名著ですね。
著者は完璧に森田を理解している、まず第一の驚きです。
文体が強く美しい、それが最後まで全く乱れない、第二の驚きです。
大学教授職の傍らでこれだけの大著をものしたことが、第三の驚きです。
常人ではないと、純に素直に、読みながら何度も思いました。
森田を、さらに深く知りたい人は絶対に読むべきです。
森田による本、プラスアルファが得られます。
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神経症の時代: わが内なる森田正馬 単行本 – 1996/4/1
渡辺 利夫
(著)
- 本の長さ233ページ
- 言語日本語
- 出版社阪急コミュニケーションズ
- 発売日1996/4/1
- ISBN-104484962101
- ISBN-13978-4484962108
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
日本医学界から黙殺されつつも独自の療法「森田療法」を創始して倉田百三ら多くの神経症者を救った名医・森田正馬。苦闘と凄絶に満ちた彼のいきざまに迫る。第5回開高健賞受賞作品。
登録情報
- 出版社 : 阪急コミュニケーションズ (1996/4/1)
- 発売日 : 1996/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 233ページ
- ISBN-10 : 4484962101
- ISBN-13 : 978-4484962108
- Amazon 売れ筋ランキング: - 527,983位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 233位精神医学ノンフィクション
- - 719位医学
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年11月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
精神的に調子の良くない時に、「生きる勇気がわく」というどこかの書評を見て購入しました。
そのような時期には本当に良い本でした。
なくしてしまったのですが、こちらで古書購入できました。ありがとうございました。
広く読まれたほうが良い本だと思います。ぜひ再販、または電子版で購入できるようにして下さい。
そのような時期には本当に良い本でした。
なくしてしまったのですが、こちらで古書購入できました。ありがとうございました。
広く読まれたほうが良い本だと思います。ぜひ再販、または電子版で購入できるようにして下さい。
2019年12月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
レビューが良いのでさぞかし濃い内容で森田療法のコア部分を解説してくれるかと思いきや、期待をがっかり裏切られました。
内容の殆どは療法に関してではなく、正馬氏の”人となり”をほとんど盲目的に大礼賛するばかりで途中で読むのが辛くなりました。
この本では何やら野口英世か二宮金次郎的な明治の良き人物像に仕上げられており、日々進歩していく精神療法との取り組みとは逆斜め下を行く読み物でした。
内容の殆どは療法に関してではなく、正馬氏の”人となり”をほとんど盲目的に大礼賛するばかりで途中で読むのが辛くなりました。
この本では何やら野口英世か二宮金次郎的な明治の良き人物像に仕上げられており、日々進歩していく精神療法との取り組みとは逆斜め下を行く読み物でした。
2011年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1996年に初版され、初の開高健正賞を受けた名著です。
今頃まで、この名著を読んでいなかった不勉強振りを後悔します。
森田療法に関することを知りたいかたには、一押しの本です。
最初の章は、「出家とその弟子」の作家の倉田百三が重症の神経症をわずらい、
森田療法で快復していく過程を詳しく述べています。
第4章の聖マリナンナ大学教授岩井寛の、森田療法(というより森田哲学)に
支えられた、癌との闘病記録は、壮絶で、心打たれるものでした。
はまあるき(精神科医師)
今頃まで、この名著を読んでいなかった不勉強振りを後悔します。
森田療法に関することを知りたいかたには、一押しの本です。
最初の章は、「出家とその弟子」の作家の倉田百三が重症の神経症をわずらい、
森田療法で快復していく過程を詳しく述べています。
第4章の聖マリナンナ大学教授岩井寛の、森田療法(というより森田哲学)に
支えられた、癌との闘病記録は、壮絶で、心打たれるものでした。
はまあるき(精神科医師)
2013年1月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
amazonで購入できて助かりました。きれいなコンポで確実に届きました。
内容は神経症に苦しむ人向けで、ためになって癒されます。
内容は神経症に苦しむ人向けで、ためになって癒されます。
2003年9月18日に日本でレビュー済み
第一に、森田自身が理論よりも実践を重視したことは、医者として重要なことだが、著者のように森田の思想にまで迫ろうとする研究者が出ている以上、理論的な検討もなされねばならない。その際、森田の用いる用語そのものの検討が必要になろう。まず、森田が人間の本来回帰すべき状態と考える「本然」の抽象性が問題となる。しばしば唱えられるアジア思想=自然重視、西欧思想=人為重視という二分法は、「自然と人為の相互浸透」という現実を見ない単純化であるように感じられる。また、森田は「本然」と「思想の迷妄」とを対立的に捉えているが、同様にこの「思想」の意味内容も、ほぼ内面への執着という、独自のニュアンスを込められていることに留意すべきである。また「事実への服従」も、著者自身が!述べているように単なる宿命論ではなく、「服従を通じた自由」へとつながる概念である。要するに、森田の言う「本然」「思想」「服従」という用語は、通常とは異なる独特の意味合いで用いられており、仮に文字通りにそれらを解釈した場合、森田の思想は確かに日本国家の戦争に利用されることとなろう(森田の言う「事実への服従」は、人間の弱さの肯定であるはずであるが、かつての日本の戦争は弱さの肯定とは似ても似つかぬものであった)。第二に、森田療法の「アジア性」を問題にするならば、それがまずなによりも神経症患者への対応であり、日本社会・国家の分析のためのものではないことは再確認されるべきである。なぜならば、半ば西洋化した日本社会・日本国家の分析にとって、本当に森田の思想が直接ち?役立つかどうかは、きわめて微妙であるからだ。以上のようなことをきちんと考えずに、森田の用語を文字通りに捉え、安易に日本社会論にまで高めるならば、著者が「文庫版へのあとがき」で述べているような、日本の戦争責任の安易な否定へと帰結することになるだろう。
