経済学の入門ではなくて、経済思想の指南書です。それもテーマを現代日本の不況対策としつつ、それを論ずるために戦後日本の経済思想から掘り起こして説いています。また、著者自身の執筆動機、批判のための批判ではなく、生産性のある批判をめざす、という実学主義にもとづく文系論も語られています。
戦後日本の経済思想では講座派、労農派、市民社会派、構造改革と80年代の新自由主義化の違い、左翼の思想的動向とポジションをその時代背景と絡めてじつに要領よく、また親しみやすい文章で書いています。
著者の執筆動機では、現代の文系インテリ的世界を批判のための批判に終始していると一刀両断しています。門外漢から見ると何が何やらよくわからないほど混沌としているそ日本の文系インテリ界について、わかりやすい見取り図のひとつを提供してくれたという点ではとても面白かったです。
ただし、本著は数式を一切含めずに初学者にやさしい経済学の本だというのを売りにしていると思いますが、経済学に数学は不可分のものであり、数式等を一切ぬきに説明されるとかえって分かりにくかったです。
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経済学という教養 単行本 – 2004/1/10
稲葉 振一郎
(著)
経済学の専門家ではない一般読者向けに、気鋭の社会思想研究家である著者が、市民として生きていく上で最低限必要な「教養としての経済学」を解く。
- 本の長さ301ページ
- 言語日本語
- 出版社東洋経済新報社
- 発売日2004/1/10
- ISBN-104492394230
- ISBN-13978-4492394236
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
経済学の専門家になるつもりは全くない「素人」向けに、気鋭の社会思想研究家が、市民として生きていく上で最低限必要な「教養としての経済学」を解説。ウェブマガジン『HOTWIRED JAPAN』連載をもとにまとめる。
登録情報
- 出版社 : 東洋経済新報社 (2004/1/10)
- 発売日 : 2004/1/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 301ページ
- ISBN-10 : 4492394230
- ISBN-13 : 978-4492394236
- Amazon 売れ筋ランキング: - 933,451位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 5,939位経済学・経済事情
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上位レビュー、対象国: 日本
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2010年7月24日に日本でレビュー済み
労働賃金を自由に下げられれば失業なんて発生しないんですよというミクロ経済学。
そんなことを言ってもむりだから、公共事業をやったり金融政策を行ったりして政策的にインフレを起こし、名目賃金が下げられなくても実質賃金を政策的に下げていくというやりかたでがまんしましょうよというのがケインジアン。
しかし、不況とは人々や企業が具体的なモノ・サービスよりも貨幣の「何でも買える力」という融通無碍な力を欲する「流動性選好」が強まったことによりおきるものであると考える説では、労働賃金の硬直性による価格硬直性がが解消しても、有効需要不足はなくならないp.82。
これを解消するには、「人々があえて財布のヒモをゆるめて買いたいと思うような魅力的な商品がないp.83」状態を「新しいモノ・サービスの開発とそのビジネスの立ち上げp.83」によって変えていくことがカギになり、それは正当説では自由競争が、異端説では産業政策がそれを促すことが期待される。
しかし、そもそも「不確実性から身を守るためp.84」に人々の流動性選好があるのであれば、人々の期待の質が変わり、大胆にモノを買い、投資をすることでしか不況は解消しないのだから、「通常の経済政策手段によってこういう目標を実現することはできそうにない。p.89」という説もある。
自然科学と異なり、経済学ではそれぞれの学者・エコノミストたちがそれぞれ様々な説を述べていて、一向に意見が一致してこないのだが、議論の土台となっている部分は共通の認識がかなりあることがわかる。
経済学の説の中には結構我々の実感と近い考え方の説もあるということがわかりほっとする。大量の推薦文献も学習の手引きとなる。
そんなことを言ってもむりだから、公共事業をやったり金融政策を行ったりして政策的にインフレを起こし、名目賃金が下げられなくても実質賃金を政策的に下げていくというやりかたでがまんしましょうよというのがケインジアン。
