この有名な小説をやっと読むに至りましたが今で良かったです。もっと前なら今よりもっとちんぷんかんぷんだったろう。中世を舞台にした修道院での殺人事件の究明、という形ではありますが、世界史の本で暗黒時代、異端裁判、魔女裁判、ローマ教皇(この時期はアヴィニヨン)、と言った言葉だけで習ったことが、今自分も真にその中にいるかのように詳しく描写されて、本当に大変なすごい時代で、ここまでの価値観からよく、現在の人権とかそういう価値観にまでイタリア、変化できたなー、と思うほどの下層民が生きていくの大変な時代です。
また、原作者エーコ氏は記号論、言葉ということの権威という事ですが、書物についての色々なことが出てきます。14世紀はもうすでにアラビアでもヨーロッパでもたくさん思想的あるいは自然科学的書物が書かれており、そもそも紀元前からギリシャで今でも通用するような高尚な思考が論じられ書物になっていたわけですから(思えばそういうのがよく今でも読まれる形であるものだなー、と改めて感心してしまうわけですが)、それらを貴重な叡智として蔵書とするために延々と写本していたわけですよね!
今、ネットですぐ例えばアリストテレスの著作を誰でも購入することができると思うと、なんとなんと恵まれた時代なのでしょう!と感謝せずにはいられません・・・
とにかく中世ヨーロッパに知的興味を持つものには大変興味深い世界が展開されており、主人公たちの好感の持てるキャラクターのせいで、暗黒時代ではありますが何かしらの希望をもって読み進むことができます。
この本には様々な知的引用が取り入れられているらしくて、もっともっとヨーロッパやイタリアに詳しい人の参考書も読んで、深く勉強したくなる本です。エーコ氏が当時文壇的に?モラヴィアやパゾリーニと反する立場のようであったことなども、興味深くさらに勉強したいところです。イタリアという歴史深く知的な国の知的な歴史とその思想的変遷を、日本にいては積極的に勉強しなければ全然わかりえないと思うので、知的意欲をそそられる本だと思います。
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薔薇の名前〈上〉 単行本 – 1990/2/18
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中世イタリアの修道院で起きた連続殺人事件。事件の秘密は知の宝庫ともいうべき迷宮の図書館にあるらしい。記号論学者エーコがその博学で肉づけした長編歴史ミステリ。全世界で異例の大ベストセラーとなった話題作。
- 本の長さ413ページ
- 言語日本語
- 出版社東京創元社
- 発売日1990/2/18
- ISBN-104488013511
- ISBN-13978-4488013516
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登録情報
- 出版社 : 東京創元社 (1990/2/18)
- 発売日 : 1990/2/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 413ページ
- ISBN-10 : 4488013511
- ISBN-13 : 978-4488013516
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2020年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ウンベルト・エーコ当人曰く彼の小説の中で最低の出来だそうだが、どうしてどうして楽しめます。
映画化、ドラマ化もされているが、話の面白さ、わくわくする謎解き、残酷&過激な描写においてそれらは原作の1/10にも及ばない。翻訳もとても良いので是非小説で味わうことをおすすめします。
西洋史やキリスト教史に詳しい方は難なく読めるでしょうが、私のような無学な者は自前にせめて教皇ヨハネス22世やその時代背景についてとアリストテレスの詩学についてくらいをWikipediaででもざっと調べておくと楽しさが更に広がると思います。(が、ざっとで大丈夫です。それらの詳細は本の中でエーコが詳しく説明しています。)
