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鉄の神経お許しを 他全短編キャプテン・フューチャー全集11 (創元SF文庫) 文庫 – 2007/1/30
エドモンド・ハミルトン
(著),
野田 昌宏 他
(翻訳)
- 本の長さ608ページ
- 言語日本語
- 出版社東京創元社
- 発売日2007/1/30
- ISBN-104488637213
- ISBN-13978-4488637217
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登録情報
- 出版社 : 東京創元社 (2007/1/30)
- 発売日 : 2007/1/30
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 608ページ
- ISBN-10 : 4488637213
- ISBN-13 : 978-4488637217
- Amazon 売れ筋ランキング: - 757,096位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年7月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔々、まだ高校生の頃にキャプテン・フューチャーに出会って、野田大元帥に導かれるまま新書サイズのハヤカワSFシリーズからSF文庫まで読み集めていた頃を思い出します。その頃から40年程SFから遠ざかっている間に野田元帥は亡くなり、こんな全集が出ているとは(それも創元文庫から、、、、)、思いもよらず。新刊本での入手は、まず不可能と云うことでポツリポツリと中古市場を彷徨いながらの購入です。
2017年6月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小学1年生のときにアニメーションで見ましたが、同級生は誰も見ておらず、話しが全く盛り上がらなかったことを覚えています。人気がなかったためか数話で終わってしまい残念でした。懐古趣味でなんとなく小説を購入して読みましたが、古くてとても懐かしい感じで、どっぷりと昔のSF小説の世界に浸れました。
2022年9月8日に日本でレビュー済み
本書の次に刊行された野田御大の『風前の灯!冥王星ドーム都市』を含めて、『SFマガジン別冊/キャプテン・フューチャー・ハンドブック』が出たときに、本書の短篇はひと通り読んだのだが、トーンが暗めだなぁと感じた記憶がおぼろげながらあった。(もちろん話の内容は覚えていない……。)
当時は本国での出版時期など気にしていなかったので、漠然と長篇の合間に書かれていたのだろうと思っていた。ところがそうではなく、すべての短篇はハミルトンが書いた長篇最終作の『ラジウム怪盗団現る!』から四年も経ってから書かれていた……。その間にハミルトンスペオペの最高傑作『天界の王』が書かれているが、スペオペ全盛期はすでに去って、SFの主流が変わろうとしていた時期である。【注1】
といった訳で、今回はもう少し味読するつもりで読んだ。
ボーナス・トラックと言うには文量あり過ぎwの「フューチャーメンとその仲間たち 知られざるエピソード」も読み応えがあるが、その後の伊藤民雄の解説やハミルトン全作品リストもありがたい。
米本国を除いて、シリーズ全長短篇が訳された(しかも現在でも読める!)のは、世界広しと言えども日本だけというのがさすがである。野田御大の作品を加えれば、本国よりも多いw【注2】
日本での知名度は、もちろん野田昌宏の情熱なしに語ることはできないが、1978年のアニメ版の存在も、訳出コンプリートには大きく寄与したことであろう。
【注1】いわゆる御三家、アシモフ、クラーク、ハインラインに代表される作品群。
【注2】次点のドイツでは、なぜか『魔法の月の血闘』の一冊を除いた長篇全作が訳出されている。三位のスウェーデンは13作品とのこと。
