二人の女性の、なんとも言い難い微妙な関係性を
主人公が相手の女性に書き宛てる、嫌みとも思われる内容の短編小説や、
容赦ない言葉を投げつけた質問状などを通して描いていくという
新しくとても奇抜なストーリー展開に惹き込まれていきました。
二人のひねくれたやりとりや、主人公の生い立ちと青春時代を基にした
短編小説などからのぞく複雑な本心、レズビアンを扱った短編小説の中に隠された
不純ではないけれどまっすぐでもない二人の友情?など、
どこまでも深くのめり込んでいける読み応えのある内容でした。
ただ、私はこの本を授業の中で読んだのですが、周りの感想を聞いていると
どうも賛否両論はっきり分かれる内容みたいです。
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裏ヴァージョン 単行本 – 2000/10/1
松浦 理英子
(著)
- 本の長さ221ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2000/10/1
- ISBN-104480803580
- ISBN-13978-4480803580
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
物語が語られる。それに誰かのコメントが。これはいったい誰と誰のやりとりなのか? 読み進むうちに物語は奇妙な形で現実を映し始め…。
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2000/10/1)
- 発売日 : 2000/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 221ページ
- ISBN-10 : 4480803580
- ISBN-13 : 978-4480803580
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,333,667位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 31,161位日本文学
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年9月16日に日本でレビュー済み
今まで読んだ作者のどの作品よりも、うまい、と思った。
一つ一つの短編の語り口、エピソード、全体の構成、すべてにおいてゆるぎなく、最後には思わず主人公(作者?)に感情移入し、ひとごととは思えないように仕向けられている。
今までの、純粋率直な文体でちょっと夢見がちな物語を語っていた手法を「子供」とすれば、まさに「大人」の仕上がりだと言ってもいい。幻想から醒めた人間、現実に直面し夢を見られなくなった大人は、いったい何を目指せばいいのか?その葛藤と発奮がひねくれた構成からひりひりと伝わってくる。ひりひりとして、それでも、たまらなく魅力的に思われる。
SとMという関係、作者と読者という関係、女と女という関係
あらゆる関係の理想と現実。過去と今。
すべてを超越し、さらに次の関係を目指して、作者は新たなスタートを切ったのだ。
この作品がおそらく松浦理英子文学のターニングポイントになるだろうと思う。
一つ一つの短編の語り口、エピソード、全体の構成、すべてにおいてゆるぎなく、最後には思わず主人公(作者?)に感情移入し、ひとごととは思えないように仕向けられている。
今までの、純粋率直な文体でちょっと夢見がちな物語を語っていた手法を「子供」とすれば、まさに「大人」の仕上がりだと言ってもいい。幻想から醒めた人間、現実に直面し夢を見られなくなった大人は、いったい何を目指せばいいのか?その葛藤と発奮がひねくれた構成からひりひりと伝わってくる。ひりひりとして、それでも、たまらなく魅力的に思われる。
SとMという関係、作者と読者という関係、女と女という関係
あらゆる関係の理想と現実。過去と今。
すべてを超越し、さらに次の関係を目指して、作者は新たなスタートを切ったのだ。
この作品がおそらく松浦理英子文学のターニングポイントになるだろうと思う。
2006年9月6日に日本でレビュー済み
極めて周到かつテクニカルな作品である。
手紙に書かれた一種の虚構を主人公たちが交換していくうちに
物語的現実と虚構さえ入り混じり、読者は
語られる事物のスタンスさえ特定できない不安感を味わう。
その不安定さの中で、求め合う二人と、その別れ。
それは悲劇であるが、その別れ自体も虚構の範疇に絡め取られる、
一筋縄ではいかない作品と作者である。
手紙に書かれた一種の虚構を主人公たちが交換していくうちに
物語的現実と虚構さえ入り混じり、読者は
語られる事物のスタンスさえ特定できない不安感を味わう。
その不安定さの中で、求め合う二人と、その別れ。
