いろいろと批判をする人が多いが呉は確実に吉本の痛いところを突いていると思う。
世の中には何故か難解な(日本語として難解な)文で書かれた短文(原稿用紙数十枚くらい)をありがたがる風潮がある。
小林秀雄しかり、花田清輝しかり、そして吉本しかりだ。
この人たちがダメな理由は明確だし、呉も明確に語っている。
論述が論述たる基本がなってないからだ。
・まず序文でしっかりと論旨を示すこと。
・用語の定義はすること。
・理解できるように書くこと。
これって小学生に教えるようなコトじゃないか。
と驚いてしまうが、この人たちは驚く程にこれが出来ていない。
いきなり詩的な言葉で書き出して、見たこともない用語が次々に導入されて、
難しい本の引用がなんの説明もなく立て続き、そして余韻に満ちた言葉で締めくくられる。
ハッキリ言ってダメでしょ。
これを論なんて言えないし、同じことを言いたい人は他にもっときちんと論じてるはずだし。
こういうのを見るにつけて、「ああ、この人たちはつくづく詩人だったんだなぁ」と思わずには居られない。
「何も意味がないものをさも意味がある様に書いているだけだろ!」
という誰もが心に抱きながらも、しかし口にすることが出来なかった言葉をようやく口にした快著と言っても差し支えない。
もちろん細かい部分で反論はあるだろう。
しかし上記の論述が論述である3点の条件が守られていないコトは明白な事実だ。
あと、あれだけの「知識人」で言いたいことがある人ならなぜもっとまとまった論文を量産しなかったんでしょうね。
電話帳並みに厚い本でも書けば(たとえばマックス・ウェーバーのように)、
黙っててもみんな自分の言いたいことを明瞭に理解してくれたとおもうのだが……
うーん、やっぱ疑惑の人ですよ。
少なくとも今読む価値は無い人でしょう。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥2,000以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
吉本隆明という「共同幻想」 単行本 – 2012/12/7
呉 智英
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,540","priceAmount":1540.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,540","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"DhmXX08MiODRRQjlvnlTK6bfnwsio1JzOQSRaze4AoglTeQQbasKMtYe%2BASbGPMOqwoBQ8YQOBHyNEau%2BmKZW%2F%2BZBllH%2FAUXEj2QKwW8Z8Po9jSCTWENDjiFxLBTMwX80kTkMXIFzQ0%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
吉本を読んでなくても面白い! 吉本を読んでなくてもよく分かる!
吉本隆明。戦後最大の思想家? 本当だろうか?
「学生反乱の時代」には、多くの熱狂的な読者を獲得し、
少なからぬ言論人や小説家が多大な影響を受けた。
だが、その文章は「正しく」読み取れていたのだろうか。
その思想は「正しく」理解されていたのだろうか。
難解な吉本思想とその特異な読まれ方について、
明快な筆致でずばりと論じ切った、書き下ろし評論!
吉本隆明。戦後最大の思想家? 本当だろうか?
「学生反乱の時代」には、多くの熱狂的な読者を獲得し、
少なからぬ言論人や小説家が多大な影響を受けた。
だが、その文章は「正しく」読み取れていたのだろうか。
その思想は「正しく」理解されていたのだろうか。
難解な吉本思想とその特異な読まれ方について、
明快な筆致でずばりと論じ切った、書き下ろし評論!
