「不平等論」に火をつけた3人の学者と1人のジャーナリストが集まって鼎談をする前半部分は興味深い。私は4人の著作をすべて読んだことがあるが、得意なトピックを語る自著と違い、対話をすることによって、彼らの知識には穴が多く、社会認識にも著しい差があることが暴露される。とくに西欧社会について、彼らは非常に表面的なことしか知らない。米国体験の長い苅谷のみが、米国社会の学歴主義についてきちんと述べているのみである。
橘木が一人で書いた後半は持論を一本調子で述べるだけで退屈だった。一つ一つの分析に根拠となる文献やデータが提示されていないので、どこまで信じていいのかわからない。
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封印される不平等 単行本 – 2004/7/1
著者と斎藤貴男、佐藤俊樹、苅谷剛彦という各分野における「不平等」の第一人者が、不平等をめぐる今の日本社会の奇妙な「真空状態」、「さわりたくなさ」の正体を探る。
- ISBN-104492222510
- ISBN-13978-4492222515
- 出版社東洋経済新報社
- 発売日2004/7/1
- 言語日本語
- 本の長さ232ページ
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
封印される不平等
所得分配、貧富の格差、教育や職業の選択について、我が国では“平等”という大原則が失われつつあると論じる。例えば経済的な成功や女性の生き方などを「勝ち組と負け組」の一言で片づけてしまう今の風潮は、政府の失策や機会の不平等を助長する国全体の現実逃避だと指摘している。
所得分配、貧富の格差、教育や職業の選択について、我が国では“平等”という大原則が失われつつあると論じる。例えば経済的な成功や女性の生き方などを「勝ち組と負け組」の一言で片づけてしまう今の風潮は、政府の失策や機会の不平等を助長する国全体の現実逃避だと指摘している。
不平等を、統計の数字だけでは読み取ることはできない。著者はまず、ジャーナリストの斎藤貴男氏ら不平等論の論客との座談会で、水面下で進む不平等化の実態をあぶり出す。個の時代や自由競争をうたいながらも、その実日本人が向かっているのは旧ソ連型の中央統制社会だという意見まで飛び出す。著者自らは経済学者の立場から、所得分配の欠陥や「職業選択の機会の平等」が喪失した原因を解説する。
(日経ビジネス 2005/04/11 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画
内容(「MARC」データベースより)
日本の社会は今、大きく分断されつつある。どちらのグループからも広がりつつある日本の「機会不平等」は目を背けられ、「封印」されている。日本の不平等をめぐる奇妙な真空状態、「封印されている」状態を白日の下にさらす。
登録情報
- 出版社 : 東洋経済新報社 (2004/7/1)
- 発売日 : 2004/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 232ページ
- ISBN-10 : 4492222510
- ISBN-13 : 978-4492222515
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,281,354位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8,341位社会一般関連書籍
- - 25,131位社会学概論
- - 112,924位ビジネス・経済 (本)
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トップレビュー
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2005年11月19日に日本でレビュー済み
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2005年1月24日に日本でレビュー済み
本書は「平等」について扱っている。
既に「アメリカも学閥や階層の激しい社会である」「日本ももはや不平等社会」と認識している方にはあまり示唆的でないかもしれない。
この本をよむと、機会にせよ結果にせよ不平等化が進行しているという事実を指摘することはできても、ではどうしたらよいのかを議論するのは極めて難しいということを再認識させられる。論者各人の価値観、主観を交えた思い切った議論があまり見えないのは残念。
日本は人種や特定の集団に対する露骨な不平等があまり表出していない(といってよいだろう)社会なので、議論の焦点自体が見えにくいのかもしれない。
既に「アメリカも学閥や階層の激しい社会である」「日本ももはや不平等社会」と認識している方にはあまり示唆的でないかもしれない。
この本をよむと、機会にせよ結果にせよ不平等化が進行しているという事実を指摘することはできても、ではどうしたらよいのかを議論するのは極めて難しいということを再認識させられる。論者各人の価値観、主観を交えた思い切った議論があまり見えないのは残念。
