更に悩んで突き抜けられる。後に文学史に名を残す文豪でさえ、世に出る前は、表向き淡々と書いていても、内心こんなに鬱屈していたのだ。
「狼疾記」は「かめれおん日記」と主人公、背景は同じだが、読後感は爽やかだ。皆に馬鹿にされる事務員のM氏にも矜持があり、借り物でない哲学がある。それを見出し、尊重する主人公には柔らかな感性がある。主人公が久しぶりの酒で独りくだを巻くところでは、読者の憂さもさっぱり晴れる。「狼疾記」のみなら岩波文庫にもあるが、二作はセット。「かめれおん日記」の孤独と憂愁に会ってこその快感だろう。
他、どうも怪しいが、どこか愛嬌のある老人との交流を描いて、味のある’南島譚’の「鶏」もはずせない。
書簡Ⅰは、はじめミステリアスでついそそられ、次いで作家未満の悲しみに打たれ、やがて南洋から家族を気遣い、「土民を愛する」姿にほのぼのとする。
書簡Ⅱは、幼い息子たちに宛てた南洋からの葉書と手紙と集めたもので、作家没直後から児童書とする企画があったほどである。
尚、他文庫にも所収の「わが西遊記」が持つ興趣は、私が言うまでもない。
まず、特に自意識をもてあます読者に。’過去帳’に分類された「かめれおん日記」を読めば、元気が出て、あるいは更に悩んで突き抜けられる。後に文学史に名を残す文豪でさえ、世に出る前は、表向き淡々と書いていても、内心こんなに鬱屈していたのだ。
「狼疾記」は「かめれおん日記」と主人公、背景は同じだが、読後感は爽やかだ。皆に馬鹿にされる事務員のM氏にも矜持があり、借り物でない哲学がある。それを見出し、尊重する主人公には柔らかな感性がある。主人公が久しぶりの酒で独りくだを巻くところでは、読者の憂さもさっぱり晴れる。「狼疾記」のみなら岩波文庫にもあるが、二作はセット。「かめれおん日記」の孤独と憂愁に会ってこその快感だろう。
他、どうも怪しいが、どこか愛嬌のある老人との交流を描いて、味のある’南島譚’の「鶏」もはずせない。
書簡Ⅰは、はじめミステリアスでついそそられ、次いで作家未満の悲しみに打たれ、やがて南洋から家族を気遣い、「土民を愛する」姿にほのぼのとする。
書簡Ⅱは、幼い息子たちに宛てた南洋からの葉書と手紙と集めたもので、作家没直後から児童書とする企画があったほどである。
尚、他文庫にも所収の「わが西遊記」が持つ興趣は、私が言うまでもない。
2019年4月8日に日本でレビュー済み
内容は他のレビュアーの方々も書かれているように,中島の軽妙さを味わえる実に滋味溢れるものである。しかしながら,巻末の解説がいただけない。夏休みの宿題として書かれた中学生の読書感想文に勝るとも劣らない,素人が裸足で逃げ出すようなお粗末さである。筑摩書房は,時としてこのようなヘマをやらかす。解説を削除すれば,百円値下げして定価を千円きっかりにできたであろうに。よって,☆4つとする。
2011年7月10日に日本でレビュー済み
「南島譚」「環礁」
南洋の空と海の碧が・長閑と倦怠の異郷情緒が・憧憬を誘う。エキゾティシズム。
「わが西遊記」
近代的な自己意識の苦悶――無限の反省作用・対象化作用――に陥った悟浄の精神的遍歴。悟空の如き自己意識の超越或いは無化がこの苦悩を解く道であることが示唆されているが、しかし自己意識の自己意識たる所以はその原理的な超越不可能性にあると思う。それを捨てることは決してできないのだ。それにしても、やはり中島敦は、近代の苦悩を描いた近代の作家である。
「過去帳」
