シューベルトの歌曲の解説本、と思いきや内容の深さに驚きました。
これまでの「冬の旅」のイメージとは違う、新しい世界観を持って作品に触れることが出来そうです!
シューベルトファンにお薦めの一冊です♪
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冬の旅―24の象徴の森へ 単行本 – 2007/11/27
梅津 時比古
(著)
明晰な理解を拒み続けてきた歌曲集の最高峰、シューベルトの『冬の旅』
文学空間、音楽空間の深奥に分け入る、著者渾身の書き下ろし
24の象徴
旅・雄鳥・涙・面影・はずれ者・雪・河・フラッシュバック・水・休み・氷の花
人々・ポストホルン・霜・黒い毛・木・犬・風・光・文字のない標識・葬送・神・闇・歌
本書プロローグより
『冬の旅』は本来第一部と第二部に分かれているが、実は第二部は第一部を註釈する構成になっている。
原理的には第一部は、比較的事実性に基づいており、現実からの出発を見てとることができる。そして同時にそこに文学空間・音楽空間としての作品の構造の提示も見られる。
第二部では事実性は抽象化され、哲学的に深まり、疎外とニヒリズムに関わる思想的な課題が立ち顕われてくる。
同時にそこに事実性としての政治的問題も見られる。
それがどのような位相で捉えられているかを見るためには、一面の深い雪に閉ざされた荒野や山のなかに無数に散らばっている〈象徴〉を読み解いて、自らの足場を確保していかねばならない。
それこそが『冬の旅』を聴くということである。
- 本の長さ401ページ
- 言語日本語
- 出版社東京書籍
- 発売日2007/11/27
- ISBN-104487802288
- ISBN-13978-4487802289
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商品の説明
著者について
梅津 時比古(うめず ときひこ)
1948年、鎌倉生まれ。早稲田大学第一文学部西洋哲学科卒。
現在、毎日新聞学芸部専門編集委員。早稲田大学講師。
著書に『フェルメールの音』『天から音が舞い降りてくるとき』『〈セロ弾きのゴーシュ〉の音楽論』(芸術選奨文部科学大臣賞、岩手日報宮沢賢治賞受賞)『〈ゴーシュ〉という名前』(以上、東京書籍)ほか多数。
1948年、鎌倉生まれ。早稲田大学第一文学部西洋哲学科卒。
現在、毎日新聞学芸部専門編集委員。早稲田大学講師。
著書に『フェルメールの音』『天から音が舞い降りてくるとき』『〈セロ弾きのゴーシュ〉の音楽論』(芸術選奨文部科学大臣賞、岩手日報宮沢賢治賞受賞)『〈ゴーシュ〉という名前』(以上、東京書籍)ほか多数。
登録情報
- 出版社 : 東京書籍 (2007/11/27)
- 発売日 : 2007/11/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 401ページ
- ISBN-10 : 4487802288
- ISBN-13 : 978-4487802289
- Amazon 売れ筋ランキング: - 510,584位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 891位ワールドミュージック
- - 942位ワールド楽譜・スコア・音楽書
- - 3,706位哲学 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年6月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者が音楽家・演奏家でない以上、音楽についての言及が乏しいのは避けられないと思う。それにリートで最も重要なのは、やはり原詩だから。私が感じたのは、著者が原詩をほんとうに自分で訳しているのなら、もっと基本的なことに気づくはずだということである。たとえば第20曲「道しるべ」の原詩の「都市」「街道」「道標」の語はすべて複数だから、山の中の寂しい道にある「何も書いてない道しるべ」のはずはなく、それどころか、主人公は街道の分岐点か交差点の最も交通量の多い場所に立っているはずだ。この詩の末尾の「zurueckgehen」を「zurueckkommen」と間違えて訳しているが、これは通説どおりの決定的な誤解である。著者は通説の誤りの上に自分の説を載せようとして、牽強付会な解釈をしているように思う。第16曲「最後の希望」の木は何の木か。それを考えもせずに「収縮する幻想の象徴」と飛んでしまっては、それこそ何でもありになってしまう。自筆譜についてもしかり。もっともっと目を皿にして、原詩と楽譜を見てほしい。そこにこそ、ミュラーとシューベルトの真実がはっきり(象徴でなく)書かれているのだから。
2019年9月13日に日本でレビュー済み
吉田秀和の「永遠の故郷」4部作は,この世評高かった独りよがり作品がなければ生まれなかったと思う.この本も役に立った.