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2012/12/7
- ISBN-104480843000
- ISBN-13978-4480843005
よく一緒に購入されている商品

対象商品: 吉本隆明という「共同幻想」
¥1,540¥1,540
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り1点(入荷予定あり)
¥924¥924
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
注文確定後、入荷時期が確定次第、お届け予定日をEメールでお知らせします。万が一、入荷できないことが判明した場合、やむを得ず、ご注文をキャンセルさせていただくことがあります。商品の代金は発送時に請求いたします。
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2012/12/7)
- 発売日 : 2012/12/7
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 222ページ
- ISBN-10 : 4480843000
- ISBN-13 : 978-4480843005
- Amazon 売れ筋ランキング: - 263,393位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 330位近代西洋哲学
- - 43,015位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2012年12月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こういう本を読んでしまうほどには吉本を読み、しかし深く読みこんだわけではなく、「自己幻想は共同幻想と逆立する」なんて言葉に頭の中を ? ? ? ? ? ? ? でいっぱいにして、それでもあの人もこの人も「吉本はエライ!」と言うので腑に落ちないのは自分がバカだからだろうと密かに屈折し、だからと言って「分かりません」と白旗を上げるのも口惜しく、「ココとかココが分からない」なんて言って暗にその余はソコソコ分かっているかのように相手に錯覚させて凌いできた私のような人間にとっては、救いとなる内容でした。
ただ、確かに吉本には異様な言葉遣いがあるにしても、それをすべて「無意味」と切って捨てることには未だに躊躇いがあり、というのも昔、蓮實重彦が吉本の『悲劇の解読』について「今、このように難解に書く理由があるだろうか?」(大意。記憶だけで書いています)と語っている文章を読んだことがあって、ということは、あのように難解に書くことに意味のある局面というものがあると蓮實は言っていたわけで、たとえばラカンとか、ハイデガーとか、何だったら道元でもいい、ああいう言葉遣いをすることの意味というものが、あるのではないかと思うのです。
もっとも、これも何らかの「共同幻想」に囚われているからかもしれず、呉さんにはぜひ、『ラカンという「対象a」』とか、『ハイデガーという「世界内存在」』とか、『道元という「身心脱落」』とか、加えて『蓮實重彦という「シニフィアン」』とか、そういうのも書いていただき、私の蒙を開いていただければと願っています。
ちょっと期待薄ですが。
ただ、確かに吉本には異様な言葉遣いがあるにしても、それをすべて「無意味」と切って捨てることには未だに躊躇いがあり、というのも昔、蓮實重彦が吉本の『悲劇の解読』について「今、このように難解に書く理由があるだろうか?」(大意。記憶だけで書いています)と語っている文章を読んだことがあって、ということは、あのように難解に書くことに意味のある局面というものがあると蓮實は言っていたわけで、たとえばラカンとか、ハイデガーとか、何だったら道元でもいい、ああいう言葉遣いをすることの意味というものが、あるのではないかと思うのです。
もっとも、これも何らかの「共同幻想」に囚われているからかもしれず、呉さんにはぜひ、『ラカンという「対象a」』とか、『ハイデガーという「世界内存在」』とか、『道元という「身心脱落」』とか、加えて『蓮實重彦という「シニフィアン」』とか、そういうのも書いていただき、私の蒙を開いていただければと願っています。
ちょっと期待薄ですが。