当時は本国での出版時期など気にしていなかったので、漠然と長篇の合間に書かれていたのだろうと思っていた。ところがそうではなく、すべての短篇はハミルトンが書いた長篇最終作の『ラジウム怪盗団現る!』から四年も経ってから書かれていた……。その間にハミルトンスペオペの最高傑作『天界の王』が書かれているが、スペオペ全盛期はすでに去って、SFの主流が変わろうとしていた時期である。【注1】
といった訳で、今回はもう少し味読するつもりで読んだ。
ボーナス・トラックと言うには文量あり過ぎwの「フューチャーメンとその仲間たち 知られざるエピソード」も読み応えがあるが、その後の伊藤民雄の解説やハミルトン全作品リストもありがたい。
米本国を除いて、シリーズ全長短篇が訳された(しかも現在でも読める!)のは、世界広しと言えども日本だけというのがさすがである。野田御大の作品を加えれば、本国よりも多いw【注2】
日本での知名度は、もちろん野田昌宏の情熱なしに語ることはできないが、1978年のアニメ版の存在も、訳出コンプリートには大きく寄与したことであろう。
【注1】いわゆる御三家、アシモフ、クラーク、ハインラインに代表される作品群。
【注2】次点のドイツでは、なぜか『魔法の月の血闘』の一冊を除いた長篇全作が訳出されている。三位のスウェーデンは13作品とのこと。
2007年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
重いSFではなく、サラッと読める冒険活劇。
キャプテン・フューチャーに出会ったのは、
幼い頃に見たNHKのアニメだった。
放映されていたのは1978〜79年。
そうか、そんなに時間が経っていたのか。
そんな思いで手に取ったこの本だったが、
7編の短編と、17編のサイドストーリー、
600頁のボリュームもあっという間に
読み込んでしまえる充実した内容の1冊だ。
ごく単純な宇宙冒険活劇と言ってしまえば
それまでだけど、そんなワクワクドキドキが
楽しかった子供の頃に暫し引き戻してくれる。
脳だけになったサイモン博士が体を取り戻し、
そしてまた脳だけの体に戻ることを選んだ時、
「生身の人間の苦悩にはとても耐えられん!」
と彼は言う。 その苦悩こそが人なのだ。
キャプテン・フューチャーに出会ったのは、
幼い頃に見たNHKのアニメだった。
放映されていたのは1978〜79年。
そうか、そんなに時間が経っていたのか。
そんな思いで手に取ったこの本だったが、
7編の短編と、17編のサイドストーリー、
600頁のボリュームもあっという間に
読み込んでしまえる充実した内容の1冊だ。
ごく単純な宇宙冒険活劇と言ってしまえば
それまでだけど、そんなワクワクドキドキが
楽しかった子供の頃に暫し引き戻してくれる。
脳だけになったサイモン博士が体を取り戻し、
そしてまた脳だけの体に戻ることを選んだ時、
「生身の人間の苦悩にはとても耐えられん!」
と彼は言う。 その苦悩こそが人なのだ。
2009年5月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中学生から読み続けてきた「CFシリーズ」の最終版ともいえるこの本を見つけて感動しました。一時絶版になりあきらめていたので喜びもひとしお・・・開いてみるとそこは懐かしいCFの世界(^^♪でもその違いには驚きました。なんといっても、フューチャーメンの人間(?)くささや内面の葛藤がよく表されており、以前の軽快さはあまりなく、むしろ重々しい「小説」といった読後感でした。ハミルトン氏・リイブラケット女史も鬼籍に入り、CFシリーズの最新作とは二度と会えませんが、長年読み続けていた者にとっては、最後のそして納得のいく一冊でした。訳者の野田元帥には一言「ありがとう」と「ご苦労様でした」をお伝えしたいです。
2012年3月1日に日本でレビュー済み
105年前の1904年11月21日生まれのエドモンド・ハミルトンは、1977年に72歳で亡くなりましたが、その名前を口にするだけで胸がキュンとなってしまいます。
スペースオペラ、なんという懐かしいひびきでしょうか。小学生の頃、まだSFという言葉も知らなかったときに、火星シリーズや地底世界ペルシダーシリーズや太古世界キャスパックシリーズのエドガー・ライス・バローズとか、レンズマンシリーズのエドワード・エルマー・スミス(通称E・E・スミス)と同時に夢中になったのが、このエドモンド・ハミルトンのキャプテン・フューチャー・シリーズでした。
