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前世を記憶する子どもたち 単行本 – 1990/2/22
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“生まれ変わり”の問題に長年取り組む米国精神科医と共同研究者たちが、数々の驚異的事実を報告するとともに各ケースを通して浮き彫りにされる疑問や謎──
・非業の死を遂げた者の方が前世を記憶しているのはなぜか
・ほとんどの子供たちが5~8歳で前世の記憶を失うのはなぜか
・西洋よりアジアやアフリカで事例が多く見つかるのはなぜか
など、に最大限の回答を試みる。
- 本の長さ548ページ
- 言語日本語
- 出版社日本教文社
- 発売日1990/2/22
- ISBN-104531080610
- ISBN-13978-4531080618
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商品の説明
著者について
1947年生まれ。早稲田大学心理学科を卒業後、北海道や東京の病院で心因性疾患の心理療法を続け、96年、東京都品川区に〈心の研究室〉開設。著書に『幸福否定の構造』(春秋社)、『希求の詩人・中原中也』(麗澤大学出版会)その他が、訳書に『前世を記憶する子どもたち』『生まれ変わりの研究』『超心理学史』『新版「あの世」からの帰還』『続「あの世」からの帰還』(以上、日本教文社)その他がある。
登録情報
- 出版社 : 日本教文社 (1990/2/22)
- 発売日 : 1990/2/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 548ページ
- ISBN-10 : 4531080610
- ISBN-13 : 978-4531080618
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- カスタマーレビュー:
著者について
1947 年、埼玉県に生まれる。1970 年、早稲田大学第一文学部心理学科卒業。
東京都八王子市の永野八王子病院、北海道小樽市の医療法人北仁会石橋病院心理科、東京都大田区の医療法人社団松井病院心理療法室に勤務の後、1996 年4月、東京都品川区に〈心の研究室〉開設、現在に至る。
著書に、『今西進化論と小田柿生物社会学――人類の独自性を探る』(アマゾン・オンデマンド),『懲りない・困らない症候群』(『なぜあの人は懲りないのか・困らないのか』として 2005 年に再刊),『隠された心の力――唯物論という幻想』(アマゾン・オンデマンド版として近日中に第2版出版予定),『幸福否定の構造』(以上,春秋社),『本心と抵抗――自発性の精神病理』,『人間の「つながり」と心の実在』(以上,すぴか書房),『希求の詩人・中原中也』(麗澤大学出版会),『加害者と被害者の “トラウマ”』(国書刊行会),『幸せを拒む病』(フォレスト新書),『超心理学研究』(おうふう),『超心理学読本』(講談社プラスα文庫)その他が,編著書に『サイの戦場――超心理学論争全史』(平凡社),『多重人格障害――その精神生理学的研究』,『偽薬効果』(以上,春秋社)その他が,訳書に『がんのセルフコントロール』(共訳,創元社),『トランス』,『生まれ変わりの刻印』,『前世の言葉を話す人々』(以上,春秋社),『前世を記憶する子どもたち 1,2』、『生まれ変わりの研究』,『超心理学史』,『もの思う鳥たち――鳥類の知られざる人間性』(以上,日本教文社)その他がある。
連絡先 141-0031 東京都品川区西五反田 2-10-8-514 心の研究室
電子メール:kasahara@h02.itscom.net
ホームページ http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/index.html
ただいま、ホームページに、『今西進化論と小田柿生物社会学――人類の独自性を探る』各章冒頭の pdf を掲載しています。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
私はこの本の内容に関してここに具体的に書くつもりはありません。最近あるきっかけで、この本の翻訳があってしかるべきだと思い、検索しましたら、笠原氏のこの本が出てきました(以前の検索では出てこなかったのですが)。
私が既にあるレビューに加えて書きたいことは、以下の点です:
(1) フランスの哲学者で「生まれ変わり論」の支持者のC.J. Ducasse (1881-1969)が、ある随筆の中で、なんと、江戸時代後期(1810年頃)の日本人の「生まれ変わり」の例を引用していることです。これは彼自身がそれを調査したわけではなく、皆さんもよくご存じの「耳なし芳一」等の「怪談」を書いた小泉八雲の本「仏陀の畑の落ち穂 (1972? 平井呈一 訳)」(原書Gleanings in Buddha-Fields [1896])の中の第10章「勝五郎再生記」で、八雲がある古文書を引用して書いたものです。その詳細はその本をお読み下さい。イアン・スティーブンソン(1918 - 2007)の本に対する「懐疑論者」の反論は、スティーブンソンの調査研究に協力した現地の協力者は、金儲けのために、しばしば「生まれ変わり論」を支持する調査結果を「ねつ造」したのだろうというものですが、72歳になる勝五郎の祖母「つや」が、奉行所の取調べで語った「勝五郎再生記」で、その様な作り話をしたとすると、その動機は何なのでしょう?と言う疑問が残るでしょう。
