キャラ(クター)とは何か。その本質を、主にゼロ年代の文化コンテンツと社会現象と批評に対する独自的な考察を通して言い当てた、極めて意欲的な評論である。若者のキャラ化の現状や多重人格の症例の分析から、日本の漫画の特質やオタク・萌えの構造や村上隆のスーパーフラットなアートの革新性の解読まで、幅広い事例に依拠しながら、世界の多層性や物語の複数性を越境する「同一性」を成立させる存在という、キャラの核心の発見に至る筆致は実に刺激的だ。
「タイガーマスク」現象や「せんとくん」騒動の鮮やかな分析や、大塚英志と西尾維新のキャラクター小説の創作法に関する鋭い比較考察など、個別の議論がいちいち面白いのに加え、本書の終盤に向けて前面に出てくる、東浩紀氏の文化理論に対する批判とその再構築の作業が興味深いこと頂上級である。東氏のデータベース理論を最大限に評価しつつ、だがその理論的な弱点と静態的なニュアンスの不足を指摘し、創作者である人間とその精神のドライブに注意を向ける。そこから、「人間」の「固有性」の意味を論じていくことで「キャラ」の「同一性」とはあくまでも「人間」本性の発露であると位置づけていくわけだが、この辺は是非、著者の思索の詳細に実際にあたってみてほしいと思う。
ゼロ年代の代表的な文化論者はやはり東氏だろう。だが、彼の論を自己の趣味的あるいは政治思想的な相違に基づき外在的に批判する者はたくさんいたが、ここまで内在的に批判し先に進めようとした論者はほぼ皆無であっただろう。全く新しい批評を読んでいる、という感触が強くあった。
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キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人(双書Zero) 単行本 – 2011/3/24
斎藤 環
(著)
「キャラ」化を免れうるものなど、何一つとしてない...。
そう言いたくなるほど、現代日本において「キャラ」もしくは「キャラクター」は広く深く浸透している。
涼宮ハルヒ、多重人格、いじられキャラ、Twitter、AKB48など、現代日本のキャラ文化の諸相を横断的に分析。
「キャラとは何か」について、究極の定義を与える。
10年代の批評言語に新視角を与える、画期的な論考!
- 本の長さ260ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2011/3/24
- ISBN-104480842950
- ISBN-13978-4480842954
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商品の説明
著者について
1961年生まれ。筑波大学医学部研究科博士課程修了。医学博士。爽風会佐々木病院診療部長。専門は思春期・青年期の精神病理学、病跡学、ラカンの精神分析、「ひきこもり」問題の治療・支援ならびに啓蒙活動。漫画・映画等のサブカルチャー愛好家としても知られる。著書に『社会的ひきこもり』(PHP新書)、『戦闘美少女の精神分析』『家族の痕跡』(以上、ちくま文庫)、『文脈病』(青土社)、『関係する女 所有する男』(講談社現代文庫)、『母は娘の人生を支配する』(NHKブックス)、『生き延びるためのラカン』(バジリコ)、『関係の化学としての文学』(新潮社)ほか多数。
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2011/3/24)
- 発売日 : 2011/3/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 260ページ
- ISBN-10 : 4480842950
- ISBN-13 : 978-4480842954
- Amazon 売れ筋ランキング: - 292,490位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年4月24日に日本でレビュー済み
パラパラ中身をめくって購入しましたが、始めの方からなかなか・・・思っていた以上に興味深い本です。
教室内のいじめの問題も、それを目当てに買った訳ではありませんがとても勉強になったし、
新たな視点が持てた様に感じます。
まだ全部は読み終わっていませんが、特に「可愛い」の定義がとても好きです。
サンリオとディズニーの比較で、どういう違いがあるのか、なぜ可愛いと感じるのかについて
知りたかった情報が書かれていたのでとても参考になりました。
この著者の他の本も読んでみようと思いました☆
教室内のいじめの問題も、それを目当てに買った訳ではありませんがとても勉強になったし、
新たな視点が持てた様に感じます。
まだ全部は読み終わっていませんが、特に「可愛い」の定義がとても好きです。
サンリオとディズニーの比較で、どういう違いがあるのか、なぜ可愛いと感じるのかについて