2013年2月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ある年齢層には圧倒的な共感を得て絶大な評価を得ながら、そこを外れた世代には、その共感も評価も理解し難かった吉本隆明については、これまでに様々な批判本や検証本が出されてきました。
緻密な検証とロジックで吉本の文章と著作の構造を解き明かした、
田川建三『思想の危険について 吉本隆明のたどった軌跡』であるとか、
花田清輝との論争の経緯を詳細に検証した
好村富士彦『真昼の決闘』
のような、実テキストに基づいた冷静な検討は「吉本現象」を考える上で大変に参考になりましたが、(好村の結論部に強引なものを感じたことを除けばですが)そういう視点でこの著作を見ると、参考になる情報は多々あったものの、ちょっと冷静さが足りないかなという気はします。自分のことを語り過ぎているのです。
でも、呉智英の芸風を考えると、こういう形で吉本論が書かれるのも仕方ないのかもしれません。乱暴な言い方であることは十分承知の上で書きますが、呉は「吉本をネタにマウンティングされたことのルサンチマン」を晴らそうとしてこの本を書いたのであり、この本の正しい読み方は、「吉本でマウンティングしたり、されていた、ある特定世代の読者が、自らの阿呆な青春時代を笑い飛ばすことである」と言えなくも無いのです。
「マウンティング」については、本書でも説明がありますが、簡単に書いておきます。
つまり、ある年齢層までのインテリ&その予備軍社会では「お前は**も読んでないのか!」と一喝したり「お前は**が分かっていない!」と貶したりすることで、対話相手への知的優位を確保するという、みみっちいセレモニーが行われていました。
**の部分はヘーゲルでもマルクスでも何でもよくて、60〜70年代には「吉本隆明」あるいは「リューメイ」がネタとして用いられました。これを呉はサルのオス同士が行うマウンティングという行為に喩えたのです。
サルのオスはしばしば、他のオスに交尾するみたいに馬乗りになりますが、これは群れの中の序列関係を確認するセレモニーだと考えられています。(乗った方が優位で、乗られた方が劣位。)それと同じだというのが呉の諧謔であり、自虐なのでしょう。
私にも経験がありますが、マウンティングされた男は必死になって読書を行い、マウンティングされた男もしくは、その他の男相手にマウンティングをやり返そうとして、不毛な書生論議を繰り返します。ところが吉本隆明は読んでも何が書いてあるのかさっぱり分からず、ある者は分かったふりをして、マウンティング合戦のネタに使い、ある者は放り出し、ある者は「思想」自体に愛想を尽かし、というように試金石の役目を果たしていました。程度の軽重はあるにせよ、要するに苦い思い出なのです。ですから、そういう経験のある世代としては、呉のこの著作はとても良く分かります。
以上をまとめると、
吉本隆明の著作を、ある世代が心情的に理解し、
それを理解できなかった呉が鬱憤を晴らすように書いた本を
別の世代が心情的に理解している
ということになるでしょうか。何か情けない結論ですが、諸悪の根源はインテリどものマウンティング合戦にあるのですから、情けないのは仕方がありません。
緻密な検証とロジックで吉本の文章と著作の構造を解き明かした、
田川建三『思想の危険について 吉本隆明のたどった軌跡』であるとか、
花田清輝との論争の経緯を詳細に検証した
好村富士彦『真昼の決闘』
のような、実テキストに基づいた冷静な検討は「吉本現象」を考える上で大変に参考になりましたが、(好村の結論部に強引なものを感じたことを除けばですが)そういう視点でこの著作を見ると、参考になる情報は多々あったものの、ちょっと冷静さが足りないかなという気はします。自分のことを語り過ぎているのです。
でも、呉智英の芸風を考えると、こういう形で吉本論が書かれるのも仕方ないのかもしれません。乱暴な言い方であることは十分承知の上で書きますが、呉は「吉本をネタにマウンティングされたことのルサンチマン」を晴らそうとしてこの本を書いたのであり、この本の正しい読み方は、「吉本でマウンティングしたり、されていた、ある特定世代の読者が、自らの阿呆な青春時代を笑い飛ばすことである」と言えなくも無いのです。
「マウンティング」については、本書でも説明がありますが、簡単に書いておきます。
つまり、ある年齢層までのインテリ&その予備軍社会では「お前は**も読んでないのか!」と一喝したり「お前は**が分かっていない!」と貶したりすることで、対話相手への知的優位を確保するという、みみっちいセレモニーが行われていました。