そして如何に名訳でも異型の建物の形状について、3階の図書館部分の部屋の頭文字で謎解きをするための間取りなどは、想像力だけでは補えないので、下巻108ページにある見取り図を参照にしてみてください。
そして時々立ち止まって地図や年表を、又○○の☓☓城に似た外観とあればその画像を調べる等、攻める読書をすると知的好奇心が満たされます。
とても良い小説で、あちらこちらに哲学者らしい事物の真理が散りばめられています。
実はイタリア語の原書を先に読んだのですが、難航してこちらの和訳版を改めてもとめました。素晴らしい翻訳だと思います。
作者も訳者も共にお亡くなりになってしまいましたが、イタリアでは2020年に何度目かの再販があったそうです。
映画化、ドラマ化もされているが、話の面白さ、わくわくする謎解き、残酷&過激な描写においてそれらは原作の1/10にも及ばない。翻訳もとても良いので是非小説で味わうことをおすすめします。
西洋史やキリスト教史に詳しい方は難なく読めるでしょうが、私のような無学な者は自前にせめて教皇ヨハネス22世やその時代背景についてとアリストテレスの詩学についてくらいをWikipediaででもざっと調べておくと楽しさが更に広がると思います。(が、ざっとで大丈夫です。それらの詳細は本の中でエーコが詳しく説明しています。)
そして如何に名訳でも異型の建物の形状について、3階の図書館部分の部屋の頭文字で謎解きをするための間取りなどは、想像力だけでは補えないので、下巻108ページにある見取り図を参照にしてみてください。
そして時々立ち止まって地図や年表を、又○○の☓☓城に似た外観とあればその画像を調べる等、攻める読書をすると知的好奇心が満たされます。
とても良い小説で、あちらこちらに哲学者らしい事物の真理が散りばめられています。
実はイタリア語の原書を先に読んだのですが、難航してこちらの和訳版を改めてもとめました。素晴らしい翻訳だと思います。
作者も訳者も共にお亡くなりになってしまいましたが、イタリアでは2020年に何度目かの再販があったそうです。
2022年3月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
3点です。
言い表しづらいのですが、面白いには面白いし、ドラマチックだし、読み進めてしまうんだけど、何となく最後まで読んだ時にはそこまで釈然としない・・・みたいな作品でした。
中世ヨーロッパやらキリスト教史に詳しくはないながらも興味がありますし、僧院で起こる謎に満ちた連続殺人事件…と、ページをどんどんめくりたくなるのですが、この小説のジャンルは何なのかなと考えると「謎解き」ではないのだなと。
謎めいた伏線風のものがたびたび張り巡らされてるわけですが、結局その伏線をたどって自分で答えを見通せるのかというと「それは無理だろう」ということになる。
こういうジャンルを何と呼ぶのか知りませんが何というか・・・派手な血みどろとカオスつきの感傷小説みたいな感じもあるなという気もします。
充分面白かったし、余韻もあるのですが、冷静になると「かいつまむとこの話なんだ?」という気がしなくもないという。
そのように感じてしまう理由を考えるとまずは一つには「そもそも別に推理小説ではない」ということだと思います。ウイリアムという師と見習い修道士である書き手という構図と冒頭の推理シーンのせいで「推理小説なのかなワクワク」と思ってしまうのですが読み終わってみると別にそうではないです。
謎解きの要素はありますが若干ご都合主義。
犯行の背景の動機も早い段階でほのめかされてるわけですけど・・・いやいや、結局そういうオチになるなら何十年も前にそうしておけば良かったのでは?的な・・・。それじゃあ犯人頭悪いことになってしまう気がする。
殺人トリック?的なのも割と早い段階で「そうじゃないかな」って想像したのが「やっぱそうなんだね」的な。
「いや、でもそれでは説明できないこういう要素は・・・」と思ってたところはまさかの偶然という。
このご都合主義というか偶然を「神の意図なのか」とか小難しく読むものなのかもしれない。
そんなわけで「推理小説」として読むのであればあまりにもあまりにもなのです。
多分薔薇の名前上下巻の20-30%くらいのページ数で書けちゃうかなと思われます。
