過去の経済学者が、自分たちの生きた時代が直面していた問題に対して、どのように取り組んだのか? そのような取組みからどのような教訓が導かれるのか? このような問いに対する具体的かつ詳細な話題の提供と分析を期待していたが、残念ながら「外れ」。
現在、問題となっている経済問題も、過去にあった問題と類似したケースであることは少なくない。つまり、深刻になっている現代の経済問題も、過去を振り返ってみると別段新しいものではないのである。本書はそのような「過去」と「現在」のリンクを試みる点で、時宜に適ったものであろう。したがって、経済学をある程度勉強してきて、現実の経済問題についても考えてみたいと思っている人には、本書はその手がかりを提供してくれるし、「文献案内」としても活用できると思う。
しかし、一読した限りでは、著者はスミス、リカードをはじめとする経済学の古典を丹念に読破したとは思えない。そのせいか、全体的には「薄っぺらい」印象を受ける。著者の意図・問題意識は伝わってくるが「俄仕込み」で「チョイ聞き・また聞き」の範囲を出ていない感じがする。そのため、読後に何ともいえぬフラストレーションを覚える。
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経済学者たちの闘い: エコノミックスの考古学 単行本 – 2003/2/1
若田部 昌澄
(著)
過去の経済学者たちが当時の経済問題にどのように取り組んだのかを明らかにして、今日の経済問題を考える道筋を示す。経済用語には解説がついており初学者にも最適。
- ISBN-104492370978
- ISBN-13978-4492370971
- 出版社東洋経済新報社
- 発売日2003/2/1
- 言語日本語
- 本の長さ312ページ
商品の説明
メディア掲載レビューほか
*経済学者たちの闘い*
経済学史の専門家である著者が、歴史上、注目すべき経済学者の業績を解説する。猪瀬直樹氏が編集長を務めるメールマガジン「日本国の研究」に連載したコラムを加筆・再構成した。
経済学史の専門家である著者が、歴史上、注目すべき経済学者の業績を解説する。猪瀬直樹氏が編集長を務めるメールマガジン「日本国の研究」に連載したコラムを加筆・再構成した。
デフレ下にある現在の日本では、中央銀行である日銀の責任が取り沙汰される。中央銀行の責任という問題は歴史上、繰り返し論じられてきた。約200年前の英国では、ヘンリー・ソーントンやデイヴィッド・リカードウといった論者が、当時起きたインフレへの対応について、イングランド銀行の責任を厳しく追及した。民間銀行の1つだったイングランド銀行に対し、「最後の貸し手」として資金を提供し続けることを主張。「中央銀行」とその責任という考え方を根づかせるきっかけになったという。
2年前、日本は中国の農産品3品に対して緊急輸入制限措置(セーフガード)を発動し、議論を呼んだ。18世紀の英国でも、貿易に対して政府の介入を求める論調があったが、デイヴィッド・ヒュームやアダム・スミスはこれを徹底して批判した。国家による不要な干渉こそが経済を歪め、輸出の奨励や輸入の制限は経済に悪影響をもたらすと説いた。経済学史の一端を紹介しながら、現代にも通じる教訓を学ぶ趣向が凝らされている。
(日経ビジネス2003/2/17Copyright©2001日経BP企画..Allrightsreserved.)