知りたかった情報が書かれていたのでとても参考になりました。
この著者の他の本も読んでみようと思いました☆
2012年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「キャラクターの定義。それは「同一性を伝達するもの」である。逆の言い方も成り立つ。同一性を伝達する存在は、すべてキャラクターである、とも」
というのが本書の主張。別の表現では
人間(固有名) - 単独性 = 同一性(キャラ)
という数式になる。
こういった持って回った言い回しが好きな人にはお勧め。苦手な人はやめておいたほうがいいかも。
**********
個人的には、もうこの著者の本を読むのはやめてもいいかな、と思った。
「ひきこもり」の第一人者であり、現役の精神科医であり、マンガ・アニメなどのサブカルチャーにも詳しく、文芸誌にも評論を書く人物。何かしらの期待感から、小難しい文章に付き合ってきたが、意外とこの人は知識や経験に偏りがあるんじゃないかな、と今回思った。
まず一章。秋葉原の通り魔殺人とその同時期の無差別殺人をつかまえて、「キャラ」という言葉が「若者のメンタリティそのものに深く影響を及ぼしているように思われる」と主張。その後も、
「かつての若者の凶悪犯罪は、90年代の酒鬼薔薇事件のように、容疑者の自己表現であり存在証明というスタイルを取っていた。(中略)しかし、一連の通り魔殺人には、そのような「表現衝動」もはるかに希薄だ」
と主張。そして犯人の「誰でも良かった」という言葉をつかまえ、
「被害者だけを指すようにはどうしても思えない。「誰でも良かった」のはむしろ、彼ら自身のことではないのか」
と「ゼロ年代」の気分である「匿名性」について述べる。無差別殺人の犯人が「誰でも良かった」と言うのは何十年も前からそうだと思うが、まぁちょっと論理の飛躍が多く、こじつけが激しい。
また、著者も挙げている岡山や土浦の通り魔などは、精神鑑定もあって「アスペルガー症候群」という言葉と結び付けられることが多い。ここで気づいたが、著者は精神科医であるが、「アスペルガー症候群」という語をほぼ持ち出さない。全ての著書を読んでいるわけではないが、これだけ「ゼロ年代」にメジャーになった精神医学用語を使わないのは、何か理由があるのかと考えてしまう。
逆に、「多重人格(解離性同一性障害)」という用語が著者は大好きだ。二章ではその用語を使って「キャラ」の説明をするが、著者自身が10章で日本では症例が少ないと述べ、また、自身の経験として「はっきりとした自律性をもつ交代人格」を見たことがないといいつつ、それこそマンガのような理想的(?)な症例を元に論を進めていく。
つまり、精神科医としての知見から「多重人格」を持ち出しているというより、想像上の産物としてその概念を使っているに過ぎない。実際、他の本の症例からの憶測でものを言ってる部分が多く、そんなもの精神科医じゃなくてもできるんじゃないか? 肩書きに騙されてはいけないね。また、臨床的、という用語をよく使うが、その論拠は不明だ。
あと、6章の細かい部分だが、村上隆はオタク業界から搾取しているのだけでなく還元もしている、という証明にアニメ映画「サマーウォーズ」に村上隆の影響があると述べるが、監督の細田守がかつて村上のルイ・ヴィトンCMの監督をやっていたのだから、影響し合うのは当たり前だろうに。しかしなぜか細田守の名前は出さない。
まとめると、世の中の事象から、自分に都合の良い部分だけ抜き出して、強引に論を進める、というのが著者の文章スタイルなのだ。もちろんそういった進め方が完全にダメなわけでもないが・・・
**********
「「人間」のサブカテゴリーとしての「キャラ」を深く知ることは、「固有性」や「同一性」が何であるかという哲学的な問いを問うことにほかならない」
と著者は結論付けるが、せんとくんだとかサンリオのキャラクターだとか「人格」のないキャラクターと、教室における「キャラ」と、そういうものを全て合わせて「キャラクター」に対する統一的な理論を打ち出そう、という試みは失敗している。
精神分析や思想の用語を散りばめた、ペダンティックな文体の奥にあるのは、整理し切れていない著者の自問自答でしかない。個々の分析は面白い部分もあるが、全体としては推敲が足りない、中途半端なエッセイ本、でしかないと思う。
というのが本書の主張。別の表現では
人間(固有名) - 単独性 = 同一性(キャラ)
という数式になる。
こういった持って回った言い回しが好きな人にはお勧め。苦手な人はやめておいたほうがいいかも。
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個人的には、もうこの著者の本を読むのはやめてもいいかな、と思った。
「ひきこもり」の第一人者であり、現役の精神科医であり、マンガ・アニメなどのサブカルチャーにも詳しく、文芸誌にも評論を書く人物。何かしらの期待感から、小難しい文章に付き合ってきたが、意外とこの人は知識や経験に偏りがあるんじゃないかな、と今回思った。
