あるノンフィクションライターが亡くなった時、彼女を様々な形で世話していた先輩格の書き手が追悼文の中で、彼女は星になった、と書いた。一筋縄ではいかない女性だった彼女と、みっちりつきあったその人が、いっそ彼女を天空に放り投げてしまいたい気持ちは解らないではないし、追悼としては、きわめて行き届いたものであったけれど、それゆえにこそ、あの女が星になるわけないじゃないか、と思った。人は星にはならない、という、そのような意味ではなく、一種の啖呵として、そう思った。この啖呵は、祈りに似てないか
福田和也の『俗ニ生キ俗ニ死スベシ俗生歳時記』(筑摩書房)からの一節です。もう一度、最後の部分を引用します。
あの女が星になるわけないじゃないか、と思った。人は星にはならない、という、そのような意味ではなく、一種の啖呵として、そう思った。この啖呵は、祈りに似てないか
僕らは極めて即物的に猥雑な日常を、徒労と承知で莫迦みたいな熱情に動かされながら生きている。
当にCheap Thrillって奴だ。
それは心躍らす音楽かも知れないし、繰り返し読むことを強いるような強度を持った文学作品かも知れない。
何れにせよ、死が意味を持たないように、無意味な生の中で、無価値なものに暴力的に意味を与え、恰もそれが先験的に極上のものと思いこむことで、どうやら生きる実感を与えているのだろう。
そこでは浄らかな祈りの言葉…彼女は星になった…なんて、ただの箱に掛けたリボンのようなものでしかなく、一瞬の浄化は次に来たるだろう新たな日常のための慰みものでしかないだろう。
今では、私は死をただの虚無とは思わなくなっている。
思わない、というより感じない、といっていいかもしれない。
といって、来世ならせ、生者にたいする臨在といったものを信じているわけでもない。
無論、常に全ては消えてゆくという索漠さは口を開けているし、永代に続く持続を信ずる心持ちもないではない。
死んだらどうなるとか、命とは何かなどという大それた問いは暇人にまかせればいいのだ。
或いは占いや宗教の管轄だ。
確認のしようがないものに時間をかける謂われなどない。
それが俗に生き俗に死す者の倫理だ。
僕は既に多くのことにうんざりしている。
死後も生きなければならないなんてとんでもないし、ましてや生まれ変わりたいとも思わない。
ただ朽ち果てたいだけだ。
仮にもう一度生きなければならないとしても、もう一度、このうんざりするような「自分」を、このうんざりする「日常」で生きたいと思う。
もう少しましに生きれるかも知れない。
勿体ぶってこう云ってもかまわない。
「言葉で表せないものに対しては沈黙せよ」(『論理哲学論考』ヴイトゲンシュタイン)と
在るものはカモッラ…ピアソラのそれではなく、野垂れ死にするまで踊り続けると決めた、天国のない者たちへの友愛だけだ。
死者は死者として、常に手許に置くべきであろう。決して忘れることなく。
僕らに出来る最上のことは、決して結論を出さず、延々と忘れずに問題全て抱えて生きることだと思う。
パンクする迄抱えて生きたいし、決して適当な幸福も欲しいとは思わない。
あなたは「星」ではない。
ただの人でしかなく、そして、人としてのあなたと僕は生きた。
その人としての時間を忘れない。
だから…「この啖呵は、祈りに似て」いるのだ。
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俗ニ生キ俗ニ死スベシ俗生歳時記 単行本 – 2003/4/1
福田 和也
(著)
- 本の長さ199ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2003/4/1
- ISBN-104480814507
- ISBN-13978-4480814500
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
季節ごとに自らの来し方を振り返り、稀有な体験や、諦念や自負に満ちた胸のうちを、美しくも凄みのある筆致で綴る異色のエッセイ。PR誌『ちくま』連載のものを単行化する。
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2003/4/1)
- 発売日 : 2003/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 199ページ
- ISBN-10 : 4480814507
- ISBN-13 : 978-4480814500
- Amazon 売れ筋ランキング: - 600,418位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 9,681位近現代日本のエッセー・随筆
- - 57,682位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1960(昭和35)年東京生まれ。文芸評論家。慶應義塾大学環境情報学部教授。慶應義塾大学文学部仏文科卒。同大学院修士課程修了。1993年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、2002年『地ひらく』で山本七平賞受賞。著書に『日本の近代(上・下)』『昭和天皇』など多数。
カスタマーレビュー
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2004年7月6日に日本でレビュー済み
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おそらく現段階で福田和也の代表作といえば『日本人の目玉』や『地ひらく』あたりになるのだろうが、
福田氏自信が最も好きな作品は、おそらく本書ではないだろうか。
それほど、筆が縦横無尽に踊っているし、福田和也という批評家を理解する上で、非常に重要な作品だと思う。
印象の軽やかさ、文体の柔らかさに、杉本秀太郎のエッセイを連想するが、
もちろんそれよりは「俗」や「悪」が色濃い。
ただ、過去と現在、創作と引用、均整と破綻が稀有なバランスで結実している、
紛れもない福田和也の代表作と考えます。
福田氏自信が最も好きな作品は、おそらく本書ではないだろうか。
それほど、筆が縦横無尽に踊っているし、福田和也という批評家を理解する上で、非常に重要な作品だと思う。
印象の軽やかさ、文体の柔らかさに、杉本秀太郎のエッセイを連想するが、
もちろんそれよりは「俗」や「悪」が色濃い。
ただ、過去と現在、創作と引用、均整と破綻が稀有なバランスで結実している、
紛れもない福田和也の代表作と考えます。