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荷風さんの戦後 単行本 – 2006/9/1
半藤 一利
(著)
- 本の長さ277ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2006/9/1
- ISBN-104480814787
- ISBN-13978-4480814784
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2006/9/1)
- 発売日 : 2006/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 277ページ
- ISBN-10 : 4480814787
- ISBN-13 : 978-4480814784
- Amazon 売れ筋ランキング: - 342,611位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 64,233位ノンフィクション (本)
- - 96,097位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1930年、東京・向島生まれ。
東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。松本清張、司馬遼太郎らの担当編集者をつとめる。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、取締役などをへて作家。「歴史探偵」を名乗り、おもに近現代史に関する著作を発表。
著書は『日本の一番長い日』、『漱石先生ぞな、もし』(正続、新田次郎文学賞)、『ノモンハンの夏』(山本七平賞)、『幕末史』など多数。『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
若い頃から永井荷風が好きでした。多分自由気儘のところがきにいったのだと思います。連休に荷風さんの戦後を読むつもりです。
2024年3月7日に日本でレビュー済み
永井荷風『断腸亭日乗』の副読本その2。終戦後はなんとも気の抜けた荷風さん。独立独歩ぶりは変わりませんが。断腸花は秋海棠の別名だそうです。
2016年7月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
純粋な日本文化を愛する永井荷風が大好きになってきました。半藤先生に感謝です。
2020年6月11日に日本でレビュー済み
文藝春秋の元編集者の筆になる荷風の断腸亭日乗を解読・解説した作物ですが、著者が荷風の大の愛読者だけあって、文章の根底に愛情がこもっており、誠に愉快に読ませます。愛読者と言っても、そこは編集者、しかも直接対面したことがあるだけに、筆に遠慮はありませんが、根底に潜んでいるのは荷風の名文と作品に対する尊敬の気持があります。ユーモアのある文体で荷風の日記「断腸亭日乗」を解読し、それを分析して評伝として優れた読み物にしてくれています。実に見事な一冊と言えるでしょう。
それにしても、筆者が日乗から引用している文章が、実に的確な箇所と素晴らしい美文で、さすが編集者の引用と思わされます。人物評にしても、決して褒めるだけでなく、貶すところは遠慮なく貶し、人物像を浮き上がらしています。荷風をこれから読む若い読者には、最良の入門書と言えるのではないでしょうか?
それにしても、筆者が日乗から引用している文章が、実に的確な箇所と素晴らしい美文で、さすが編集者の引用と思わされます。人物評にしても、決して褒めるだけでなく、貶すところは遠慮なく貶し、人物像を浮き上がらしています。荷風をこれから読む若い読者には、最良の入門書と言えるのではないでしょうか?
2015年4月10日に日本でレビュー済み
「永井荷風の昭和」(半藤一利)の続編。
永井荷風(1917-1957)の戦後の姿を半藤一利が愛情をもって描く。
荷風66歳ー80歳の記録である。
戦災ですべてを失い一時は意気消沈した荷風だったが、戦争中に
書きためておいた小説が戦後にばか売れ。それに全集発行という新しい
生き甲斐を見つけていくらか元気をとり戻す。
戦前・戦中は軍部べったり、そして戦後は豹変してアメリカべったりの
付和雷同組を無視し、かつ日本文化の否定派たちを荷風は敵と定める。
孤独で奇矯、反逆の生き方をしながらも、なぜか世の中に受け入れられ、
庶民に愛され、お金はざくざく儲かるという強運の持ち主。
毎日浅草の劇場に通いストリッパーたちと猥談をかわしたわむれるという
上品でない生活をしながら、結局は文化勲章まで手に入れている。
日本人はこんな荷風さんが大好きなんだなと思わせられた。
永井荷風(1917-1957)の戦後の姿を半藤一利が愛情をもって描く。
荷風66歳ー80歳の記録である。
戦災ですべてを失い一時は意気消沈した荷風だったが、戦争中に
書きためておいた小説が戦後にばか売れ。それに全集発行という新しい
生き甲斐を見つけていくらか元気をとり戻す。