それは悲劇であるが、その別れ自体も虚構の範疇に絡め取られる、
一筋縄ではいかない作品と作者である。
2004年5月11日に日本でレビュー済み
これは短編小説ではないのかも、と読み終わった時に思った。高校時代の親友であったらしい、今は中年の二人の女性。かたや公務員は、月一本の短編小説を家賃に、かたや小説家のなりそこないと同居を始める。と言っても、二人はほとんど顔を合わせずフロッピーだけのやりとり(妄想じみた月一本の短編とそれに対する批評)が続く。批評はいつの間にか、質問状となり、詰問状となって、創作世界は現実世界を侵食していく。
短編一つ一つが刺激的で面白いので、読みはじめは一風変わった短編小説かな、と思うのであるが、そう言い切れない妙な構成の小説。
最後の短編が哀しい。どちらの人物が書いているのかが曖昧であり、もしかしたら読者に対する罠かもしれないけれど、でもある種のタネあかしであるようにも思える。しかしどちらが書いていたとしても、それは暗号のようなラブレターだ。人と人とは性を介在せずにどこまで分かりあえるのだろう? 性的に他人とかかわりあうことをやめたその先、どのような(友人)関係を作ることが可能なのだろうか? ラブレター(のようなもの)を書いている人物は性の介在しない人間関係を信じているようだが。
タイトルが「裏ヴァージョン」であることを思うと、松浦理英子が今までの小説で一貫して語ってきた性の哀しみのようなものの解説的な作品になっているような気もする。それは「性のマイノリティ」だけではなく、他人にどう非難されようが、慰められようが、どうして正常に戻ることのできない自分と世界とのズレ、自分と自分とのズレ、そこから生じる挫折感、喪失感についてなのではないだろうか。それ語る視線が冷静なものであるからこそ、哀しみはさらに引き立つ。
小説の中で弱者の夢想するユートピアは必ず「いつか」のことである。現実では決して訪れることのない「いつか」。現実では居場所を限られる、或は居場所などはなから提供されないマイノリティの見る夢を、まるで私自身の哀しみであるかのように、この小説の中で見たように思う。
短編一つ一つが刺激的で面白いので、読みはじめは一風変わった短編小説かな、と思うのであるが、そう言い切れない妙な構成の小説。
最後の短編が哀しい。どちらの人物が書いているのかが曖昧であり、もしかしたら読者に対する罠かもしれないけれど、でもある種のタネあかしであるようにも思える。しかしどちらが書いていたとしても、それは暗号のようなラブレターだ。人と人とは性を介在せずにどこまで分かりあえるのだろう? 性的に他人とかかわりあうことをやめたその先、どのような(友人)関係を作ることが可能なのだろうか? ラブレター(のようなもの)を書いている人物は性の介在しない人間関係を信じているようだが。
タイトルが「裏ヴァージョン」であることを思うと、松浦理英子が今までの小説で一貫して語ってきた性の哀しみのようなものの解説的な作品になっているような気もする。それは「性のマイノリティ」だけではなく、他人にどう非難されようが、慰められようが、どうして正常に戻ることのできない自分と世界とのズレ、自分と自分とのズレ、そこから生じる挫折感、喪失感についてなのではないだろうか。それ語る視線が冷静なものであるからこそ、哀しみはさらに引き立つ。
小説の中で弱者の夢想するユートピアは必ず「いつか」のことである。現実では決して訪れることのない「いつか」。現実では居場所を限られる、或は居場所などはなから提供されないマイノリティの見る夢を、まるで私自身の哀しみであるかのように、この小説の中で見たように思う。
2000年11月29日に日本でレビュー済み
物語は突然、アメリカを舞台とした短編小説で始まります。次々に提出される20枚の短編小説とそれに返される批評。それは次第に「挑戦」と「応酬」の形をとりはじめ、エスカレートして行きます。その先には何があるのか。SMや同性愛のイメージの非日常性が、だんだんと薄れてきた時、そこに見えてくるのは誰もが感じたことのある限りなく切ない一つの「青春小説」。最後まで目をそらさないことをお勧めします。
2000年11月15日に日本でレビュー済み
ホモセクシャルやサドマゾをテーマとするひねりのある短編小説ととそれに対する誰かの感想文が対になって物語は展開する。物語が進むにつれ、短編の作者は実は家賃代わりに小説を納め、感想文を書いているのは家主という主従関係が分かる。かつては親友だった二人はフロッピーのやり取りでしか接触しない。殺伐さを感じさせるが、人間同士の幸せな関係が永遠でないことは、受け入れなければいけない事実であり、分かりあえていると感じることが幸せとも言い切れない。SとMの主従関係がお互いを幸せにする場合もある。一体関係というものは何が左右して成立しているのか、考えさせられる小説である。