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お寺の経済学 単行本 – 2005/2/1
中島 隆信
(著)
全国にコンビニの倍近くの約7万5000存在するお寺。一体お寺は何のために存在し、誰がどのような活動をしているのか。戒名や税金などを経済学的視点から鋭く分析し、将来像を描く。
- 本の長さ233ページ
- 言語日本語
- 出版社東洋経済新報社
- 発売日2005/2/1
- ISBN-104492313451
- ISBN-13978-4492313459
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商品の説明
抜粋
まずクイズを出そう。
「全国にコンビニエンス・ストアは何軒あるだろうか」。
答えは約4万だ。さすがにわれわれの生活になくてはならない存在だけのことはある。
それでは、次のクイズに移ろう。
「全国にあるお寺の数はどのくらいか」。
驚くなかれ、日本には7万5000ものお寺がある。……序章より
「全国にコンビニエンス・ストアは何軒あるだろうか」。
答えは約4万だ。さすがにわれわれの生活になくてはならない存在だけのことはある。
それでは、次のクイズに移ろう。
「全国にあるお寺の数はどのくらいか」。
驚くなかれ、日本には7万5000ものお寺がある。……序章より
登録情報
- 出版社 : 東洋経済新報社 (2005/2/1)
- 発売日 : 2005/2/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 233ページ
- ISBN-10 : 4492313451
- ISBN-13 : 978-4492313459
- Amazon 売れ筋ランキング: - 602,166位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2005年6月16日に日本でレビュー済み
本書のタイトルからカネにまつわる
ドロドロした内容を期待していたのですが、
仏教の歴史から始まり、宗派の違いなど
基礎知識の確認をした上で、
経済学・経営学の面から「お寺」の実態に迫っている。
空海や日蓮などの有名な僧侶が
江戸時代以後、歴史に名を残していないのは何故か
昔から疑問に思っていたのですが、
本書によって理解できました。
寺院経営という面から見れば好都合な「檀家制度」が
いつの間にか仏教の弱体化を招く一方、
それに気づいていながら脱却できないという
現代のお寺が抱える問題を非常にわかりやすく
説明してくれます。
お寺参りが趣味の私にとって謎だった部分が明らかになり、
大いに役立った一冊でした。
Amazonで購入
本書のタイトルからカネにまつわる
ドロドロした内容を期待していたのですが、
仏教の歴史から始まり、宗派の違いなど
基礎知識の確認をした上で、
経済学・経営学の面から「お寺」の実態に迫っている。
空海や日蓮などの有名な僧侶が
江戸時代以後、歴史に名を残していないのは何故か
昔から疑問に思っていたのですが、
本書によって理解できました。
寺院経営という面から見れば好都合な「檀家制度」が
いつの間にか仏教の弱体化を招く一方、
それに気づいていながら脱却できないという
現代のお寺が抱える問題を非常にわかりやすく
説明してくれます。
お寺参りが趣味の私にとって謎だった部分が明らかになり、
大いに役立った一冊でした。
2024年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なるほどと思わせてくれました。確かに著者の視点で理解すると、お寺に纏わる様々な事象が説明できますね。
2005年3月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
寺院関係者、必読の本である。日本仏教の現在を、歴史を振り返りつつ、基本的な法制度をふまえて、社会事象を説明する最も合理的な分析道具である経済学を駆使しながら、細かに検討していく。お寺の法的な位置づけと、その社会的役割の解読、檀家制度のメカニズム、本山の存在意義の確認、税制度の評価、現代の葬祭業者との関係などなど、研究書や取材で得られた豊富な情報にもとづいて、様々な角度から光をあてていく。「お寺コンサルティング」といった趣である。また、将来への展望をたてるためのモデル・ケースとして、少し特殊な沖縄の仏教がおかれている状況を紹介し、示唆的な考察を行っている。最後に、これからのお寺の進むべき道をいくつか例示し、あるいは檀家制度を一度チャラにしたればこそ、日本人の未来のための、しっかりした信仰が生まれてくるのではないか、と問いかける。
一般の人でも、少しでも仏教に興味があれば、けっこうおもしろい本だろう。実に新鮮な「仏教入門書」なのである。著者は経済学者として、本書を執筆するにあたって、一から仏教を学び始めたそうだが、かなり本質をついた理解の仕方なのでは、と思わせる記述が、少なくない。たとえば、お寺が「公益性のあるサービス」を提供しているか否かをみる基準のひとつとして、僧侶の仕事に対して、私たちが心から「ありがとうございました」と言えるか、というのがあげられている。そこでは大乗仏教の骨子である「菩薩行」の真実が、「お布施」の本当の意味が、ためされているのである、と著者は確信して主張するのである。他にも、仏教と経済学が多様に交わるところで、著者の卓見が光る。