まず一章。秋葉原の通り魔殺人とその同時期の無差別殺人をつかまえて、「キャラ」という言葉が「若者のメンタリティそのものに深く影響を及ぼしているように思われる」と主張。その後も、
「かつての若者の凶悪犯罪は、90年代の酒鬼薔薇事件のように、容疑者の自己表現であり存在証明というスタイルを取っていた。(中略)しかし、一連の通り魔殺人には、そのような「表現衝動」もはるかに希薄だ」
と主張。そして犯人の「誰でも良かった」という言葉をつかまえ、
「被害者だけを指すようにはどうしても思えない。「誰でも良かった」のはむしろ、彼ら自身のことではないのか」
と「ゼロ年代」の気分である「匿名性」について述べる。無差別殺人の犯人が「誰でも良かった」と言うのは何十年も前からそうだと思うが、まぁちょっと論理の飛躍が多く、こじつけが激しい。
また、著者も挙げている岡山や土浦の通り魔などは、精神鑑定もあって「アスペルガー症候群」という言葉と結び付けられることが多い。ここで気づいたが、著者は精神科医であるが、「アスペルガー症候群」という語をほぼ持ち出さない。全ての著書を読んでいるわけではないが、これだけ「ゼロ年代」にメジャーになった精神医学用語を使わないのは、何か理由があるのかと考えてしまう。
逆に、「多重人格(解離性同一性障害)」という用語が著者は大好きだ。二章ではその用語を使って「キャラ」の説明をするが、著者自身が10章で日本では症例が少ないと述べ、また、自身の経験として「はっきりとした自律性をもつ交代人格」を見たことがないといいつつ、それこそマンガのような理想的(?)な症例を元に論を進めていく。
つまり、精神科医としての知見から「多重人格」を持ち出しているというより、想像上の産物としてその概念を使っているに過ぎない。実際、他の本の症例からの憶測でものを言ってる部分が多く、そんなもの精神科医じゃなくてもできるんじゃないか? 肩書きに騙されてはいけないね。また、臨床的、という用語をよく使うが、その論拠は不明だ。
あと、6章の細かい部分だが、村上隆はオタク業界から搾取しているのだけでなく還元もしている、という証明にアニメ映画「サマーウォーズ」に村上隆の影響があると述べるが、監督の細田守がかつて村上のルイ・ヴィトンCMの監督をやっていたのだから、影響し合うのは当たり前だろうに。しかしなぜか細田守の名前は出さない。
まとめると、世の中の事象から、自分に都合の良い部分だけ抜き出して、強引に論を進める、というのが著者の文章スタイルなのだ。もちろんそういった進め方が完全にダメなわけでもないが・・・
**********
「「人間」のサブカテゴリーとしての「キャラ」を深く知ることは、「固有性」や「同一性」が何であるかという哲学的な問いを問うことにほかならない」
と著者は結論付けるが、せんとくんだとかサンリオのキャラクターだとか「人格」のないキャラクターと、教室における「キャラ」と、そういうものを全て合わせて「キャラクター」に対する統一的な理論を打ち出そう、という試みは失敗している。
精神分析や思想の用語を散りばめた、ペダンティックな文体の奥にあるのは、整理し切れていない著者の自問自答でしかない。個々の分析は面白い部分もあるが、全体としては推敲が足りない、中途半端なエッセイ本、でしかないと思う。
2011年6月4日に日本でレビュー済み
本書は精神分析というタイトルではあるが、その実、愚民政策への警鐘本である。キャラを演じなければ「個性」とは認められないという偏向した概念に対してだ。
民主主義は意見を述べることで最低ラインを構成し成り立つようにできている。それがキャラ化(した意見だけに)してしまえば個人の本心などはオブラートに包むどころか建前だけの社会を成り立たせるそれこそキャラクター(演者)となってしまうだろう。
精神医学の立場から小難しい説明も多いが筆者は行間からそう読めた。
民主主義は意見を述べることで最低ラインを構成し成り立つようにできている。それがキャラ化(した意見だけに)してしまえば個人の本心などはオブラートに包むどころか建前だけの社会を成り立たせるそれこそキャラクター(演者)となってしまうだろう。
精神医学の立場から小難しい説明も多いが筆者は行間からそう読めた。
2012年3月25日に日本でレビュー済み
「キャラ」という言葉が、現代日本語の語彙のなかに入ってどれくらい経つのか不明だが、この言葉は現代社会を考える際には落とすことのできないものとなった。本書は精神科医である著者が、「キャラ」、「キャラクター」という言葉を精神分析の立場から分析したという触れ込みだが、記述がいきあたりばったりで、議論にまとまりがない。
サブカルチャーに多くの材をとっていて、個々の論述は興味深いが、全体的な見通しが掴みにくく、通読に苦痛を覚えた。
サブカルチャーに多くの材をとっていて、個々の論述は興味深いが、全体的な見通しが掴みにくく、通読に苦痛を覚えた。