戦前・戦中は軍部べったり、そして戦後は豹変してアメリカべったりの
付和雷同組を無視し、かつ日本文化の否定派たちを荷風は敵と定める。
孤独で奇矯、反逆の生き方をしながらも、なぜか世の中に受け入れられ、
庶民に愛され、お金はざくざく儲かるという強運の持ち主。
毎日浅草の劇場に通いストリッパーたちと猥談をかわしたわむれるという
上品でない生活をしながら、結局は文化勲章まで手に入れている。
日本人はこんな荷風さんが大好きなんだなと思わせられた。
2013年12月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
父が永井荷風のファンで断腸亭日乗が実家にありました。全く興味がありませんでしたが、今回この本を読んで荷風の考え方や、回りの庶民の終戦後の変化が大変興味深く見えました。
2010年3月5日に日本でレビュー済み
正直言いまして、永井荷風と言うとどうしても戦前の作家と言うイメージしかありませんでした。
実際、彼が昭和34年まで生きていたとは思ってもいませんでした。
半藤一利の描く戦後の永井荷風は、石川淳の言う「敗荷落日」の荷風ではなく、孤高にして反骨精神旺盛な男らしい男だったと思います。
それを作者は、「精神貴族」と評していますが、なるほどぴったりくる表現だなと思います。
そして、荷風にとってのこの「戦後」と言うものは、「新しい生涯に入ることを、僕はもう望んでゐない」と言う言葉通り、「風狂の人」そのものだったのだろうと思います。
特に印象的だったのは、全集が出ると決まった時に、偏奇館の土地を売却するところです。
まさに「我が文学、完了せり。」と言ったところではないでしょうか。
それにしても、素晴らしい評伝でした。
実際、彼が昭和34年まで生きていたとは思ってもいませんでした。
半藤一利の描く戦後の永井荷風は、石川淳の言う「敗荷落日」の荷風ではなく、孤高にして反骨精神旺盛な男らしい男だったと思います。
それを作者は、「精神貴族」と評していますが、なるほどぴったりくる表現だなと思います。
そして、荷風にとってのこの「戦後」と言うものは、「新しい生涯に入ることを、僕はもう望んでゐない」と言う言葉通り、「風狂の人」そのものだったのだろうと思います。
特に印象的だったのは、全集が出ると決まった時に、偏奇館の土地を売却するところです。
まさに「我が文学、完了せり。」と言ったところではないでしょうか。
それにしても、素晴らしい評伝でした。
2006年10月9日に日本でレビュー済み
昭和20年、荷風66歳の3月10日の東京大空襲で麻布の偏奇館を蔵書とともに焼かれる。その浩瀚な日記『断腸亭日乗』3月9日の項に「下弦の繊月凄然として愛宕の山の方に昇るを見る、荷物を背負ひて逃来る人々の中に平生顔を見知りたる近隣の人も多く…」と名文が続く。その後も会わせて三度も焼け出され、身一つで流浪の生活を続けねばならなかった荷風の精神状態を跡づけている。昭和という悪政のまかり通っていた時代にも〈痛罵〉し〈呪詛〉し〈酷評〉し時に〈偲び悲しむ〉ことはあっても、「孤高」にして頑なまでに「強き」であり「倨傲」であった。その「精神の高さ」がどう屈折していくのか、それをたどっているのが本書である。
昭和22年1月12日「…夜扶桑書房主人来り猪場毅余か往年戯に作りし春本襖の下張を印刷しつつある由を告ぐ」そのことで筆禍事件を起こしやせぬかと憂慮している記載がある。後に猥褻裁判で有罪となったためか「荷風全集」に収録されたためしがない。
世事には疎く冷眼視して生きた荷風は〈すべてに馬耳東風〉という評語が当たるだろう。
昭和23年になると、浅草六区大都座楽屋に通うようになる。お気に入りは女優櫻むつ子だった。踊り子たちに囲まれる生活が続く。踊り子選考の審査委員団長までする。出歩くときコーモリ傘をいつも持っているのは「湿気の多い東京の天気に対して全然信用を置かぬ」からだった。
昭和34年4月30日未明、まさしく望みどおり「ぽっくり死んだ」そのとき著者は比較的早く駆けつけている。「小さな机の上に眼鏡とならんで開かれていたのは洋書であったと記憶している」と述べている。死ぬまで絶えず勉強を続けていたということがわかる。
昭和22年1月12日「…夜扶桑書房主人来り猪場毅余か往年戯に作りし春本襖の下張を印刷しつつある由を告ぐ」そのことで筆禍事件を起こしやせぬかと憂慮している記載がある。後に猥褻裁判で有罪となったためか「荷風全集」に収録されたためしがない。
世事には疎く冷眼視して生きた荷風は〈すべてに馬耳東風〉という評語が当たるだろう。
昭和23年になると、浅草六区大都座楽屋に通うようになる。お気に入りは女優櫻むつ子だった。踊り子たちに囲まれる生活が続く。踊り子選考の審査委員団長までする。出歩くときコーモリ傘をいつも持っているのは「湿気の多い東京の天気に対して全然信用を置かぬ」からだった。
昭和34年4月30日未明、まさしく望みどおり「ぽっくり死んだ」そのとき著者は比較的早く駆けつけている。「小さな机の上に眼鏡とならんで開かれていたのは洋書であったと記憶している」と述べている。死ぬまで絶えず勉強を続けていたということがわかる。