エラリー・クイーンはドルリー・レーンを主人公にしているものと、エラリー・クイーンを主人公にしているものがある。
エラリー・クイーンを主人公にしているものではチャイナ橙の謎とか、エジプト十字架の謎をトップに挙げる人は多いが
好きなものでは、この本が好きです。
クイーンとクイーンパパとが山火事にあい、そして可愛いシャム双子を助けるという最後まで。
雨が降っている・・・・という最後の最後のせりふ。一生忘れられない終わりです。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
シャム双子の謎 (創元推理文庫 104-11) 文庫 – 1960/3/11
古いインディアン部落を背景に、異様な境遇をもったふたりの人物を登場させて、怪奇な殺人物語が展開される。エラリーの長い犯罪捜査の経験の中で、官憲の手をかりず、独力快刀乱麻を断った最初の事件。刑事も、指紋係も、検屍官も登場しない。エラリーの“国名連作”の中で珍重すべき一編である。意外なあと味の良さも定評のある作品。
- 本の長さ378ページ
- 言語日本語
- 出版社東京創元社
- 発売日1960/3/11
- ISBN-104488104118
- ISBN-13978-4488104115
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 東京創元社 (1960/3/11)
- 発売日 : 1960/3/11
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 378ページ
- ISBN-10 : 4488104118
- ISBN-13 : 978-4488104115
- Amazon 売れ筋ランキング: - 514,293位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2006年9月9日に日本でレビュー済み
クィーン父子が山火事のため山頂の山小屋に逃げ込むと、そこには題名の「シャム双子」を初めとする奇妙な人達が。そこで殺人事件が起きる。山火事の勢いから数日のうちに全員焼死する運命という状況の中で、何故犯人は殺人を犯す必要があったのか ? 状況設定と言い、「シャム双子」の登場と言い国名シリーズにおける異色作。
これだけの舞台設定を用意しながら事件は至って地味だ。普通、ミステリに双子を登場させる場合は読者を迷わすだけで、双子の一人(あるいは両方)が犯人になることはないというのが定番。しかし、本作では「シャム双子」ということで、もし一方が犯人だった場合、裁きはどうなるかという興味がある。
しかし、上記の期待は空振りに終わり、ダイイング・メッセージのカードに関するクィーンの推理もいつもの冴えが見られず、誤謬を繰り返すばかり。真相が比較的早い段階で、関係者の口から漏れるのも、ヴァン・ダインの「グリーン家」を思わせて、新鮮味がない。
最後の1頁で奇跡が起こるのだが、まあこれは致し方ないところか。日本での人気が不思議な程、地味な作品。
これだけの舞台設定を用意しながら事件は至って地味だ。普通、ミステリに双子を登場させる場合は読者を迷わすだけで、双子の一人(あるいは両方)が犯人になることはないというのが定番。しかし、本作では「シャム双子」ということで、もし一方が犯人だった場合、裁きはどうなるかという興味がある。
しかし、上記の期待は空振りに終わり、ダイイング・メッセージのカードに関するクィーンの推理もいつもの冴えが見られず、誤謬を繰り返すばかり。真相が比較的早い段階で、関係者の口から漏れるのも、ヴァン・ダインの「グリーン家」を思わせて、新鮮味がない。
最後の1頁で奇跡が起こるのだが、まあこれは致し方ないところか。日本での人気が不思議な程、地味な作品。
2012年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1933年作 まあ常に自由度を維持し、風変わりさを保っている
休暇 帰り道 クイーン父子 古いインディアン集落 山火事→下山する道は閉ざされた 山頂の山荘を舞台にした陸の孤島もの