**の部分はヘーゲルでもマルクスでも何でもよくて、60〜70年代には「吉本隆明」あるいは「リューメイ」がネタとして用いられました。これを呉はサルのオス同士が行うマウンティングという行為に喩えたのです。
サルのオスはしばしば、他のオスに交尾するみたいに馬乗りになりますが、これは群れの中の序列関係を確認するセレモニーだと考えられています。(乗った方が優位で、乗られた方が劣位。)それと同じだというのが呉の諧謔であり、自虐なのでしょう。
私にも経験がありますが、マウンティングされた男は必死になって読書を行い、マウンティングされた男もしくは、その他の男相手にマウンティングをやり返そうとして、不毛な書生論議を繰り返します。ところが吉本隆明は読んでも何が書いてあるのかさっぱり分からず、ある者は分かったふりをして、マウンティング合戦のネタに使い、ある者は放り出し、ある者は「思想」自体に愛想を尽かし、というように試金石の役目を果たしていました。程度の軽重はあるにせよ、要するに苦い思い出なのです。ですから、そういう経験のある世代としては、呉のこの著作はとても良く分かります。
以上をまとめると、
吉本隆明の著作を、ある世代が心情的に理解し、
それを理解できなかった呉が鬱憤を晴らすように書いた本を
別の世代が心情的に理解している
ということになるでしょうか。何か情けない結論ですが、諸悪の根源はインテリどものマウンティング合戦にあるのですから、情けないのは仕方がありません。
2013年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
呉智英氏らしい批判精神あふれる本である。
吉本隆明は1970年前後に大学時代を過ごした世代には、当時吹き荒れていた全共闘運動の思想的柱として輝いた存在であった。
私も吉本氏の本に挑戦した事はあるが、気持ちは伝わってくるが、呉氏が指摘する通り難解で、意味はよく捉えられなかった。
呉智英氏は、本書でたびたびその難解な「吉本語」を「日本語」に翻訳してみせる。するとどうだ、「ありがたみ」はほとんどその内容ではなく構成と語彙が難解な文章にあったことが解き明かされる。
吉本隆明は「民主主義修正主義」に対し「民主主義原理主義」の立場で戦ったと呉氏は言う。そして「修正主義」対「原理主義」の戦いは普遍的なものだと。
原理主義では物事は理想の姿で捉える。吉本氏は「民主主義」=「共産主義」が実現すれば、大衆が5回くらいボタンを押せば「政治」ができると考える「天然」であった。
「吉本大衆神学」において、「大衆」は一人一人が自立した不可侵の存在である。これは「公理」であるから証明を要しない。呉氏はこれを「屈折した心理による大衆特権主義」と批判する。呉氏の民主主義論と吉本大衆神学は対極にある。これが吉本批判を呉氏が書いた大きな理由であろう。
呉氏の本はいつもそうであるが、主題もさることながら、挑戦的姿勢と該博な知識に基づき展開される論理に感心させられる。ものの考え方の基本コンポーネントとして応用が広い。
吉本は「共同幻想論」で、国家という共同幻想すなわち共同体観念について考察し、家族と個人が国家という怪物に拮抗する障壁となると主張する。しかし呉氏は個人や家族(男女ペア)の欲望の果てにユートピアは来るのかと問う。個人、家族、国家の関係は皆考えるが誰も正解はわからない。結局、人間とは何かとの問いに戻る。考え続けるしかない。
確かに吉本批判の書であり、最後の章「迷走する吉本、老醜の吉本」などは特に手厳しい。それらは当たっていると思うが、だからといって吉本全否定という気はしない。むしろ難解さ故に敬遠していた吉本隆明への興味は増した。
吉本隆明は1970年前後に大学時代を過ごした世代には、当時吹き荒れていた全共闘運動の思想的柱として輝いた存在であった。
私も吉本氏の本に挑戦した事はあるが、気持ちは伝わってくるが、呉氏が指摘する通り難解で、意味はよく捉えられなかった。
呉智英氏は、本書でたびたびその難解な「吉本語」を「日本語」に翻訳してみせる。するとどうだ、「ありがたみ」はほとんどその内容ではなく構成と語彙が難解な文章にあったことが解き明かされる。
吉本隆明は「民主主義修正主義」に対し「民主主義原理主義」の立場で戦ったと呉氏は言う。そして「修正主義」対「原理主義」の戦いは普遍的なものだと。
原理主義では物事は理想の姿で捉える。吉本氏は「民主主義」=「共産主義」が実現すれば、大衆が5回くらいボタンを押せば「政治」ができると考える「天然」であった。