その頃の、それらを読んで空想して描いたマンガが残っていますが、それは熱狂的に愛読していた手塚治虫じゃなくて、どちらかというと小松崎茂の影響を圧倒的に受けたもので、驚くことにその中の幾つかは、まだ読んでいなかった諸星大二郎に酷似していました。
それはともかく、この雄大無限の魅力的なスペースオペラの大海原の中から抜け出すのはそうとう苦労しましたが、それはアイザック・アシモフの『暗黒星雲のかなたに』を読んだからです。
荒唐無稽な法螺話が悪いわけはありませんが、中学生くらいになると、やはりその中にも、ある程度以上のリアリティというかこじつけでも論理的な整合性がほしくなってきます。その欲求にピッタリ答えてくれたのがアシモフでした。
そして、未来の宇宙を駆け巡る銀河帝国の一大叙事詩のファウンデーションシリーズを読むことは、スペースオペラとの別離でもありました。
それから、ずらりと並んだアシモフの著作を踏破しつつ、あの『幼年期の終わり』『2001年宇宙の旅』のアーサー・チャールズ・クラークと、『夏への扉』『月は無慈悲な夜の女王』のロバート・アンスン・ハインラインへと読み進みましたが、この2人もスペースオペラを書いていますので、またしても、行きつ戻りつという感じでスペオペ漬けです。
それにしても、もうこの時期になると「読んでいる」という感じでしたが、やはりかつてのバローズとハミルトンの頃は、「見ている」という感じで、本から直接的にスグ映像になって、しかも自分自身が実際まぎれ込んでその中の登場人物として役割を演じているような錯覚に陥るほど、研ぎ澄まされた想像力を持っていたものだったなあと驚きます。
記述日 : 2009年11月21日 01:25:58
スペースオペラ、なんという懐かしいひびきでしょうか。小学生の頃、まだSFという言葉も知らなかったときに、火星シリーズや地底世界ペルシダーシリーズや太古世界キャスパックシリーズのエドガー・ライス・バローズとか、レンズマンシリーズのエドワード・エルマー・スミス(通称E・E・スミス)と同時に夢中になったのが、このエドモンド・ハミルトンのキャプテン・フューチャー・シリーズでした。
その頃の、それらを読んで空想して描いたマンガが残っていますが、それは熱狂的に愛読していた手塚治虫じゃなくて、どちらかというと小松崎茂の影響を圧倒的に受けたもので、驚くことにその中の幾つかは、まだ読んでいなかった諸星大二郎に酷似していました。
それはともかく、この雄大無限の魅力的なスペースオペラの大海原の中から抜け出すのはそうとう苦労しましたが、それはアイザック・アシモフの『暗黒星雲のかなたに』を読んだからです。
荒唐無稽な法螺話が悪いわけはありませんが、中学生くらいになると、やはりその中にも、ある程度以上のリアリティというかこじつけでも論理的な整合性がほしくなってきます。その欲求にピッタリ答えてくれたのがアシモフでした。
そして、未来の宇宙を駆け巡る銀河帝国の一大叙事詩のファウンデーションシリーズを読むことは、スペースオペラとの別離でもありました。
それから、ずらりと並んだアシモフの著作を踏破しつつ、あの『幼年期の終わり』『2001年宇宙の旅』のアーサー・チャールズ・クラークと、『夏への扉』『月は無慈悲な夜の女王』のロバート・アンスン・ハインラインへと読み進みましたが、この2人もスペースオペラを書いていますので、またしても、行きつ戻りつという感じでスペオペ漬けです。
それにしても、もうこの時期になると「読んでいる」という感じでしたが、やはりかつてのバローズとハミルトンの頃は、「見ている」という感じで、本から直接的にスグ映像になって、しかも自分自身が実際まぎれ込んでその中の登場人物として役割を演じているような錯覚に陥るほど、研ぎ澄まされた想像力を持っていたものだったなあと驚きます。
記述日 : 2009年11月21日 01:25:58
2007年2月27日に日本でレビュー済み
最初に「彼ら」に会ったのは、もう30年も昔だ。出会いは、兄の本棚だった。小学生から中学生になろうとしていた“ボク”は、すぐに「彼ら」に夢中になった。
