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政治の約束 単行本 – 2008/1/1

4.5 5つ星のうち4.5 22個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 筑摩書房 (2008/1/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2008/1/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 278ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 448086380X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480863805
  • カスタマーレビュー:
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ハンナ・アレント
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上位レビュー、対象国: 日本

2019年2月28日に日本でレビュー済み
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「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」とは、クラウゼヴィッツの戦争論なのだが、この場合、「戦争」は、相手方の殲滅や絶滅を目的とするものではなく、相手国家を自分の支配におく、服従させることを目的とする。自国の利益拡張のための、政治手段のひとつが戦争なのだ。事実、日本やドイツのように、敗者の多くは戦後には、勝者の同盟国となっていく。敗北することで従属していく。ローマ帝国も、パックスアメリカーナも、EUの拡張も、現代中国も、覇権を拡張することが目的であって、敗者の絶滅が目的ではない。覇権を争う政治の手段が戦争だ。

ところが、核兵器の誕生は、このような戦争論、政治論を越えて、その破壊力をもってすれば、相手国の消滅、殲滅を可能としてしまった。自国の利益拡張ではなく、相手国の殲滅を目的とする戦争が起こりうる。

アレントは、このような政治、戦争論の危機にあって、改めて、政治とは、本来何であるのかを問う。

アレントによれば、人間の本質は、「絶対的な複数性(Plurality)」にある。「一者にして二者であること」が、人間の「人間性」そのものであるという。確かに、人は、自分自身のなかに、曖昧さや複数の考えを抱き、あれかこれかを迷い、ああすべきかこうすべきかと決断する。「思考」とは、複数ある自分自身との内なる対話なのだ。人はまず、自分自身と「共生」するわけだ。こうした「人間の複数性」は、差異を有する諸民族、諸国民、諸人種を生み出す。

「政治」とは、こうした「差異を有する人間たちの共存と結合への取り組み」という。異なった考えや嗜好を持つ個人をどう組織化するか。あるいは、異なる国家、民族をどう共存させるか。それが「政治」であると。そして、こうした「政治」は、異なった人々が互いの意見と立場を比較しながら交換しあう、語り合う自由があればこそ可能になる。政治と自由は一つのものだ。意見表明の自由がなければ、本来の政治もなく、複数性のみが残る。

国家と国家との関係では、この「政治」は、外交交渉という対話として、そして最終的には、交渉の「最後の手段」としての「戦争」に至る。つまり戦争とは、別な手段(武力)による「政治」(交渉)の継続に他ならない。

ところが、核兵器の登場は、戦争を、このような双方の生存を前提とした、「政治の手段としての戦争」という限界を踏み越え、「国民全体の絶滅と文明全体の壊滅」に至る可能性を現出させた。カルタゴ戦争やトロイヤ戦争のような「絶滅戦争としての戦争」だ。

アレントのこの著作は、核兵器の出現に対して、極めて悲観的な世界観を描いている。異なる人間達が、いかにして平和に共生するか。あるいは、共生可能なのか。紛争を解決する手段としての「政治の可能性と役割」と、そこでの自由な言論や活動の意義を強く指摘しているのだ。

アレントの政治哲学は、底の浅い権謀術策論や力関係論ではない。人々の生活や言論、活動の次元までを見通した広い視野のもとで、政治の本質を語っている。最近、日本の論壇では、若い政治学者や哲学者がよく登場する。若さに惑わされるが、議論の軽薄さは歴然としている。政治の本質を無視した政治学は、社会評論の域を出ない。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年11月14日に日本でレビュー済み
ギリシア人が「法律 nomos 」によって理解してものとは大きく異なり、まったく逆のものですらあったのだが、ローマの「法 lex 」の実際の意味は「持続するつながり」であり、それはたちまち「契約 contract 」ーー私的な市民間のものであれ、国家間の条約としてであれーーを意味するようになったのである。したがって法は人間と人間をつなぐものであり、それは、絶対的命令でも暴力行為でもなく、相互の同意によって生まれるものである。(p210)
*「持続するつながり」という説明を目にしたのはは始めて。

ギリシア語の「アルケイン archein」が「始める」と「導く」の両方の意味を持っているという事実である。この二重の意味が明らかに示しているのは、「指導者 leader」という語がもともとは、何かを開始して、それを成し遂げるために手を貸してくれる仲間を捜し出す人物のために使用されていた、ということである。そしてこの何かの遂行、この、始められた何かを最後までやり遂げることが活動 action 「プラティン prattein 」という語のもともとの意味なのである。(p156)
*指導者は成し遂げる人であるのが明らかである

マルクスに対しては両義的
1活動action (praxis) は思考(thought) の反意語などではまったくなくて、リアルな真の思考の媒体だったのであり、政治は哲学的威厳など微塵も帯びていないというのでは決してなくて、本質的に哲学的な唯一の活動力だったのである。(p122)

2 なぜなら労働は、すべての政治哲学が、もう奴隷制をあえて正当化しなくなった途端、目を逸らしてしまったものに外ならないからだ。しかし詰まるところ、人間の生命=生活 life における労働の必然性=必要性 necessiry と,労働が近代世界で果たしている卓越した役割によってもたらされる政治的問題に、私たちはいまだに答えを見出さないままなのである。(P109)

本書のハイライト[第六章・政治入門]では小見出しの政治に対する無関心、政治の地位の低下、から政治は自由のためにあるのか、生活=生命 life のためにあるのか、まで一箕に読ませる。