2008年2月23日に日本でレビュー済み
内容が歌詞の解釈に偏っていて、感情より理屈が先行しています。音のことも書いてありますが、ほんの付け足しというか、お義理に書いたという感じです。哲学書だと思えばいいのでしょうが、もう少し音のことを書いて欲しいですね。「冬の旅」で、シューベルトがいかに革新的な音づくりを試みたか、そこを書かなければ片手落ちというものです。行間から音が聴こえてこないので、演奏者が読むとストレスが溜まると思います。
2008年11月13日に日本でレビュー済み
先日のマーク・パドモアによる「冬の旅」(2008/10/9 トッパンホール)に衝撃を受けた。
冒頭の「おやすみ」から感情が揺すぶられる。絶望の果ての訣別。ところが、第2曲冒頭、風見鶏が風でまわる音をピアノががらがらと鳴らしたとたんに、「終わり」が出発点になっているという反義性に気づかされる。
後は、共同体や死後救済からの疎外感、安穏に過ごす俗世への侮蔑、世俗宗教への怒り、出血や失血の感覚、自殺願望、人格認知の喪失、多人格、多幸幻想…など人間のあらゆる狂気の連続なのだ。
失恋の旅路なんて尋常なものじゃない。
ピアノのクーパーもただものではない。曲冒頭の表象的な響きや擬態音でたちまちにしてそれぞれの曲の意味のすべてを予告する。特に最終曲「辻音楽師」のライアー(回し手琴)の響きのうつろで不気味なこと。宇宙の果てにまで来た感覚に慄然とした。
そのリサイタルのプログラムノート「読み直しの時代を迎えた『冬の旅』」が本書の著者によるものだった。おそらくこのリサイタルそのものの企画にも深く関わっておられるのだろう。本書を手にして、あの衝撃を存分に追体験し、その詩歌の文学的、音楽的修辞や意匠についての理解を一新した。面白くて止まらない。
古典的な美しい歌謡とロマン派の心理独白的なレシタティーヴォの混淆というこの歌曲集の伝統的受容のあり方が解体されてしまう。ロマン派やマーラー的虚無と漂泊をはるかに飛び越えて21世紀まで来てしまう。
…「読み直し」は私にとって事件になった。
自筆譜での解説には一長一短がある。一曲一曲ていねいにCDを聴いてみて、さらに譜面を傍らに置き、音を丹念に確認しながら読み進めることをお薦めする。
冒頭の「おやすみ」から感情が揺すぶられる。絶望の果ての訣別。ところが、第2曲冒頭、風見鶏が風でまわる音をピアノががらがらと鳴らしたとたんに、「終わり」が出発点になっているという反義性に気づかされる。
後は、共同体や死後救済からの疎外感、安穏に過ごす俗世への侮蔑、世俗宗教への怒り、出血や失血の感覚、自殺願望、人格認知の喪失、多人格、多幸幻想…など人間のあらゆる狂気の連続なのだ。
失恋の旅路なんて尋常なものじゃない。
ピアノのクーパーもただものではない。曲冒頭の表象的な響きや擬態音でたちまちにしてそれぞれの曲の意味のすべてを予告する。特に最終曲「辻音楽師」のライアー(回し手琴)の響きのうつろで不気味なこと。宇宙の果てにまで来た感覚に慄然とした。
そのリサイタルのプログラムノート「読み直しの時代を迎えた『冬の旅』」が本書の著者によるものだった。おそらくこのリサイタルそのものの企画にも深く関わっておられるのだろう。本書を手にして、あの衝撃を存分に追体験し、その詩歌の文学的、音楽的修辞や意匠についての理解を一新した。面白くて止まらない。