太陽系の九つの惑星すべてに大気があり、様々な人々が住んでいる世界。サイクロトロンのエンジンを積んだ愛機:コメット号を操り、陽子(プロトン)銃を手に悪党と戦う「彼ら:フューチャーメン」。
人は「荒唐無稽」だとか「子供だまし」だとか「非科学的」というかもしれないが、「彼ら」の物語には確かに「未来(フューチャー)」があった。
気がつけば“ボク”は、もう「カーティス」の歳をとうの昔に越してしまった・・・。
(さすがにエズラ・ガーニーよりは年下だ)
もう一度、この本を呼んで、あの頃の“ボク”に戻るのも悪くない。
PS
アニメ版のエンディング曲(ポプラ通りの家)、とても好きでした(笑)。
太陽系の九つの惑星すべてに大気があり、様々な人々が住んでいる世界。サイクロトロンのエンジンを積んだ愛機:コメット号を操り、陽子(プロトン)銃を手に悪党と戦う「彼ら:フューチャーメン」。
人は「荒唐無稽」だとか「子供だまし」だとか「非科学的」というかもしれないが、「彼ら」の物語には確かに「未来(フューチャー)」があった。
気がつけば“ボク”は、もう「カーティス」の歳をとうの昔に越してしまった・・・。
(さすがにエズラ・ガーニーよりは年下だ)
もう一度、この本を呼んで、あの頃の“ボク”に戻るのも悪くない。
PS
アニメ版のエンディング曲(ポプラ通りの家)、とても好きでした(笑)。
2007年2月27日に日本でレビュー済み
何といっても本書の見所は“旧版(早川版)の焼き直しではない”ことでしょう。つまり“未訳もしくは単行本未収録だった、キャプテン・フューチャーの全短編がまとめられている”のです! まさしくファン垂涎の書と言えるでしょう。私なぞは<キャプテン・フューチャー全集>1の巻末にあった刊行予定を見て以来、2年半の間心待ちにしておりました。なかなか出ないので心配していましたが、遂に刊行され、感無量です。肝心の内容においても、期待を裏切らない本でした。
内容:
50年代に書かれた七つの短編……「キャプテン・フューチャーの帰還」、「太陽の子供たち」、「衛星タイタンの<歌い鳥>」、「鉄の神経お許しを」、「忘れじの月」、「もう地球人では……」、「<物質生成の場>の秘密」……がページ数の約6割を占めています。基本的に“暗いハミルトン”の作品です(もちろん「鉄の神経」を除く)が、長編とは違う趣きで楽しめます。
残り約4割のページが、主要キャラクターに焦点を当てた“掌編サイドストーリー”17本に割かれています。シリーズ本編では(間接的にしか)描かれなかった“グラッグ、オットー創造の経緯”、“サイモンが脳みそになった経緯”、“イイク、オーグがペットになった経緯”、“カーティス・ニュートンがC・Fとしてデビューした経緯”……などが詳細に語られます。
(追記)
巻末の一割弱を占める、伊藤民雄なる方(野田大元帥のお弟子さんか何かでしょうか?)による「解説」および「エドモンド・ハミルトン著作リスト」も労作です。特に後者は未訳/既訳、短編/長編を問わない全作品のリストでして、書誌学的に極めて貴重ですね。
内容:
50年代に書かれた七つの短編……「キャプテン・フューチャーの帰還」、「太陽の子供たち」、「衛星タイタンの<歌い鳥>」、「鉄の神経お許しを」、「忘れじの月」、「もう地球人では……」、「<物質生成の場>の秘密」……がページ数の約6割を占めています。基本的に“暗いハミルトン”の作品です(もちろん「鉄の神経」を除く)が、長編とは違う趣きで楽しめます。
残り約4割のページが、主要キャラクターに焦点を当てた“掌編サイドストーリー”17本に割かれています。シリーズ本編では(間接的にしか)描かれなかった“グラッグ、オットー創造の経緯”、“サイモンが脳みそになった経緯”、“イイク、オーグがペットになった経緯”、“カーティス・ニュートンがC・Fとしてデビューした経緯”……などが詳細に語られます。
(追記)
巻末の一割弱を占める、伊藤民雄なる方(野田大元帥のお弟子さんか何かでしょうか?)による「解説」および「エドモンド・ハミルトン著作リスト」も労作です。特に後者は未訳/既訳、短編/長編を問わない全作品のリストでして、書誌学的に極めて貴重ですね。