日本は人種や特定の集団に対する露骨な不平等があまり表出していない(といってよいだろう)社会なので、議論の焦点自体が見えにくいのかもしれない。
2007年2月12日に日本でレビュー済み
不平等や格差問題について、大まかに知るためにはよい本だと思う。
こういったテーマについてもっと深く知りたい人は、議論のベースになっている佐藤氏や苅谷氏の本に当たってみることをおすすめする。
編著者の橘木氏も含め新書で読みやすいものが出されているので、この本を入り口にして他のものへと進んでいくとよいのでは。
こういったテーマについてもっと深く知りたい人は、議論のベースになっている佐藤氏や苅谷氏の本に当たってみることをおすすめする。
編著者の橘木氏も含め新書で読みやすいものが出されているので、この本を入り口にして他のものへと進んでいくとよいのでは。
2006年11月10日に日本でレビュー済み
封印されている不平等、すなわち「機会の平等」が保たれていないことを論じた本。
第2部は編者でもある橘木さんの理論的考察。少々紙上の空論のところもあるが、全体としては、議論展開も受け入れやすく、結論も穏当。
この本の特にいいところはむしろ第1部。格差問題について著書もある4人の識者の議論は面白い。この議論でわかったのは、「世の中はうまくいかない」ということ。機会の平等が保たれていないところもあるし、保たれていたとしても、日本のように特定の人だけだったり、スウェーデンのように断種政策を行ったところもあったりと、パラダイスは地上にはないんだな。あと、編者の橘木さんの間違いを間違いと認める率直さも好感を持った。
少々古いが、「機会の平等」を考えるにはいい本なので、星5つ。なお、第1部などは本書ではローマ数字表記だが、文字化けするので、普通の数字にした。
第2部は編者でもある橘木さんの理論的考察。少々紙上の空論のところもあるが、全体としては、議論展開も受け入れやすく、結論も穏当。
この本の特にいいところはむしろ第1部。格差問題について著書もある4人の識者の議論は面白い。この議論でわかったのは、「世の中はうまくいかない」ということ。機会の平等が保たれていないところもあるし、保たれていたとしても、日本のように特定の人だけだったり、スウェーデンのように断種政策を行ったところもあったりと、パラダイスは地上にはないんだな。あと、編者の橘木さんの間違いを間違いと認める率直さも好感を持った。
少々古いが、「機会の平等」を考えるにはいい本なので、星5つ。なお、第1部などは本書ではローマ数字表記だが、文字化けするので、普通の数字にした。
2005年3月31日に日本でレビュー済み
橘木、佐藤、苅谷、斎藤氏による対談が前半に収録され、後半では橘木氏による日本社会の素描がなされている。前半の対談ではいくつかの面白い指摘が暫見された。米国では歯医者に行ける人は少ない、ゆえに機会の平等すら疑わしいという苅谷氏の指摘、若者における勝ち組みと負け組みの区別が対人コミュニケーション力に依存しており、何らかの理由で疎外された者はその能力を築きにくいという佐藤氏の指摘などである。しかし後半の橘木氏による分析は、余りに陳腐である。確かに所得税率の変遷や先進国における貧困層の比率などの図表は、日本社会がどのようなものであるのか、についての根本的な指標である。そこまではいい。しかし以上のような数値を除外して一般理論を提示する5、6章は無意味だと思う(機会の平等は実現したほうがいいに決まっている、問題はそれを実現困難にする具体的問題群の方にある)。他にも特定の集団の心理を解明することで問題を片付けている点など批判される部分は多いように思えた。
2006年1月14日に日本でレビュー済み
◎機会の平等が確保できれば、結果の不平等は容認できるのか。それとも結果の不平等も一定範囲を超えれば容認できないのか。このような興味深い話を中心にして論じられている。
◎現在は金・権力のある人が上で、ない人が下というコンセンサスが強すぎる。昔の「教師」のように金も権力もないが人格で尊敬すべきであり、「職人」のように一つの事を極めれば尊敬されるという文化があれば、勝ち組・負け組という単純な区分けはなくなるであろう。
◎現在は金・権力のある人が上で、ない人が下というコンセンサスが強すぎる。昔の「教師」のように金も権力もないが人格で尊敬すべきであり、「職人」のように一つの事を極めれば尊敬されるという文化があれば、勝ち組・負け組という単純な区分けはなくなるであろう。
2005年3月12日に日本でレビュー済み
本書は「機会の不平等」について論じている。機会の不平等は、統計上では明らかになっているが、社会を動かしているエリート層はそれを直視していないという。自分がこうなれたのは実力ではなく、単に自分の生まれた環境が良かったからということを認めてしまうからである。誰でもチャンスはあるということを暗黙のうちの語っているのである。しかし、現実にはそうではない。裕福に育った人はそうでない人に比べて、良い教育を受けて、高い収入を得る確率は高くなるだろう。そういうことを考えると、まずは1人1人が「機会の不平等」の存在を素直に認めることが重要である。