「吉本大衆神学」において、「大衆」は一人一人が自立した不可侵の存在である。これは「公理」であるから証明を要しない。呉氏はこれを「屈折した心理による大衆特権主義」と批判する。呉氏の民主主義論と吉本大衆神学は対極にある。これが吉本批判を呉氏が書いた大きな理由であろう。
呉氏の本はいつもそうであるが、主題もさることながら、挑戦的姿勢と該博な知識に基づき展開される論理に感心させられる。ものの考え方の基本コンポーネントとして応用が広い。
吉本は「共同幻想論」で、国家という共同幻想すなわち共同体観念について考察し、家族と個人が国家という怪物に拮抗する障壁となると主張する。しかし呉氏は個人や家族(男女ペア)の欲望の果てにユートピアは来るのかと問う。個人、家族、国家の関係は皆考えるが誰も正解はわからない。結局、人間とは何かとの問いに戻る。考え続けるしかない。
確かに吉本批判の書であり、最後の章「迷走する吉本、老醜の吉本」などは特に手厳しい。それらは当たっていると思うが、だからといって吉本全否定という気はしない。むしろ難解さ故に敬遠していた吉本隆明への興味は増した。
2012年12月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
吉本隆明の「共同幻想論」は昔読みました。理解に苦しむ言葉、文体の連続です。
呉智英先生は本書で吉本の奇怪な日本語をわかりやすい常識的な日本語に翻訳してくれています。そして、吉本隆明およびその崇拝者たちを徹底的に批判しています。
だれか吉本の代表的な著作を普通の日本語に翻訳してくれないでしょうか。私買いますよ。
呉智英先生は本書で吉本の奇怪な日本語をわかりやすい常識的な日本語に翻訳してくれています。そして、吉本隆明およびその崇拝者たちを徹底的に批判しています。
だれか吉本の代表的な著作を普通の日本語に翻訳してくれないでしょうか。私買いますよ。
2014年4月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初期の『インテリ大戦争』『読書家の新技術』他の文末必読文献には、呉智英推薦の書籍が紹介とともに並んでいた。30年前にその推薦書の並びはまあ役に立った。さて、吉本文献である。
呉智英は『文庫になって読みやすくなったかどうかはわからないが、内容は貴重』として、吉本隆明の角川文庫三部作をあれだけ推薦していたではないか。吉本批判者には『吉本フォビア』なる言葉をつけて吉本隆明に乗っかってしゃべっていたではないか。
あれから三十数年、『実はまるで大事なことなど書いてありませんでした』『わけのわからん修辞法ですね』とはなんですか。今まで他人に読むように勧めてきた呉智英、自分も理解もできていないのに勧めていたのかね?
住井すゑが戦時中の翼賛小説を書き、その後、そこに触れられて『そんなもん書いたかね?忘れてしまったわ』と言った部分を揶揄した呉智英さんよ、ご自分も必読文献として紹介してた吉本隆明、いまさら『そんなこと書いたかね?』ととぼけるつもりですか?
その反省の弁がまるでないあたりで、私は呉智英にはひどくがっかりしているよ。
呉智英は『文庫になって読みやすくなったかどうかはわからないが、内容は貴重』として、吉本隆明の角川文庫三部作をあれだけ推薦していたではないか。吉本批判者には『吉本フォビア』なる言葉をつけて吉本隆明に乗っかってしゃべっていたではないか。
あれから三十数年、『実はまるで大事なことなど書いてありませんでした』『わけのわからん修辞法ですね』とはなんですか。今まで他人に読むように勧めてきた呉智英、自分も理解もできていないのに勧めていたのかね?
住井すゑが戦時中の翼賛小説を書き、その後、そこに触れられて『そんなもん書いたかね?忘れてしまったわ』と言った部分を揶揄した呉智英さんよ、ご自分も必読文献として紹介してた吉本隆明、いまさら『そんなこと書いたかね?』ととぼけるつもりですか?
その反省の弁がまるでないあたりで、私は呉智英にはひどくがっかりしているよ。
2017年1月29日に日本でレビュー済み
吉本氏の変な日本語の使い方の指摘は笑えました。みんなわかりにくい日本語をありがたく読んでいたんですね。
2013年3月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
呉智英の吉本に対する愛がこれでもか、これでもかと伝わってくる本です。そして一生懸命にさようなら、さようならをしている本です。呉智英を知るためには読んでおくと良いでしょう。