(2) 「生まれ変わり論」への反論者の一人であるオーストリア生まれの米国の哲学者Paul Edwards (1923-2004)は、彼の本「Reincarnation - A Critical Examination (1996/2002)」のなかでスティーブンソンの「生まれ変わり論」を強烈に批判しています。この本の中で、彼はスティーブンソンの論文を掲載した学術誌のある編集者の言を引用し、「スティーブンソンの集めた証拠には否定しがたいものがあるが、しかし、これをそのまま受け入れるとしたら、それは、これまでに科学が蓄積した多くの知識を見直さなければならないと言うことを意味し、それはたいへん受け入れがたいものだ」と書いている。同じく、Edwardsは別の哲学者を引用「生まれ変わり論の実証は、同時に、伝統的生物学の知識(具体的には、ダーウインの進化論そのもの)の否定を意味しそれを実証するには更にたいへんな証拠を集めなければならないことになる。」従って、「生まれ変わり論」は、それを受け入れるには科学的には大変に困難な考えである、と結論している。
(3) スティーブンソンは、この本の終わりで、「科学者はいずれデカルトの二元論を考え直さなければならなくなるだろう」との趣旨を書いている。彼の集めた証拠は、「あの世」があることを示唆しているというものである。
読者の中には「魂の目方は21グラム」という米国人のミーム(meme)をご存じの方もあるでしょう。「あの世」があることを証明する一つの方法は、「人は死ぬときその目方が減少する」と言うことを実証すればよい。その様に考えた米国の内科医Duncan MacDougallは、1900 - 1901年頃、当時結核で死んでいった6人の患者の「生から死への目方の減少」を測定し、1907年、二つの科学誌にその論文を発表した。減少量は人によって異なり、約10 - 45グラムであった(実験の最初の患者のケースが、3/4オンス = 21.26グラムであった)。この論文に対する科学者の反応は大変に冷淡である。そもそも、誰も真剣にこの論文の成否を検討していない。もし、この論文の主張が正しいとしたら、それは、「エネルギー保存則」に違反することになるからで、そんなことはあり得ない、と言うのが科学者の冷淡な態度の裏にあるのだろう。ごく少数の科学者がこの実験に対して見解を書いており、それらの共通するポイントは、「この実験は科学的見地からは、いい加減な実験であった」というものである。
(4) 「いい加減な実験」であったとする根拠は、あくまでも推測に過ぎなく、誰もMacDougallの実験結果を「否定する」実験結果を論文として発表していない。(むしろ、彼の実験よりも以前に、同様の実験をした科学者がいたようで、論文としては記録されていないが、同様の目方の減少を本に書いているらしいが、これはInternetのしかるべきwebsiteへ行ってみるしかない。)「いい加減な実験」であったとする見解の正否を科学的に検証するために、私は2010年に以下の論文を掲載した:“Rebuttal to Claimed Refutations of Duncan MacDougall’s Experiment on Human Weight Change at the Moment of Death.”(Journal of Scientific Exploration, Vol. 24/ No.1/pp.5-39. This Vol.24/No.1 is available from amazon.co.jp.) この論文の結論は、「この実験は、科学的見地からは、決していい加減な実験ではなく、正当な実験結果であり、一重に、他の科学者による独立な確認実験を待つのみである。」しかし、大変簡単な実験なのだが、この時点までに、MacDougallの結論を「否定」または「確認」する実験の論文はない。
(5) 多くの読者は周知の通り、「現代主流科学」の結論は、(1) 我々の存在そのものには何の意味も無く、偶然に生まれた(Big Bang)宇宙で、偶然に生まれた生命が、ダーウインの進化論に従って、自分自身の存在の謎を解き明かそうとする知性を持つ「人類」に至った。(2) 従って、皆さんが信じてやまない「自由意思(Free Will)」などは幻想に過ぎなく、皆さんの全ての行動は、皆さんの脳細胞を構成する原子・分子の「物理・化学的挙動」の結果に過ぎない。これが物質科学論者(Materialistic Scientists)の見解です。
(6) もしイアン・スティーブンソンの主張を受け入れるとしたら、それは上記の「現代主流科学」の結論 (1) & (2) を全く否定することになります。あなたはどちらを受け入れますか??