研究 実験室 そんな場所を確保する方法 暗く暗たんたる雰囲気 そんなSFゴシックホラー仕立てで、逆パノプティコンの正しい有機的構成
として常に生き得るパニックサスペンスで、クローズドサークルな本格ロジックの実験に必要な開放された場所。
トランプのカードをこねくりまわして右左、こねくりまわして左右(笑)ダイイングメッセージの最高潮使用感(笑)しかしこれが最悪の要素
にもなっていて、もはや作り出し得ない全体において、定常的に繰り返し扱われる位置的必然性としてのピロティの付け替え(笑)
さて今回もヒントを Katy Bの「Witches Brew」のビデオの中にあるよ
パニック ロジック 同時進行 この状況設定によって、空白感さえない熱望、そんなエラリーの捨て身的に内省する性癖が一番出てるのかも
しれないなあ おやじさんとの心的相互作用も好きなんだねやっぱ(笑)この常識人あってのエラリーなんであって(笑)
つまりその方外さ、言い換えれば芸術さ、それが時として行き止まりの平面から解き放つ方法。それを無意味と瀰漫するにはあまりに不思議。
結局最終的で結論的な形式化を目的とした虞犯性なんであって、だので哀れなマンネリズムとしての発作的静止
うん醸しながら貢献すべきなんであって、ただの盛り上げ主義に堕さない疑問にすることを拒否しない完備された説得性としての客観情勢。
たとえば一つの中心的視点としてのナショナリズム。そもそもそれが右だという奇特な発想の置き直しから当たり前にすぎないという識別の
必要性へと、小学生でも分かるんだから(笑)だからこその溝を埋める役割として教えた上で反響し合うのが普通で、断ち切って臭い物に蓋じゃ
常に直面することを拒否し続ける総括・反省。
だので蒔いた種としての島国の珍現象は教えることがないという原理から価値判定する基準なしに説かれる平和の嘘と、こう解釈
結局、非常に近接した中国のその言うならばわがままニートぶりは明確な紛争現象の抱えこみ、わきあがるものがむろんありうるところで何も
できないひきこもり。
だからまあニートとひきこもりが喧嘩してるわけだから第三者の目線から見れば、IQの低いインスタレーション〈馬鹿の比較展示〉ってな
もんで(笑)
あれだな、内を見る見方を変化させるべきで、本当に左だったらそれこそ解釈を許す今の9条では平和を守れないわけだからツァイトガイスト
近づき得るように現実具体的根拠として集団的自衛権を認めない旨でも明記すると主張すべきであって、成就である定義が平和なのか9条なのか。
とはいえ、開き直りと言われても現時点で9条はアメリカのいいなりにならない為の立ち回る手段なんだから。
環境があるがゆえのひきこもり、離れてゆく負担・覚悟・案出・適合 同時進行でいかに議論を詰めてゆくか、いかにそれぞれが本気になるか
ということで、エコだエコだと言いながら全然エコできない歯痒さ(笑)そんなことを書いてみたよ
休暇 帰り道 クイーン父子 古いインディアン集落 山火事→下山する道は閉ざされた 山頂の山荘を舞台にした陸の孤島もの
研究 実験室 そんな場所を確保する方法 暗く暗たんたる雰囲気 そんなSFゴシックホラー仕立てで、逆パノプティコンの正しい有機的構成
として常に生き得るパニックサスペンスで、クローズドサークルな本格ロジックの実験に必要な開放された場所。
トランプのカードをこねくりまわして右左、こねくりまわして左右(笑)ダイイングメッセージの最高潮使用感(笑)しかしこれが最悪の要素
にもなっていて、もはや作り出し得ない全体において、定常的に繰り返し扱われる位置的必然性としてのピロティの付け替え(笑)
さて今回もヒントを Katy Bの「Witches Brew」のビデオの中にあるよ
パニック ロジック 同時進行 この状況設定によって、空白感さえない熱望、そんなエラリーの捨て身的に内省する性癖が一番出てるのかも
しれないなあ おやじさんとの心的相互作用も好きなんだねやっぱ(笑)この常識人あってのエラリーなんであって(笑)
つまりその方外さ、言い換えれば芸術さ、それが時として行き止まりの平面から解き放つ方法。それを無意味と瀰漫するにはあまりに不思議。
結局最終的で結論的な形式化を目的とした虞犯性なんであって、だので哀れなマンネリズムとしての発作的静止