しかし、不況とは人々や企業が具体的なモノ・サービスよりも貨幣の「何でも買える力」という融通無碍な力を欲する「流動性選好」が強まったことによりおきるものであると考える説では、労働賃金の硬直性による価格硬直性がが解消しても、有効需要不足はなくならないp.82。
これを解消するには、「人々があえて財布のヒモをゆるめて買いたいと思うような魅力的な商品がないp.83」状態を「新しいモノ・サービスの開発とそのビジネスの立ち上げp.83」によって変えていくことがカギになり、それは正当説では自由競争が、異端説では産業政策がそれを促すことが期待される。
しかし、そもそも「不確実性から身を守るためp.84」に人々の流動性選好があるのであれば、人々の期待の質が変わり、大胆にモノを買い、投資をすることでしか不況は解消しないのだから、「通常の経済政策手段によってこういう目標を実現することはできそうにない。p.89」という説もある。
自然科学と異なり、経済学ではそれぞれの学者・エコノミストたちがそれぞれ様々な説を述べていて、一向に意見が一致してこないのだが、議論の土台となっている部分は共通の認識がかなりあることがわかる。
経済学の説の中には結構我々の実感と近い考え方の説もあるということがわかりほっとする。大量の推薦文献も学習の手引きとなる。
2005年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
経済学は門外漢です。ので、感想文程度。
読者としては、いまだに若干不安定感を感じる稲葉氏の啓蒙書。ただしかし、救われたところがあるのは事実なのですよ、著者のいう「ヘタレ中流インテリ」としては。中流国立大文学部で、自家中毒に陥ってた身としては。少なくとも、(この内容が空論かどうか判断つきませんが)誰かがやらんといかん本では「あった」と思います。
癒し系です。自己を肯定してくれる書です。そんな本に励まされてしまった自分は、確かにヘタレと自覚した次第。で、何となく前向きになってみたりしたんです。
読者としては、いまだに若干不安定感を感じる稲葉氏の啓蒙書。ただしかし、救われたところがあるのは事実なのですよ、著者のいう「ヘタレ中流インテリ」としては。中流国立大文学部で、自家中毒に陥ってた身としては。少なくとも、(この内容が空論かどうか判断つきませんが)誰かがやらんといかん本では「あった」と思います。
癒し系です。自己を肯定してくれる書です。そんな本に励まされてしまった自分は、確かにヘタレと自覚した次第。で、何となく前向きになってみたりしたんです。
2007年9月18日に日本でレビュー済み
単なる経済入門書と思って読むとかなりジャンルが違う。
いきなり書き出しから、ポストモダーン、左翼、マルクス資本論とか飛び出してきて、そういった社会派というか、不平等社会に対抗して、とかの問題意識を持ってないとちょっとついていくのは難しい。
そういった意味で、素人のための経済学、ではなくて、”社会派思想家のための経済学”の観点でとらえないと背負い投げをくらってしまう。
ビジネスマンのための経済学を期待するなら、ジャンル違いだ。
いきなり書き出しから、ポストモダーン、左翼、マルクス資本論とか飛び出してきて、そういった社会派というか、不平等社会に対抗して、とかの問題意識を持ってないとちょっとついていくのは難しい。
そういった意味で、素人のための経済学、ではなくて、”社会派思想家のための経済学”の観点でとらえないと背負い投げをくらってしまう。
ビジネスマンのための経済学を期待するなら、ジャンル違いだ。
2006年11月13日に日本でレビュー済み
著者は「市場とは本来的に共存共栄の場であり、弱肉強食の場となるのは縮小局面」という立場から、「市場経済内の不平等は重要性が低い。マクロ的不況の回避こそ市場経済が社会状態をパレート的に改善できる前提」(p260)と結論するが、これは同じ著者の『「資本」論』でのロックvsホッブスの対立構図と同型。ロック的自然状態が「無限の大地」を前提したように、共存共栄の場としての市場は「無限の時間と資源」を前提とし、この前提は「技術水準の無限の向上」に賭けることでしか維持できないだろう。
これに対するエコ派的な批判には、著者は歴史的経験に立って、退却路線が前進路線以上に悲惨な事態を招来する可能性を論じるだろう。仮に倒れるにしても前のめりに、という話で、ここには根深い世界観の対立が横たわっている。
ただ現今の不況の原因を不完全な市場、革新の不足、貨幣的な要因のいずれに求めるかの本書での議論は、決定的ではない印象。著者はニューエコノミーの蹉跌を貨幣的要因論の根拠とするが、ニューエコノミー論そのものが駄ボラだったのではないか?
