フーコーの最後の講義を集めた講義録。
言葉、狂気、監獄など時代時代の分別についてたどってきたフーコーは
さらに性の問題へと移り、最後は自己の問題と向き合った。
自己をどう処すかのテクノロジー。
自己をどう扱うかについて古典を紐解いてたどっていく姿は
よりフーコーらしさを感じさせ、そして近しい存在のようにも
思えてくる。
自己とどう向き合うかというのはどんな人にも身近な問題である。
講義録のためか、相手の理解を促すような配慮も書物以上にあり、
そういう意味で読みやすい。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
何か問題が発生しました。後で再度リクエストしてください。
OK
ミシェル・フーコー講義集成〈11〉主体の解釈学 (コレージュ・ド・フランス講義1981-82) 単行本 – 2004/1/20
- ISBN-104480790519
- ISBN-13978-4480790514
- 出版社筑摩書房
- 発売日2004/1/20
- 言語日本語
- 本の長さ634ページ
この商品を見た後に買っているのは?
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2004/1/20)
- 発売日 : 2004/1/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 634ページ
- ISBN-10 : 4480790519
- ISBN-13 : 978-4480790514
- Amazon 売れ筋ランキング: - 645,335位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 486位フランス・オランダの思想
- - 1,159位西洋哲学入門
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中5つ
5つのうち5つ
6グローバルレーティング
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2004年12月18日に日本でレビュー済み
内容は非常に高度であり、フーコーの哲学的活動全体の中における位置づけも難しいが、コレージュ・ド・フランスでの講義録であるため、話の進展についていく事自体はそれほど困難ではありません。
語り口調で書かれており、訳分も流暢です。
フーコーの講義24コマ分を納めたものですが、実際に講義をその場で聴講しているかのような臨場感があります。
もし、大学の授業に24コマでるとすれば、往復の交通費だけでも七千円を超えるでしょう。フーコーの講義を自宅にいながら流暢な日本語であじわうことができるとは、哲学にとっていい時代になったものです。
彼と同時代のひとびとには手に入らなかったテクストであるわけですから。
語り口調で書かれており、訳分も流暢です。
フーコーの講義24コマ分を納めたものですが、実際に講義をその場で聴講しているかのような臨場感があります。
もし、大学の授業に24コマでるとすれば、往復の交通費だけでも七千円を超えるでしょう。フーコーの講義を自宅にいながら流暢な日本語であじわうことができるとは、哲学にとっていい時代になったものです。
彼と同時代のひとびとには手に入らなかったテクストであるわけですから。
2004年2月29日に日本でレビュー済み
<主体>の問題についての、他の著作より詳しい問題系の説明がなされ、
現代におけるフーコーの提案はどういうものかについて、より一歩近づける。
時に、単なるナルシシズムや個人主義だと曲解されて批判される、死を間近に
したフーコーが格闘し到達した、主体とそれを巡る実践の思考は、仏教的である。
理解のない批判が多く存在することは、仏教がキリスト教やイスラム教のよう
な宗教になり得なかったことをも想起させる。
現代におけるフーコーの提案はどういうものかについて、より一歩近づける。
時に、単なるナルシシズムや個人主義だと曲解されて批判される、死を間近に
したフーコーが格闘し到達した、主体とそれを巡る実践の思考は、仏教的である。
理解のない批判が多く存在することは、仏教がキリスト教やイスラム教のよう
な宗教になり得なかったことをも想起させる。