自己と世界との間に懸隔を感じざるを得ない虚無感・無常観に苛まれる形而上学的苦悩の形式を、僕も共有する。世俗に馴染めぬ自己に苦しむ一方で、俗人とは交わらぬという自尊心――しかしその実、世俗へ降り立つことで自己の超越性が脅かされることを極度に恐れる"臆病な自尊心"。その自己は、軽蔑する当の俗世の喝采を密かに求めてはいるのではないか。世俗に対する冷笑は、その喝采を獲得する為の実人生上の能力を欠いた自己が何とか維持しようとする自尊心の、裏返された顕れではないか。世俗を求めながら世俗を得られぬ者の、随分と分かり易く屈折した俗物性ではないか。超俗を偽装するのは常に俗物そのものではなかったか。自意識の形而上学的懊悩に自己を摩滅し、その徹底性ゆえに自己否定を止め得なかった中島の無限の苦しみ。
南洋の空と海の碧が・長閑と倦怠の異郷情緒が・憧憬を誘う。エキゾティシズム。
「わが西遊記」
近代的な自己意識の苦悶――無限の反省作用・対象化作用――に陥った悟浄の精神的遍歴。悟空の如き自己意識の超越或いは無化がこの苦悩を解く道であることが示唆されているが、しかし自己意識の自己意識たる所以はその原理的な超越不可能性にあると思う。それを捨てることは決してできないのだ。それにしても、やはり中島敦は、近代の苦悩を描いた近代の作家である。
「過去帳」
自己と世界との間に懸隔を感じざるを得ない虚無感・無常観に苛まれる形而上学的苦悩の形式を、僕も共有する。世俗に馴染めぬ自己に苦しむ一方で、俗人とは交わらぬという自尊心――しかしその実、世俗へ降り立つことで自己の超越性が脅かされることを極度に恐れる"臆病な自尊心"。その自己は、軽蔑する当の俗世の喝采を密かに求めてはいるのではないか。世俗に対する冷笑は、その喝采を獲得する為の実人生上の能力を欠いた自己が何とか維持しようとする自尊心の、裏返された顕れではないか。世俗を求めながら世俗を得られぬ者の、随分と分かり易く屈折した俗物性ではないか。超俗を偽装するのは常に俗物そのものではなかったか。自意識の形而上学的懊悩に自己を摩滅し、その徹底性ゆえに自己否定を止め得なかった中島の無限の苦しみ。
2010年1月4日に日本でレビュー済み
「南島譚」作者が実際に出張したこともある南洋諸島を舞台にしています。当地の民話もあれば、体験談らしきものもあり。「光と風と夢」より面白いかも。
「環礁」やっぱり南洋での作者の経験を書いたエッセイ的文章のようです。私は特に、のんびりとしたよしなしごとを書いた「真昼」が好きです。
「わが西遊記」これもすぐれています。漢文の渋みとユーモアがみなぎりにみなぎっています。特に「悟浄出世」がいいです。
「古俗」これも上記と同様中国ものです。この中の「牛人」は、どこか内田百'閧フような不気味さが漂っていいですねえ。
「過去帳」このうちでは、特に「狼疾記」。262ページには、ウィトゲンシュタインか構造主義の説を先取りしたような考えが記されていて、びびりました。
ゆたかな教養と感性に裏打ちされた中島敦の文学は、コクがあると同時にキレもあります。残す価値ある文学だと思います。
「環礁」やっぱり南洋での作者の経験を書いたエッセイ的文章のようです。私は特に、のんびりとしたよしなしごとを書いた「真昼」が好きです。
「わが西遊記」これもすぐれています。漢文の渋みとユーモアがみなぎりにみなぎっています。特に「悟浄出世」がいいです。
「古俗」これも上記と同様中国ものです。この中の「牛人」は、どこか内田百'閧フような不気味さが漂っていいですねえ。
「過去帳」このうちでは、特に「狼疾記」。262ページには、ウィトゲンシュタインか構造主義の説を先取りしたような考えが記されていて、びびりました。
ゆたかな教養と感性に裏打ちされた中島敦の文学は、コクがあると同時にキレもあります。残す価値ある文学だと思います。