景気浮揚の方策については、著者は「貨幣的ケインジアン」の立場から公共政策の問題とするが、他方で労働組合の賃上げ運動がもたらしうるリフレ効果にも言及し、ハッパをかけている。個人としてなしうる領分を確保したいという著者の意図は理解できるが、しかし労働組合だって実質的には公共セクターだろう。私としてはあまり元気が出ない。
著者の言うように個人的行為の重みがせいぜい投票用紙1枚分だとしたら、へタレ中流としては当面、シバキ主義の陰気な楽しみに耽るのも人生の一つの選択肢だろう。
これに対するエコ派的な批判には、著者は歴史的経験に立って、退却路線が前進路線以上に悲惨な事態を招来する可能性を論じるだろう。仮に倒れるにしても前のめりに、という話で、ここには根深い世界観の対立が横たわっている。
ただ現今の不況の原因を不完全な市場、革新の不足、貨幣的な要因のいずれに求めるかの本書での議論は、決定的ではない印象。著者はニューエコノミーの蹉跌を貨幣的要因論の根拠とするが、ニューエコノミー論そのものが駄ボラだったのではないか?
景気浮揚の方策については、著者は「貨幣的ケインジアン」の立場から公共政策の問題とするが、他方で労働組合の賃上げ運動がもたらしうるリフレ効果にも言及し、ハッパをかけている。個人としてなしうる領分を確保したいという著者の意図は理解できるが、しかし労働組合だって実質的には公共セクターだろう。私としてはあまり元気が出ない。
著者の言うように個人的行為の重みがせいぜい投票用紙1枚分だとしたら、へタレ中流としては当面、シバキ主義の陰気な楽しみに耽るのも人生の一つの選択肢だろう。
2004年2月4日に日本でレビュー済み
題名から経済学の初歩についてのわかりやすい手ほどきを期待する読者は肩透かしを食らうだろう。これは経済学についての本というようりも、経済学をめぐる日本の教養文化についての本である。
もとはHotwiredで今も連載中の「地図と磁石」である。著者の想定する読者は、標準的な経済学を専門に学んだ人ではなくて、たとえ経済学部にいたとしてもむしろポストモダンや評論などについつい手が伸びてしまったような人々ー人文系ヘタレインテリと著者は呼ぶーである。
この層の人々は日本では伝統的に教養の担い手となってきたわけだが、その教養に問題はなかっただろうか、というのが著者の底流にある意図のように思う。その問題を、主に現代の不況をめぐる経済論議にからめながら読み解いていく過程はスリリングだ。
とくにポストモダンから本題に入る第1章の鮮やかさは例をみない。反面第3章はちょっと論旨がもたついている。このあたりはやはり勉強しながら書いているという感じだ。ただしこれは本書の趣旨に沿っている。著者は、教養の本質は知識ではなくて、学ぶ態度だというのだから。
最大の注目は第7章のマルクス経済学についての記述だろう。人文系ヘタレインテリと親和性が高かったのはマルクス経済学であったし、著者が言うようにその問題点は現代の議論に大きな影を落としているのだから。さすがに著者が自家薬籠中のものにしているだけにこの章の記述は限りなく簡潔かつ正確にマルクス経済学の議論を整理し批判している。
そして、このマルクス経済学の批判という意味で本書は、人文系ヘタレインテリの反省でもあり、一部葬送でもあり、そして最終的な再生へののろしでもある。こういう本が登場するようになったこと自体に私などはある種の感慨を抱いてしまう。そう、私も少しはヘタレ系が入っていたからだ。
本書に問題がないわけではない。マクロ経済学の整理はどうかなと思うし(貨幣を効用関数に入れる小野モデルは貨幣経済のモデルなのか、など)、労働組合による賃金引上げという著者の政策提言はマクロ政策としては不完全であり蛇足の感がある。それにこれまでの人文系ヘタレインテリの世界(の匂い)を知らないとこの本の画期的な意味がわかりにくいということもある。