2015年7月25日に日本でレビュー済み
私自身が自分を見失って思い煩っているときに、図書館の放出本のなかに見つけて偶然にも手に取った。ふだんなら興味も沸かないような本だっただろうに、必要なときには必要なものに不思議と出会うものだ。実際、かなり救われた。私はビブリオセラピー(読書療法)をはからずも経験してしまったわけだ。本書は、独創的な「森田療法」を生み出した精神医学者の森田正馬、その弟子たち、そして患者たちを描いたノンフィクション。正常と異常、医者と患者の境界のゆらぎがとても面白かった。
神経症は自意識の病である。その病から逃れるには、徹底的に自己の自意識と向き合い、いかにしても逃れられないと悟り、そして日々の仕事に戻れ、という。過剰な自意識は、そこから逃れようとするのではなく、それに立ち向かうことで、日々の生活のエネルギーに転嫁すると説く。
伝記としては、やや筆者から見た森田正馬の理想化が強いように思われ、人物や時代の描かれ方の多面性に欠けるが、しかし淡々とした文章がいつしかどこか異様な強迫性を帯びてグイグイと迫ってくるように感じられた ――「わが内なる森田正馬」という副題にふさわしい、著者の思い入れの深さのゆえだろう。それが本書の醍醐味である。
神経症は自意識の病である。その病から逃れるには、徹底的に自己の自意識と向き合い、いかにしても逃れられないと悟り、そして日々の仕事に戻れ、という。過剰な自意識は、そこから逃れようとするのではなく、それに立ち向かうことで、日々の生活のエネルギーに転嫁すると説く。
伝記としては、やや筆者から見た森田正馬の理想化が強いように思われ、人物や時代の描かれ方の多面性に欠けるが、しかし淡々とした文章がいつしかどこか異様な強迫性を帯びてグイグイと迫ってくるように感じられた ――「わが内なる森田正馬」という副題にふさわしい、著者の思い入れの深さのゆえだろう。それが本書の醍醐味である。
2006年3月25日に日本でレビュー済み
この本は、森田療法の入門編としても読めるし、よく知っている人にとっても森田正馬、岩井寛二人の人物をさらによく知るためにも非常によい。
この本の内容は、不安感、恐怖感という、人間が決して逃れることのできない苦しみに、森田正馬と岩井寛の二人の精神科医が、彼ら自身若い時苦しみながらも、どう取り組んできたのかについての記録である。
特に圧巻なのは、森田療法の第一人者、岩井寛の、ガンとの闘病をつづった箇所。
末期ガンに冒されていることを告げられた岩井。
死の恐怖を強く感じつつも、死と直面した今こそ、自分が長年取り組んできた森田療法の真価を問われると考え、残りの日々の生活を目的本位の行動で充実させていこうとする。
この彼の強い信念に基づく行動に多くの読者は心打たれるはずだ。
生きていく限り絶対に避けることができない、不安感や恐怖感。
森田理論では、これらはあくまでも自然な感情の動きであり、理屈であれこれ考えて取り除くことはそもそもできないとする。むしろ、それはよりよく生きたい、意味のある人生を送りたいとする強い欲求の裏返しであるとし、積極的に肯定する。
私たちは、いたずらにとらわれの状態に陥らないように、それらの感情を取り除こうとする無駄な努力を止め、、感情は感情でそのままで、自らの人生を充実させる行動をとりあへず具体的に起こし、それに意識を向けるよう努力すること。そうすれば感情は自然と流動し苦しみも流れる。そういった経験の積み重ねによって、不安や恐怖心のままでも何事かを成し遂げることはできるのだという自信がついてくる、と説いている。
この本から得られるものは非常に大きい。
神経症に悩む人々だけに限らない。
広く一般の人たちにとっても、どう生きるかについて学べる本である。
この本の内容は、不安感、恐怖感という、人間が決して逃れることのできない苦しみに、森田正馬と岩井寛の二人の精神科医が、彼ら自身若い時苦しみながらも、どう取り組んできたのかについての記録である。
特に圧巻なのは、森田療法の第一人者、岩井寛の、ガンとの闘病をつづった箇所。
末期ガンに冒されていることを告げられた岩井。
死の恐怖を強く感じつつも、死と直面した今こそ、自分が長年取り組んできた森田療法の真価を問われると考え、残りの日々の生活を目的本位の行動で充実させていこうとする。
この彼の強い信念に基づく行動に多くの読者は心打たれるはずだ。
生きていく限り絶対に避けることができない、不安感や恐怖感。
森田理論では、これらはあくまでも自然な感情の動きであり、理屈であれこれ考えて取り除くことはそもそもできないとする。むしろ、それはよりよく生きたい、意味のある人生を送りたいとする強い欲求の裏返しであるとし、積極的に肯定する。
私たちは、いたずらにとらわれの状態に陥らないように、それらの感情を取り除こうとする無駄な努力を止め、、感情は感情でそのままで、自らの人生を充実させる行動をとりあへず具体的に起こし、それに意識を向けるよう努力すること。そうすれば感情は自然と流動し苦しみも流れる。そういった経験の積み重ねによって、不安や恐怖心のままでも何事かを成し遂げることはできるのだという自信がついてくる、と説いている。
この本から得られるものは非常に大きい。
神経症に悩む人々だけに限らない。
広く一般の人たちにとっても、どう生きるかについて学べる本である。