そうではなくて時代背景とか当時の考え方とかを読み込んでこの若き修道僧の世界を体験するというのがむしろ主眼なのかなと思います。
だから他の方も言っているように、背景説明がやーたら長くて「ほんとに必要ですか?」とは思うかもしれない。キリスト教徒なら面白いのかもしれませんがさすがにページを割きすぎな感じはありました。
それからこの若い見習い修道士が晩年に筆をとっているという体裁なのですが「フォトグラフィックメモリーかよ」くらいの重たい描写なので(延々入り口を説明された時はさすがに途中からページをめくる手が速くなりました。夢の話が延々続いた時も途中から「あいわかった、みなまでいうな」的な気持ち)こう世界を延々味わいたい人の方が楽しめるかもしれない。ただ、そこまで覚えてるって作品のリアリティ的にどうなんだという感じがしました。
最初の方に「その人がどんな見た目なのかとか言うことは退屈だから書きたくない」という主旨の断り書きがあるのですが、いやいや、ドアの説明するならそこ説明してくれよ、登場人物が横文字ばっかりで、さらに見た目の描写もないから頭の中で描きにくくて大変だよ!だいぶ読んでから「ああ、Aさんの方がBさんより年齢上で、Bさんはどうやらだいぶ若いのね」ってわかるという。
この書き手が見て明白な設定の事は書いてくれよ。みたいな。
そんなわけで、面白いのですけど、その面白いのは若干の物珍しさ、ジャンル的な独自性みたいなのが勝ってるのかなぁと思いました。
若い時代の感傷みたいなものは共感するところがあったし、終わり方は素敵なんですけどね。
そんな作品でした。
言い表しづらいのですが、面白いには面白いし、ドラマチックだし、読み進めてしまうんだけど、何となく最後まで読んだ時にはそこまで釈然としない・・・みたいな作品でした。
中世ヨーロッパやらキリスト教史に詳しくはないながらも興味がありますし、僧院で起こる謎に満ちた連続殺人事件…と、ページをどんどんめくりたくなるのですが、この小説のジャンルは何なのかなと考えると「謎解き」ではないのだなと。
謎めいた伏線風のものがたびたび張り巡らされてるわけですが、結局その伏線をたどって自分で答えを見通せるのかというと「それは無理だろう」ということになる。
こういうジャンルを何と呼ぶのか知りませんが何というか・・・派手な血みどろとカオスつきの感傷小説みたいな感じもあるなという気もします。
充分面白かったし、余韻もあるのですが、冷静になると「かいつまむとこの話なんだ?」という気がしなくもないという。
そのように感じてしまう理由を考えるとまずは一つには「そもそも別に推理小説ではない」ということだと思います。ウイリアムという師と見習い修道士である書き手という構図と冒頭の推理シーンのせいで「推理小説なのかなワクワク」と思ってしまうのですが読み終わってみると別にそうではないです。
謎解きの要素はありますが若干ご都合主義。
犯行の背景の動機も早い段階でほのめかされてるわけですけど・・・いやいや、結局そういうオチになるなら何十年も前にそうしておけば良かったのでは?的な・・・。それじゃあ犯人頭悪いことになってしまう気がする。
殺人トリック?的なのも割と早い段階で「そうじゃないかな」って想像したのが「やっぱそうなんだね」的な。
「いや、でもそれでは説明できないこういう要素は・・・」と思ってたところはまさかの偶然という。
このご都合主義というか偶然を「神の意図なのか」とか小難しく読むものなのかもしれない。
そんなわけで「推理小説」として読むのであればあまりにもあまりにもなのです。
多分薔薇の名前上下巻の20-30%くらいのページ数で書けちゃうかなと思われます。
そうではなくて時代背景とか当時の考え方とかを読み込んでこの若き修道僧の世界を体験するというのがむしろ主眼なのかなと思います。
だから他の方も言っているように、背景説明がやーたら長くて「ほんとに必要ですか?」とは思うかもしれない。キリスト教徒なら面白いのかもしれませんがさすがにページを割きすぎな感じはありました。
それからこの若い見習い修道士が晩年に筆をとっているという体裁なのですが「フォトグラフィックメモリーかよ」くらいの重たい描写なので(延々入り口を説明された時はさすがに途中からページをめくる手が速くなりました。夢の話が延々続いた時も途中から「あいわかった、みなまでいうな」的な気持ち)こう世界を延々味わいたい人の方が楽しめるかもしれない。ただ、そこまで覚えてるって作品のリアリティ的にどうなんだという感じがしました。
