http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090519/p2を承けて。 『生政治の誕生』でフーコーは、新自由主義を単なるスミス的な古典的自由主義の回帰ではない、と明言している。 アダム・スミス、マルクス、ソルジェニーツィン。自由放任、商業とスペクタクルの社会、教師収容所とグラーグの世界。おおざっぱに言って以上が、新自由主義の問題を扱う際に通常用いられる分析 続きを読む
フーコーと三つのリベラリズム? - インタラクティヴ読書ノート別館の別館洗練されるネット社会 ブログをはじめてから5年、定期的にネット界隈について語ってきたが周りの様子も大きく様変わりしたなと思う。単にネットサービスの変化だけではなく、そこに「住む」人々の様相も変化した。たとえば、・ネット/実社会の境界が薄れた・・・かつてはネットというものに実社会とは異なるものを見いだしていた。 社会事態もネットというものを特別なものとして見てい... 続きを読む
なぜネット社会は洗練されていくのか - 受動的な健忘今日はグダグダでしたすいません。 話したことと(いつも以上に)だいぶ違いますがあげときます。 *フーコーの「リベラリズム」(承前) フーコーによれば中世から17、18世紀までの、法権利による主権者の、その統治の制限が問題となっていた局面においては、統治の目標とはまさに統治の主体たる主権者の目標、主権者の欲望の宛先ということになるだろう。しかしそれが具体的には何を意味す... 続きを読む
東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - インタラクティヴ...