一般の人でも、少しでも仏教に興味があれば、けっこうおもしろい本だろう。実に新鮮な「仏教入門書」なのである。著者は経済学者として、本書を執筆するにあたって、一から仏教を学び始めたそうだが、かなり本質をついた理解の仕方なのでは、と思わせる記述が、少なくない。たとえば、お寺が「公益性のあるサービス」を提供しているか否かをみる基準のひとつとして、僧侶の仕事に対して、私たちが心から「ありがとうございました」と言えるか、というのがあげられている。そこでは大乗仏教の骨子である「菩薩行」の真実が、「お布施」の本当の意味が、ためされているのである、と著者は確信して主張するのである。他にも、仏教と経済学が多様に交わるところで、著者の卓見が光る。
2006年4月9日に日本でレビュー済み
最初に断りがあるが、お寺がどういう収支でやっているか・やっていくべきかを記したものではない。そうではなくて、経済学的な視点から書かれた仏教の歴史とお寺の現在、そして展望である。経済学的知見は興味深いものがあるが、仏教の通史的な部分はよくある仏教入門とあまり変わらない。
結論で著者は、お寺はお墓を切り離すこと、檀家制度を解消することを唱えている。そして信教の選択をしやすくした上で、質で勝負すべきだと。お寺に経済性を求めることの必要性は私も感じるが、死者を考慮に入れずに生きている人だけの救済を強調する従来の仏教原理主義・葬式仏教批判の枠を出ていない。
死者こそ、生きる者の道標となる。死から目をそらさないことが、宗教か見せかけの宗教かを分けるのではないだろうか。
結論で著者は、お寺はお墓を切り離すこと、檀家制度を解消することを唱えている。そして信教の選択をしやすくした上で、質で勝負すべきだと。お寺に経済性を求めることの必要性は私も感じるが、死者を考慮に入れずに生きている人だけの救済を強調する従来の仏教原理主義・葬式仏教批判の枠を出ていない。
死者こそ、生きる者の道標となる。死から目をそらさないことが、宗教か見せかけの宗教かを分けるのではないだろうか。
2010年3月25日に日本でレビュー済み
タイトル通り、お寺にまつわるものを経済的視点で書かれている。
タイトル通りで満足。ただ装丁が……と思ってしまった。
内容はおもしろいです。
タイトル通りで満足。ただ装丁が……と思ってしまった。
内容はおもしろいです。
2008年7月7日に日本でレビュー済み
お寺をめぐるアレコレを経済学的視点(必ずしも厳密な経済学的視点ってわけじゃないけど)
からいろいろ紹介してくれる一冊。
檀家制度や本末制度といった制度やお寺やお坊さんの金銭的実態から沖縄の仏教事情や
葬儀の今後の動向まで、非常に幅広いトピックが扱われていて、盛りだくさん。
本書を強く推奨したい理由は3つ。
その1。
よくわからない業界の中の人が何をやっているのか、その概略を、外の人にもわかりやすく紹介
するものが、いろんな業界について、肯定的なものも否定的なものも、たくさん公開されること
は、きっと世の中を風通し良くすると思っています。その好適な一例として。
その2。
宗教社会学の新しい記述項目のアジェンダとして。
制度への適応形態、組織としての財務状況、地域的偏差といった本書で扱われた内容は、
別のテーマ、別の組織、別の集団を調査するにあたってもアジェンダとして利用可能です。
蛇足ながら、著名な社会学者によるものあっても、宗教の教義学と宗教社会学を混同し、
実態の記述と本人の思い描く理想の吐露を区別しない呆れた代物が多い中(誰とはいいま
せんが東京工業大学の人)、本書は、教義と社会の中での様態をきちんと峻別している良
い例。
その3。
制度設計の強力さを認識する意味で。
その抽象的原理の部分で「宗教>社会」である面は否定できないまでも、実態としては「宗
教<社会」であることを踏まえつつ、平安以前の鎮護国家としての仏教から江戸期の檀家
仏教まで、そして戦後の宗教法人法以後などなど、制度設計が、その制度に適応していく
個々の組織の形式からその正当化までに、いかに大きく影響したことか。
この点でも、思いの吐露ではなく、正しく状況を記述することの圧倒的優位性が仄見えつつ、
「制度設計」の激しい力を目の当たりにするものとして。
『大相撲の経済学』などと比較すると、ソースが聞き取りであるせいか、経済学的ツールの威
力はかなり控えめではありますが、たいへん面白く考えさせられる一冊です。
からいろいろ紹介してくれる一冊。
檀家制度や本末制度といった制度やお寺やお坊さんの金銭的実態から沖縄の仏教事情や
葬儀の今後の動向まで、非常に幅広いトピックが扱われていて、盛りだくさん。
本書を強く推奨したい理由は3つ。
その1。
よくわからない業界の中の人が何をやっているのか、その概略を、外の人にもわかりやすく紹介
するものが、いろんな業界について、肯定的なものも否定的なものも、たくさん公開されること
は、きっと世の中を風通し良くすると思っています。その好適な一例として。
その2。
宗教社会学の新しい記述項目のアジェンダとして。
制度への適応形態、組織としての財務状況、地域的偏差といった本書で扱われた内容は、
別のテーマ、別の組織、別の集団を調査するにあたってもアジェンダとして利用可能です。