個人的にはキケロに触れた一文が印象的ーー
「唯一の例外はまたしてもキケロである。彼はローマでの膨大な政治的経験から「実践的(=公的)生活」よりも「観照的生活」を上位に置くことの妥当性を共同体 communitias より独居 solitude を優位に考えることの妥当性を、疑ったのである。」この項の結論は「西洋の政治思想からローマ的経験が失われたのである」
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年3月28日に日本でレビュー済み
ハンナ・アレントの草稿を編者が整理した著作である。いつものように著者はソクラテスを参照することから始める。彼女によればポリスこそが政治が芽生えた場所だからだ。奴隷により生活のための労働から解放され、支配する家庭を逃れてアゴラで対等な人々と対話することが政治だ、そして政治とは自由のためのものなどではなくて、政治は自由と一体だとされる。ここでの奴隷の問題に引っかかる人もいると思う。彼女によれば生存のためのあれこれは労働や制作で価値の低いものであり、真に創造的なのは活動である。ここでの問題意識は、人間の生存にとっての必要なあれこれが技術進歩により解決された暁に訪れるはずのマルクスが夢想した共産主義社会という発想と関連があるのだろう。活動とか労働のような日常語に特別な意味を持たせる彼女の思想は、他の著作を読んで慣れていないとわかりにくいかもしれない。

ソクラテス以後のプラトンは政治を拒絶し、アカデメイアを設立してその内部での自由の確立を目指した。ただしそれは政治からの逃走であり、自足的なものであって政治という問題を棚上げしたに過ぎなかった。

政治の意味が一転したのはローマ時代になってからだ。ギリシアのポリスでは政治は異なる世界観を持つ人同士の間での対話だった。ローマでは、それが他民族との戦争の後で、条約や交渉により相手の存在を認める動きが起こり、それが政治を拡張した。さらに、近代になると生存のための労働や必要が拡大して社会という場が生まれて、それが再び政治を変容させた。ここではマルクス/ヘーゲルの全体主義的な考え方、すなわち歴史の必然に従うことこそが人間の真の自由をもたらす、というものを否定する。彼らの考えは人間の創造的な活動を否定するものであり、それこそは彼女にとって譲れないものだからだ。

全体主義と核戦争を経験した現代では、政治はどのようなものなのか、最後にその点が論ぜられる。圧倒的な暴力の独占は、国家同士の外交すなわち政治空間を破壊してしまう。遠くソクラテスの時代の政治は個人と個人の間の空間にあったのだが、現在でも政治の本質はそこにあるとされる。そのような場が破壊されてしまう傾向こそが、危機の本質をなす。

上記は、拙い要約に過ぎないが彼女による本文は尽きない滋養に満ちたものであり、要約が必要ならば本書の訳者解説が非常に詳しいので役に立つだろう。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2019年5月16日に日本でレビュー済み
本書はアレントの存命中に出版されなかったいくつかの原稿を、アレントの最後の教育助手であったジェローム・コーン氏が集めて「政治の約束」というタイトルでまとめた本になります。本書は冒頭に記載されているように、アレントが1950年代に発表した「人間の条件」の続編的な位置付けとして考えられていたとのことです。その意味ではまず「人間の条件」を読破した上で本書に取りかかる事をお勧めします。そして人間の条件で示された3分類のうち、特に「活動」を軸に、「政治とはなんぞや」という議論が進められます。

 そしてソクラテス、プラトン、ヘーゲル、マルクスなどをひもときながら、政治の意味がどう変わってきたか、さらにアレントに言わせればこれらの過去の哲学者たちすらも気づいていなかった、人間の「複数性」こそが、政治を理解する原点だと考えています(*端的に言えば男性と女性という異なる存在がいるということ)。つまり異なる人々が、自分独自の意見を他者と交換することでより豊かに世界を見ることができること、そしてそういう世界を構築していくのが政治そのものであり、政治に目的はない。そして目的はないが、家庭の労働のくびきから離れた存在による活動という意味で、政治の意味は自由そのものだ、という論調です。

 全編通じて十二分に堪能しました。アレントの世界観は独特なので好き嫌いがわかれるのかもしれませんが、私は非常に面白いと感じています。現在、ロボットやAI(人工知能)が人間の領域を侵犯しつつある?と言われている中、今後人間の役割がどうなるのか、ということを真剣に考える上でとても示唆的な本だと思います。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年5月31日に日本でレビュー済み
解説で、アレント哲学の全貌が記載されていて、その壮大さに驚かされました。主著2作は、アレントの思考の一部に過ぎません。
人間の条件を読まれた方に、お勧めです。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2014年8月24日に日本でレビュー済み
この本はハンナ・アレントの著作ではなく遺稿論文をジェローム・コーンが編集したものになる。第六章の「政治入門」が大半を占めているので「政治入門」のほうがよかったようにも思う。アレントは本にまとめる時に手を加えたようで本になるまでどのようになるのかわからなかったというからこの編集本も違ったものになっていただろう。翻訳文は読みやすい。また見出し文でエッセイ文のように読み進めることができる。アレントは政治は目的であり戦争は政治目的の達成のための暴力と定義付けた。しかし人類の原子爆弾の発見と使用によってこれまでの戦争が政治目的の達成の手段から人類絶滅戦争の恐怖となったことを書いている。「第三次世界大戦は、十中八九、敗戦国の殲滅をもって終わるだろう」、それは「政治そのものまでも絶滅させ始めるのである」P190という。

では、政治はどうあるべきなのか?

私の読後感は、アレントはその結論にいたっていないように思える。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年3月25日に日本でレビュー済み
『人間の条件』や『全体主義の起源』もいいですが、この晩年のテクストの編纂は集大成感もありとても良かったです。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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