けれども何よりも思索を刺激する本である。そういう本は近頃珍しい。
もとはHotwiredで今も連載中の「地図と磁石」である。著者の想定する読者は、標準的な経済学を専門に学んだ人ではなくて、たとえ経済学部にいたとしてもむしろポストモダンや評論などについつい手が伸びてしまったような人々ー人文系ヘタレインテリと著者は呼ぶーである。
この層の人々は日本では伝統的に教養の担い手となってきたわけだが、その教養に問題はなかっただろうか、というのが著者の底流にある意図のように思う。その問題を、主に現代の不況をめぐる経済論議にからめながら読み解いていく過程はスリリングだ。
とくにポストモダンから本題に入る第1章の鮮やかさは例をみない。反面第3章はちょっと論旨がもたついている。このあたりはやはり勉強しながら書いているという感じだ。ただしこれは本書の趣旨に沿っている。著者は、教養の本質は知識ではなくて、学ぶ態度だというのだから。
最大の注目は第7章のマルクス経済学についての記述だろう。人文系ヘタレインテリと親和性が高かったのはマルクス経済学であったし、著者が言うようにその問題点は現代の議論に大きな影を落としているのだから。さすがに著者が自家薬籠中のものにしているだけにこの章の記述は限りなく簡潔かつ正確にマルクス経済学の議論を整理し批判している。
そして、このマルクス経済学の批判という意味で本書は、人文系ヘタレインテリの反省でもあり、一部葬送でもあり、そして最終的な再生へののろしでもある。こういう本が登場するようになったこと自体に私などはある種の感慨を抱いてしまう。そう、私も少しはヘタレ系が入っていたからだ。
本書に問題がないわけではない。マクロ経済学の整理はどうかなと思うし(貨幣を効用関数に入れる小野モデルは貨幣経済のモデルなのか、など)、労働組合による賃金引上げという著者の政策提言はマクロ政策としては不完全であり蛇足の感がある。それにこれまでの人文系ヘタレインテリの世界(の匂い)を知らないとこの本の画期的な意味がわかりにくいということもある。
けれども何よりも思索を刺激する本である。そういう本は近頃珍しい。
2004年2月13日に日本でレビュー済み
捕捉するとしたら、学問論としての部分だろう。ポストモダン哲学にどっぷりつかって、現状批判ばっかりやって、まともな生産をおこたってきた人たちにとって、著者の自己批判は自分自身とどうしても重なり合ってしまうだろう。私もそうだった。多少なりとも、知的誠実さをもっていれば、浅かれ深かれ、著者と同じようなことを考えざるを得ないのだ。私は、経済学をある程度勉強してからこの本を読んだので、整理の部分には別段驚かなかった。だけれども、マルクス主義の吟味から浮かび上がってくる左翼的言説のはまり込んだ不毛・・・これは、現在、カルスタやポスコロやポモにだって言えることだ・・・の分析などはものすごく切れ味がいい。現代思想系から抜け出したときには、この本をじっくりと読んでみるべきだと思う。現実に向かい合う知識を得る方法を考えるためにも。
2008年9月17日に日本でレビュー済み
東洋経済新報社から出版された単行本版を既に読んでいたので、文庫版の購入は迷ったのだが、単行本版にはない補章と小野善康氏による解説読みたさに思い切って購入してしまった。改めて最初からじっくり読んでみたがやはり購入して良かった。稲葉氏の著書は何冊か購読しているが、個人的にはこの著書が最も好きだ。「素人の、素人による、素人のための、経済学入門」というほど内容は簡単とは思わないが、マルクス経済学、新古典派、ニューケインジアン等それぞれの経済学の立場がよく整理されているように思う。現代思想等が本来のフィールドなのだろうが、こういった経済学方面についてももっと書いてほしいと思う。