これは違うが面白かった。
私がキオスクで買ったのは、
「前世を忘れない子供たち : 輪廻転生の記録」
Peter Harrison / Mary Harrison / 田中 智
どの本も昔は眉唾だったが、SNSなどの普及により一般の人々が、実体験をオープンに出来る時代となり、
事実として一部の人は認めつつあるのが時代の流れを感じる。
読みづらいところもあるが、良書。
実際の「生まれ変わり」事例は十数件しか書かれておらず、どちらかというと生まれ変わり事例が研究者の前に発現する場合の文化的・宗教的な差異について詳しいので、がっつり「生まれ変わり」の不思議な話を読みたい!という人には向かないかな。超心理学というよりは比較文化論と言ってもいいくらいの内容が、緻密に展開されています。
残念なのが、翻訳があまりよくないこと。原文もそれなりに読みにくい文章なのかもしれませんが、とにかく読みにくい。主語が省かれていたり(原文にはなくても翻訳時に足すべきところに足されていないためわかりにくい)、代名詞が多すぎて何のことを言っているかわからなくなったり、さらに、明らかに必要な文章が飛ばされていたり。完全に意味がわからないわけではないので読めますが、その文章のセンスのなさにはイライラさせられました。
そういう多少の苦労があっても読みたい方にはオススメです。
<釈尊の教法の真義>とは、「凡夫が聖者になり、聖者は釈尊と同等のブッダ(阿羅漢)になる」ことである。その聖者とは凡夫の心にブッダの心が共存する者である。凡夫の心の無知(i.e. 「欲界の痴」)の部分がブッダの心(i.e. 「欲界の智」)に置き換われば、第一段階の聖者「預流(シュダオン)」に進化する。この「預流」にならなければ<釈尊の教法の真義>は絶対に理解出来ないのである。
凡夫を聖者にするのは、『心の量子トンネル現象』である。ブッダの心が凡夫の心に染み込む量子トンネル現象は、欲界の「痴」=「身見+疑惑+戒取」=「三結(三煩悩)」に気づいた瞬間に始まる。「身見」とは『私』および『私のもの』という自己中心の意識のこと、「疑惑」とは「失敗への怖れや不安」のこと、「戒取」とは「固定観念」を絶対視することである。一旦、『心の量子トンネル現象』が開始すれば、その影響が継続し、やがて欲界の「貪」と「瞋」が減少して第二段階の聖者「一来(シダゴン)」となる。さらに、欲界の「貪・瞋・痴」=「身見+疑惑+戒取+欲貪+瞋恚」=「五下分結」が消滅すれば第三段階の聖者「不還(アナゴン)」になる。「不還」になれば、欲界との縁が切れるので、人間界(欲界)への輪廻転生はない。欲界との縁が切れた「不還」は、間もなく、第四段階の聖者「阿羅漢」(=第一段階のブッダ)になる。
***
パーリ語中部経典第44「小有明経」と同一内容でしかも遙かに重要な古い漢訳仏典が存在する。それは漢訳雑阿含経・巻第五「仙尼経」宋天竺三蔵求那跋陀羅訳(大正大蔵No.105)である。その中で釈尊は、人間の「我」を詳細に論じている。
【意訳】世尊が『無常を知っている阿羅漢の弟子は、五蘊の中に「我」と「異我」と「相在」とを見るだろうか?』と仙尼尊者に問う。仙尼尊者は『いえ、阿羅漢の弟子はいずれをも見ません』と答えた。
【補注】ここで、自我と無常の五蘊(肉体生命の色蘊・感覚選択の受蘊・識別感情の想蘊・記憶想起の行蘊・判断思考の識蘊)は同じと見るのが「我」であり、自我は五蘊の外部に独立して不変に存在すると見るのが「異我」であり、自我は五蘊の内部に包含されて存在すると見るのが「相在」である。