蛇足ながら、著名な社会学者によるものあっても、宗教の教義学と宗教社会学を混同し、
実態の記述と本人の思い描く理想の吐露を区別しない呆れた代物が多い中(誰とはいいま
せんが東京工業大学の人)、本書は、教義と社会の中での様態をきちんと峻別している良
い例。
その3。
制度設計の強力さを認識する意味で。
その抽象的原理の部分で「宗教>社会」である面は否定できないまでも、実態としては「宗
教<社会」であることを踏まえつつ、平安以前の鎮護国家としての仏教から江戸期の檀家
仏教まで、そして戦後の宗教法人法以後などなど、制度設計が、その制度に適応していく
個々の組織の形式からその正当化までに、いかに大きく影響したことか。
この点でも、思いの吐露ではなく、正しく状況を記述することの圧倒的優位性が仄見えつつ、
「制度設計」の激しい力を目の当たりにするものとして。
『大相撲の経済学』などと比較すると、ソースが聞き取りであるせいか、経済学的ツールの威
力はかなり控えめではありますが、たいへん面白く考えさせられる一冊です。
2010年12月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
発売から5年を経て、2010年、文庫化されました。
大きく加筆されていますので、今から購入する方は文庫の方をどうぞ。
住職(宗教法人の代表役員)、僧侶、門信徒など、お寺に直接関係する人だけでなく、産業としての仏壇・仏具、法衣、墓石、葬祭業などに従事する人も必読。
大きく加筆されていますので、今から購入する方は文庫の方をどうぞ。
住職(宗教法人の代表役員)、僧侶、門信徒など、お寺に直接関係する人だけでなく、産業としての仏壇・仏具、法衣、墓石、葬祭業などに従事する人も必読。
2010年7月11日に日本でレビュー済み
檀家制度
「江戸時代は職業選択の自由がなく、人の移動も制限されていた。
幕府は後に檀家による菩提寺への定期的な参拝や布施を義務化したため、
寺院にとっては他へ絶対に移らない顧客を獲得し、安定した財政基盤を得ることとなった。
お寺は行政機関の仕事を肩代わりすることの見返りとして収入の安定を得たのである」
「幕府が恐れたのは、現状に不満を持った人々が信仰を求心力として結束し、政権に対抗することだった。
大衆を結束させないための最も有効で効率的な方法は、日本人から信仰心を取り去ってしまうことだ。
檀家制度はまさにその役割を果たしたといえる。檀家制度によって住民は檀家として近隣のお寺に縛り付けられた」
→ 「まず、信者サイドにしてみれば、信仰を選択することができなくなる。政府から強制的に供与され、
しかも自分の意思で選べない財・サービスに対して誰が関心を持つだろうか。
他方、お寺(宗門)サイドにとって、檀家制度は常に安定した顧客を保証してくれる。
現状維持を確約されれば、どのような事業者であっても進取の精神を失っていくだろう。
こうした状況が約260年も続いたのである。しばしば日本人に宗教心がないといわれる原因はここにある。
お寺を弾圧するのではなく、飴を与えて骨抜きにする。
保護政策というものがいかに産業を駄目にするかの典型例である」
←「徳川幕府が採用した一種の宗教政策は、日本の宗教とりわけ仏教を骨抜きにした」
「こうした仏教寺院に対する潜在的な不満が明治維新後に爆発する」
史実・仏教伝来(飛鳥時代)を学んだ身に、四法印が沁みる・・・
諸行無常、諸法無我、一切皆苦・・・、日本仏教それ自体の「涅槃寂静」は何時になることやら・・・
「江戸時代は職業選択の自由がなく、人の移動も制限されていた。
幕府は後に檀家による菩提寺への定期的な参拝や布施を義務化したため、
寺院にとっては他へ絶対に移らない顧客を獲得し、安定した財政基盤を得ることとなった。
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「幕府が恐れたのは、現状に不満を持った人々が信仰を求心力として結束し、政権に対抗することだった。
大衆を結束させないための最も有効で効率的な方法は、日本人から信仰心を取り去ってしまうことだ。
檀家制度はまさにその役割を果たしたといえる。檀家制度によって住民は檀家として近隣のお寺に縛り付けられた」
→ 「まず、信者サイドにしてみれば、信仰を選択することができなくなる。政府から強制的に供与され、
しかも自分の意思で選べない財・サービスに対して誰が関心を持つだろうか。
他方、お寺(宗門)サイドにとって、檀家制度は常に安定した顧客を保証してくれる。
現状維持を確約されれば、どのような事業者であっても進取の精神を失っていくだろう。
こうした状況が約260年も続いたのである。しばしば日本人に宗教心がないといわれる原因はここにある。
お寺を弾圧するのではなく、飴を与えて骨抜きにする。
保護政策というものがいかに産業を駄目にするかの典型例である」
←「徳川幕府が採用した一種の宗教政策は、日本の宗教とりわけ仏教を骨抜きにした」
「こうした仏教寺院に対する潜在的な不満が明治維新後に爆発する」
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諸行無常、諸法無我、一切皆苦・・・、日本仏教それ自体の「涅槃寂静」は何時になることやら・・・