最初の方に「その人がどんな見た目なのかとか言うことは退屈だから書きたくない」という主旨の断り書きがあるのですが、いやいや、ドアの説明するならそこ説明してくれよ、登場人物が横文字ばっかりで、さらに見た目の描写もないから頭の中で描きにくくて大変だよ!だいぶ読んでから「ああ、Aさんの方がBさんより年齢上で、Bさんはどうやらだいぶ若いのね」ってわかるという。
この書き手が見て明白な設定の事は書いてくれよ。みたいな。
そんなわけで、面白いのですけど、その面白いのは若干の物珍しさ、ジャンル的な独自性みたいなのが勝ってるのかなぁと思いました。
若い時代の感傷みたいなものは共感するところがあったし、終わり方は素敵なんですけどね。
そんな作品でした。
2020年4月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
素晴らしい内容の本です。
2018年4月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
・骨子は単純なのに修飾だらけでカオス状態
・他の僧との宗教論争が多い
・中世暗黒時代の雰囲気は映画が上
・迷宮図書館の構造と設計意図がよくわかる
・他の僧との宗教論争が多い
・中世暗黒時代の雰囲気は映画が上
・迷宮図書館の構造と設計意図がよくわかる
2023年8月12日に日本でレビュー済み
本書は中世からルネッサンスへと時代が移りつつある14世紀前半のヨーロッパが舞台となっている。
普遍的真理がイデアのように実在するという常識が揺らぎはじめ、普遍的真理/イデアと感じてきたものが実は「名前」のようなものであり、主観的概念に過ぎないという考え方(オッカムのウィリアムの唯名論)が広まりつつあった頃の「時代のゆらぎ」が描き出されている。
教皇庁は「真偽」や「善悪」が文脈によって変わりうることに多くの人が気づき始め、それが権力闘争に結びつくことを怖れる。そして、時代の流れに逆らって神の真理の一義性を守ろうとする。それが異端審問や魔女狩りの流行といった、時代に逆行する社会現象として顕在化する。
それに対して、主人公のバスカヴィルのウィリアムは、どの文脈が「真理」になるかをあらかじめ決めることはできず、事実に基づき仮説検証で決めるしかないという考え方を取る。この発想の転換が、後のヨーロッパの科学革命、産業革命へと繋がっていった。なぜヨーロッパで産業革命が起こったのか。その起源を覗き見ているような印象を受けた。
また、著者のウンベルト・エーコは記号論の学者でもある。記号に文脈が与えられた瞬間、自己と世界との関係が定まる。それが事実に裏づけられて安定するのか、幻影に終わるのか、あるいは笑いを生むのかは本人にも分からない。そんな記号と自己との関係が巧みに描き出されているようにも感じた。
普遍的真理がイデアのように実在するという常識が揺らぎはじめ、普遍的真理/イデアと感じてきたものが実は「名前」のようなものであり、主観的概念に過ぎないという考え方(オッカムのウィリアムの唯名論)が広まりつつあった頃の「時代のゆらぎ」が描き出されている。
教皇庁は「真偽」や「善悪」が文脈によって変わりうることに多くの人が気づき始め、それが権力闘争に結びつくことを怖れる。そして、時代の流れに逆らって神の真理の一義性を守ろうとする。それが異端審問や魔女狩りの流行といった、時代に逆行する社会現象として顕在化する。
それに対して、主人公のバスカヴィルのウィリアムは、どの文脈が「真理」になるかをあらかじめ決めることはできず、事実に基づき仮説検証で決めるしかないという考え方を取る。この発想の転換が、後のヨーロッパの科学革命、産業革命へと繋がっていった。なぜヨーロッパで産業革命が起こったのか。その起源を覗き見ているような印象を受けた。
また、著者のウンベルト・エーコは記号論の学者でもある。記号に文脈が与えられた瞬間、自己と世界との関係が定まる。それが事実に裏づけられて安定するのか、幻影に終わるのか、あるいは笑いを生むのかは本人にも分からない。そんな記号と自己との関係が巧みに描き出されているようにも感じた。