古典的な美しい歌謡とロマン派の心理独白的なレシタティーヴォの混淆というこの歌曲集の伝統的受容のあり方が解体されてしまう。ロマン派やマーラー的虚無と漂泊をはるかに飛び越えて21世紀まで来てしまう。
…「読み直し」は私にとって事件になった。
自筆譜での解説には一長一短がある。一曲一曲ていねいにCDを聴いてみて、さらに譜面を傍らに置き、音を丹念に確認しながら読み進めることをお薦めする。
2008年5月27日に日本でレビュー済み
まず先達の諸論が丁寧に読みこまれている。長年にわたる評論の蓄積が生かされている。さらに著者が取材インタビューを行ってきたフィッシャー・ディースカウはじめ奏者や研究者たちの肉声もしっかりと受けとめられている。
その上での論なので、とても説得力がある。なるほど、シューベルトと「冬の旅」にはこんな世界が広がっているのかと思い知らされる刺激に満ちている。
といって押しつけがましいさがない。むしろ読者一人ひとりが心を開いて改めて「冬の旅」と向かい合うことを促してくれる。
じつは評者のようなごく一般的なクラシック聴きにとっては、本書ははじめは専門的に過ぎるように感じられたのだが、ページをめくるごとに引きこまれていく。
なるほどシューベルトが近代音楽、もっとひろく芸術思潮のなかでどんな作曲家であるのかが、みえてくる。
信じるものをすべてなくした主人公のニヒリズムはじつはシューベルトのものでもあり、それは現代の問題につながり、その中で著者もまたシューベルトの「歌」に耳傾けている。その「読み直し」の姿勢とつらなりが本書の魅力でもある。
本書が「歌詞の解釈」偏重の本でないことは、素直に読め進めればすぐにわかる。
「冬の旅」が「ミューラーによる象徴法を、シューベルトが音によって描く音画法によってさらなる象徴に持ち込んできたものである」ことが、全24の楽曲を通じて精緻に分析されている。「音楽」によって思考する作曲家であるシューベルトが、「音楽」によって「読み直し」を試みていることが楽曲総体をもって示されている。
これまでのシューベルト論、「冬の旅」論に大きな一石を投じるものではないだろうか。
その上での論なので、とても説得力がある。なるほど、シューベルトと「冬の旅」にはこんな世界が広がっているのかと思い知らされる刺激に満ちている。
といって押しつけがましいさがない。むしろ読者一人ひとりが心を開いて改めて「冬の旅」と向かい合うことを促してくれる。
じつは評者のようなごく一般的なクラシック聴きにとっては、本書ははじめは専門的に過ぎるように感じられたのだが、ページをめくるごとに引きこまれていく。
なるほどシューベルトが近代音楽、もっとひろく芸術思潮のなかでどんな作曲家であるのかが、みえてくる。
信じるものをすべてなくした主人公のニヒリズムはじつはシューベルトのものでもあり、それは現代の問題につながり、その中で著者もまたシューベルトの「歌」に耳傾けている。その「読み直し」の姿勢とつらなりが本書の魅力でもある。
本書が「歌詞の解釈」偏重の本でないことは、素直に読め進めればすぐにわかる。
「冬の旅」が「ミューラーによる象徴法を、シューベルトが音によって描く音画法によってさらなる象徴に持ち込んできたものである」ことが、全24の楽曲を通じて精緻に分析されている。「音楽」によって思考する作曲家であるシューベルトが、「音楽」によって「読み直し」を試みていることが楽曲総体をもって示されている。
これまでのシューベルト論、「冬の旅」論に大きな一石を投じるものではないだろうか。