-- 日経BP企画
内容(「MARC」データベースより)
過去の経済学者たちが当時の「経済問題」にどのように取り組んだのかを明らかにすることで、今日の「経済問題」を考える道筋を示す。経済用語には解説がついており初学者にも最適。
登録情報
- 出版社 : 東洋経済新報社 (2003/2/1)
- 発売日 : 2003/2/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 312ページ
- ISBN-10 : 4492370978
- ISBN-13 : 978-4492370971
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,212,971位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 986位経済思想・経済学説 (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2003年5月29日に日本でレビュー済み
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2003年3月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
経済学の歴史学びながら,理論も学べる。さらに,後ろの,参考文献がいい。ただし,マルクスに関する記述なし。また参考文献の中に絶版の本あるので注意。
2003年12月24日に日本でレビュー済み
どの世界でも、古典は大事だ、と言われる。
実際、経済学に限らずあらゆる分野で古典は今にも通じる重要な論点を説き明かしてくれることが多い。よっていろいろな問題に直面したときに古典にいったん立ち返って「今」を考える作業は時に有益である。
だが、古典はあくまで古典でもある。古典の考え方に囚われて「今」を見ると、新しい動き、今まで見過ごしてきた動きなどを見誤る場合が多い。特に経済学のような発展途上の学問では、今でも日々新しい理論が生まれ淘汰されている。
この本は古典的な経済学理論の役割を強調する反面、最先端の経済学で注目を集めているような論点についてほとんど触れられていない。特に80年代以降に経済学研究の主流になったともいえる契約理論、ゲーム理論、制度経済学、などについてほとんど一言も触れられないまま「今」の日本経済について強い論調で論じているのは驚きですらある(80年代以降のそのような動きを経済学の「静かなる革命」と呼ぶ人までいる)。
金融機関の機能とマクロ経済との関係、各種の情報非対称性と新しい形の「市場機能の萎縮」など、「いまだ通説が確立していないから」という理由だけで無視し、古典的(入門レベルの教科書的)な理論に固執し教科書的な処方箋のみを是とするならば、現段階で実用性がないほど未熟だと酷評される経済学は永遠に進歩しませんぞ。(経済学は、経済危機とともに発展し、新たな理論を生み出してきたのでは。)
実際、経済学に限らずあらゆる分野で古典は今にも通じる重要な論点を説き明かしてくれることが多い。よっていろいろな問題に直面したときに古典にいったん立ち返って「今」を考える作業は時に有益である。
だが、古典はあくまで古典でもある。古典の考え方に囚われて「今」を見ると、新しい動き、今まで見過ごしてきた動きなどを見誤る場合が多い。特に経済学のような発展途上の学問では、今でも日々新しい理論が生まれ淘汰されている。
この本は古典的な経済学理論の役割を強調する反面、最先端の経済学で注目を集めているような論点についてほとんど触れられていない。特に80年代以降に経済学研究の主流になったともいえる契約理論、ゲーム理論、制度経済学、などについてほとんど一言も触れられないまま「今」の日本経済について強い論調で論じているのは驚きですらある(80年代以降のそのような動きを経済学の「静かなる革命」と呼ぶ人までいる)。
金融機関の機能とマクロ経済との関係、各種の情報非対称性と新しい形の「市場機能の萎縮」など、「いまだ通説が確立していないから」という理由だけで無視し、古典的(入門レベルの教科書的)な理論に固執し教科書的な処方箋のみを是とするならば、現段階で実用性がないほど未熟だと酷評される経済学は永遠に進歩しませんぞ。(経済学は、経済危機とともに発展し、新たな理論を生み出してきたのでは。)
2006年8月14日に日本でレビュー済み
本書は徹頭徹尾「闘い」の書です。経済学の「専門知」を根拠なく疑問視し代わりにいい加減な「一般知」を振りかざし日本経済を窮地に追い込む素人への、そしてそのような素人に媚を売り経済学を蔑する言説を振り撒く似非エコノミスト達への。