うん醸しながら貢献すべきなんであって、ただの盛り上げ主義に堕さない疑問にすることを拒否しない完備された説得性としての客観情勢。
たとえば一つの中心的視点としてのナショナリズム。そもそもそれが右だという奇特な発想の置き直しから当たり前にすぎないという識別の
必要性へと、小学生でも分かるんだから(笑)だからこその溝を埋める役割として教えた上で反響し合うのが普通で、断ち切って臭い物に蓋じゃ
常に直面することを拒否し続ける総括・反省。
だので蒔いた種としての島国の珍現象は教えることがないという原理から価値判定する基準なしに説かれる平和の嘘と、こう解釈
結局、非常に近接した中国のその言うならばわがままニートぶりは明確な紛争現象の抱えこみ、わきあがるものがむろんありうるところで何も
できないひきこもり。
だからまあニートとひきこもりが喧嘩してるわけだから第三者の目線から見れば、IQの低いインスタレーション〈馬鹿の比較展示〉ってな
もんで(笑)
あれだな、内を見る見方を変化させるべきで、本当に左だったらそれこそ解釈を許す今の9条では平和を守れないわけだからツァイトガイスト
近づき得るように現実具体的根拠として集団的自衛権を認めない旨でも明記すると主張すべきであって、成就である定義が平和なのか9条なのか。
とはいえ、開き直りと言われても現時点で9条はアメリカのいいなりにならない為の立ち回る手段なんだから。
環境があるがゆえのひきこもり、離れてゆく負担・覚悟・案出・適合 同時進行でいかに議論を詰めてゆくか、いかにそれぞれが本気になるか
ということで、エコだエコだと言いながら全然エコできない歯痒さ(笑)そんなことを書いてみたよ
2005年12月16日に日本でレビュー済み
迫り来る山火事の脅威・死の恐怖の中で、(犯人自身も含め?)登場人物の殆どが、殺人事件なんてどうでも良くなっているのに、懸命に(性懲りも無く?)推理を続けるエラリー。「世界が5分後に滅びるとしても、謎を追い続ける」と言う、決意表明と見た。
ただ、やはり山火事は気になるのか、推理は難航。そのせいで、(余り反省している様子もないが)出さなくて良い犠牲者を出してしまう。この辺のカッコ悪さが、また味わいになっている。
「マニア向きの、変化球的作品」という評価が多いと聞くが、全然そんなことは無いと思う。
ただ、やはり山火事は気になるのか、推理は難航。そのせいで、(余り反省している様子もないが)出さなくて良い犠牲者を出してしまう。この辺のカッコ悪さが、また味わいになっている。
「マニア向きの、変化球的作品」という評価が多いと聞くが、全然そんなことは無いと思う。
2019年5月4日に日本でレビュー済み
クイーン親子が車で移動中に山火事に遭遇し、逃げ込んだ山上の一軒家。山火事で道が閉鎖されたクローズドサークルで起きた殺人事件。クイーン警視は地元警察から捜索を委任されるが、混迷を深めていき、さらに一人が殺される。
正直、二人目はクイーン親子の度重なるミスによって殺されたようなものだ。
国名シリーズでお約束の「読者への挑戦状」はなく、犯人特定の決め手となったものもロジックではなく、犯人の性情による致命的ミス。
国名シリーズでは異色の内容だが、様々な工夫が盛り込まれているところは評価できる。トランプのカードを使ったダイイングメッセージ、偽の手掛かり、探偵役が何度も間違いをして謎を深めていること、皮肉な真犯人等。
「トランプのカードを保管していたキャビネットをいじくった人物」に関するロジックは秀逸。
また、作者は別の作品でも利き腕のことを犯人特定のロジックに使っているが、本作品でも利き腕に関するロジックを使っている。確率的には高くても必然性はないので、利き腕をロジックに使うのはいかがなものだろうか。
正直、二人目はクイーン親子の度重なるミスによって殺されたようなものだ。
国名シリーズでお約束の「読者への挑戦状」はなく、犯人特定の決め手となったものもロジックではなく、犯人の性情による致命的ミス。
国名シリーズでは異色の内容だが、様々な工夫が盛り込まれているところは評価できる。トランプのカードを使ったダイイングメッセージ、偽の手掛かり、探偵役が何度も間違いをして謎を深めていること、皮肉な真犯人等。