【意訳】世尊は次のように説く。『因縁による五蘊の化合(新たな結合)そのものが我であり、因縁が消滅すれば五蘊も消滅し、同時に我も消滅する。人間の生命(我)は因縁所生のものであるから、因縁の続く限りは生死(我の消滅と発生)を繰り返す。因縁を無視して「生命(我)それ自体が永遠に続くもの」という「常見」と、因縁が消滅しない限り「死んだからといってそれで生命(我)が断滅してしまうもの」という「断見」は間違いである。正しくは、「生命(我)は因縁によって生じ因縁によって消滅するもの」という「如来応等正覚見」である』と。
これが「無我」の意味である。
***
釈尊によれば、「生まれ変わり」とは凡夫が信ずる「異我」に相当する。詳細な説明は省略するが、釈尊の説法を俯瞰するための一覧表を次に示す。
┌――――――――――――┬――――――――――┬――――――――――┬―――――┐
| 欲界の煩悩【結】 | 煩悩発生源【五蘊】 | 煩悩浄化修行法 |西洋神秘学|
├-―┬―-┬――――――――┼――――――――――┼――――――――――┼―――――┤
| | | 身見 | | | 肉体 |
| | |(私及び私のもの | 色蘊 | 正語・正業 ├―――――┤
| | | という自己中心 | (肉体生命機能) | |エーテル体|
| | | の思い込み) ├――――――――――┼――――――――――┼―――――┤
| | | | 受蘊 | 正語・正業・正命 | |
| | | | (感覚情報選別) | | アスト |
| | ├――――――――┼――――――――――┼――――――――――┤ ラル体 |
|五|三| | 想蘊 | 正語・正業・正命 | |
| | | 疑惑 | (好悪識別感情) | ・正精進 | |
|下|結|(失敗への恐れ ┼――――――――――┼――――――――――┼―――――┤
| | | や不安の継続) | 行蘊 | 正念・正定 | |
|分| | | (体験記憶想起) | ・正精進 | メンタ |
| | ├――――――――┼――――――――――┼――――――――――┤ ル体 |
|結| | 戒取 | 識蘊 | 正見・正思惟 | |
| | | (古い固定観念 | (概念思考判断) | ・正精進、 | |
| | | の絶対視) | | + 四念処法 | |
| ├―-┴――――――――┼――――――――――┼――――――――――┼―――――┤
| | 欲貪 | 三結の断で | 繊細な八正道 + | |
| | (欲界での貪り) | 残った五蘊 |四念処法+七覚支法 | アスト |
| ├――――――――――┼――――――――――┼――――――――――┤ ラル体 |
| | 瞋恚 | 三結の断で | 繊細な八正道、 | メンタ |
| | (欲界での怒り) | 残った五蘊 | 四念処法+七覚支法 | ル体 |
└-―┴――――――――――┴――――――――――┴――――――――――┴―――――┘
上記の表を簡単に説明する。欲界の煩悩が残る凡夫の我は転生する。しかも、転生前と転生後の凡夫の我は同一ではない。欲界の煩悩が残っていると、その煩悩のエネルギーに共鳴して新たな五蘊(異陰とも呼ぶ)が集まる。これが「化合」である。色蘊の化合により新たな肉体を遺伝子が形成して我の容器とする。同様に、我の本体である受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の化合が新たな我の本体を形成する。だから、転生前と転生後の我は同一だと錯覚するのである。
さらに、煩悩エネルギーが共鳴する方法も一通りとは限らない。煩悩X=A+B+Cの場合に、同時にXが複数の凡夫の五蘊(すなわち我)と共鳴する場合もあれば、各要素が分かれてAの我を持つ凡夫、Bの我を持つ凡夫となる場合もある。つまり今の私は、転生後に複数の凡夫に変化し得るのである。
しかし、預流と一来の聖者は八正道の修行で欲界に関わる五蘊が浄化され、四念処法と七覚支法の修行も加えて欲界の五蘊が消滅すれば不還の聖者になって欲界には転生しない。