本書は「バブル経済」の名を後世に残したイギリスの経済事件にはじまり、ヒューム、リカードウからケインズに至るまで、当時の経済危機やそれに対する蔓延した俗説に対して、彼らが如何に戦ったかをコンパクトに描いている訳ですが、その多くが今日でも十分論点になり得るものばかりなのは偶然ではありません。すなわち、ヒュームは「貿易が国内産業を圧迫し国民経済を窮乏化させる」という俗論と、リカードウは「最後の貸し手」たる中央銀行の責任についてモラルハザードの蔓延を怖れる声と、そしてケインズはデフレ下でなおデフレを促進させる政策(旧平価での金本位制への復帰)と闘ったのです。彼等の多くは多勢に無勢で敗れはしましたが、その闘いを通じて自由貿易、中央銀行等、現在私たちが享受している多くの制度を後世に残すことに成功しました。経済学者が持った文字どおりの「経世済民」への熱き想いと、彼等が取り組んだ問題と解答が平成日本においてアクチュアルであることを示したい著者の考えが結合して、出色の書と成りました。詰まらない揚足取りに囚われず一気に読み下したい1冊です。
本書は「バブル経済」の名を後世に残したイギリスの経済事件にはじまり、ヒューム、リカードウからケインズに至るまで、当時の経済危機やそれに対する蔓延した俗説に対して、彼らが如何に戦ったかをコンパクトに描いている訳ですが、その多くが今日でも十分論点になり得るものばかりなのは偶然ではありません。すなわち、ヒュームは「貿易が国内産業を圧迫し国民経済を窮乏化させる」という俗論と、リカードウは「最後の貸し手」たる中央銀行の責任についてモラルハザードの蔓延を怖れる声と、そしてケインズはデフレ下でなおデフレを促進させる政策(旧平価での金本位制への復帰)と闘ったのです。彼等の多くは多勢に無勢で敗れはしましたが、その闘いを通じて自由貿易、中央銀行等、現在私たちが享受している多くの制度を後世に残すことに成功しました。経済学者が持った文字どおりの「経世済民」への熱き想いと、彼等が取り組んだ問題と解答が平成日本においてアクチュアルであることを示したい著者の考えが結合して、出色の書と成りました。詰まらない揚足取りに囚われず一気に読み下したい1冊です。
2004年1月10日に日本でレビュー済み
日本の経済誌を読むとお仲間の評価は高いようですが、私はここの人と似たような印象を受けました。この本は買うかどうか迷っている人はまず巻末の引用文献を見てみましょう。そこには未出版のWorking Paper等はおろか、2000年以降の英文の主要経済誌(QJE、AER、JPEなど)が一つも引用されてません。それどころか、90年代以降のものもほとんど皆無。それで今の日本で行われてる経済論争(例のリフレ派vs構造改革派とかいう単純図式化されたくだらない奴)や開発経済論をばっさりやってるのだからまさに暴挙。アジア経済危機などの後、あれだけ日本経済や開発経済にrelevantなミクロベースのマクロ政治経済分析が学界や各経済誌で行われているのに・・・ 。たとえば著者のように、「市場の失敗」vs「政府の失敗」などという30年前の単純図式で開発主義を断じたりしたら、今の米国の経済学界では相手にされませんよ。単にハイルブロイラーみたいに過去の経済学者たちの思想を整理する本であればそれなりに有益だったかもれないが、最近の研究も概観しないで、古典(それとたまに日本語で出された経済本)の素養だけで現代経済を断じるのは本末転倒。著者が敬愛するケインズも、ヒックスが数理的な基礎を与えるまでは、古典派経済学者にバカにされ、忌み嫌われ、トンデモ扱いされていたことをお忘れなく。
2003年7月7日に日本でレビュー済み
経済学史を専門とする筆者の手による本書。
通常の学史の本とは一線を画す読み安さになっている。
それは、ただ学説を網羅的、時代順に扱うのではなく
現代に繋がるという視点で選び出しているからだろう。
この点は、本書がもともとは連載物であったことと無関係ではない。
学史を学ぼうと考える人には入門の入門。
ただし、本書では抜け落ちている重要な学説もあるので注意が必要。
それ以外の人には、現代経済を考える上でも
過去の歴史が非常に重要である事を思い起こさせてくれる良書となる。
通常の学史の本とは一線を画す読み安さになっている。
それは、ただ学説を網羅的、時代順に扱うのではなく
現代に繋がるという視点で選び出しているからだろう。
この点は、本書がもともとは連載物であったことと無関係ではない。
学史を学ぼうと考える人には入門の入門。
ただし、本書では抜け落ちている重要な学説もあるので注意が必要。
それ以外の人には、現代経済を考える上でも
過去の歴史が非常に重要である事を思い起こさせてくれる良書となる。