「トランプのカードを保管していたキャビネットをいじくった人物」に関するロジックは秀逸。
また、作者は別の作品でも利き腕のことを犯人特定のロジックに使っているが、本作品でも利き腕に関するロジックを使っている。確率的には高くても必然性はないので、利き腕をロジックに使うのはいかがなものだろうか。
2009年7月15日に日本でレビュー済み
「エジプト十字架」以後、「アメリカ銃」と本書、その後の「チャイナ橙」「スペイン岬」と奇抜な設定の作品が続くが、本書はその中でも最も変り種といえるだろう。
まず形式的には国名シリーズ唯一の「クローズド・サークル」ものにして、唯一「読者への挑戦状」を欠いている。
さらに、シャム双生児や「骸骨」というあだ名の召し使いの登場、舞台の山荘にも怪奇なイメージがつきまとい、極めつけは山火事に四方を囲まれるという極限状況にある。
本書ではそのような状況において、警察や科学捜査の手を借りられない中、エラリーは唯一の手がかりである被害者が持っていた「スペードの6」のカードから、純粋推理で犯人探しを試みる。
しかし、その推理は解釈の仕方によりどうとでも取れるものであり、本書に限って「読者への挑戦状」が付されていないのも、おそらく推理に隙があるのを作者も承知していたからだろうと思う。
本書の魅力は中途半端な推理よりもむしろ迫り来る猛火による極限状況の中のギリギリのサスペンスにこそあり、そういう点で国名シリーズの中で最も面白い作品といえよう。
まず形式的には国名シリーズ唯一の「クローズド・サークル」ものにして、唯一「読者への挑戦状」を欠いている。
さらに、シャム双生児や「骸骨」というあだ名の召し使いの登場、舞台の山荘にも怪奇なイメージがつきまとい、極めつけは山火事に四方を囲まれるという極限状況にある。
本書ではそのような状況において、警察や科学捜査の手を借りられない中、エラリーは唯一の手がかりである被害者が持っていた「スペードの6」のカードから、純粋推理で犯人探しを試みる。
しかし、その推理は解釈の仕方によりどうとでも取れるものであり、本書に限って「読者への挑戦状」が付されていないのも、おそらく推理に隙があるのを作者も承知していたからだろうと思う。
本書の魅力は中途半端な推理よりもむしろ迫り来る猛火による極限状況の中のギリギリのサスペンスにこそあり、そういう点で国名シリーズの中で最も面白い作品といえよう。
2008年9月4日に日本でレビュー済み
エラリー・クイーン"国名シリーズ"の中では私が一番好きな作品である。
作中、最もミステリアスな場面として記憶しているのは、双子が夜中、クイーンの前に始めて姿を見せる場面である。
「カニのような生き物が、横切るのが見えた・・・・」ということは、一体どういうことなのか。
悲しいかな、まさしくあのシャム双生児がクイーンの視界を横切ったということなのだが・・・・・
時を経て何度か読むに値する名作の一つには違いない。
作中、最もミステリアスな場面として記憶しているのは、双子が夜中、クイーンの前に始めて姿を見せる場面である。
「カニのような生き物が、横切るのが見えた・・・・」ということは、一体どういうことなのか。
悲しいかな、まさしくあのシャム双生児がクイーンの視界を横切ったということなのだが・・・・・
時を経て何度か読むに値する名作の一つには違いない。
2008年12月6日に日本でレビュー済み
謎の提出と解明についてだけだと評判の悪い本作だが、ダイイング・メッセージについては、SIXだけでも短編を書けるのではないだろうか。さらにそれをを地道な推理の積み重ねで次々ひっくり返していくのだから、やはりすばらしいと思う。ただ、最終的に真犯人を示す手がかりは弱く、せいぜいその可能性が最も高い、という程度にしか思えない。その意味では「読者への挑戦」を入れていないのも納得できる。それでも後になって考えてみればなるほど、そういうわけで…というところはあって、それはエラリー自身が説明してくれるのだが。
小説としてのおもしろさということで言えば、他の人も書いているとおり国名シリーズ中でもベストの1つだろう。
小説としてのおもしろさということで言えば、他の人も書いているとおり国名シリーズ中でもベストの1つだろう。