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日本語で読むということ 単行本 – 2009/4/22
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- 本の長さ246ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2009/4/22
- ISBN-104480815015
- ISBN-13978-4480815019
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商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2009/4/22)
- 発売日 : 2009/4/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 246ページ
- ISBN-10 : 4480815015
- ISBN-13 : 978-4480815019
- Amazon 売れ筋ランキング: - 647,849位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
「『漢文を読めない人の書いた文学は読んでもつまらない』と言う人が昔は結構おられました。私はもちろん漢文が読めないのでつまらない文学を書く世代ですが、少なくとも日本近代文学は読んで育ちました。日本の近代には『こういう文学がありました』と振り返りつつ、日本近代文学の最後に来た者の一人として書いています。」
(「私は近代日本文学の最後に来た者」『公研』2020年12月号インタビューを修正)
略歴
東京に生まれる。12歳の時、父親の仕事の都合で家族と共にニューヨーク近郊のロングアイランドに移り住む。アメリカになじめず、ハイスクール時代を通じて、昭和二年発行の改造社版の「日本現代文学全集」を読んで過ごす。ハイスクールを卒業したあとは、英語と直面するのを避け、まずはボストンで美術を学ぶ。次にパリに短期滞在した後、最終的にはアメリカのイェール大学と大学院で仏文学を学ぶ。博士課程を修了したあと、日本に一度戻るが、また渡米して大学で日本近代文学を教える。東京在住。
最初に発表した小説、『續明暗』(1990年)は、夏目漱石の遺作で未完の作でもある『明暗』(1917年)を、漱石独特の文体と表記法を使って完成させた。芸術選奨新人賞を受賞した。
第二作の、『私小説 from left to right』(1995年)では、日本語に英語を交ぜた横書きの文体を用いて、自伝風にアメリカでの生活を描いた。野間文芸新人賞を受賞した。
第三作、『本格小説』(2002年)は、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を、中国の少数民族の血が半分混ざったヒースクリフを登場させながら、日本の近代史を描いた。読売文学賞を受賞した。
『日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で』(2008年)という長い評論では、西洋に触れた日本の衝撃から近代文学の誕生までの歴史を振り返り、そのとき国語になった日本語の高みが、現在の英語の制覇によって、いかに崩れ去る危険に晒されているかが語られている。小林秀雄賞を受賞した。
『日本語で読むということ 』(2009年)と『日本語で書くということ』(2009年)の二冊は、過去にわたって書かれたエッセイや随筆を集めたものである。『日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で』の執筆に至るまでの経緯を辿ることができる。
最近作『母の遺産−新聞小説』(2012年)は、読売新聞で毎週土曜日に連載した新聞小説に、加筆修正をほどこしたものである。母の介護に追われ、離婚を考える五十代の女性を描いた。大佛次郎賞を受賞した。
その後4冊の著書の英訳の推敲作業に追われていたが、現在は新しい小説を書いている。2021年『新潮』連載予定。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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第三部では作者自らの作品に対する思いがせつせつと述べられ,日本語話者,英語話者としての相克や出版に至った経緯などがよく分かります。第一部・第二部では若い人向けの読書案内とでもいうような内容が語られ,さらに辻邦生さんとの往復手紙についてさほこ夫人との交流も踏まえて語られており,辻邦生ファンとしても見逃せない書となっています。
若い人のものは読まないという著者のその心は、現代の日本語の
汚なさに堪えられない、ということなのであろう。
「加藤周一を悼んで」で、氏のように仏独英の三か国語を操りながら
漢文の素養もある知識人は、もう現れないであろう、と著者はいう。
つまり漱石、鴎外以来の文士の流れはついに途絶えたのだ。
昔の漱石やら文豪たちの小説で育った少年少女は、チョーとか、食べれない、
とか聞くと生理的に受け入れれない。(おっと、間違い)
受け入れられない。
ケイタイ小説はまず却下だ。
言葉は変化していくとしても、壊すのとは違うはず…。
そんな著者の声が聞こえる。
水村美苗は寡作ということもファンになった理由だが、今回、 日本語で書くということ (以下では、「同時発行書」という)と合わせて2册発行されたことは、ファン泣かせである。どちらを先に読むかに迷うが、「読み書き」という言葉があり、また、水村自身、「読むということから、書くということが生まれる」とよく述べている(どことどこで読んだか覚えていないが、少なくとも同時発行書の「あとがき」にはこの言葉がある)。そこで、『…読むということ』をまず読んだ。
本書には、「I 本を読む日々」「II 深まる記憶」「III 私の本、母の本」「IV 人と仕事のめぐりあわせ」の4章に分けて、計56編の随筆が収められている。小説家になるには自己を白日の下にさらす気構えが必要だと、ある作家がいっているとか友人から聞いたように思う。水村はその言葉通り、彼女自身の体験、特に中学生時代に家族と渡米して学校や友人たちになじめず、下校後は家で日本文学に読み耽っていたという体験、をしばしば記している。それで、彼女の生い立ちが手に取るように分かり、頭のよい女性知人の話を聞くかのような思いでページを繰ることが出来る。
第 III 章は、内容からいえば同時発行書の方に収めるべきもののようであるが、文の調子からいえば本書に収めるのがよいことが、同時発行書を読むと分かる。 IV 章の初めの2編は評論家・加藤周一への賛辞であり、彼の評論を好み、彼を尊敬して来た私にとっては嬉しい文章である。――同時発行書に比べれば、軽く読める楽しい一冊である。――
私が女に生まれてよかったと感じるのは、水村美苗のような大人の女性が書く文章を読むひとときである。きっと男性には、ここまで心楽しく女性の文章を味わえないだろうとの、ささやかな優越感に包まれるのだ。本書でもとりわけ心に残ったのは、収録されている母・水村節子の『高台にある家』の「あとがき」の次の一文である。「『高台にある家』には私の手が入っているが、それは自ら進んでそうしたわけではない。(・・・)母が私の判断を全面的に信頼してくれたのもありがたいことであった。さらには、母が老いた母であり、私の娘ではないのもありがたいことであった。人は、自分の娘の小説に手を入れるわけにはいかないだろう」(p.201-4)
『日本語が亡びるとき』発表後に書かれた次の一文も忘れがたい。「褒められて晴れがましかったが、どこか不満であった。どこが不満なのか、ある日、気がついた。『女だてらに』と誰もいってくれなかったのである。今の時代、口が裂けても言えない台詞なのかもしれない。(・・・)本から解放された秋は、母から初めて永遠に解放された秋となった。母を懐かしいと思える日はまだ遠い。ただ、母なら本を手にして『女だてらに』と言っただろうと思う。今は是が非でも聞きたい台詞である」(p.222) 漱石を正面から論ずる作家の書く、母娘ならでは確執と甘えの入り混じった「女らしい」一文である。